深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

円環の理(ことわり)のその先へ

2013-11-05 13:38:46 | 趣味人的レビュー

2011年に東日本大震災を挟んで放送されたアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』については以前、「この10年のその先へ」というタイトルでブログに記事をアップした。

朝日新聞のインタビューで、『まど☆マギ』の脚本の共同執筆者の1人、虚淵玄(うろぶち げん)は、この作品の背景に9・11同時多発テロ以後の世界の様相があったことを述べている。その放送が3・11東日本大震災のあった時期と重なっていたのは、もちろん偶然に過ぎないが、それによって『まど☆マギ』は、9・11と3・11という2点を結び、その先にある新しい「希望の在処」──TV版の最後に、鹿目(かなめ)まどかは自らがこの世界の円環の理になることを選択する──を示す、記念碑的作品になった。


その『まど☆マギ』が劇場版として、TV版のリメイクである前編「始まりの物語」と後編「永遠の物語」を経て、続編となる新編「叛逆の物語」で、それまでと全く違う姿を見せる。


まずは予告編(90秒バージョン)を見てもらおうか。


TV版は4人の共同執筆だったが、今回は「ハッピーエンドの書けない作家」虚淵玄が1人で脚本を担当しているわけだから、平穏な話で済むはずがない。特に後半はクライマックスの連続で、あまりにも次々にクライマックスが起こるので一体どれが本当のクライマックスかわからなくなるほどだ。そして、その中でTV版で完成されたはずの世界が次々に覆えされ、反転していく。


その虚淵玄は、万能の願望機〈聖杯〉を奪い合う戦い「第4次聖杯戦争」を描いた『Fate/Zero』の中で、実はその〈聖杯〉とはアンリ・マユ(この世すべての悪)であると述べている。

祈りや願望は、それが純粋で私心のないものであれば「善」である、と我々は単純に考えてしまうが、どんな祈りや願望も、それを成就させるためにはそれ以外のあらゆるものを切り捨て潰してしまわなければなければならないという意味で、それは決して全てのものにとっての単純な「善」などにはならない。それゆえ、願望機は必然的にアンリ・マユにしかなり得ない──それが虚淵玄の導き出した答だった。

「叛逆の物語」には〈聖杯〉こそ出てこないが、我々が「至高のもの」「善」と考えているものは必然的にアンリ・マユでもある、ということを描いた点で、『Fate/Zero』と同じ流れの中にある作品と見ることができるだろう。


映画を見終わって思うのは、TV版のラストはこれ以上は望みようもない完全なものだったが、そこから始まる「叛逆の物語」はTV版とは違った意味で、だが同じくらい完全な形で完結していた、と。

そう、この「叛逆の物語」が描こうとしているのは、円環の理という完成された世界のその先にある、世界のもう1つの「よりあり得べき完全な姿」だ。完全なはずのものの果てにある、もう1つの完全──それに気づいた時、この「叛逆の物語」の真の物語構造が明らかになる。誰が誰に叛逆するのか、ということも含めて。

陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず──これが「叛逆の物語」を読み解く1つの鍵だ。そして、これもまた1つの円環の理に他ならない。

──そうか、円環の理の先にあるのは、やはり円環の理なのだな。だからTV版が新しい始まりを描いて終わったように、「叛逆の物語」もまた来たるべきものの始まりを告げて終わるのだ。


この「叛逆の物語」の公開が、アベノミクスによる効果や東京オリンピックの招致成功などミニ・バブルへの期待とともに明るい兆しが見え始めた時期と重なったことは、もちろん偶然に過ぎない。だがTV版がそうであったように、この劇場版も、この偶然には何らかの意味があるように私には思えてならない。このブログにも過去に何度か書いてきたように、「優れたアーティストは、また優れた予言者である」というのが私の持論だから。

TV版が予見したものが絶望の先にある「希望の在処」だったとするなら、「叛逆の物語」が予見するものとは何か──それは、あなたが映画を見た後に自分で見つけ出さなければならない。


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4 コメント

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観てきました (そうた)
2013-11-08 18:13:06
完全にまっさらな状態で観たかったので、観終えてから先生のレビューを読みました。
こりゃどエラい作品になりましたね(笑)
ラストのひっくり返しがなくても十分涙ながらの拍手でしたが、いやー深い深い。。
昨今大量生産されたセカイ系なるジャンルがやっとここで完成に至ったと思いました。
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観ましたか (sokyudo)
2013-11-09 15:41:36
>そうたさん

そうですか。劇場版『まど☆マギ』観てきましたか。
TV版でちゃんと綺麗に完結していた話を、まさかここまでするか~!!という感じだったでしょ。
虚淵玄、最近では一部で「実は物語作家としては大したことねえんじゃね」とも言われてるようですが、少なくともこの『まど☆マギ』に関してはマジ、パねえ人です。
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Unknown (そうた)
2013-11-09 20:43:39
本当にそう思います!
総集編である上下が終わった後女の子グループが
「綺麗に終わってるのに続きってどういうこと!?私のまどマギを汚さないで~!」とヲタク女子らしい悲鳴をあげていて微笑ましかったですが、その女の子も今頃納得の笑みと涙を浮かべた事と思いますw
とにかく観る人全てを畳み込む力を持った作品ですね。
虚淵玄、そんな評判が立ってるんですね!
fate/zero psychopass まどマギしか観てないですが少なくともどれもキレキレな脚本だと思います(psycho~に至っては僕的にアニメとしての演出が中途半端には感じましたが)
まだ観てないですが翠星のガルガンティアが楽しみです。
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力業ですね (sokyudo)
2013-11-10 10:05:25
>そうたさん
>とにかく観る人全てを畳み込む力を持った作品ですね。

まさに、力業ですね。虚淵玄は「叛逆」について雑誌のインタビューで、「ストーリーは消去法で決めた」と言ってましたが、まさに「これしかない」物語でした。

『Psycho-pass』の方は破綻なく物語を収めるために、「どこかで見たような話」になってしまってましたね。ただTVと映画で続編やるらしいですよ。

私は高畑勲の『かぐや姫』が妙に気になります。ジブリは宮崎アニメの方は体が受け付けなくなってしまったんですが、高畑さんの作品は観られそうです。
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