四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

人間国宝中村富十郎こと渡辺一先生

2007年09月16日 22時52分31秒 | 美術・建築・工芸
小林秀雄は吾妻徳穂を称して天才舞踏家と言った。
その徳穂の御曹司が中村富十郎である。

母親の才能をそのままに受け継ぎ歌舞伎界の舞踏を盛り上げている。

歌舞伎界の重臣で人間国宝・文化勲章受章者。
気むずかしく、丁寧で、人格者。

年齢78歳。

神泉から佃へ引っ越し、落ち着いて10年ばかりが過ぎる。

見ず知らずの他人からの食料品は一切口にしない。
地方公演も遠方でない限り、自宅に帰って休養する。

天才的な気むずかし屋でもある。その分、芸に励む。


阿呆らしさもここまで来ました コルビュジエの西洋美術館を世界遺産とは

2007年09月16日 19時29分55秒 | 未分類
世の中にはコルビュジエを指示する人間も多くいるが、反コルビュジエ派も決して少なくない。

コルビュジェの建築は四角四面で個性をなくした上に、ガラスを多く使う。
屋上庭園を加味した近代の典型的な箱タイプの建築ものである。

自動車社会とマッチし、人間を排除した建築物としてオフィス街へとその思想は受け継がれて行った。

コルビュジェの建築にもっとも影響された日本の建築家は安藤忠雄である。
コンクリートの無機質な四角四面の建物にやはり透明ガラスで光彩を取り入れる手法で人気を得ている。

コンクリートを使うとものは長持ちしないことは既に知られている。白井晟一などが考えた自然の素材とはまったく異質な性格をもつ素材を、コルビュジェなどは使用してきたが、その形態に嫌気をさしたのが、本人自身である。

画家など本物の芸術家と接近し、彼らの自然で自由奔放な性格に魅せられて漸くロンシャンの教会を建築するが、既にコルビュジェの建築には精神性は欠如している。

競馬ファンがりっぱな教会ができたと喜んでいるのと、フランス政府が国葬扱いしたのがかえって象徴的である。

私もまた、コルビュジェと安藤忠雄のはったり野郎は大嫌いである。安藤は本人を目の前にしているだけに余計に嫌いである。通常建築家は哲学もかなり好んでやるものだが、安藤忠雄にはその要素がない。やっても理解ができないであろうから薦めないが、金儲けだけには才能があるようだ。

私が10代の時から通っていた上野の国会図書館分室は安藤の手によって化け物小屋に変身している。

コルビュジェの建築の西洋美術館は特徴のない建物である。思想もなければ単なるマッチ箱が足をつけて立っているようなものである。

日本人は名前に弱い。バブルの時も名前だけで美術を収集したが、結局普段から美術品を愛するだけの時間を持ち得ていない人間が、金だけ持ってしまう時に起きる、おごり高ぶりによって偽物をつかまされるのである。

以下は【朝日新聞】の記事の引用である。


コルビュジエ設計の国立西洋美術館、世界遺産候補に
2007年09月15日03時00分

 政府の世界遺産条約関係省庁連絡会議は14日、東京・上野にある国立西洋美術館本館(59年完成)を、「モダニズム建築の巨匠」といわれるフランス人建築家ル・コルビュジエ(1887~1965年)の設計した建築群の一つとして、世界文化遺産の暫定リストに記載することを決めた。来年1月にフランス政府が、「ル・コルビュジエの建築と都市計画」として、世界23カ所のコルビュジエ建築を、日本など関係国政府と共にユネスコに正式に推薦し、09年夏の世界遺産登録を目指す。



世界文化遺産の候補入りが決まった国立西洋美術館=東京・上野で

 ロンシャンの礼拝堂(仏)など、フランス、日本、アルゼンチン、ベルギー、ドイツ、インド、スイスの7カ国にある23カ所で、西洋美術館は日本にある唯一のコルビュジエ建築だ。仏政府から今年3月、日本側に推薦の打診があったという。

 国を超えての世界文化遺産は、アルゼンチンとブラジルの「グアラニーのイエズス会伝道施設群」などが既に登録されているが、日本で候補は初めて。

 世界遺産への推薦には重要文化財の指定が必要で、西洋美術館について文化庁は来年1月までに指定する方針だ。建造物の指定には完成後50年経過という目安があるが、同庁は「完成してほぼ50年たっており、国際協力の観点からも今回は特例的に扱う」という。



上っ面の経営者上っ面の人間が増えすぎている 誠実とかの心がなくなった

2007年09月16日 09時25分26秒 | 社会問題
誰も自分が人間であるということを疑わない。
最初に人間というものを疑い人間とはどうあるべきかという考えを持たなければ、
人間を目指すことはできない。

他の動物は既に完結している。ライオンはライオンであり、像は像である。

しかし、人間は人間であるということはない。
人間とは自分で人間を作り上げていく、作業である。

ものを作るという考えの中に精巧な機械を作ることがより優れた何かであると勘違いする前に、人間という不器用な存在をしっかり磨き出さなければならない。

人間を目指すことは天国の入り口に近づくことである。
そうでなければ誰でも入れるアリコと放送大学と地獄に近づくことである。

狭き門より入れという。金持ちは駱駝が針の穴を通るよりも天国に入ることは難しいという。金持ちとは一つの象徴である。

奢り・高ぶり・人を人とも思わず・己だけが生存していると考えるような地獄の死者である。つまり彼らは多くの生命をいとも簡単に殺すことができる餓鬼の化身である。

地獄から悪魔を呼び出す装置を今の社会は作りすぎている。昔はどこの国にも戒律があった。それらは破ってはならない厳しいものであった。戒律が乱されると地獄が口を開くと考えていた。

親はその地獄に足を捉えられないように子どもを教育したが、今の親は受験という新しい地獄のシステムに子どもを預ける。

人間はどのようにして人間になるか、コムスンやニチイ学館やヤマダ電機やその他の多くの企業、官庁が人間を育てていると言えるか。

竹細工の職人の方がはるかに人間を育ててくれるであろう。
一つの手の関わる仕事自然の素材を預かってものを作る仕事はいつの間にかおろそかにされてしまった。

人は文学というものを知らない。それがどれほど大切であるかをしらない。

宗教家でMOA美術館の創設者岡田茂吉の著作を読むと、文学が衰退したから人身が乱れたという。しかし、宗教こそ乱れているから文学も乱れるのである。いまの読み物が文学とは呼べなくなり、人々は文学を忌み嫌う。それは多くの人間が立派な行いや立派な考えを嗤うためである。邪悪で邪な考えが至る所に巣くっている。

若者はそれらの邪悪を選びやすい。大人はバカだから精神世界という目に見える世界の重要性を知らない。せいぜい軍隊が考える精神で、何でも負けず嫌いで他人を征服するか殺戮するかの精神を精神とする。ど根性というような安っぽいものに本来精神の言葉は適当ではない。ガイスト=精神、つまり神の精霊とつながるものという意味であり、悪魔的なものとの繋がりではない。

ソクラテスやイエスがどのようにして死んで行ったか。つまり彼らは何をこの世に残していったか、彼らは国家が大事で国民はどうでもよいという岡崎久彦のようなことを言っているであろうか。

国家主義者になると人間が消滅する。
国家主義者になるということは、自体が国家であり、国民の生命の安全も守られなくなる。これの小規模なものは企業主義である。企業のために社員はどうでもよい存在、血の一滴まで絞り出し、会社のために奉仕させるという考えである。今ではグッドウィルやニチイ学館やヤマダ電機、和民などに代表される企業。三洋・松下・東芝・シャープ・キャノン・サントリー・ヤマハ・京セラ・日本旅行・三菱東京UFJ銀行などなんでもござれである。

要するに自分以外を代表するところにどっぷりと浸かり、その存在の方が自分よりも大事だと考える人間たちは精神を持っていない。

近代の企業活動は人間の活動としてどれだけ正しいことであるか。科学者がへりくつをつけても彼らはすべてのことを知る人間でもなければ、宗教家や芸術家のような直感能力を持っているわけではない。中にはそういう科学者もいない訳ではないが、みずからの直感力を持つ科学者は自らがまかなえる研究費で研究する。

月にロケットをとばすことは既に科学ではない。あれは計算である。計算でまかなえることは科学とは違う。つまり軌道を計算し、重力を計算し、燃料や推力を計算する。計算の総体である。

                                (続く)
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DATE: 09/20/2007 16:10:18
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コムスンも和民もニチイ学館も同じように見える ついでにヤマダ電機も

2007年09月16日 04時33分14秒 | 社会問題
別に深い意味はない。かれら経営者たちの顔を見ているだけで疑わしいのである。

麻生の顔を見ていると、漫画バカなのだということは解る。名前を変更して阿呆にしてみてはどうだろうか? 吉田茂の供養にもなるだろう。もともと母親はアホだったのだから。


石野真子とゲーテ 本当かどうかそれが問題だ! 美しき姫のことだけにわたしならゲーテの読み方をお教えする

2007年09月16日 03時11分32秒 | 行住坐臥
あまり関係のない組み合わせのようだが、どこかの番組で石野真子が出演していたとき、ゲーテの話がでてきた。

たしか、ギターを始めるのに際して、始めること、始めなければ始まらないこと、その生まれ出る興味こそあなたのものである。ゲーテはそうは言っていないが、ファースト第一部の座主の言葉にも格言がちりばめられている。たしか石野真子も格言集からの引用で語ったのであろう。webでゲーテの格言集を検索するとありがたい言葉が沢山出てくる。とにかく興味が湧くことが物事を始める最初の儀式である。

膨大な作品群を繙きそれを暗じられるのは若いときである。少なくともウェルテル、ファースト、エッカーマンとの対話、ヘルマンとドロテーア、詩と真実は読んで置くべきである。

石野真子がゲーテを読書したのかははっきりしない。バラを育てていることだけは確からしい。私の近所にも青いバラを育てている狂人がいたが、毎朝農薬をまき散らしていた。バラは必ず農薬を散布しなければならないものではない。ここに来て体調が悪くなったのはこの農薬のせいではないだろうかと最近考えるようになっている。石野真子は農薬に気を付けなければならない。青いバラの狂人は今年なくなった。

いま、ゲーテを読むような女優は皆無であろうか。風吹ジュンは枕頭に『花伝書』を置いているという。

石野真子がゲーテのファーストを置いていればこの世のファーストレディ間違いなしである。


本当はあこがれたのである。石野真子という存在を、しかも長い期間にわたって、ゲーテを手に取り一緒に読書をしたり、食事をしたりすることを!

しかし、最近はがっかりするものがかなりあるように思うようになってきた。
まず、年齢をまちがっていた。実際よりは15歳は若く見える。


高橋 健二 ゲーテ
新潮社(1952-06)
定価 ¥ 420


ゲーテ Goethes
大月書店(1998-08)
定価 ¥ 9,975

J.W. ゲーテ
講談社(1999-09)
定価 ¥ 6,090


ゲーテ Goethe
岩波書店(1991-12)
定価 ¥ 1,365


山崎 章甫 ゲーテ
岩波書店(1997-05)
定価 ¥ 840






院展で気になる絵が一点あった

2007年09月16日 01時51分35秒 | 美術・建築・工芸
大体院展へ行くのは、招待状や招待券を貰うからである。
昔から馴染みの画家がいるためであるが、かなり良い風景画を描いているが、院展への出品作品はいただけない。

私は招待券で入場したが、前の老人は招待状のハガキを差し出した。見ると招待者のところに平山郁夫と名書きされていた。

受付で招待状は本人のところに行くの? と、聞くと事務所に送られると言っていた。

それじゃ、招待状は持ってきた方が良いのだろう。

美術出版などを心掛けてきた、友人の編集長のところには最近招待券などは手元に届かないと言う。国立美術館などは年間通用するパスポートを出していたが、それも数年前に廃止になっているらしい。国立美術館・博物館の常設展の値段も上がっている。文化に対するひ弱さがこんなところにも出ている。

招待券の横流しが流行っているが、印刷段階で抜き取ってオークションなどに流しているらしい。現金と同じ価値を持っているだけに、横流しは刑事罰に相当する。

通し番号も付いていないから、チェックが甘いのであろうが、正規のチケットを購入して入場する人がいるということを忘れて貰っては困る。

私が薦める1点とは『たゆたう』という、垂れ下がる枝が水面に映り波打つところを描いたこれといって新しい構図では決してないが、水の性質が良く描かれて美しい静かな情景が漂っている絵である。描いたのは杉村眞悟さん。他の作品を見ていないので、とりあえずはご報告するのだが、誤報告になっていなければよい。

なんぼなんでも1点で物事を決め得るだけの実力者というのは簡単には出てこないのである。



乱獲の国 何でも取り尽くす 人間の生命までも

2007年09月16日 00時28分34秒 | 未分類
日本人の戦争のやり方を見ても、ビジネスのやり方を見ても、とことん死滅するまでやらなければ気が済まないようである。

数字というお化けに直ぐに感化されてしまう。

海洋資源も今は枯渇寸前である。
スーパーの魚売り場で日本産の魚を見ることは稀になってきた。

とにかく何でも数字に換算し、数字は金に換算できる。
人生は金であると思っている。

ヤマダ電機の躍進といっても一体何を売っているのか。
電化製品・オタク人形・プラモデル・ブランドもの。

どこでもいつでも買える物である。

本当になければ困るものとはなにか。
買い手もよく分かっていない。

本当に必要なものを排除し、必要でないもののために生きていると、
必要でないものを必要とする。

女の生き方はまさにそのようであり、女社会になると無駄なものを、
多く作るようになる。

女の子育てが間違っていると、諸外国からは批判される。
受験受験でいかれた子どもを大人にし、いかれた社会を作っている。

そういう国家が長続きした試しはない。