今日は、島内観光をして見ましょう。
先ずフレミングホテル付近から散策して見ましょう。
この写真は、雨水を溜めて飲み水に使用していたタンク跡です。
ホテルの前にありますが、このタンクはおそらくEmiiの家のタンクだと思います。
当時は地面より1メートルくらい高かったのですが、今では昔の面影が全く残っていないようです。
タンクの近くにアボガドの実がなっていました。
フレミングのお爺さん(会長)に許可をもらい、釣竿の釣り糸を絡めて3個頂戴しましたが、
滞在中に熟したので食べました。
白爺は美味しいとは感じませんでしたが、Emiiは喜んで食べていました。
テニアンの教会は新しくなりましたが、今はこの鐘楼だけが、昔の面影を残しています。
この前を車で通る時、ホーンさんは必ず帽子をとってお辞儀をします。
昔神社の前で頭を下げていた日本人を思い出しつつ、何時も感心しています。
教会の近くには、白爺が通学したテニアン国民学校がありました。
入学式と卒業式をした校舎の土台が、今も残っています。
直前に来られた沖縄県慰霊団の方が、校舎の近くに沖縄の県旗を残して行かれました。
誰が書いたか分かりませんが、県旗があった倉庫に描かれている鷲の翼に、赤丸が記されていました。
白爺は、「誰かが荒鷲の心算で記入したのかもしれないなー」と思いながら眺めてきました。
今の小学校は、昔の小学校グランドに近く、テニアン神社境内付近に建てられています。
写真が今の小学校の門柱です。
白爺は、「学んでいる生徒は、自分の後輩だな」と思いながら眺めてきました。
余談ですが、白爺はここの小学校で教育された修身の話を、今でもはっきり覚えていて実行しています。
”川に細い橋がかかっていました。両側から羊が来ました。
二匹の羊は相手が引き返すだろうとお互いに思いつつ橋を渡り始めました。
そのため中央でぶつかってしまったのですが、両者が譲らないため二匹とも川に落ちて溺れてしまいました。”
という話です。
先生は、「このような時には相手を先に渡らせ、自分はその後に渡ること」
「譲られたものは必ず有難うと感謝すること」と教えてくれました。
白爺は、細い道を自転車で通り、すれ違えない場合には必ずこの話を思い出して譲っています。
有難うと言ってくれる人はほとんどいませんがねー。
今教育のことが、いろいろ論じられています。
どうか先生、右だ左だキョロキョロしないで、「三歳(三つ子)の魂百までも」の諺を考えて教育するよう、白爺は切望しています。
勿論先生の前に、親が考えるのは常識ですよ。
南洋庁サイパン支庁テニアン出張所(通称支庁と言う)の跡にも立ち寄りました。
一角はタガンタガンの藪になっているのですが、miciiさんが藪の中の獣道を知っていたので、支庁のカルボス(昔は留置場と言わずカルボスと言っていた)跡にたどり着くことが出来ました。
写真はカルボスの鉄格子ですが、懐かしくてつい擦ってしまいました。
いや、白爺がお世話になった訳ではありませんから。念のため。
入口のドアも残っています。
鉄板で頑丈に出来ていましたねー。
テニアンでは、どこの家でも戸締りなどしないで寝られる平穏な島だったので
泥棒などはいないのですが、ここにお世話になる人は、砂糖キビ畑に隠れて、花札バクチをして捕まった人くらいです。
それなのに、カルボスは3部屋ありました。何に使ったのでしょうねー。
白爺は、バクチで捕まった知人を、父が「貰い下げ」に行く時に付いて行ったので、小学生の時から留置場の雰囲気は知っていましたよ。
家が官舎と同じ宮前区にあったので、警務課の人とも家族ぐるみの付き合いをしていましたから、遊びに行く心算で付いて行ったのでしょう。
内緒話!
白爺は、マルポの駐在所に、弟と一緒に泊り込みで遊びに行きました。
その晩、駐在所のお巡りさんから、「猪・鹿・蝶」「月見で一杯・花見で一杯」等の花札遊びを教わりました。
正月などは、家族で花札遊びをして徹夜したこともありましたねー。
内緒話 オワリ!
次回に続ずく
先ずフレミングホテル付近から散策して見ましょう。
この写真は、雨水を溜めて飲み水に使用していたタンク跡です。
ホテルの前にありますが、このタンクはおそらくEmiiの家のタンクだと思います。
当時は地面より1メートルくらい高かったのですが、今では昔の面影が全く残っていないようです。
タンクの近くにアボガドの実がなっていました。
フレミングのお爺さん(会長)に許可をもらい、釣竿の釣り糸を絡めて3個頂戴しましたが、
滞在中に熟したので食べました。
白爺は美味しいとは感じませんでしたが、Emiiは喜んで食べていました。
テニアンの教会は新しくなりましたが、今はこの鐘楼だけが、昔の面影を残しています。
この前を車で通る時、ホーンさんは必ず帽子をとってお辞儀をします。
昔神社の前で頭を下げていた日本人を思い出しつつ、何時も感心しています。
教会の近くには、白爺が通学したテニアン国民学校がありました。
入学式と卒業式をした校舎の土台が、今も残っています。
直前に来られた沖縄県慰霊団の方が、校舎の近くに沖縄の県旗を残して行かれました。
誰が書いたか分かりませんが、県旗があった倉庫に描かれている鷲の翼に、赤丸が記されていました。
白爺は、「誰かが荒鷲の心算で記入したのかもしれないなー」と思いながら眺めてきました。
今の小学校は、昔の小学校グランドに近く、テニアン神社境内付近に建てられています。
写真が今の小学校の門柱です。
白爺は、「学んでいる生徒は、自分の後輩だな」と思いながら眺めてきました。
余談ですが、白爺はここの小学校で教育された修身の話を、今でもはっきり覚えていて実行しています。
”川に細い橋がかかっていました。両側から羊が来ました。
二匹の羊は相手が引き返すだろうとお互いに思いつつ橋を渡り始めました。
そのため中央でぶつかってしまったのですが、両者が譲らないため二匹とも川に落ちて溺れてしまいました。”
という話です。
先生は、「このような時には相手を先に渡らせ、自分はその後に渡ること」
「譲られたものは必ず有難うと感謝すること」と教えてくれました。
白爺は、細い道を自転車で通り、すれ違えない場合には必ずこの話を思い出して譲っています。
有難うと言ってくれる人はほとんどいませんがねー。
今教育のことが、いろいろ論じられています。
どうか先生、右だ左だキョロキョロしないで、「三歳(三つ子)の魂百までも」の諺を考えて教育するよう、白爺は切望しています。
勿論先生の前に、親が考えるのは常識ですよ。
南洋庁サイパン支庁テニアン出張所(通称支庁と言う)の跡にも立ち寄りました。
一角はタガンタガンの藪になっているのですが、miciiさんが藪の中の獣道を知っていたので、支庁のカルボス(昔は留置場と言わずカルボスと言っていた)跡にたどり着くことが出来ました。
写真はカルボスの鉄格子ですが、懐かしくてつい擦ってしまいました。
いや、白爺がお世話になった訳ではありませんから。念のため。
入口のドアも残っています。
鉄板で頑丈に出来ていましたねー。
テニアンでは、どこの家でも戸締りなどしないで寝られる平穏な島だったので
泥棒などはいないのですが、ここにお世話になる人は、砂糖キビ畑に隠れて、花札バクチをして捕まった人くらいです。
それなのに、カルボスは3部屋ありました。何に使ったのでしょうねー。
白爺は、バクチで捕まった知人を、父が「貰い下げ」に行く時に付いて行ったので、小学生の時から留置場の雰囲気は知っていましたよ。
家が官舎と同じ宮前区にあったので、警務課の人とも家族ぐるみの付き合いをしていましたから、遊びに行く心算で付いて行ったのでしょう。
内緒話!
白爺は、マルポの駐在所に、弟と一緒に泊り込みで遊びに行きました。
その晩、駐在所のお巡りさんから、「猪・鹿・蝶」「月見で一杯・花見で一杯」等の花札遊びを教わりました。
正月などは、家族で花札遊びをして徹夜したこともありましたねー。
内緒話 オワリ!
次回に続ずく
先月スイス旅行に行ってきました。
ゆったりと計画をたてたのですが
やはり、ちょっと疲れたようです。(苦笑)
食べ物が、ちょっと。。。(苦笑)
でも、異国文化に触れてきたのでよかったですよ!!
当分は、国内旅行で楽しみます。(笑)
白爺と違い遠い所へ行ったので疲れたでしょう。
テニアンは食べ物も日本の品が身近に見られますが、スイスはどうでした。
成田を飛び立つと、梅干・沢庵が恋しくなりますから不思議ですねー。
白爺は、明日から沖縄です。
台風が心配ですが、今の台風は小笠原に向かうと期待して行ってきます。
あの丸い感じがなんともかわいらしく、「かわいい感じに玄関前にコンクリートを敷いたなぁ」と思っていたのですが・・・
天水を利用したものだったのですね。
沖縄、気をつけておでかけください。
そして、お楽しみください。
台風がテニアンも沖縄にも立ち寄らないことを祈っています。
箱に入れて取って置けたらなぁ・・(w)