復元された太子駅には地元の古老が管理人として、色々な話をしてくれる
ホッパー基部のこれほどまでの崩壊の差は、左が戦前から戦中くらいの製造で、右の崩壊が著しい方は戦争も末期の資材が厳しかった時代に増設されたものだと
戦後から何十年、きっと気が付けば百年とかそういう日も遠くはない
それくらいのスケールで、ここまで建造物にも差が出るのかと気が付かされて、うまく言語化できない
少し広めに撮っても、増設した施設は以下のようで
それより先に建造された施設は肌が綺麗だ
この施設の建造にあたって、徴兵されずに残った女子供や老人が、この施設の下の川から砂利を運んだんだろうって
コンクリートや鉄筋にするための資材が足りない中での戦時急造だった