【1980年】(1囘生)
葬式
大學交響樂團定期
金曜日。
25日に亡くなつた父の、前日が通夜で、この日が告別式。
禮服など持つてゐないので、誰かに借りたのだと思ふが覺えてゐない。
喪主は父の弟だつたと思ふが、私は父の遺影を持たされた。
私は儀式といふのが苦手で正直なところ退屈だつたのだが、欠伸を噛み殺してゐる表情が父を無くして涙を堪へる健氣な19歳に見えたらしい。
齋場へ行つてから、何人かに譽められた。
さういへば、骨を拾つたのは、この時が初めてだつた。
少し前まで人間の姿をしてゐたのに、こんなモノになるといふのが、頭では解つてゐても不思議な感じがした。
これが死ぬといふことなんだと思つた。
【1981年】(2囘生)
DP小寺缺席
「加田伶太郎全集」
塾
土曜日。
ドイツ語初級を缺席。
餘裕かましてゐるやうだが、大丈夫なのか?
いまの私のはうが心配になつてしまふ。
加田伶太郎といふのは、福永武彦 が探偵小説(推理小説)を書く時のペンネーム。
加田伶太郎(KADAREITARO)は、「誰だろうか(タレダローカ)」(TAREDAROKA)のアナグラム。
福永武彦の名作とは較べるべくもないが、それなりに面白かつた。
【1982年】(3囘生)
麻雀 +¥300
日曜日。
麻雀をして勝つたらしい。
じつは麻雀の記述が思つてゐたより少ないのに驚いてゐる。
たぶん、手帳に書いてゐないのがかなりあるのではないかと思ふ。
【1983年】(4囘生)
英語6月分振込
月曜日。
1981年6月5日に加入した「コスモ・システム」といふ英會話教材&英會話サロンの代金。
確か24囘拂ひで、月額¥20,000ほどだつたと思ふ。
もしかすると、この支拂ひが最後だつたのかもしれない。
葬式
金曜日。
25日に亡くなつた父の、前日が通夜で、この日が告別式。
禮服など持つてゐないので、誰かに借りたのだと思ふが覺えてゐない。
喪主は父の弟だつたと思ふが、私は父の遺影を持たされた。
私は儀式といふのが苦手で正直なところ退屈だつたのだが、欠伸を噛み殺してゐる表情が父を無くして涙を堪へる健氣な19歳に見えたらしい。
齋場へ行つてから、何人かに譽められた。
さういへば、骨を拾つたのは、この時が初めてだつた。
少し前まで人間の姿をしてゐたのに、こんなモノになるといふのが、頭では解つてゐても不思議な感じがした。
これが死ぬといふことなんだと思つた。
【1981年】(2囘生)
DP小寺缺席
「加田伶太郎全集」
塾
土曜日。
ドイツ語初級を缺席。
餘裕かましてゐるやうだが、大丈夫なのか?
いまの私のはうが心配になつてしまふ。
加田伶太郎といふのは、福永武彦 が探偵小説(推理小説)を書く時のペンネーム。
加田伶太郎(KADAREITARO)は、「誰だろうか(タレダローカ)」(TAREDAROKA)のアナグラム。
福永武彦の名作とは較べるべくもないが、それなりに面白かつた。
加田伶太郎全集 (新潮文庫) | |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |
【1982年】(3囘生)
麻雀 +¥300
日曜日。
麻雀をして勝つたらしい。
じつは麻雀の記述が思つてゐたより少ないのに驚いてゐる。
たぶん、手帳に書いてゐないのがかなりあるのではないかと思ふ。
【1983年】(4囘生)
英語6月分振込
月曜日。
1981年6月5日に加入した「コスモ・システム」といふ英會話教材&英會話サロンの代金。
確か24囘拂ひで、月額¥20,000ほどだつたと思ふ。
もしかすると、この支拂ひが最後だつたのかもしれない。
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