6月21日
普通に仕事してました。
しかしその夜に叔父から
「祖母が危篤」と携帯に電話が・・・
月曜日、火曜日と休みでしたので家に車を取りに行きそのまま田舎へ
出発時間は午前1時半過ぎ
6月22日
東北自動車道をひた走る。
普通だと2・3回は休憩をはさむのですが今回は高速に乗ってすぐの蓮田SAのみ。
10時過ぎ病院に到着
危篤の連絡を貰ってからほぼ10時間の事です。
急いで病室に行くと・・・
多くの管がささった祖母がそこに居ました。
体調を崩して入院してると言う事を最初に知ったのは5月下旬
なかなか連休の用事の調整が付かなかった等で来そびれていたのですが・・・
そんなに悪くは無いと勝手に決めつけていたのかもしれません。
7月に入ると更に忙しくなるので28日、29日の休みを利用して見舞いに行く予定でした。
病床の姿を見た時に「何でもっと早くに・・・」と後悔しかありませんでした。
そして12時過ぎ苦しむ様子も無く眠る様に亡くなりました。
伯母には「着くまで待っててくれたんだよ・・・」と
少しは気が休まる言葉をいただきましたが・・・
6月23日
バタバタしていたのですが着替えも何も持ってきてなかった身
田舎を出たのは夜になりましたが1度家に戻る事に。
通夜・告別式は25日、26日になりました。
来る時とは違い高速上で休み休み・・・
もう何に急ぐ事は無かったので特にかもしれません。
家に着いたら既に日をまたぎ朝を迎えてました。
6月24日
体は辛い物の普通に仕事へ
報告期日が26日という物があり仕上げたら1時を過ぎました。
再度田舎へ出発したのは2時頃に
4時まで高速に乗りたいので少々急ぐ
3時50分無事に東北道に乗り蓮田SAまで耐えて仮眠しました。
起きたら既に9時を回ってました。
6月25日
4時頃までに到着すれば良かったので・・・
途中休憩を3回はさみつつ3時前には到着。
線香をあげてお茶を飲みながら一休み。
6時から通夜開始
その夜は線香の煙を絶やしてはいけないそうなので・・・
以前なら寝ずの番が必要でした。(祖父の時はそうでした)
が、今は便利になって渦巻き状の線香があり12時間もつ物があるのでその辺は楽に
それでも久しぶりに会う親族と夜遅くまで話しながら飲んでいて・・・
寝たのは3時を過ぎてました。
6月26日
火葬場の時間の都合上10時半に自宅より出棺
12時から火葬
火葬後に場所をお寺に移し
初七日の法要を・・・
同日納骨まで済ませまして・・・
場所を移して供養膳・・・
家に戻ってきたのは夕方に・・・
少しゆっくりしていたら時間は既に9時前に
線香をあげて家路に着く事に
家に着いたら既に朝になりました。
6月27日
普通に仕事・・・
疲れからか体はボロボロでした。
考えてみれば週2回片道430km弱の通勤をしたのと一緒ですからね。
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