今朝の最低気温午前4時前、2回目の一桁台9.1℃と冷え込みました。
そういえば昨晩はきれいな満月、アメリカでは「ハンターズムーン 」だ。
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今朝から日差しも少なく、12時過ぎ最高気温は15.6℃で肌寒い一日になった。
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この寒さで南へ帰ったとばかり思っていた「ツバメ」が空に、
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そしてキーィキーィと縄張り争いの高鳴きが・・・「モズ・百舌鳥 」です。
今季初見で、「モズのはやにえ」を探しに行かねば・・・。
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今日は「直哉忌」、小説の神様とも呼ばれ、明治・大正・昭和と3つの時代を
生き抜いた白樺派の小説家「志賀直哉」、88歳、 1971年の忌日です。
我孫子在住のころに書かれた「矢島柳堂」に、モズやバンなど鳥の話がある。
代表作は『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』 など、強烈な自我意識と簡潔
・明晰な文体によるリアリズム文学の傑作を残され、1949年文化勲章を受章
された。
丁度没後50年になるも、以前から遺族と弟子との申し合わせにより偲ぶ集まり
はなく、今回もないようだ。
さて葬儀は無宗教式で献花で行われたが、東大寺(華厳宗)の上司海雲と橋本
聖準が読経されていると。
というのも「志賀直哉」は奈良に縁があるからです。
転居を20回繰り返し、その中に大正14年に京都から奈良市幸町に4年間移り、
その後自ら設計された「高畑サロン」とも呼ばれる志賀直哉旧居に10年ほど
過ごされ、小林秀雄、武者小路実篤、瀧井孝作、尾崎一雄、小林多喜二など
の文化人が集う場所にもなっていた。
この旧居は昭和初期のモダンな意匠と数寄屋建築の美しさを折衷させた貴重な
建築物で歴史的建造物(国登録有形文化財・奈良県指定文化財) になっている。
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そして昭和初期もう一つの文化サロンが当時の奈良にあった。
それは志賀直哉の高畑サロンにも通い、葬儀時の読経をされた「上司海雲」
第206世東大寺別当で「観音院さん」ともよばれていた。
法華堂(三月堂)の西側にある東大寺の塔頭の一つです。
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なかなか面白い字を書かれており、「華」という軸を紹介します。
「野に山に春夏秋冬うるわしくせかいをかざる唯心のはな」と添えられる ![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5a/32ea336196468a202637a0f1d31cc4de.png)
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さて10月30日(土)から11月15日(月)まで「第73回正倉院展」が奈良国立博物館
で開催されますので、その中にこんなコースを織り込まれるのも良いかも。
奈良高畑に一番近いバス停は「破石町」、その西に建物の陰に隠れていた頭塔
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現在丸見えですので、それを眺めて高畑サロン、新薬師寺から春日大社、
そして若草山を通り、手向山八幡宮、法華堂、二月堂から奈良市内を眺め、
東大寺大仏殿へ。
秋の装いを纏い始めた奈良観光コースも良いかも。