白爺の独り言

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テニアン島滞在記(10.1)№10 激戦の跡を巡る

2010-03-01 11:45:59 | テニアン訪問
最近国会では、「テニアン島に沖縄の基地を移転させたらどうだ」等と騒いでいますが、その候補地になっているのが、嘗ての日本海軍航空艦隊司令部があった、テニアン北部の激戦地です。   
その1航艦司令部の建物は、「中に入ると危ない」といわれながらも確りと姿を残していました。

             

白爺が行ったときには、新市長命令で、市の清掃部隊が大掛かりなジャングル刈を行ってくれていたので、北部の観光地は綺麗に整備されていました。



ただ、観光施設から外れている建物は、整備が後回しになっているのか、日本海軍の電力室
等はそのままになっていました。

              

電力室の内部も変わらないで残っています。



B29が日本を空襲するのに飛び立った滑走路は、少し手を入れたらすぐにも使用できるように残っていました。

      

白爺たちは、基地のあった場所を後にして、玉砕後日本人を抑留したカーヒーの収用所後に向いました。
この写真は、約60年前「米軍に捕まると奴隷のような仕打ちを受ける」と教えられて、カロリナスの洞窟等に逃げていた日本人が、「水を飲んでから死にたい」等と思って米軍に降参し、連れて来られた収用所の写真です。

Emiiも、日本の兵隊さんに「アメリカ兵は民間人を殺さないから出て行きなさい」と薦められて洞窟を這い出し、この収容所で生活をしていた収容者です。

                 

収用所はカーヒーの駐在所があった近くにつくられていたそうです。
この建物は、日本時代の駐在所跡です。



何時もは裏まで入ることが難しいのですが、今回は何故か簡単に足を踏み入れることが出来ました。

                  

近くに南洋桜の大きな板根がありました。


今日はここまで。














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