四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

横浜高島屋に行く 浅野忠個展を見る

2007年09月28日 22時57分25秒 | 美術・建築・工芸
横浜も東京に負けず人が多いところである。ただその比率は女が目立つ。
仕事をしている男はのんびりとはしていない。
つまり社会で圧倒的に仕事をしているのは男である。

女は服装で仕事着であるかどうか大体見当がつく。
若い人たちも中高年もそのほどんどが遊び、買い物、食事で外出しているのである。

高島屋に入るとやはり女が圧倒的に多い、各界で買い物をしているのも女である。
デパ地下、一階のコスメ、靴売り場、二階の用品、バッグ、三階の男物売り場まで、女である。

厨房、家庭用品売り場、宝石売り場、さまざまな売り場に女が一杯である。
デパートはどうしても女の城であるといわれるが、客もやはり女が多い。

しかし、世の中の女はこれほど暇を持てあましているのであろうか。
若い女も沢山いる。主婦らしき年齢、中年、老婆までみんな豊かな人たちであろうか。

男が稼いで女を食わせているのか。それとも女は自力で稼ぎ出しているのか。

昔は、女は外出さえできなかった時代がある。女が外出して世の中はかなり変わったであろう。

華やかになった、一面、世の中が軽薄になってくる。
女の厚化粧や、女の服装からはそういった安っぽさが漂っている。
女がこれだけ世の中に出てくると、社会そのものを安っぽくすることになる。

要するに重たい物、重圧を感じさせる、男の世界が消滅していく。
女の美しさというのは、肉体の美だから、若いとそれなりの美しさを保っているが、
個々の女を見ていくと必ず老いが先行してくる。

しかし、若い女はどんどん美しくなってくる。化粧術、着付け、服装もおしゃれになっている。昔の女の子はおとなしかった。アイビーなどが流行った頃は女がこれほど大人っぽくなっていなかった。その反面化け物化粧も増えている。

40の女がおばさんを感じさせなくなっている。親子で歩いていても姉妹かと間違うときがある。

外でお買い物することはオークションなどで買うよりも健全である。値段が高い分、他人の生活をさせ得ていると考えればよい。いかに、安っぽい女でも定価で買うものは定価で買ってやれば世の中は安定するのである。

生涯女は化粧を続け、服装を替え続けるのである。女は絶えず消費し続ける。
女は自分の服装の値段によって生意気になっていく。それが価値だと思っている。

バレーなどその他の靴屋の前に立ち止まった。どれもこれも値段が高い、男物ではない。7万円~12万円くらいのパンプス、よく見るとエナメルの塗り方が雑である。これではアウトレット行きであろう。よく見てもこのような難物があるのだから、オークションなどで物を買う人間の気がしれない。評価などと言うものも大抵嘘である。

日本の女はヨーロッパなどの夜の街角に立っている娼婦の雰囲気がある。
所詮極東のアジアの女なのである。おしゃれになっていくようで、どことなく、娼婦・娼妓の雰囲気を醸し出しているのである。
このことはヨーロッパなどに暮らし現地の女性が日本から来る観光客のことを評して言った言葉でもある。

ちゃらちゃらとしたカッコ、幼稚な語り口、おおよそレディとはほど遠い存在である。
マークス寿子氏によれば男女ともに日本人はよなよなしているらしい。


高島屋へ行ったついでに個展を2件見た、日本画と陶芸である。陶芸はやればできるの世界であるが、どんなに不味くとも湯飲みの一つは作れるものである。

絵はそうはいかない、どんなに頑張っても茶碗の一つにもならない。何の役にも立たないから、かえって難しい。

今回、見てきたのはおよそ20点の山岳の絵である。半分くらいは見応えがあった。
全体的しっかり描かれている。が、描写が少し細かい。色彩が遠ざかると崩れる物もあるが、山のフォルムも美しく、安定している。すべての山は冠雪した山で、その冠雪が白く輝きを放っている。

まあ、見る価値あり。百聞は一見に如かずである。女性がやはり多く会場に来ていた。やはり女性の時代なのであろう。

たしか、2日までやっていたと思う。



この国のゆくえは10年で崩壊する

2007年09月28日 04時04分33秒 | 行住坐臥
人間の集中力がなくなると、大変なことになるという話である。

たとえば、医者が手術中に集中力をなくして、何か別のことを考えると一体どうなるか?

学校の授業で授業内容とは別のことを考えている人間はどれほどいるだろうか?
少し考えてみてもその中には自分自身が入っているであろう。
まわりを見わたせばいるはいるはわんさかいるは、ほとんどがそうである。

それで、そのまま大学へ行き、大学を終え、就職をする。
授業さえ碌に聞いていない人間が社会に出て、集中力を増すかというと、そんなに甘いものではない。

私の経験でも会議中は眠くなるものであるし、実際眠りこけて、いびきをかき出す奴もいた。ついでに椅子ごとひっくり返って床でまだ寝てる奴がいるほどである。

国会は国の中枢機関であり、国策を定めるところである。TVを見ていると国会議員は半数近く居眠りをしている。国会は居眠りをする場所であると最初から考えている議員もいるほどである。ゴルフの何とかパパなどはその類ではないのか?

国会議員でさえこのざまである。医者が手術中に居眠りをして、メスやハサミを患者の体内に忘れることなど頻繁に起こるはずである。眠っている間に患者が死んでいる場合もあるが、周りにいる看護婦も知らん顔である。オシロスコープだけがまじめに直線を流している。

ビルの建築現場で働く多くの労働者は授業中まともに授業を聞いたことはまずない。良くビルの工事現場の上の方からいろいろなものが落ちてくる。それゆえに、現場では絶対にヘルメットを被らなければならない。ヒヤリハットという標語は彼らが最初に覚える言葉であるが、それさえも集中して覚えられない職人がいる。

たまにビルの上から釘や金槌とともに職人が落ちてくることがある。ボルトの閉め忘れ溶接のし忘れなどはどこの現場でも日常茶飯事である。

しかし、これだけの集中力が欠如している人間社会がうまくいくはずがない。そろそろ墓穴を掘る時になっている。

昨日は信号機の老朽化がすすんであちらこちらで、信号待ちの人間の上に倒れてくるというNEWSを聞いたが、予算がないために、信号機の入れ替えが間に合わないという。

早い話、信号機だけの問題ではない、あらゆるものが老朽化してきているんである。人間だけが老朽化しているのではない。少子高齢化は物の世界でもそうなっているのである。

どの道これを解決することは不可能である。アメリカの橋の倒壊もそうであるが、日本の橋梁事故、タイでの橋梁事故もそうである。

バカ学生しかいない明日の日本に未来があるわけはない。学生だけではない大人が既に相当阿呆化しているのである。若者は被害者かもしれない。

私の車は日産でよくエンストするから怖くて乗れない。これは非外車である。


アンケートのいい加減性 いい加減にせい

2007年09月28日 00時43分06秒 | 社会問題
アンケートにもよるが、自民党と民主党のどちらに投票するかの類のアンケートは子どもに対してでも年寄りに対してでも、場合によっては犬に対してでもできないことはない。

しかし、テロ特別措置法をどうするかというアンケートになると、まずテロ特別措置法とは何かを知っていなければ回答を貰っても正しい結果は出ない。

何処で、
いつ、
誰が、
何を、
何のために、
どのようにして、

こういう上の質問に対して、

まさに、テロリストとは誰のことなのか、
どこが拠点になっているのか、
どれほどの人数がいるのか、
何の目的を持っているのか、
誰を狙っているのか、
どの程度の武器を持っているのか、
どの程度の資力があるのか、
どこの国と繋がっているのか、
支援者はいるのか、

米のアフガニスタン攻撃でどの程度の打撃をあたえたのか、
いつまでやるのか、
勝算の見通しは、
なぜインド洋なのか、

日本を基地としている戦艦は日本を出航するときも給油は日本側が行っている。
食糧を積み込む際にも日本側が補給している。

ついでに兵器も日本側から、供給している。
これは本来武器輸出にあたるのだが、国内の武器生産は至る所で行われている、
自衛隊の演習だけでは消費が間に合わないし、自衛隊が演習で使えない武器も沢山ある。

それらは作り続けなければならない。戦力、生産能力を平時に於ても落とすことはできない。

すると、補給だけの問題では済まなくなるのである。
米国からの持ち込むだけでは武器にしろ食糧にしろ、間に合わないのである。燃料が間に合わないのであるから、他のものも間に合わないと考えるのが常識である。

疑問となることは何か、いくらなら個人として援助できるのか、結局税金から拠出するのであるから、個人のポケットから持って行かれるのである。

さまざまなことを議論して、なお確実に必要であるのか、それともアメリカの脅しに反抗していては、日本人は食うことができないために、いいなりになる必要があるのか?

もし、そうであるなら我が国にとってのテロリストはアメリカであるという結論が導かれる。

アメリカは賢いから、日本が何を考えても従属するしかないのが現状である。考えるのはアメリカであって、日本人は従えばよいのである。世界の工場、世界の銀行、世界のガソリンスタンドになって、死ぬまで労働をすれば良いのである。

楽しみはディズニーランドが請け負ってくれるではないか。