四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

報道2001 アンパンマン竹中授と武部元農水相狂牛病大臣の嘘

2007年09月23日 09時29分50秒 | 事件・事故・自殺
報道2001年郵政民営化の議論を見ていての感想(腹が立つから)

地方が切り捨てられているのは構造改革が不足していると、この慶応大学教授はいう。構造改革がやり足らないというなら、参議院議員を途中で放棄して慶應の教授に返り咲かなければよいではないか。調子のよいのはあんパンのような顔からも伺えるが、こういう浅はかな人間が浅はかな小泉とコンビを組むのは理解ができる。ついでに武部などが入ればまさに新転覆トリオを組むことができるであろう。

身の立ち回りの巧い人間に地方の人間の苦しみは分からない。実際過疎地の実情はその中で生活をしてみなければ分からないものである。

都会の恵まれたバカ学生が集う大学からは、人の命を預かる医学部から集団強姦するような鬼畜が生まれ出、そこで教鞭を執っている教授の思想をそのような学生の魂へ埋め込み、人間でない行動様式を取らせているのである。

そんなところから地方にいる人間の苦しみは理解できない。地上に僻地などは本来ないのである。それを人工的に変えてきただけの話なのである。

人間は嘘つきであるが、地位が上がればあがるほど嘘を吐く傾向がある。

慶応大学、医学部の学生が集団強姦した事件をことあるごとに思い出すが、そもそも福沢諭吉の実学、金儲け主義を掲げて作られた大学だけあって、安っぽいイメージしかない。

優秀な大学ということで有名であるが、本質は強姦主義なのではないだろうか。
ドンキー・ホーテの社長も慶應出身だし、かなりあくどい不動産業の社長さんなんかも慶應出が多いと聞く。

福沢諭吉の『学問のすすめ』も功利的な書物であるし、『福翁自伝』を読むとやはり本質的な意味での人物ではないということが伝わってきた。

西脇順三郎の名誉欲もうなずけるところである。

地方は身体の部分で言えば手足である。手足が壊疽で腐れば、同体は手足がでなくなる。つまり、手足は非常に大切な部分である。脳だけでは身動きができないということである。自分の手足はどうでもよく、目・鼻・耳・口のある頭蓋骨の場所だけが大事であるということは、身を滅ぼすであろう。


富田 正文 福沢 諭吉
岩波書店(1978-01)
定価 ¥ 798



交通事故 飲酒をしなくとも事故は起きる

2007年09月23日 06時55分51秒 | 事件・事故・自殺
道路は日常生活体の中で一番危険なところである。
飲酒運転よりも正常運転の方が事故が多いのは何故か。
飲酒運転を強調しているが、自動車事故は人間が運転するために危険なのである。
工場では制御システムを導入しているため、人間のぽかりをできるだけ防ごうとしているが、道路ではそういうシステムがない。
車は走る凶器である。私は車がギロチンに見えて仕方がない。
子どもをもっている親はもう少し認識を高くしても良いのではないか?
あまり好きではないが、宇沢さんの本でも読んで下さい。

宇沢 弘文
岩波書店(1974-01)
定価 ¥ 735




ミャンマーで僧侶デモ NHKは相変わらず「僧りょ」

2007年09月23日 06時50分27秒 | 社会問題

TBSのニュースでは「ミャンマーで僧侶デモ」と漢字書きでソウリョを僧侶と現しているが、相変わらずNHKでは「僧りょ」になっている。


日本人のレベルがコムスンレベルであるとでもNHKは勘違いしているのではないか。


お前たちが子どもの学力を失墜させているのである。




Goodowill会長の栄誉に一言

2007年09月23日 06時26分43秒 | 生存権・労働問題

折口君はこんなにも優秀だった。


賞を与えた人たちも大変優秀だった。


「日本は本当に信頼できる国である。」麻生総理大臣補欠の言。


2000年 グッドウィル・グループ株式会社
「1999年度 日経ベンチャーオブ・ザ・イヤー」新規上場企業の部3位 
 
2002年 経済界大賞 青年経営者賞を受賞(41歳) 
 
2004年 1月 日本経団連理事に就任(42歳) 
 
2005年 7月 政府より紺綬褒章(日本赤十字社に対する貢献)を受賞(44歳) 




ネットの危機

2007年09月23日 05時45分01秒 | 社会問題
ネット空間を行き交うパケットの量が回線量を超えだしている。

もともと、回線経路というのは無数にあるわけではない。

すべての回線はNTTの大手町につながっている。

100Mのフレッツbにしたが、一向に早くならないのはプロバイダー側の接続回線自体がそれよりも細い専用回線に繋がれていれば100M出るはずはない。

トラフィック理論で通信の混雑が計算できるようだが、ネットビジネスで高収入を夢見る主婦層が常時接続している現状は、予想外の混雑を招いている。しかも、昼の休憩時間になるとオフィスの至る所でネットサーフィンをやり出す。

そして深夜帯の混み方も尋常でない。ネットオークションなどの終了時間が午前2時当たりに設定すると高値で売れるらしい。そのため、深夜族がぞくぞくと増えている。

この混雑状況から政府は定常料金に設定している個人からも別料金を取ろうとしている。尚かつ情報量も制限しようとしている。

つまりネットへの検閲を強化する方向に向かおうとしているのである。




こころは何処に付くか

2007年09月23日 03時39分13秒 | 未分類
こころは虚ろであることは稀である。何かを考えている。
大体、食べる事、旅行、着ること、買うこと。大まかには生活をゆとりある方向へ、遊び時間を多く持ちたいと考えている。

車が欲しくなれば車のことを、車を持ってしまえば、ガソリン補給、オイル交換、タイヤの交換、バッテリー交換などメンテナンスのことがひっきりなしにやってくる。税金も払わなければならないし、車検もしなければならない。一台の車を買い、持つことで相当の時間を取られている。その間、こころは車にくっついている。

一日の内で仕事に費やす時間は8時間で終わる人は少なくなっている。大体10時間から14時間は仕事に従事している。
仕事と言っても本当に自分自身に関係したことである場合は少ない。

携帯電話市場に働いている人たちは、次から次へと携帯電話を売るために、新しい携帯電話を作り続けなければならない。作っても作っても新しいものを作らなければならない。

携帯電話が携帯電話で機能が電話だけなら、それほど新しくする必要がないだろうが、そこに新しい機能が加わると、その機能のために、また新しくする。しかし直ぐにまた新しい機能が生まれると、そのために新しくしなければならない。

世の中は新しいものを求めて研究に従事している。宇宙開発や新兵器や新薬や新食品や新デジタル家電などと、機能は複合的にどんどん新しくなる。

今では家そのものが家電化している。家そのものが高機能化して様々なことができるから、家も携帯電話のように新しい機能が出ると、また新しくしなければならない。

世界がこのように加速しつつある。携帯は電話機ではなく、情報端末になっている。つまりあらゆるものが単機能ではなく情報端末となりつつある。

車も高機能になってきている。センサーで前後の感覚を認知することもでき、GPSで自己の緯度経度を知ることができる。ビーコン搭載型のものは常に情報を新しくしている。

車には冷蔵庫も備えられ、自己の故障判断をコンピュータがするようになる。

都会そのものがもっとも高度情報化が進む情報機器である。交通・通信を牛耳る中心が情報を統括することができるのである。

つまり社会的な格差はこの高度情報化に優れた地域が勝ち残るということになる。通信の高度化は光配線の届く範囲に集中的に情報も配信される。又、電波の届きやすい地域が都心への経路を辿ることになる。

デジタルとはあらゆることを複合的に統一するシステムを創り出すことである。しかし、電話の端末が電話の単一機能だけで終始する場合には電話が鳴らなければ電話のことを考えなくともよかったが、電話が情報端末に変化するとあらゆることが情報端末とともに過ごさなければならないようになる。

つまり、人間のこころは今ではデジタルの世界に取り込まれているのであり、デジタルの弟子たるものとなっている。

コンピュータは思考していると考える学者がいる中、ひょっとしてこの機械が人間をコントロールしだしているかもしれないのである。

デジタルとは常に移り変わる0と1、+と-の電圧の変化でしかない。電子の電位差のことである。

電気が世界を変える。環境も人間のこころも変えていく。この事に最初に警告を発したのが、田中正造であった。田中正造のことを少しでも知りたい場合は、『辛酸』という小説を読めばよい。

大体人間から離れてゆく、こころには危険がともなっていた。馬に乗りたい若者はひとより馬を愛したものである。せっかくだから馬とやればよい。言葉にも”馬が合う”などがある。今では馬の変わりに車であろうが、”車が合う”とは言わないが”愛車”などという言葉がある。新しい病気であろう、新薬の開発を待つばかりだ。