白爺は、幼い時に裸足で駆け巡っていた、ソンソン町の跡を巡って来ました。
母校のグランド跡に建つテニアン教会が、南国の青空の下で美しく映えていました。
教会と学校跡の中間には、テニアン神社の鳥居礎石が残っていました。
黒線の先がテニアン神社の鳥居で、この礎石のあった場所です。
(青線先が白爺の家・白線先が小学校です)
白爺は、テニアン小学校の跡を横目で眺めて、支庁桟橋(カマ・ビーチ)に向かいました。
途中には、砂糖キビを積んで通った汽車の、鉄橋跡が残っていました。
ここがソンソン町で一番急な坂道でした。(今は普通の坂ですが・・)
白爺は、自転車のブレーキが壊れたのを知らないでこの坂を下り、桟橋突端の灯台に自転車をぶつけて、危機一髪止まった思い出があります。
カマ・ビーチの景色は、「椰子の木が少し大きくなったな。そして砂浜が少なくなったな」と直感的に感じた以外は、ほとんど変わっていませんでした。
いやいや、大きく変わったことを忘れていました。
テニアン島では、
「タチョンガ・ビーチからテニアン・ビーチの間の海岸は、沖合い1マイル以内での魚介類捕獲は、一切禁止する。」
という条例が公布されていました。
(電力会社下の磯から遠くにテニアン・ビーチを望む)
網を張って、一網打尽に大量の磯魚を捕獲する人がいますが、これを禁止するのは確かに良いことだと思いますが、太平洋から入り込んでくる魚を、細い竿でも釣るなというのは、暴挙だと白爺は憤慨しています。
余談ですが、5月・6月7月の三ヶ月は、GTやカスミ鯵の子供(平鯵の幼魚)が沢山いるので、これは投網での捕獲OKだそうです。
「魚が増える時に投網で全部獲ってしまい、魚がいなくなったら竿釣りを禁止する。」
何か可笑しいのでは?と、白爺は独り言を呟いて鬱憤晴らしをしています。
タガ族の遺跡には、中国の観光客が沢山来ていました。
今のテニアンでは、日本人の観光客は少なくて、ほとんど中国と韓国の観光客が占めています。
JALの定期便が廃止になったので、サイパンを含めてマリアナの観光客は中国・韓国主体になったようです。
白爺が参拝した時は異常が無かったのですが、後日タガ族の遺跡横に建立されている長野善光寺さんの慰霊碑が、何者かに倒されていたそうです。
フレミングのガイドさんが、「ポリスも来て騒いでいた」と話していましたが、結果は聞きもらしました。
テニアンの市長は、「ここに建立されている慰霊碑は早く移動して欲しい」と再三言っているそうですから、いずれ実力行使されるかもしれませんねー。
友人Kさんのお嬢さんは、アメリカの大学を卒業して、サイパンで弁護士をしていますが、今日は帰宅してくるというので、白爺達は桟橋までエキスプレスを出迎えに行きました。
今のテニアン桟橋は、この船が入る時だけ開放されるが、その時間以外は一日中施錠されていて桟橋内には入ることが出来なくなっています。
桟橋右側の、ボート・ハーバー先の壊れた桟橋が、すっかり綺麗に改修されていました。
釣りもさせない桟橋を、何故修理したのか理解できませんが、桟橋に立つと大きなマフティ(浜フエフキ鯛)が沢山泳いでいました。
序に話すと、青灯台付近の壊れた桟橋も、同じように美しく改修されていました。
グアムから、海兵隊が演習に来るために、改良したのではないでしょうねー。
Kさんのお嬢さんが乗ったエキスプレスが入港する頃には、1月の早い夕暮れが迫ってきました。
今日も、テニアン南方の海上は穏やかな一日でした。
「釣竿を入れたら、すぐに釣れるのになー」と思いながらホテルに向かいました。
母校のグランド跡に建つテニアン教会が、南国の青空の下で美しく映えていました。
教会と学校跡の中間には、テニアン神社の鳥居礎石が残っていました。
黒線の先がテニアン神社の鳥居で、この礎石のあった場所です。
(青線先が白爺の家・白線先が小学校です)
白爺は、テニアン小学校の跡を横目で眺めて、支庁桟橋(カマ・ビーチ)に向かいました。
途中には、砂糖キビを積んで通った汽車の、鉄橋跡が残っていました。
ここがソンソン町で一番急な坂道でした。(今は普通の坂ですが・・)
白爺は、自転車のブレーキが壊れたのを知らないでこの坂を下り、桟橋突端の灯台に自転車をぶつけて、危機一髪止まった思い出があります。
カマ・ビーチの景色は、「椰子の木が少し大きくなったな。そして砂浜が少なくなったな」と直感的に感じた以外は、ほとんど変わっていませんでした。
いやいや、大きく変わったことを忘れていました。
テニアン島では、
「タチョンガ・ビーチからテニアン・ビーチの間の海岸は、沖合い1マイル以内での魚介類捕獲は、一切禁止する。」
という条例が公布されていました。
(電力会社下の磯から遠くにテニアン・ビーチを望む)
網を張って、一網打尽に大量の磯魚を捕獲する人がいますが、これを禁止するのは確かに良いことだと思いますが、太平洋から入り込んでくる魚を、細い竿でも釣るなというのは、暴挙だと白爺は憤慨しています。
余談ですが、5月・6月7月の三ヶ月は、GTやカスミ鯵の子供(平鯵の幼魚)が沢山いるので、これは投網での捕獲OKだそうです。
「魚が増える時に投網で全部獲ってしまい、魚がいなくなったら竿釣りを禁止する。」
何か可笑しいのでは?と、白爺は独り言を呟いて鬱憤晴らしをしています。
タガ族の遺跡には、中国の観光客が沢山来ていました。
今のテニアンでは、日本人の観光客は少なくて、ほとんど中国と韓国の観光客が占めています。
JALの定期便が廃止になったので、サイパンを含めてマリアナの観光客は中国・韓国主体になったようです。
白爺が参拝した時は異常が無かったのですが、後日タガ族の遺跡横に建立されている長野善光寺さんの慰霊碑が、何者かに倒されていたそうです。
フレミングのガイドさんが、「ポリスも来て騒いでいた」と話していましたが、結果は聞きもらしました。
テニアンの市長は、「ここに建立されている慰霊碑は早く移動して欲しい」と再三言っているそうですから、いずれ実力行使されるかもしれませんねー。
友人Kさんのお嬢さんは、アメリカの大学を卒業して、サイパンで弁護士をしていますが、今日は帰宅してくるというので、白爺達は桟橋までエキスプレスを出迎えに行きました。
今のテニアン桟橋は、この船が入る時だけ開放されるが、その時間以外は一日中施錠されていて桟橋内には入ることが出来なくなっています。
桟橋右側の、ボート・ハーバー先の壊れた桟橋が、すっかり綺麗に改修されていました。
釣りもさせない桟橋を、何故修理したのか理解できませんが、桟橋に立つと大きなマフティ(浜フエフキ鯛)が沢山泳いでいました。
序に話すと、青灯台付近の壊れた桟橋も、同じように美しく改修されていました。
グアムから、海兵隊が演習に来るために、改良したのではないでしょうねー。
Kさんのお嬢さんが乗ったエキスプレスが入港する頃には、1月の早い夕暮れが迫ってきました。
今日も、テニアン南方の海上は穏やかな一日でした。
「釣竿を入れたら、すぐに釣れるのになー」と思いながらホテルに向かいました。
僕がいた5~6年前からは考えられないくらい
いろいろ変わってしまうのは寂しさを感じます。
あの頃にご一緒させていただいた
白爺様達との釣りはよき思い出です。
ご無沙汰しています。相変わらず自宅にパソコンがなく、なかなか皆様のHPに遊びに行かれません・・・とほほ(w)
来週の12日から15日までの3泊5日で、沖縄に行ってまいります。
いつも、離島ばかりでしたが、今回は沖縄本島をじっくりと回ってみようと、レンタカーつきのプランです。
今から、どこにいって何を食べようかと・・・頭の中はすでに飛行機の中・・・(w)
とっても楽しみで~す!
釣竿一本で釣れる魚の数など、たかが知れているのに・・・・そんでもって、5・6・7月は投網OKですと?全く自分達の都合しか考えていないですね。
慰霊碑の件といい、今のテニアン市長、ちょいと変な奴と市長になる前から思っていたけど、かなりおかしい奴になっちまったみたいですね。
テニアンの各ビーチの写真を紹介するので、バンダナポイントも見てください。