早起きして、会社の野球に参加。
空は暗く、今にも降りだしそうだった。
球場について(ちゃんと、市から有料で借りて やる)、練習を始めると雨がパラついたり、アガったりを繰り返した。
そんな天気だったからなのか、参加者が少なく、必然的にヘタッピな俺がセンターの守備を任された。
まぁ、何度か来たフライを取ったり取れなかったり。
良い運動になる。
ダセー話だけど、最近やっと球に慣れてきた。
軟球だから痛くない、とは言っても怖いんだけど、
だいぶ恐怖心は消えた。
慣れだな。
バレー部の頃は、レシーブの際アタックがブロックの手にかすりもせずに、バチコーンと打ち込まれて、レシーブの手を差し出す間も無く、顔面にヒットすることが何度もあったけど、全然怖くなかったし、痛いともあまり感じなかった。
その時の、緊張感の高まり(テンション)だとか、集中力という精神的な側面も大きいけど、
やっぱ「どのくらい痛い」「痛くない」とか、「こうすれば痛みはマシ」とか「ヤバイ」とか、
そういう、要は経験値が重要だよね、ってことか。
ま、こんな行数を割いて語るほどの話じゃないんだけど。
でも、「先がどうなるか分からない」ことって、結構ストレスだったり、大袈裟に言えば恐怖だったりすると思う。
野球の球が「当たったらどれくらい痛いか分からない」からこそ怖いって思うんだろう。
だから、例えば「どうなれば終了かが知らされない残業」というのは、極めてストレスだと思うのだ。
「これが出来たら帰っていいよ」と言われて、結果的に2時間で終わるのと、
「いつまでこれをやらされるんだろう」って思いながら2時間後にいきなり解放されるのでは、モチベーションも全然違うと思うのだ。
そこを上手く「上から司る」かが重要だと思う。
子供の頃、とくに幼稚園とか小学1年・2年くらいまでって、あらゆる経験がコレだった。
歯医者に連れていかれて、いったいどのくらい待つのか、どのような行程を踏むのか、どのくらい痛いのか、
そういうのが全くわからない。
これはすごく不安だった。
「痛くないよ」って医者の先生は言う。
付き添っている親も言う。
でも、実際には無痛なわけはないのだから、
「少しは痛いけど、泣かないで済むから頑張ってね」とか、
そういう現実を教えてほしかった。
そういうのを、幼稚園の頃はちゃらんぽらんだったけど、ある程度大きくなるに連れて、思うようになった。
「あとどれくらい待つの?」って親に聞いても、「わからない」としか言わない。
そりゃ分かるはずない。
でも、「1時間はかからないだろう」とか、「今日は混んでるから、こないだよりは待つかもね」とか
そういう答えが欲しかった。
もう、ちゃんと覚えてないけど、たぶん小学2年とか3年くらいだったのかな。
そういうことをちゃっかり感じるようになったのは。
この事ってでも、大人になってもとても重要なことだと思う。
残業の件もそうだし、あとは例えばレストランに入って、入り口で待たされるとき。
「どのくらい待ちますか?」と聞いて、「今入ってるお客様次第なので何とも言えません」と言われると、がっかりする。
そりゃ、トラブル防止のために「20分です」とか明確なことは言ってはいけないのかも知れないけど、
こっちとしては、まったく相場もわからないのだから、
「5組待ちなので1時間以上かかる可能性もあります」とか、
そういう判断材料というかヒントというか、が欲しい。
こんなこと、いちいちブログで書くことじゃないですね。
つい、長く語ってしまいました。
失礼しました。