週刊 新大土壌研

新潟大学農学部農学科 土壌学研究室の活動日記です 『週刊』を名乗っていますが、不定期に更新していきます

牧草地について

2011-05-20 | MN(野中)

新潟大学の過去の研究を既に紹介しましたが、まとめたものを添付します。

既にブログで、海外の事例も報告しましたが、牧草地の場合は土壌蓄積は少ないです。

放射能の放出が収まれば、牧草収穫後の影響は少ないと考えられます。

したがって、牧草を収穫して保管して、廃棄物処理施設に適切に管理する必要があります。

 


飯舘村農家から頂いたグラジオラス球根が芽を出しました。

2011-05-20 | MN(野中)

5月6日~7日にかけて福島県を調査した時、飯舘村農家Tさんから今年作付できないグラジオラス球根をたくさん頂きました。

8日に植え付けたら、芽が出始めました。

飯舘村農家の思いを大切に、花が咲くことを楽しみにしています。このブログで成長過程をお知らせします。

この農家は補償金の問題ではない、1日でも早く、土に触れて、農の営みを取り戻したいと話していました。

私たちはこの農家の声に対して、専門家の立場から応援したいと考えています。


森林のセシウム137

2011-05-19 | MN(野中)

 続きです。IAEA2006年のレポートを紹介します。

 上図は1992年から1997年までの森林表層土壌のセシウム137の挙動です。見てわかりますが、下層への移動はほとんどありません。

 従って、水で横に流れたか、林床植物やキノコ、山菜に吸収されたと考えられます。つまり、前のページのような注意が必要です。


森林のセシウム137の挙動

2011-05-19 | MN(野中)

文章で一部解説しましたが、森林におけるセシウム137の挙動を図で示しました。これはかつて核実験が行われていいた当時のデータです。

新潟大学を退官された横山先生のデータを公開しています。

森林では葉や枝、樹皮に沈着・吸収が多いようです。

これらが今後、土壌表面に落ちて、または雨の樹幹流を通してA0層に蓄積して、伏流水で系外に流れます。次のデータを参照。

お茶の木でも同じと思います。葉面吸収を考慮すると現在は土壌蓄積は少いですが、今後、樹幹流を通した土壌への移動を注意する必要があります。

人工キノコ栽培の場合、今年のホダ木はきちんと検査して使用する必要があります。昨年のホダ木はこれ以上汚染されないように防御しましょう。ハウスキノコ栽培は問題ないと思います。

飯舘村でもハウス土壌は全く問題ないレベルです。

菌類、山菜は特に吸収蓄積しやすいです。

福島の川魚から検出されましたが、今後、森林を集水域とする農業用水や飲料水はしっかりモニタリングする必要があります。

水田の侵入防止にはビオトープを推薦します。


土壌の性質が異なることによる植物への移行係数

2011-05-17 | MN(野中)

 この文献は土壌の肥沃性(陽イオン交換容量・有機物含量)が低い土壌はセシウムの植物への移行が大きいことを示しています。

 今後、広い範囲で汚染が広がった場合、少量のこったセシウム137が作物へ移行することを軽減するためには有機物や粘土資材でCECと高める事が有効です。

 また、私は畑作の場合、混作(目的とする作物以外の作物の混作)とカバークロップを進めています。稲作では水口にビオトープ設置がよいと思います。


放射能と地形  野中

2011-05-14 | MN(野中)

島県の地形分類図と今回の放射能汚染地を合わせると判り易く、今後の風向きにより汚染予想もできやすくなります。

 http://tochi.mlit.go.jp/tockok/tochimizu/F2/MAP/207001.jpg

 

 

http://tochi.mlit.go.jp/tockok/inspect/landclassification/land/20-1/07.html

 飯舘村は出口のないすり鉢状になっていることが良く判ります。

 村の中にも蛇状に低地があります。この地域が高くなっていると予想されます


これからの農業と食を考える② 野中

2011-05-14 | MN(野中)

飯舘村を記録した下記、本ぜひご覧ください。

「までいの力」こんな美しい村をなくしていいのか!(発行 株SAGA DESIGN SEEDS 福島市下鳥渡字扇田303024-597-6800 http://www.saga-d.co.jp/

 続きです。

 

4.東北の自然と土

 東北地方の太平洋沿岸は平地が少なく、山々が入り組んだ傾斜地が多く存在します。そのために水田や畑として利用する土地は少なく、江戸後期から利用可能な場所を農地として開墾を行ってきました。東北地方は北が恐山(青森県)から南は猫魔山(福島県)まで約16の火山があり、これら火山から噴出された火山灰が堆積してできた土が台地、丘陵地に点在しています。この土は酸性で養分も少なく、もともと作物が育ちにくい性質でした。一方、太平洋の海岸線における川沿いではその堆積物を母材とする水はけの悪い低地土(湿地)や潟も多く出来上がりました。

「火山灰土」でできた台地や丘陵地では主に牧草地や畑として、「沖積土」では主に水田として開墾が行われました。

また、この地域は数年間隔でオホーツク海高気圧の影響で夏に冷たい「やませ(偏東風)」が吹きやすく、冷害の多発地帯でした。特に、海岸から標高が低く続いている盆地ではこの「やませ」の通り道となっていました。写真集、偏東風(やませ)に吹かれた村(英伸三写真記録19761982、昭和58年)では食料の輸入自由化と冷害に苦しみながらたくましく生きる東北農民の姿が写されています。

福島県の飯舘村はこの「やませ」の通り道として、常に冷害に悩まされ、今年は放射能の通り道となってしまいました。

 

5.東北地方の農書と農業(有畜複合・多品目家族経営を中心として)

 江戸時代後期から東北地方の農地開発が盛んとなりました。農地開発は急峻な地形と肥沃性の低い土、水はけの悪い土と雪や低温の厳しい気候条件で大変苦労しましたが、そこから多くの優秀な技術が創られました。例えば、徳川時代に於ける東北農業の諸問題(庄司吉之助 昭和18)によると、冷害を克服するためにイネの品種改良、灌漑(暖かい水の利用)、排水、肥料(山の落ち葉・草や家畜糞尿の有機物の利用)、苗づくり(冷害に強い苗づくり)、農具の改良、農耕馬の改良等の工夫を毎年・毎年、延々とした努力を進めてきました。それは必然と家畜と人が共生する有畜複合家族経営を発展させました。また、明治後期の福島県の資料によるとイネの品種だけで約60種あり、早稲、中稲、晩稲と植える時期が異なる稲を地域ごとに分散して栽培する方法で冷害を軽減していました。稲作だけでなく、畑作(ダイズ)や民間気象技術も盛んとなりました。また、東北地方では「山が海を育てた」ことも見逃せません。

 更に、原発事故で全地域が計画避難となった飯舘村は「やませ」の通り道です。近年、昭和55年、平成5年、平成15年と3回冷害に会いましたがが、畜産(和牛)、野菜・花卉、水稲を組み合わせた多品目農業で乗り切り、多くの農家で20代~40代の後継者が育ちつつありました。

 東日本大震災の中、出版された本を紹介します。

「までいの力」こんな美しい村をなくしていいのか!(発行 株SAGA DESIGN SEEDS 福島市下鳥渡字扇田303024-597-6800 

 「までい」は昔から村で使われてきた方言で「までいに飯を食わねどバチがあたる」「子供のしつけはまでいにやれよ」「玄関はまでいに掃いておげよ」等に使われています。

6.土と食べ物の関わり「医食同源」と「食農同源」

「土」の中の生きものが病み、「土」が汚染されれば、当然「水」が汚染されます。これら、病み・汚染された「土」「水」から出来た作物や収穫物を餌として利用した家畜、そしそれらを食する人も結果として病むことになります。これを古来より「医食同源」と呼び、病気を予防して直すことも、食事をすることも命を保つためにその本質は同じという意味で使われてきました。

 「食農同源」(足立恭一郎2005)では農の「風景」と「風土」、「営み」と食の安全・安心の大切さを述べており、私たち「日本人」の食の選び方、食べ方が「日本」の食の質を決めると指摘しています。判り易く言うと、ご飯を食べながら「田んぼ」のオタマジャクシやトンボの生きる「風景」や農家が収穫する「営み」が自然と浮かんでくる。赤いトマト手に取り口に入れる時、ほっかぶりしながら収獲する農婦の姿を思い浮かべる。こんな食べ方、今、私たちに求められています。

その中で、独特の工夫で東北の自然と共生して、質を高めてきた東北の有機・自然農法を少し紹介します。

7.今、私たちにできること

 前述した飯舘村の本「までいの力」では「おいしい旬は農家が一番知っている」「孫にも、この味をしっかり伝えたい」「までいな料理はからだにいい」、そして、そのために「体を動かし大地を耕し、土の声を聞く。すると湧き出る元気の源。」、このあたり前のこと。これも「食農同源」です。

 このあたり前のこと。私たちは忘れていませんか?

この東北の人たちの思い、そして「生きている土」と「農の営み」を復活させるために従来にも増して、本来の農業を復活させるために、私たちが協働して、私たちの食べ方を変えることで、農家と私たちの「食農同源」を復活させましょう。

 

参考資料

舩城俊太郎(1997)「土からのラブレター」新潟日報事業社、4253

川端香男里(1990)「土」 東京大学出版会、328

英伸三(昭和58年)「偏東風(やませ)に吹かれた村」 家の光協会

庄司吉之助(昭和18年)農文協 ルーラル電子図書

足立恭一郎(2005)「食農同源」コモンズ