ガンちゃんのノニ畑は、マルポにあります。
リサマさんの畑の一部を借りて作っているのですが、テニアン土産のノニ茶を自分で作っているので、畑にはノニの木が沢山植えてあります。
勿論ノニだけではなくて、野菜やバナナも植えていますし、パッションフルーツも植えていました。
リサマさんが「面白いものがありますよ。」と言って、白爺を畑の端の山際に連れて行ってくれました。
そこには、大きな蔓の木の根がありました。
ボージョボーの木だそうです。
白爺は、子供のときによくカロリナスにボージョボー(当時は藤豆といっていた)の実を拾いに行ったのですが、落ちている実は分かりますが生っているところは見たことがありませんでした。
周りはジャングルですから、よほど気をつけないと、この根は気がつきません。
従って、根の途中にビニール袋を縛って目印にしていました。
がんちゃんがボージョボーの実を拾うときの目印だそうです。
蔓をたどると花がありました。
貴重な写真を撮ることが出来たので喜んでいたら、若い実もあると言われて、更に一枚写しました。
花の下には、若い実も生っています。
テニアンにいる人も、ボージョボーの花を写真に写した記録が無いのではないかと、白爺は少々鼻高になっています。
更に上には、熟した実もありましたが、届かないので眺めるだけにしてきました。
近くに、人形の目に使う可愛い実も生っていました。
ビニール袋が縛ってなかったら、ガンちゃんでもボージョボーの実の落ちている場所は分からないでしょうね。
ボージョボーには大きな実がなる木と小さな実がなる木の二種類があります。
子供の頃白爺達は、学校の廊下の下を通るとき、小さな実をコンクリートに擦って、前を行く友達の腕や腿に押し付ける悪戯をしました。
つけられた子は熱いので飛び上がります。
今でいえば「いじめ」になるのでしょうか。
子猫でも子供でも、悪戯をしながら大人になるのだと思います。
テレビなどの影響で悪戯の質も変わったのでしょうが、あまり親が「いじめ・いじめ」と騒がない方が好いのでは?と、白爺は考えることがあります。
国会の先生も、本質の意味を考えず、言葉尻をつかまえて大騒ぎするのは、いじめの一種では無いでしょうか。
一寸横道に立ち寄ります。
白爺には、テニアンに韓国とチャムロの二世の友達がいます。
韓国語は話せず日本語で生活している変なチャムロなのですが、この方は今でも「教育勅語」を丸暗記しています。
そして、今のアメリカも日本も「教育勅語」にある徳育をしないから社会が崩れてしまったのだと厳しい批判をしていました。
「父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ 恭倹己を持し 博愛衆に及ぼし・・。」
父母には孝行をする、兄弟は助け合い、夫婦は仲良く、友達は信じて付き合う、自分は謙虚な気持ちを持ち、そして人には愛情を持って接すること・・。
白爺はこの人とビールを飲むと、この話を聞くことになりますが、さすがロタ小学校の級長さんだと思って聞いています。
「男女七歳にして席を同じゅうするなかれ」
白爺は、電車の中で抱き合っている若者を見ると、
この言葉だけは思い出しますがねー。
横道にズレタことを書いてしまいましたが、「ゴメンなさい」
白爺は、明日東京に帰ります。
帰ったら沖縄の日記もお知らせしますね。
リサマさんの畑の一部を借りて作っているのですが、テニアン土産のノニ茶を自分で作っているので、畑にはノニの木が沢山植えてあります。
勿論ノニだけではなくて、野菜やバナナも植えていますし、パッションフルーツも植えていました。
リサマさんが「面白いものがありますよ。」と言って、白爺を畑の端の山際に連れて行ってくれました。
そこには、大きな蔓の木の根がありました。
ボージョボーの木だそうです。
白爺は、子供のときによくカロリナスにボージョボー(当時は藤豆といっていた)の実を拾いに行ったのですが、落ちている実は分かりますが生っているところは見たことがありませんでした。
周りはジャングルですから、よほど気をつけないと、この根は気がつきません。
従って、根の途中にビニール袋を縛って目印にしていました。
がんちゃんがボージョボーの実を拾うときの目印だそうです。
蔓をたどると花がありました。
貴重な写真を撮ることが出来たので喜んでいたら、若い実もあると言われて、更に一枚写しました。
花の下には、若い実も生っています。
テニアンにいる人も、ボージョボーの花を写真に写した記録が無いのではないかと、白爺は少々鼻高になっています。
更に上には、熟した実もありましたが、届かないので眺めるだけにしてきました。
近くに、人形の目に使う可愛い実も生っていました。
ビニール袋が縛ってなかったら、ガンちゃんでもボージョボーの実の落ちている場所は分からないでしょうね。
ボージョボーには大きな実がなる木と小さな実がなる木の二種類があります。
子供の頃白爺達は、学校の廊下の下を通るとき、小さな実をコンクリートに擦って、前を行く友達の腕や腿に押し付ける悪戯をしました。
つけられた子は熱いので飛び上がります。
今でいえば「いじめ」になるのでしょうか。
子猫でも子供でも、悪戯をしながら大人になるのだと思います。
テレビなどの影響で悪戯の質も変わったのでしょうが、あまり親が「いじめ・いじめ」と騒がない方が好いのでは?と、白爺は考えることがあります。
国会の先生も、本質の意味を考えず、言葉尻をつかまえて大騒ぎするのは、いじめの一種では無いでしょうか。
一寸横道に立ち寄ります。
白爺には、テニアンに韓国とチャムロの二世の友達がいます。
韓国語は話せず日本語で生活している変なチャムロなのですが、この方は今でも「教育勅語」を丸暗記しています。
そして、今のアメリカも日本も「教育勅語」にある徳育をしないから社会が崩れてしまったのだと厳しい批判をしていました。
「父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ 恭倹己を持し 博愛衆に及ぼし・・。」
父母には孝行をする、兄弟は助け合い、夫婦は仲良く、友達は信じて付き合う、自分は謙虚な気持ちを持ち、そして人には愛情を持って接すること・・。
白爺はこの人とビールを飲むと、この話を聞くことになりますが、さすがロタ小学校の級長さんだと思って聞いています。
「男女七歳にして席を同じゅうするなかれ」
白爺は、電車の中で抱き合っている若者を見ると、
この言葉だけは思い出しますがねー。
横道にズレタことを書いてしまいましたが、「ゴメンなさい」
白爺は、明日東京に帰ります。
帰ったら沖縄の日記もお知らせしますね。
何に対しても、愛情が必要かと思います。