ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

残菊

2014-12-26 22:15:44 | 草・木・花 風に吹かれて

残菊

 

冬を迎える ・・・野田の植木の郷

寂寞の感あり ・・・

 

植木の畑に、残菊が ・・・

 

○ 夢で行く いつもの道に 迷う秋


○ 余命への 祭りの終に 残る菊

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3 コメント

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残菊 ()
2014-12-27 17:24:55
俳句にはすぐ反応します!
う~む、揚句は庄ちゃんの句ですか?
ちょっと抽象的かな?どう解釈しようか??

残菊;昔、重陽の行事が盛んであったころ陰暦の
9月9日以降の菊を残り菊あるいは十日菊といった。
秋の末まで咲き残った菊。晩菊は晩秋、初冬に咲く菊、この菊はどちらだろうか?


俳句は原則として一句に季語一個である。
2句目は祭り(夏)と菊と季重なりとなる。
黛まどかが俳句は体操の床運動のようなものだ、
限られたスペースの中で、決められらルールで
どう表現してみせるか、だと言っています。

参考句 〇残菊にまた降る雨の雪まじり 
         (この句は季重なりだがいい句だ)


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RE:残菊 (押田庄次郎)
2014-12-28 15:16:08

祭りが夏の季語だとは知りませんでした。

立冬を過ぎたので、今は冬・
”祭り”は、”祀り”が始めにあり、その大半は収穫祭であって、厳かな感謝祭の後の無礼講の”賑やかしさ”の”祭”となって、ついには”賑やかしさ”が今のイメージの主観となっています。
祭りは秋、という固定観念が染みついています。
”まつりの終”は、活発な生命力の賑やかしさの終わりを意味し、人生と菊の余命に続けてみました。夏の季語では、筋道がおかしいのかも知れません。
両方とも、自然の摂理の流れに逆らう、小さな生命力の哀しさが醸し出ればいいと思って・
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 ()
2014-12-29 20:41:45
なるほど!熊谷の金子兜太先生あたりが取りそうな句ですね。
ちなみに俳諧での祭は京都の葵祭を指して祭といい、その他諸社の祭を夏祭といっていたが、今では夏祭りを祭とよび、春祭、秋祭と区別している。
多分広辞苑にもそのような事が書いてあるはず。
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