宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

ブルームーン

2019-05-30 12:15:06 | つくりバナシ




 「病院を出ると、SY内丸という映画館の看板があるの」

「看板?」

「そう、照明の当たった古い看板」

「それが?」

「最後に、30秒間だけそこに立っていて欲しいの、ここからそこが見える」

「わかった」


 

 暮れも押し詰まった12月23日。
その日仕事が休みの男は、朝早く上野駅から盛岡へ向かった。

女は重い病気を抱えていた。
そして、その手術をクリスマスイブの日に受けることになったと手紙を寄越した。







 二人が出会ったのは、そこから二つ前の夏。
男は大学4年生で、女は女子短期大学を卒業した後、専門学校2年目の同い年だった。

偶然がいくつか重なって、二人は転がるように惹かれあっていった。
女は盛岡から三つ手前の駅前通りにある、ある老舗の長女である。
妹が一人いて、長女である彼女で五代目。
専門学校に通っているのも、その家業を継ぐためのもので、親は養子として婿取りをさせる計画だった。



 そして、その年の暮れには、故郷に帰る約束になっていた。
それは変えられない。
しかし、二人はそれを忘れたかのように毎日を過ごした。

とはいえ、時は着実に過ぎる。
親との約束を反故にはできない。
そして、その年の12月23日、女は東京を後にした。



 そこから二人の文通が始まる。
携帯電話どころか、インターネットすら、影も形もない時代。

週に二通ずつのやりとりが続いた翌年の2月。
女は、名古屋在住の女友達と旅行に出ることになる。

上野駅で降りて、東京駅から東海道新幹線に乗る。
女は「東京駅で、ちょっとでもいいから逢いたい」と手紙を寄越した。

夜の八重洲中央改札口の外、バイトを終えた男は大きな丸い柱にもたれ掛かって、ずっと改札の向こうに目を凝らしていた。
その向こうの通路から、また、すぐそばの下りエスカレーターから、どんどんとひっきりなしに人が流れてくる。


 約束の時刻を少し過ぎた頃、男はその人の群れの中に一点、光輝く存在を見つける。
女も男を見つけて小走りに駆け寄ってくる。
男はそのまま待っていた。
改札を抜けると、女は真っすぐに男の胸に飛び込む。
感情をストレートに、行動として表現出来る女に男は強く惹かれていた。
雑踏の中で、ごく自然に抱き合える二人が好ましかったし、そうさせる女の魅力に、男は参っていた。
そして、二か月ぶりの逢瀬は、狂おしく愛おしい。


 数日の旅行を終えた女は、男の部屋にやってきた。
そして、そのまま棲みついた。



やがて男は卒業試験。
なんとかやり終えた男は、その日、友人たちと最後の雀卓を囲んで、夜も更けた頃に部屋に戻る。
すると、いつもなら点いている筈の灯りが消えている。
嫌な予感を押し殺しながら部屋に入ってみると、そこには一枚の便せんがあった。

それには、「方々手を尽くしてみたけど、連絡がつきませんでした。一度帰ります」と書いてあった。
正しく、親に連れ去られた後だった。



 
 でも女は、その後また家出をする。
実家に連れ戻されて半年近く大人しくしていたので、東京への仕入れ出張を許された。
そしてまた男の部屋に棲みついた。
数少ないチャンスを活かしたという訳だ。
男は社会人一年生となっていて、女はその会社の近くにバイト先を見つけ、一緒に通勤するようになる。

やがて二度目の夏。
栗色でサラサラと風になびくおかっぱの女は、男のBVDシャツをガボっと着て、線の細いジーンズ姿。
その鼻筋の通った瓜実顔とのバランスといい、とても瑞々しく綺麗だ。

同じ格好の二人は、日曜になると自転車に二人乗りして新宿へ。
そして、帰ってくるなり、女は「シュン、プールへいこうよ」と言って、アパート共有の屋外の流しで、蛇口から直接頭に水をかける。
ざっとそれをタオルで拭いてから、「きもちいい~」と叫ぶ。

夜は二人で近くの酒屋の自販機で缶ビールを買う。
その帰り道、女はそれを頭にのっけてバランス歩行。
「シュンもやってみて!」と。

そうした姿や行動がとても似合ったし、そんな女が男はとても好きだった。

アイビースタイルが好きな女は、男のシャツを着たがった。
そしてまた、若干サイズオーバーなそれが妙に似合っていると男は思った。

また、アスコットタイを締める、いわゆる男装に近い服装を女は好んだ。
男は、初めて出会うタイプの女性を見るのが眩しかった。
やがて男は、タクティクスとアラミスを知る。
それは、女の愛用する香りだった。



 一方、現実に目を背けても、やがて結論を出さねばならない時がくる。
その秋には、また女と男は離れて暮らすことになる。
女の母親の電話攻勢に負け、男が女を実家まで送っていった。
着いたのが夕刻を過ぎていたので、その夜はそこに泊まることになった。
そしてその翌早朝、男は女の母親に起こされて、「娘には黙ってこのまま帰って」と訴えられる。
前夜の話し合いでは「婿になってくれるのなら盛岡に店を持たせてあげるから」という提案もあったが、結局、結論は出ず仕舞いだった。
ここは従うしかない。

「最後に彼女の寝顔だけ見させてください」と頼み、不承不承の母親を後目に、そっと女の部屋のドアを開けると、女が飛び起きた。

「行くの?」
「うん、一旦帰る、また二人で考えよう」
「わかった、ありがとう、送ってくれて」
「お母さんに義理は果たせたかな」
「・・・」



 そうして、また文通の再開。
だが、その内容が、以前の「既成事実をつくっちゃおう」という勢いのあるものから、段々と意気消沈したものに変化してゆく。
でも、男もそれを覆せない。
何故なら、その辺りから、女の持病が悪化したから。
無理の効かない体の女を強引に手元に引き寄せることが、女にとっての是か非か。
どう理屈をつけても、それは無理な話だった。
そして、まだひよっこの男にそれだけの甲斐性はなかった。

 女は女で、自分の持病がどうにもならないことを知っていた。
すると、必然として、けじめをつけようという流れになる。


 そしていよいよ「最後にもう一度だけ逢いたい」と、二人は中間地点の仙台で落ち合う。
もう結論の出た逢瀬は、寂しく辛い。
二人とも努めて明るく過ごしても、最期の時が刻々と迫っていることに、つい思いが向いてしまう。
そして、そんな流れは容赦なく早い。

 仙台駅が改築されて、エスパルという商業施設が出来たばかりの頃だった。

「元気でね」
「おまえもな」
「さようなら、シュン」
「ケイ、オレ、決して忘れないよ」
「モチロン、わたしも」

日曜の夕刻、人込みに紛れて消えてゆく女を、男はじっと眺めていた。
東京駅での再会とは真逆の動きに、男は為す術がなかった。
女の決意は固かった。
踵を返してから、その姿が人の波に消えるまで、女は決して振り向かなかった。



 それからひと月、女から手紙が届いた。
そこには、「いよいよ手術を受けなければならなくなりました」と書かれてあった。
「とても怖い」と。
そして「ただ、来て欲しいとかいうことではないの」とも。


 手術日は月曜日。
ならば、その前日、「兎に角励ましに行こう」と、男は決めた。







 面会時間の終わりがきた。
外はもう冬の夜。
奇しくも、一年前、東京で別れたのと同じ12月23日。
ついに本当のお別れだ。

男は踵を返し、病室を出て、どんどん階段を降りる。
そのうち鼻の奥が熱くなって、涙が溢れ出してきた。
止めようとしても一向に止まらない。
すれ違う人達が奇異な視線を送ってくるのが見える。
でも、そんなことに斟酌出来る状態ではなかった。

 やがて病院の外、女が指定した看板が見える。
男は、約束通りそこに立ち、病院の建物を見上げる。

すると、女の病室の窓に、一人のシルエットが見える。
間違いなく、女が男を見ている。


 30秒、頭の中で数えた後、男は大きく手を振る。
女もそれに応える。



 そして男は、意を決してその場を後にする。
仙台での別れに、女が見せた決意を、男もそのまま返してやりたかった。
「決して振り向かないぞ」
そう、自分に言い聞かせて。




 頭上には、冬の青い月が輝いていた・・・










昔懐かしいカクテル。
使用する素材は、
和名、バイオレット・リキュール。
原産国、フランスでは、パルフェ・タムールと呼ばれる。
即ち、完全なる愛。
ふと、飲みたくなって。
カクテル名、ブルームーン。
@ woodybar チュー太郎






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