ガソリンがまた値上がりしてきている。
「今年もまた、エコカーエコカー言う輩がさらに増えそうだな」
なんて、会社の先輩が言っていた。
禿同!!!
とりあえず「エコ」っていう偽善が本当に どうしょうもない話だと思う。
「エコカー」だとか「ハイブリッドカー」だと、燃費がいいとか、減税対象になるとか、
どーせ皆、自分の財布の中身しか気にしてないくせに。
他にももっと生活の中で、改善すべき環境対策はあるはずなのに、結局自分の財布と直結しなければ、動かない。
それはそれで、したたかで良いことだけど、
さも「これは地球環境のためなんだ」みたいな大口たたくのはやめて欲しい。
大口たたいてるかどうかは知らないけど。
環境とは違う話になるけど
例えば、飲酒運転についても、そう思う。
かつては、飲酒運転に対する社会の認識は今よりも甘くて、警察による取締りもゆるかったと聞く。
小説や映画でも、飲酒運転して遊ぶシーンが度々出てくるわな。
ほんの10年くらい前までは、そうだったんじゃないか、と想像する。
皆やってたことなのだ。
それが、飲酒運転による重大事故が何度か連続して、社会的な機運が高まって、罰則が強化された。
「罰金」が高くなった。
そうすると一転して、世の中の人達は皆「飲酒運転するなんてとんでもない」と一致団結して、飲酒運転で人をひいた犯人に、より重い判決を求めようとする。
でも、人々は皆、そんな風になる前から、10年も20年も30年も前から、「飲酒運転は極めて危険」ってことは重々承知していたことのはずなのだ。
だけど、クルマ乗れなきゃ郊外では不便だし、皆そう思ってるから警察も甘く見てくれてた。
だから、いいや、って皆乗っていたんだ。
想像だけど、どうせそんなところだ。
踊らされているだけなのだ。
飲酒運転でひかれて子供が亡くなったニュースがあって、そういう悲しい事故は1960年代にも70年代にもあったはずなのに、90年代以降、社会的な機運が高まるにつれて、それに踊らされて、「飲酒運転なんて、絶対よくない」って言う。
そういうことは、人々は昔から知っていたはずなのに、だ。
でも、罰則が強化されない限り、やっぱり便利だからって、飲酒運転をしていたんだろう。
そのような社会の流れに乗っかって、かつては飲酒運転した人間達が「飲酒運転よくない!」なんて、よく大口を叩けたもんだと思う。
厳罰化される以前から、一貫して飲酒運転を絶対にしないで来た人だけが、声を大にして「飲酒運転よくない!」と言えて、
あとの輩は、恥を知れ!
かつて飲酒運転したときに、人をひかないで済んで、事なきを得た幸運に感謝しろ!
って、思う。
だから、そういう多くの人達は「飲酒運転よくない!」って言うときは、その前に「私も若いころはしましたが」っていうのを必ず言った上で、その上で大口を叩け、っていうことだ。
何年か前に、年金未納の問題で議員やらニュースキャスターが辞職や降板になったことがあった。
でも、飲酒運転については過去の記録が残っているはずもないから、誰にも調べることができない。
調べることが出来ない以上、「自分はかつて、やったことがあるか、ないか」を明言もせず、「飲酒運転よくない!」とか言う。
禁煙の運動も、そういう雰囲気がある。
ちょっと異常なくらい、みんな過敏だ。
最近は区役所とかに行くと、夏はクールビズ。冬はウォームビズの服装をしている。
一般市民が住民票を取ったり、婚姻届を出したり出さなかったりする、そういう窓口においても、だ。
ネクタイしてくる一般市民の暑さ寒さはお構いなし、だ。
冷暖房を効かせないで、照明の電気もなるべく点けないで、暗め。
それで「うちの市では、環境と経費節減のため、やってます!」みたいなことを堂々と張り紙までしている。
その前日までは、がんがん冷房効かせてたくせに。どーせ。
だから、もうネクタイしませんよ、ですか。
勝手にしてくれ。
個人情報だとか、コンプライアンスだとか、そんなのもちょっと社会がいま敏感だからって、有り得ないくらい過敏だ。
皆、本当にそう思ってるの?
思ってるかどうかじゃなくて、そう決まったからそれが正しい、みたいな。
それどころか、決まったことと反れたことは、もう反社会的、みたいな。
踊らされたくはない。
良いか悪いかは自分で決めたい。
社会において、何がよくて何が悪いか、最低限のことは小学校を卒業する頃までには学んできたはずだ。
あとは、自分の考えで決めていきたい。
「今年もまた、エコカーエコカー言う輩がさらに増えそうだな」
なんて、会社の先輩が言っていた。
禿同!!!
とりあえず「エコ」っていう偽善が本当に どうしょうもない話だと思う。
「エコカー」だとか「ハイブリッドカー」だと、燃費がいいとか、減税対象になるとか、
どーせ皆、自分の財布の中身しか気にしてないくせに。
他にももっと生活の中で、改善すべき環境対策はあるはずなのに、結局自分の財布と直結しなければ、動かない。
それはそれで、したたかで良いことだけど、
さも「これは地球環境のためなんだ」みたいな大口たたくのはやめて欲しい。
大口たたいてるかどうかは知らないけど。
環境とは違う話になるけど
例えば、飲酒運転についても、そう思う。
かつては、飲酒運転に対する社会の認識は今よりも甘くて、警察による取締りもゆるかったと聞く。
小説や映画でも、飲酒運転して遊ぶシーンが度々出てくるわな。
ほんの10年くらい前までは、そうだったんじゃないか、と想像する。
皆やってたことなのだ。
それが、飲酒運転による重大事故が何度か連続して、社会的な機運が高まって、罰則が強化された。
「罰金」が高くなった。
そうすると一転して、世の中の人達は皆「飲酒運転するなんてとんでもない」と一致団結して、飲酒運転で人をひいた犯人に、より重い判決を求めようとする。
でも、人々は皆、そんな風になる前から、10年も20年も30年も前から、「飲酒運転は極めて危険」ってことは重々承知していたことのはずなのだ。
だけど、クルマ乗れなきゃ郊外では不便だし、皆そう思ってるから警察も甘く見てくれてた。
だから、いいや、って皆乗っていたんだ。
想像だけど、どうせそんなところだ。
踊らされているだけなのだ。
飲酒運転でひかれて子供が亡くなったニュースがあって、そういう悲しい事故は1960年代にも70年代にもあったはずなのに、90年代以降、社会的な機運が高まるにつれて、それに踊らされて、「飲酒運転なんて、絶対よくない」って言う。
そういうことは、人々は昔から知っていたはずなのに、だ。
でも、罰則が強化されない限り、やっぱり便利だからって、飲酒運転をしていたんだろう。
そのような社会の流れに乗っかって、かつては飲酒運転した人間達が「飲酒運転よくない!」なんて、よく大口を叩けたもんだと思う。
厳罰化される以前から、一貫して飲酒運転を絶対にしないで来た人だけが、声を大にして「飲酒運転よくない!」と言えて、
あとの輩は、恥を知れ!
かつて飲酒運転したときに、人をひかないで済んで、事なきを得た幸運に感謝しろ!
って、思う。
だから、そういう多くの人達は「飲酒運転よくない!」って言うときは、その前に「私も若いころはしましたが」っていうのを必ず言った上で、その上で大口を叩け、っていうことだ。
何年か前に、年金未納の問題で議員やらニュースキャスターが辞職や降板になったことがあった。
でも、飲酒運転については過去の記録が残っているはずもないから、誰にも調べることができない。
調べることが出来ない以上、「自分はかつて、やったことがあるか、ないか」を明言もせず、「飲酒運転よくない!」とか言う。
禁煙の運動も、そういう雰囲気がある。
ちょっと異常なくらい、みんな過敏だ。
最近は区役所とかに行くと、夏はクールビズ。冬はウォームビズの服装をしている。
一般市民が住民票を取ったり、婚姻届を出したり出さなかったりする、そういう窓口においても、だ。
ネクタイしてくる一般市民の暑さ寒さはお構いなし、だ。
冷暖房を効かせないで、照明の電気もなるべく点けないで、暗め。
それで「うちの市では、環境と経費節減のため、やってます!」みたいなことを堂々と張り紙までしている。
その前日までは、がんがん冷房効かせてたくせに。どーせ。
だから、もうネクタイしませんよ、ですか。
勝手にしてくれ。
個人情報だとか、コンプライアンスだとか、そんなのもちょっと社会がいま敏感だからって、有り得ないくらい過敏だ。
皆、本当にそう思ってるの?
思ってるかどうかじゃなくて、そう決まったからそれが正しい、みたいな。
それどころか、決まったことと反れたことは、もう反社会的、みたいな。
踊らされたくはない。
良いか悪いかは自分で決めたい。
社会において、何がよくて何が悪いか、最低限のことは小学校を卒業する頃までには学んできたはずだ。
あとは、自分の考えで決めていきたい。