ワシントンに帰ったリノさんから、テニアンで写した写真が送られてきました。
説明文によるとこの写真は、白爺たちが住んでいたときは通称”支庁”と呼んでいた「南洋庁サイパン支庁テニアン出張所」(後にサイパンは北部支庁に変わった)場所だそうです。
白爺は、終戦後数十回テニアンに行っていますが、支庁の建物全体跡を眺めるのはこれが初めてです。
写真の右側に少し見えるのは通称”カルボス”と呼んでいた「留置所」跡です。
”カルボス”はスペイン時代の呼び名かチャムロ語なのか分かりませんが、白爺たちは「悪いことをすると入れられるぞ」と教えられて怖い場所と思っていた建物です。
白爺は、一度この”カルボス”に行ったことがあります。
砂糖キビ畑で花札博打をしていた寿司屋の板前さんを、父親が引受人になって貰い下げに行った時に連れて行ってもらったのです。
ベルトのないズボンを持って出てきた板前さんを見て、白爺は「本当に怖い場所なんだ」と驚いた覚えがあります。
その後家に来た板前さんが「坊やお金あげるから、今日は小豆アイスケーキを買ってきな」と言われて、海苔の空缶を持って喜び勇み買いに行った思い出と重なって、忘れられない思い出になっています。
話を元に戻しましょう。
michiさんからも、この付近が美しくなったという知らせを聞いたのですが、現市長さんはテニアン島全体を今までになく綺麗にしてくれているようなので、日本から白爺は感謝しています。
6月に行くまで草が生えないように祈りながら・・・。
では又・・・。
説明文によるとこの写真は、白爺たちが住んでいたときは通称”支庁”と呼んでいた「南洋庁サイパン支庁テニアン出張所」(後にサイパンは北部支庁に変わった)場所だそうです。
白爺は、終戦後数十回テニアンに行っていますが、支庁の建物全体跡を眺めるのはこれが初めてです。
写真の右側に少し見えるのは通称”カルボス”と呼んでいた「留置所」跡です。
”カルボス”はスペイン時代の呼び名かチャムロ語なのか分かりませんが、白爺たちは「悪いことをすると入れられるぞ」と教えられて怖い場所と思っていた建物です。
白爺は、一度この”カルボス”に行ったことがあります。
砂糖キビ畑で花札博打をしていた寿司屋の板前さんを、父親が引受人になって貰い下げに行った時に連れて行ってもらったのです。
ベルトのないズボンを持って出てきた板前さんを見て、白爺は「本当に怖い場所なんだ」と驚いた覚えがあります。
その後家に来た板前さんが「坊やお金あげるから、今日は小豆アイスケーキを買ってきな」と言われて、海苔の空缶を持って喜び勇み買いに行った思い出と重なって、忘れられない思い出になっています。
話を元に戻しましょう。
michiさんからも、この付近が美しくなったという知らせを聞いたのですが、現市長さんはテニアン島全体を今までになく綺麗にしてくれているようなので、日本から白爺は感謝しています。
6月に行くまで草が生えないように祈りながら・・・。
では又・・・。
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