深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

心身・時空・曼荼羅図 第1部

2009-09-25 16:25:57 | 心身宇宙論
nanahoshi先生がご自身のブログで熱く書いていたのを見て、小田一著『気と気診』を読んでみた。

この『気と気診』、一度目は少し読むだけで物凄く疲れるわ、腹が減るわで、読み進むのが大変だった。二度目の今は、もう読んでも疲れることも腹が減ることもなくなったが、書いてあることはわかるような、わからないような感じで、頭の中はまだ茫洋としている。

ただ、その中で参考図書として挙げられている本の1冊が気になって、その本──湯浅泰雄(注)『身体論 東洋的身体論と現代』(講談社学術文庫刊)──を探してみたが近所の本屋には見つからず、ネットで買おうかと思ったが、本を買うかどうかは可能な限り現物を手に取ってみて決める性分なので、その前にまず図書館を当たることにした。そうしたら市立図書館が所蔵していたことがわかり、借りてきて読み始めたところだ。

(注)『気と気診』では湯浅康雄となっているが、誤り。

まだ、ほとんど進んでいないが、『身体論』の序説で、和辻哲郎がハイデガーの『存在と時間』を批判的にとらえていたことを書いている箇所が目にとまった。
和辻は一九二七年にドイツに留学し、ベルリン大学で学ぶ間、ヨーロッパの文化と風土に親しんだ。(中略)彼はのちに『風土』と題する本を著すが、これは、そのときの旅の印象に基づいている。彼がこの本を書いた一つの動機は、ベルリンでハイデガーの『存在と時間』をよんだことにあった。ハイデガーはこの著作で、彼のいう「現存在」(人間の個人的存在)の本質を時間性に求めているが、和辻の東洋的感受性にとっては、ハイデガーのいう「世界内存在」としての人間存在は大地に根を下ろしたものであって、風土的条件の中で空間的に形成され、具体化されているものであった。(中略)和辻はこのような観点に立って、ハイデガーの仕事が自然や身体の問題を無視していることを見たのであった。

この部分に目がとまったのは、その前に木村敏の『時間と自己』(中公新書刊)を読んでいたためだろう。精神病理学者である木村は、この本の中で、同じハイデガーを引き合いに出しながら、代表的な精神疾患の本質を時間論的に解き明かしていた。そのことを思い出して「そうか、精神科医の木村は時間に着目するのに対して、身体にこだわる和辻は空間の方を重視するのか…」などと考えていたら、心身と時空(=時空間)との間には

心-時
身-空

という対応関係が作れるのではないか、とふと思った。

すると今度は、諸星大二郎の『暗黒神話』(集英社刊)にあった、こんな言葉が頭に浮かんだ。
両界マンダラのうちの胎蔵界曼荼羅は空間構造を、金剛界曼荼羅は時間理論を、それぞれ神秘的な図像で表したものだ。

これはマンガの中のセリフだし、そもそもこのようなことを何に基づいて書いているのか、という疑問はあったが、もしそうだとすると、上の対応関係から言って胎蔵界曼荼羅は身体、金剛界曼荼羅は精神を表しているのではないか、という考えが浮かび、そうしたら夜中だというのに、いてもたってもいられなくなって、以前、小学館ウィークリーブックとして出ていた『週刊 日本の美を巡る』の中の『空海と曼荼羅宇宙』の巻を引っ張り出して調べ始めてしまった。

その『空海と曼荼羅宇宙』には、このように記述されている。
密教では、あらゆる事象と存在は、宇宙そのものである大日如来の変化身だと考える。両界曼荼羅をなす胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅は、それぞれ別のアプローチで大日如来=宇宙の働きを視覚化している。
仏教では、宇宙を構成している要素を地・火・風・水・空の「五大」と考える。密教ではこれに「識大(意識)」を加えて「六大」とする。
胎蔵界は宇宙を形作る「六大」のうち「五大」、つまり物質世界の理(ことわり)を説いたもので、理(り)曼荼羅と呼ばれる。
一方の金剛界は「識大」を説いていて、「五大」(客体)を認識する主体(智)から生じる曼荼羅であるために智(ち)曼荼羅と呼ばれる。

つまり、

心-時-金剛界
身-空-胎蔵界

という対応関係で考えると、『暗黒神話』に書かれていることは正しいのである。

しかし私は、ここで奇妙な事態に遭遇することになった。筋反射テスト(筋肉反応テスト)を使ってキネシオロジー的に曼荼羅を調べると、何度やっても胎蔵界が心-時、金剛界が身-空となってしまうのである。もちろん、スイッチングがあって正しい判断ができなくなっていたわけではない。

そこで今度は曼荼羅を別の角度から調べてみることにした。胎蔵界、金剛界とも曼荼羅は無数の仏たちによって構成されているので、その1つひとつの仏について調べてみたのだ。すると、確かに胎蔵界を構成している1つひとつの仏は身-空であり、金剛界を構成している1つひとつの仏は心-時だった。しかし、曼荼羅全体として見る限り胎蔵界が心-時、金剛界が身-空となる。つまり、曼荼羅はミクロなレベルとマクロなレベルで、その属性が反転するのだ

もっと言えば、ミクロなレベルでは身-空で構成される胎蔵界曼荼羅はマクロなレベルではそれ自体が心-時となり、それは金剛界曼荼羅の構成要素である。そして、ミクロなレベルでは心-時で構成される金剛界曼荼羅はマクロなレベルではそれ自体が身-空であり、それは胎蔵界曼荼羅の構成要素である。言い換えれば、胎蔵界と金剛界、二つの曼荼羅は互いが互いを包含し合っている、ということになる。

それは例えば、身体というものを突き詰めていけば、やがては精神に至り、精神というものを突きつけていけば、やがては身体に至る、ということを表しているようでもある。──決して終わることのない円環。

で、この話にはまだ続きがあるのだが、長くなったし書くのも疲れたので、続きはまた後日。

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2 コメント

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Unknown (ひろひろひろ)
2009-09-28 14:52:16
湯浅泰雄と聞いて、ユングと共時性あたりの話へいくのかな?と思っていたら、話は次々に飛んでいき、まるでジェットコースターに乗っているかのよう。
先生の博学ぶりには本当に驚かされます。
コースターの着地点がどこになるのか皆目見当がつきませんが、ワクワクしながら続きを楽しみに待っています。
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第2部upしました。 (sokyudo)
2009-09-29 14:03:46
>ひろひろひろさん
>コースターの着地点がどこになるのか皆目見当がつきませんが、ワクワクしながら続きを楽しみに待っています。

ありがとうございます。第2部、今upしました。期待に違わぬものとなったったかどうかは…うーん、どうでしょう?
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