この前の日曜日に配達で法泉寺にいったときに
今年の「初キンモクセイ」が微かに匂ってきた。
その次は翌日の牛乳配達のときにある場所で。
そして今日ついに我が家のキンモクセイも花をつけた。
そろそろ一斉に匂い始めるだろう。
太鼓祭りが近いことを知らせる花の香である。
年によって微妙に時期が前後する。
私が小学生くらいの頃は、祭の最中がその時期であった。
一時かなりそのバランスが崩れた時期もあったと記憶している
が、最近また昔の状態に戻ってきたように思う。
東京にいた頃はその記憶がない。
かの地にはキンモクセイの木が少ないのか?
それとも私の記憶が消えたのか?
祭の時期に、「今頃新居浜では太鼓台がでとるやろなあ」と
ぼんやり思うことはあった。
でも、何人かの友人のように、「その為だけ」に帰省しようとは
露ほども思わなかったのだから、自分は太鼓馬鹿の部類では
ないのだろうと感じている。
また、新居浜、東京往復の旅費が当時の私にとっては結構な
負担であったことも小さくはない要因であったと思う。
勿論、こちらに帰ってきてからは、要所だけ「棒にまがりに」
いくことは好きだった。
ただ、商売柄、三日間丸々つきっきりというのは出来なかった。
それも、無理矢理横車を押せば出来なくもなかったかも知れない
ことを思えば、やはりフリークではないのだろう。
でも、あの音がすると血が騒ぐし、房が綺麗に割れるかき方の
出来ている太鼓台を眺めていればうっとりするし、全体の
バランスのいい太鼓台はほれぼれとした気持ちなるのだから、
興味がないとも言えない。
肩に食い込むかき棒の感触は大好物だし、差し上げるときの
一体感は熱い気持ちになるし、自分の手を離れるくらい
太鼓台が浮き上がれば誇らしい気持ちになる。
それも、父が恍惚の人になってから一切触れないことにした。
その父が亡くなってから3回目の祭がやってくる・・・
町中に漂うのではなく、其処此処で微かにという感じです。
例年、9月末頃に初体験するのですが、今年はチョット遅かった。
年を重ねるごとに、季節の移ろいに敏感になっていくのは自然なのでしょうかね。
東京にキンモクセイの木がないなんてことは
考えられない。
私も当時は杉並区に住んでいました。
多分、こちらの方が圧倒的にキンモクセイを
植えている庭が多いということなのでしょう・・・