津南の難工事区間を抜けたところでも稲架掛け
って、いきなり難工事区間とか書いてもなんのこっちゃって感じですね、飯山鉄道の話です
西大滝までとりあえずの現状の調査結果を何となくまとめたんで気が楽になったのだけど、飯山鐡道敷設に関しての小話的なのはもっと色々とあるんだな
完全に余談、小話程度に興味ある人だけ読んでもらえれば
この区間についてざっくり、非常にざっくりと解説させていただきますと、要はトンネルが多い区間なんです
越後田中駅から津南駅(当時は外丸駅)にかけての区間は信濃川に削られた左岸の断崖絶壁に沿うように通っています
あの断崖絶壁で、素人目に見ても脆そうで現在進行形で崩れてみえる絶壁(雪解け時期は残雪が真っ黒になるくらいに土がはがされている)ですが、そこを通さざるを得なかった
人家を寄せ付けないような険しい地形を乗り越えていくように飯山鐡道の線路がこの位置に決定したのは、言うまでもなくこの先に建設を予定されていた信濃川発電所に向かうためというのが大きかったようです
西大滝ダムから信濃川左岸の山中に水路を引っ張るわけで、当然、発電所は左岸に建設するんですから、その資材を運んでくる飯山鉄道も左岸を進んで鹿渡に至って欲しいんです
まさか信濃川を渡って大割野に行って、もう一回渡って鹿渡を経由してから再度信濃川を渡ってなんてやってられません、左岸を踏破します。 信濃川を渡るのはキツイ
例え東京電燈の営業所が大割野に置かれようとも、街の中心が当時から大割野で地元の誘致があろうと、経営を握っていた東京電燈は飯山鐡道を左岸に進めていきます
飯山鐡道は発電所建設のための資材輸送のための鉄道路線、ですから。 もう、それに尽きるんです、飯山鐡道の奥は
普通の鉄道なら越後田中から右岸に渡って、当時から津南町の中心地でもある大割野に鉄道を通して十日町に至る方が合理的にみえます
しかし、何度でも言いますが、飯山鉄道の飯山駅、もとい現在の戸狩野沢温泉駅から十日町間に至っては電力開発のための資材輸送路線として敷設された性格が強いです(戸狩野沢温泉までは地元で補助金を出してまで通したかった区間だし)
現在でも飯山線の”奥”って言えば戸狩野沢温泉駅より奥って感じですが、飯山鐡道建設当初から鉄道としての輸送量の変化点というか鉄道誘致への地元の意識の違いすら感じられるのがこの駅(戸狩野沢温泉駅)を境にしています。これはここまでも引用した通りです。
戸狩奥って言っても、十日町より先の越後川口迄の省線区間は飯山鐡道じゃないので、ここでは国が通したくらいの存在。
田中から信濃川右岸に渡る案も取り沙汰されたかもしれない、そういう声も大きかったかもしれない、そもそも現在の津南駅が津南町の中心部から信濃川を渡った先の辺鄙なところにあるのはそういう経緯があるんだろう、きっと。
それで、越後田中から外丸に至る区間はトンネルで抜けたんですけども、難工事だったらしく、当時の区間当たりの工事費では日本一高いと言われるくらいの難工事だったそうで
当時の十日町新聞でそういう報道がなされています
いや、本当に当時の建設費として距離あたり日本一高かった区間かどうかは知りませんが、そういう意味で難工事区間と書かせてもらった次第で
その区間を抜けて、外丸(津南駅)の僅かばかりの水田なり耕作ができる平地に出てきた飯山線ってのを感じられました?