昨日の記事で「信濃川上流の集落であった話で補助金の額が少ないから当初の計画を流して停留所になった駅もあったという」と記述したが、その舞台となった地域
この横倉は補助金も満たして当初の計画では停留所だったものが停車場に格上げ設置されたという、郷土資料でも残っている程度の集落である
今でも奥信濃によくあるこじんまりとした集落だけど、学校もあり、住宅も割と新しい感じであったりと、狭い範囲ながらお隣の停留所になった集落との差は感じざるを得ないのが正直なところだ
千曲川のカーブの内側の横倉の平地と、川向うの山々が迫る感じに囲まれるような対岸の集落も見られる
対岸の集落、飯山鉄道の時代は勿論、割と昭和になってだいぶ経った時代まで川の上にワイヤー張って籠で人も荷物も横倉の集落まで行き来していたようです
ロープウェーなんて生易しいものじゃない移動手段が当たり前にあったようです
まだまだ千曲川・信濃川の永久橋が架橋される前の時代のはなしですね