今日はJR各社のダイヤ改正ということで、折角なので信濃川発電所の通勤列車の時刻改正を紹介したい。雪解けを待ってからなのか、毎年4月30日の十日町新聞に掲載されている。
それらをポンチダイヤに起こした。
昭和8年
昭和9年
※土曜日のみ一往復運転する列車があるが非掲載(土曜日の半ドンで正午前後の十日町~山野田1往復だと思われる。昭和8年のダイヤ参照)
昭和10年
※橙色破線は「月曜日及祝祭日の翌日を除く日」 ※緑色線は「土曜日及7/21~8/31間を除く日」 に運転とある。
基本的に主要な列車は大きく変わっている様子はないが、昭和9年は第三隧道上部工事の着工に伴ってか「高島」が明記されており、姿も「姿驛」として記述されている。
昭和10年のダイヤは十日町新聞の記述が分かりにくい。前年までのダイヤと見比べても、「月曜日及祝祭日の翌日を除く日」「土曜日及7/21~8/31間を除く日」に運休なのでは?と思われるので、日本語の理解に苦しんでいる。
また、昭和10年には小泉始発・終着の列車が設定されていることが特筆される。これは前年に小泉の用地問題が概ね解決し、本格的に浅河原土堰堤工事が開始されるにあたり小泉車庫が開設されたためではないかと考えられる。また、土堰堤工事の目途が立ち、粘土採取場への軽便線の延長が請負入札に出されている。
十日町新聞昭和九年七月十日
信電運搬線 菊地組請負
信電事務所では吉田村小泉地内の例の土堰堤粘土運搬用軽便線延長約一キロの敷設工事の請負入札をさる六日行つたが指名入札者六名の處二万七千圓で長岡市菊地組が請負った。竣工期は百三十五日である。
浅河原土堰堤工事における小泉の粘土場及び土捨場の用地問題については、地元とかなり揉めた話なので、折を見て書きたいと思う。信電事務所に対して蓆旗を立てて地元住民がデモを起こしている。
それらをポンチダイヤに起こした。
昭和8年
昭和9年
※土曜日のみ一往復運転する列車があるが非掲載(土曜日の半ドンで正午前後の十日町~山野田1往復だと思われる。昭和8年のダイヤ参照)
昭和10年
※橙色破線は「月曜日及祝祭日の翌日を除く日」 ※緑色線は「土曜日及7/21~8/31間を除く日」 に運転とある。
基本的に主要な列車は大きく変わっている様子はないが、昭和9年は第三隧道上部工事の着工に伴ってか「高島」が明記されており、姿も「姿驛」として記述されている。
昭和10年のダイヤは十日町新聞の記述が分かりにくい。前年までのダイヤと見比べても、「月曜日及祝祭日の翌日を除く日」「土曜日及7/21~8/31間を除く日」に運休なのでは?と思われるので、日本語の理解に苦しんでいる。
また、昭和10年には小泉始発・終着の列車が設定されていることが特筆される。これは前年に小泉の用地問題が概ね解決し、本格的に浅河原土堰堤工事が開始されるにあたり小泉車庫が開設されたためではないかと考えられる。また、土堰堤工事の目途が立ち、粘土採取場への軽便線の延長が請負入札に出されている。
十日町新聞昭和九年七月十日
信電運搬線 菊地組請負
信電事務所では吉田村小泉地内の例の土堰堤粘土運搬用軽便線延長約一キロの敷設工事の請負入札をさる六日行つたが指名入札者六名の處二万七千圓で長岡市菊地組が請負った。竣工期は百三十五日である。
浅河原土堰堤工事における小泉の粘土場及び土捨場の用地問題については、地元とかなり揉めた話なので、折を見て書きたいと思う。信電事務所に対して蓆旗を立てて地元住民がデモを起こしている。