白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

写真は語る!古いテニアン⑬(2001年6月)

2009-10-15 15:30:05 | テニアン
この時は、マルポ会のメンバーが主体となって行きました。



白爺のカメラは、この旅行からデジカメに変わりましたが、慣れないので苦労した思い出があります。

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今までのカメラと違い、写したものがすぐに見られるので、面白がって同じものを何枚も写して喜んでいましたが、慰霊碑の参拝だけは真剣に写してきました。



この当時は、沖縄の慰霊碑はまだ造られていなかったようですねー。

                   

この頃は、まだ鉄砲の空薬莢が転がっていたようで、記念に拾う人もいました。



この時のドライブは、ホーンさんのこの車でした。
荷台の両側には、縁台風の腰掛を作ってくれていましたが、道の悪いところを走るときには振り落とされないように気を遣うので、白爺は荷台の中央に鎮座して観光をしていました。

車は古いが馬力は抜群! ボンネットにあるロープで、砂浜でスリップしている観光客の車を何回も助けていました。

          


南洋桜やパンの実等も、フイルムの心配がないので沢山写したようです。

                       

ホーンさんの孫も、大きくなりました。
この子は次男トニーの長男(ナプー)です。
序に、チャムロ語で付けた5人兄弟の名前を紹介しましょう。
長男 ナプー (波)
次男 タッシー(海)
三男 タヌー (島)
四男 イセヤー(希望)
五男 忘れたが意味は(漁師)
さすがにホーンさんの孫の名前だと、白爺は感心しています。



そのホーンさんが、カツオの刺身を作っています。

                

子供達とロングビーチへ獲りに行ったロブスターや草履海老?も、ボイルしてありました。



日が暮れるのを待って、フレミングホテルの中庭で我々の歓迎パーティを開いてくれました。
一生懸命作っていた料理は、このパーティ用だったのです。

                    

戦後初めてテニアンに行った人がグループの中にはいたのですが、この人達は大喜びで、テニアンの味に舌鼓を打っていました。



港には、テニアン又はサイパンエキスプレスと名付けられた高速の定期船が就航していました。

                   

観光客が多くなるというので、港付近には南洋風の休憩所?も造られていました。



大きな貨物船も、よく入港するようになったようです。

                 

だが、密航者も増えたそうで、海上警備の船がボートハーバーで訓練をしていました。



ラソー台地にある日本軍の陣地跡洞窟にも入ってみました。
白爺が、陣地跡の洞窟に入ったのはこのときが初めてです。

                   

潮吹き海岸の海の色も、綺麗に写りました。



ロングビーチですが、この頃は砂浜が今より広くあって、干潮時には海中にある真水の湧き口も顔を出していました。
今は、大潮の干潮でも海中に沈んでいるようですが?これも温暖化のためでしょうか?

                    

楽しい郷帰りは、すぐに終わりを迎えてしまいます。
又の再会を約してマルポ会の一行はテニアンを後にしました。

 


   今回はここまで! また 






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