けふのBGM
黄色い涙
先日の記事のBGMを「晩夏」にしようと決めて、検索をかけたら関連動画としてあがってきたのが、この「黄色い涙」。
理由はおそらく「銀河テレビ小説」繋がりなのだろう。
それは、NHKの連続テレビドラマ小説で、私は高校生の頃によく観た。
当時は、平日の21:40から22:00までの20分間が放送時間だったように記憶している。
朝の連続ドラマより回数は少ないのだが、こちらの方が大人向けに作られていると感じていた。
その中でも特に記憶に残っているのが、この「黄色い涙」と、「ふるさとシリーズ」。
そして、その「ふるさとシリーズ」の主題歌が「晩夏」だったのである。
これは、私が大学2年の頃、夏休みで帰省している間に流れたのだが、調べてみると、脚本は山田太一だった。
今度も「やっぱり」という感が否めない。
というのも、私の記憶に残るドラマは、圧倒的にこの山田太一の作品が多いのである。
まあ、けふは「黄色い涙」がテーマなので、「ふるさとシリーズ」は後日に委ねるとしよう。
これは、資料によると1974年11月25日~12月20日というから、私が高校3年の冬、年末に向かう頃に放送されたものらしい。
記憶に残ってるという割に「らしい」という言い回しは適切ではないかもしれないが、高校3年のときということは覚えていても、季節感が残ってなかったということだ。
漫画家志望の主人公と、それを取り巻く同じアパートの住人達が巻き起こす、というよりも、日々の淡々としたドラマだった。
共通項は、「若さ」「夢」そして、赤貧洗うがごとき「貧乏」である。
但し、雌伏のときにおける貧乏であるから、それは悲壮感の欠片もない。
ただただ、微笑ましく懐かしい寓話のごとき匂いを放っていた。
例えば、インスタントラーメンをこしらえる鍋がないから、金だらいを代用するといったようなシーンが記憶に残っている。
もう一つ、妙に記憶に残っているのは山谷初男。
その役所は、スナックか喫茶店のマスターだったように思う。
いつも毛糸の帽子、それもはちまきのライン辺りまでしか深さのないそれ、なんて言うのだろう正ちゃん帽?
いや違う、昔ラーメン屋の大将が被っていたような、それを被っていた。
彼は今でも時々ドラマに出演している(倉本聰や山田太一が書いたそれが多い)が、私の中のイメージは、この頃と全く変わらない。
凄い人だと思う。
出来ることならもう一度観てみたいこのドラマ。
しかし、哀しいかな、NHKにはそのフィルムは保存されてないという。
驚くべきことに、当時はフィルムが高価だったために「使い回し」が常態化していて、この頃のドラマはほとんど残ってないらしい。
なので、人々の脳内に残っているそれぞれのイメージしかこの世には存在しないということになる。
しかし、当時はようやく家庭用ビデオレコーダーが一般に普及し始めた頃だった筈。
現に、友人の中に一人だけだが、それを買った家があって、私はそれを見せてもらった記憶がある。
もう一度言うが、それなのに天下のNHKがそういう工夫をしてないのである。
これは、エアポケットと言ってもいいような出来事ではないだろうか。
話が脱線した。
ともあれ、その当時の雰囲気を彷彿とさせるのが、この動画だったもので、投稿者に感謝しつつ、自分のそれにまつわる記憶を披瀝しておきたくなった。
さういう訳である・・・
黄色い涙
先日の記事のBGMを「晩夏」にしようと決めて、検索をかけたら関連動画としてあがってきたのが、この「黄色い涙」。
理由はおそらく「銀河テレビ小説」繋がりなのだろう。
それは、NHKの連続テレビドラマ小説で、私は高校生の頃によく観た。
当時は、平日の21:40から22:00までの20分間が放送時間だったように記憶している。
朝の連続ドラマより回数は少ないのだが、こちらの方が大人向けに作られていると感じていた。
その中でも特に記憶に残っているのが、この「黄色い涙」と、「ふるさとシリーズ」。
そして、その「ふるさとシリーズ」の主題歌が「晩夏」だったのである。
これは、私が大学2年の頃、夏休みで帰省している間に流れたのだが、調べてみると、脚本は山田太一だった。
今度も「やっぱり」という感が否めない。
というのも、私の記憶に残るドラマは、圧倒的にこの山田太一の作品が多いのである。
まあ、けふは「黄色い涙」がテーマなので、「ふるさとシリーズ」は後日に委ねるとしよう。
これは、資料によると1974年11月25日~12月20日というから、私が高校3年の冬、年末に向かう頃に放送されたものらしい。
記憶に残ってるという割に「らしい」という言い回しは適切ではないかもしれないが、高校3年のときということは覚えていても、季節感が残ってなかったということだ。
漫画家志望の主人公と、それを取り巻く同じアパートの住人達が巻き起こす、というよりも、日々の淡々としたドラマだった。
共通項は、「若さ」「夢」そして、赤貧洗うがごとき「貧乏」である。
但し、雌伏のときにおける貧乏であるから、それは悲壮感の欠片もない。
ただただ、微笑ましく懐かしい寓話のごとき匂いを放っていた。
例えば、インスタントラーメンをこしらえる鍋がないから、金だらいを代用するといったようなシーンが記憶に残っている。
もう一つ、妙に記憶に残っているのは山谷初男。
その役所は、スナックか喫茶店のマスターだったように思う。
いつも毛糸の帽子、それもはちまきのライン辺りまでしか深さのないそれ、なんて言うのだろう正ちゃん帽?
いや違う、昔ラーメン屋の大将が被っていたような、それを被っていた。
彼は今でも時々ドラマに出演している(倉本聰や山田太一が書いたそれが多い)が、私の中のイメージは、この頃と全く変わらない。
凄い人だと思う。
出来ることならもう一度観てみたいこのドラマ。
しかし、哀しいかな、NHKにはそのフィルムは保存されてないという。
驚くべきことに、当時はフィルムが高価だったために「使い回し」が常態化していて、この頃のドラマはほとんど残ってないらしい。
なので、人々の脳内に残っているそれぞれのイメージしかこの世には存在しないということになる。
しかし、当時はようやく家庭用ビデオレコーダーが一般に普及し始めた頃だった筈。
現に、友人の中に一人だけだが、それを買った家があって、私はそれを見せてもらった記憶がある。
もう一度言うが、それなのに天下のNHKがそういう工夫をしてないのである。
これは、エアポケットと言ってもいいような出来事ではないだろうか。
話が脱線した。
ともあれ、その当時の雰囲気を彷彿とさせるのが、この動画だったもので、投稿者に感謝しつつ、自分のそれにまつわる記憶を披瀝しておきたくなった。
さういう訳である・・・
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