横浜も東京に負けず人が多いところである。ただその比率は女が目立つ。
仕事をしている男はのんびりとはしていない。
つまり社会で圧倒的に仕事をしているのは男である。
女は服装で仕事着であるかどうか大体見当がつく。
若い人たちも中高年もそのほどんどが遊び、買い物、食事で外出しているのである。
高島屋に入るとやはり女が圧倒的に多い、各界で買い物をしているのも女である。
デパ地下、一階のコスメ、靴売り場、二階の用品、バッグ、三階の男物売り場まで、女である。
厨房、家庭用品売り場、宝石売り場、さまざまな売り場に女が一杯である。
デパートはどうしても女の城であるといわれるが、客もやはり女が多い。
しかし、世の中の女はこれほど暇を持てあましているのであろうか。
若い女も沢山いる。主婦らしき年齢、中年、老婆までみんな豊かな人たちであろうか。
男が稼いで女を食わせているのか。それとも女は自力で稼ぎ出しているのか。
昔は、女は外出さえできなかった時代がある。女が外出して世の中はかなり変わったであろう。
華やかになった、一面、世の中が軽薄になってくる。
女の厚化粧や、女の服装からはそういった安っぽさが漂っている。
女がこれだけ世の中に出てくると、社会そのものを安っぽくすることになる。
要するに重たい物、重圧を感じさせる、男の世界が消滅していく。
女の美しさというのは、肉体の美だから、若いとそれなりの美しさを保っているが、
個々の女を見ていくと必ず老いが先行してくる。
しかし、若い女はどんどん美しくなってくる。化粧術、着付け、服装もおしゃれになっている。昔の女の子はおとなしかった。アイビーなどが流行った頃は女がこれほど大人っぽくなっていなかった。その反面化け物化粧も増えている。
40の女がおばさんを感じさせなくなっている。親子で歩いていても姉妹かと間違うときがある。
外でお買い物することはオークションなどで買うよりも健全である。値段が高い分、他人の生活をさせ得ていると考えればよい。いかに、安っぽい女でも定価で買うものは定価で買ってやれば世の中は安定するのである。
生涯女は化粧を続け、服装を替え続けるのである。女は絶えず消費し続ける。
女は自分の服装の値段によって生意気になっていく。それが価値だと思っている。
バレーなどその他の靴屋の前に立ち止まった。どれもこれも値段が高い、男物ではない。7万円~12万円くらいのパンプス、よく見るとエナメルの塗り方が雑である。これではアウトレット行きであろう。よく見てもこのような難物があるのだから、オークションなどで物を買う人間の気がしれない。評価などと言うものも大抵嘘である。
日本の女はヨーロッパなどの夜の街角に立っている娼婦の雰囲気がある。
所詮極東のアジアの女なのである。おしゃれになっていくようで、どことなく、娼婦・娼妓の雰囲気を醸し出しているのである。
このことはヨーロッパなどに暮らし現地の女性が日本から来る観光客のことを評して言った言葉でもある。
ちゃらちゃらとしたカッコ、幼稚な語り口、おおよそレディとはほど遠い存在である。
マークス寿子氏によれば男女ともに日本人はよなよなしているらしい。
高島屋へ行ったついでに個展を2件見た、日本画と陶芸である。陶芸はやればできるの世界であるが、どんなに不味くとも湯飲みの一つは作れるものである。
絵はそうはいかない、どんなに頑張っても茶碗の一つにもならない。何の役にも立たないから、かえって難しい。
今回、見てきたのはおよそ20点の山岳の絵である。半分くらいは見応えがあった。
全体的しっかり描かれている。が、描写が少し細かい。色彩が遠ざかると崩れる物もあるが、山のフォルムも美しく、安定している。すべての山は冠雪した山で、その冠雪が白く輝きを放っている。
まあ、見る価値あり。百聞は一見に如かずである。女性がやはり多く会場に来ていた。やはり女性の時代なのであろう。
たしか、2日までやっていたと思う。
仕事をしている男はのんびりとはしていない。
つまり社会で圧倒的に仕事をしているのは男である。
女は服装で仕事着であるかどうか大体見当がつく。
若い人たちも中高年もそのほどんどが遊び、買い物、食事で外出しているのである。
高島屋に入るとやはり女が圧倒的に多い、各界で買い物をしているのも女である。
デパ地下、一階のコスメ、靴売り場、二階の用品、バッグ、三階の男物売り場まで、女である。
厨房、家庭用品売り場、宝石売り場、さまざまな売り場に女が一杯である。
デパートはどうしても女の城であるといわれるが、客もやはり女が多い。
しかし、世の中の女はこれほど暇を持てあましているのであろうか。
若い女も沢山いる。主婦らしき年齢、中年、老婆までみんな豊かな人たちであろうか。
男が稼いで女を食わせているのか。それとも女は自力で稼ぎ出しているのか。
昔は、女は外出さえできなかった時代がある。女が外出して世の中はかなり変わったであろう。
華やかになった、一面、世の中が軽薄になってくる。
女の厚化粧や、女の服装からはそういった安っぽさが漂っている。
女がこれだけ世の中に出てくると、社会そのものを安っぽくすることになる。
要するに重たい物、重圧を感じさせる、男の世界が消滅していく。
女の美しさというのは、肉体の美だから、若いとそれなりの美しさを保っているが、
個々の女を見ていくと必ず老いが先行してくる。
しかし、若い女はどんどん美しくなってくる。化粧術、着付け、服装もおしゃれになっている。昔の女の子はおとなしかった。アイビーなどが流行った頃は女がこれほど大人っぽくなっていなかった。その反面化け物化粧も増えている。
40の女がおばさんを感じさせなくなっている。親子で歩いていても姉妹かと間違うときがある。
外でお買い物することはオークションなどで買うよりも健全である。値段が高い分、他人の生活をさせ得ていると考えればよい。いかに、安っぽい女でも定価で買うものは定価で買ってやれば世の中は安定するのである。
生涯女は化粧を続け、服装を替え続けるのである。女は絶えず消費し続ける。
女は自分の服装の値段によって生意気になっていく。それが価値だと思っている。
バレーなどその他の靴屋の前に立ち止まった。どれもこれも値段が高い、男物ではない。7万円~12万円くらいのパンプス、よく見るとエナメルの塗り方が雑である。これではアウトレット行きであろう。よく見てもこのような難物があるのだから、オークションなどで物を買う人間の気がしれない。評価などと言うものも大抵嘘である。
日本の女はヨーロッパなどの夜の街角に立っている娼婦の雰囲気がある。
所詮極東のアジアの女なのである。おしゃれになっていくようで、どことなく、娼婦・娼妓の雰囲気を醸し出しているのである。
このことはヨーロッパなどに暮らし現地の女性が日本から来る観光客のことを評して言った言葉でもある。
ちゃらちゃらとしたカッコ、幼稚な語り口、おおよそレディとはほど遠い存在である。
マークス寿子氏によれば男女ともに日本人はよなよなしているらしい。
高島屋へ行ったついでに個展を2件見た、日本画と陶芸である。陶芸はやればできるの世界であるが、どんなに不味くとも湯飲みの一つは作れるものである。
絵はそうはいかない、どんなに頑張っても茶碗の一つにもならない。何の役にも立たないから、かえって難しい。
今回、見てきたのはおよそ20点の山岳の絵である。半分くらいは見応えがあった。
全体的しっかり描かれている。が、描写が少し細かい。色彩が遠ざかると崩れる物もあるが、山のフォルムも美しく、安定している。すべての山は冠雪した山で、その冠雪が白く輝きを放っている。
まあ、見る価値あり。百聞は一見に如かずである。女性がやはり多く会場に来ていた。やはり女性の時代なのであろう。
たしか、2日までやっていたと思う。