カメラを片手に

珈琲の当て字を考案した「宇田川榕菴」の忌日

夜明け前から降り出した雨も午前8時には止み始め、次第に空が明るくなり、
東の春日奥山も稜線が現れ、雲が上がって行く。

鶯塚古墳がある若草山の頂上も、萌黄色から緑色が増し始めている。
      ←👇三角点341.7m――――→鶯塚古墳:前方後円墳 107m


NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はバラ科の「シモツケ・下野」落葉低木
別名は同じバラ科の「シモツケソウ・草下野」と区別するため、「キシモツケ
・木下野」とも呼ばれる。
名の由来は、下野(しもつけ)の国(栃木県)に自生が多かったか、最初に当地で
発見されたためとされているが、一説には花穂に霜が降りたように見えるため
「霜付け」になったとも。 
      

5㎜程度の小花100個以上が、小枝の先でブーケ状に集まって咲き、花色は淡い
紅色、薄紫、白など。花弁は5枚で雌蕊は5個で多数の雄蕊は花弁より遥かに
長く、花には微香がある。
花言葉は「いつかわかる真価
      

1846年のこの日、蘭学者で日本近代植物学の開祖とされる「宇田川榕菴」、
享年49歳で没す。
大垣生れ、養子として津山藩(岡山県)の藩医家に入り、藩医・蘭学者となる。
1816年には早くもコーヒーの産地、効用を説いた『哥非乙(こうひい)説』を書く
1817年にショメール百科事典を読み、植物学を知り、1822年に日本初の植物
学書『西説菩多尼訶経(ぼたにかきょう)』、1835年に本格的植物学書『植学啓原』
3巻付図1巻を出版している。
化学では、実験も行い1831年ガルバーニ電池作成のレポート『瓦爾華尼越列機
的児(がるはにえれきてる)造作記』などを経て、1837年~1847年にかけ、日本最初
の体系的化学の大著『舎密開宗(せいみかいそう)』21巻の執筆・出版された。
 
このように宇田川榕菴(うだがわようあん)は、それまで日本になかった植物学、
化学等の書物を翻訳し、初めて書物にして紹介した人物でだが、その過程で
日本になかった学術用語を新しく造語として生み出されている。
例えば
・元素名:酸素、水素、窒素、炭素、白金
・化学用語:元素、金属、気化、酸化、還元、中和、溶解、試薬など
・生物学用語:細胞、属など
・日常用語:圧力、温度、結晶、沸騰、蒸気、分析、成分、物質、法則など
・「珈琲」コーヒー(蘭:koffie、英:coffee)自筆の蘭和対訳辞典で使用し
 たのが最初ではないかと。

また榕菴は温泉の効能(泉質)を調べたことから、日本で初めて行われた温泉の
泉質調査であったといわれている。

このように、榕菴は古今東西の書物から得られる物質に関する情報に照らし
実証実験をして逐一検証されている。
さらに西洋音楽の検討や地理学などの著作もあり、奥深い知識人だった。

このように近代日本に稀有な功績を残しているのに・・・
解体新書の前野良沢杉田玄白と違い、現在でも宇田川榕菴って誰?
 *福沢諭吉は『ターヘル・アナトミア』の翻訳事業を、医学上の小事でなく   
  日本文明の重大事件と位置づけ、前野良沢に1893年正四位が贈られ、
  杉田玄白と青木昆陽には、遅れて1907年になり正四位が贈られている。

榕菴には、1915年(大正4年)になり、やっと正五位を追贈された。

遅れた要因として、シーボルトとも親交があり、シーボルト事件などをはじめ
として、江戸末期のたび重なる蘭学弾圧事件への連座を逃れるため、資料の隠
ぺいや意図的な放棄などがあったとされ、その人物像は不明確なためかも。

戒名は榕樹院緑舫逍遙居士といい、墓は東京都府中市の多磨墓地に眠る。
岡山県津山市の宇田川家3代の墓所がある西寺町の泰安寺では、174回目の
法要が今日営まれ、墓前にコーヒーが供えられたと。(津山朝日新聞より)

もっと評価されてしかるべき人物なのではないでしょうか。

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