「クライマーズ・ハイ」 横山秀夫
お薦め度:特選☆☆☆☆☆ /
2007年3月3日讀了
「ランナーズ・ハイ」といふ言葉は聞いたことがあつた。
確か、走つてゐるうちに氣持ちがよくなつてくる状態のことだつたと思ふ。
しかし、「クライマーズ・ハイ」といふ言葉は聞いたことがなかつた。
私はかつて山登りをしてゐたが、登つてゐる時は苦しいばかりで、氣持ちのよい氣分になんぞなつたことがない。
もちろん頂上に登り着いて、大パノラマを滿喫してゐるときは氣分が良い。
しかし、それは「クライマーズ・ハイ」といふ言葉の意味することとは違ふだらう。
そんな疑問を持ちつつこの作品を讀んだ。
おそらく、山登りをする人間の物語なのだらうと思ひつつ。
確かに主人公は山登りをする。
作品の冒頭は、いきなり土合驛の階段の描寫から始まる。
土合驛の下りホームは地下にあり、地上の改札口までは486段ある階段を登ることになる。
私も30年ほど前に經驗し、上越國境の山はホームから始まるといふことを思ひ知らされたものだ。
懷かしく讀みすすめてゆくと、主人公たちは谷川岳に登らうとしてゐることがわかる。
それも名にし負ふ「衝立岩」だ。
しかも57歳!
これだけで、すでに信じられない思ひがする。
ベテラン・クライマーが過去の榮光を懷かしみ、最後の引退クライミングでもするのかと思つた。
しかし、この作品はさう單純な物語ではなかつた。
物語は、「衝立岩」アタックといふ「現在」と日航ジャンボ機墜落事件といふ「17年前」とが交互に描かれてゆく。
主人公の悠木は「北關東新聞」の遊軍記者だつたが、この日航機墜落事件の全權デスクに任命され、報道の全責任を擔ふことになる。
新聞社とはいつても、そこはひとつの企業組織だ。
報道する姿勢と企業組織の利益とは必ずしも一致しない。
悠木は組織の軋轢や、企業としての新聞社の利益と報道とはかくあるべきといふみずからの信念との葛藤に苛まれる。
なぜ、17年後、悠木は「衝立岩」に登るのか。
じつは、日航機墜落事故が起こつたその晩に、同僚の安西と「衝立岩」に登ることになつてゐたのだ。
事件發生により、安西との約束をすつぽかしてしまふことになつた悠木であつたが、安西も同じ晩に發作で倒れて亡くなつてゐた。
二人の約束が、期せずして二人とも果たせなかつたのだ。
安西は悠木の「なぜ山に登るのか」といふ問ひに、「下りるために登るんさ」と答へてゐた。
この謎めいた安西の答への意味がわかるのは、悠木が安西の息子と「衝立岩」を登つてゐる最中、つまり17年後のことだつた。
「クライマーズ・ハイ」とは、作中で安西が悠木に説明してゐる。
「興奮状態が極限にまで達しちやつてさ、恐怖感とかがマヒしちやうんだ」
この言葉、岩をやつてゐる最中のこころのありやうを説明してゐると同時に、日航機墜落事故といふ空前絶後の事件報道に關はつた者すべてにあてはまる言葉だつたのかもしれない。
仕事に追はれて息子・淳とのコミュニケーションがとれなかつた悠木。
そんな悠木が不器用ながらコミュニケーションを取らうとした手段が山登りだつた。
淳と安西の息子・燐太郎を連れて山に登る悠木。
そして燐太郎は地元山岳會でも名の通つた有望なクライマーに成長した。
17年後、3人で「衝立岩」に登らうとしたのだが、淳とは聯絡が取れず、悠木と燐太郎の二人で「衝立岩」に登ることになつた。
私の一番好きなシーンは、悠木が大きなオーバーハングを越えられずに苦勞してゐる場面。
アブミの最上段に足をのせて、手を思ひきり伸ばしてもハーケンに手が屆かない。
「一番近いハーケンでも俺には遠すぎるんだ」と悠木。
すると燐太郎が云ふのだ。
「屆くはずです。だつて-」「そのハーケン、淳君が打ち込んだんですから」
父と息子。
高齡の父を案じて、下見に登つて來て、困難なところにあらかじめハーケンを打ち足しておく息子。
息子は父が思つてゐるより成長してゐるものなのだ。
このシーンで、不覺にも涙がこみ上げてきてしまつた。
この作品には、考へさせられることが、ぎつしりと詰つてゐる。
もう少し時間をおいてから、また讀み返したい、そんな作品だ。
お薦め度:特選☆☆☆☆☆ /
2007年3月3日讀了
「ランナーズ・ハイ」といふ言葉は聞いたことがあつた。
確か、走つてゐるうちに氣持ちがよくなつてくる状態のことだつたと思ふ。
しかし、「クライマーズ・ハイ」といふ言葉は聞いたことがなかつた。
私はかつて山登りをしてゐたが、登つてゐる時は苦しいばかりで、氣持ちのよい氣分になんぞなつたことがない。
もちろん頂上に登り着いて、大パノラマを滿喫してゐるときは氣分が良い。
しかし、それは「クライマーズ・ハイ」といふ言葉の意味することとは違ふだらう。
そんな疑問を持ちつつこの作品を讀んだ。
おそらく、山登りをする人間の物語なのだらうと思ひつつ。
確かに主人公は山登りをする。
作品の冒頭は、いきなり土合驛の階段の描寫から始まる。
土合驛の下りホームは地下にあり、地上の改札口までは486段ある階段を登ることになる。
私も30年ほど前に經驗し、上越國境の山はホームから始まるといふことを思ひ知らされたものだ。
懷かしく讀みすすめてゆくと、主人公たちは谷川岳に登らうとしてゐることがわかる。
それも名にし負ふ「衝立岩」だ。
しかも57歳!
これだけで、すでに信じられない思ひがする。
ベテラン・クライマーが過去の榮光を懷かしみ、最後の引退クライミングでもするのかと思つた。
しかし、この作品はさう單純な物語ではなかつた。
物語は、「衝立岩」アタックといふ「現在」と日航ジャンボ機墜落事件といふ「17年前」とが交互に描かれてゆく。
主人公の悠木は「北關東新聞」の遊軍記者だつたが、この日航機墜落事件の全權デスクに任命され、報道の全責任を擔ふことになる。
新聞社とはいつても、そこはひとつの企業組織だ。
報道する姿勢と企業組織の利益とは必ずしも一致しない。
悠木は組織の軋轢や、企業としての新聞社の利益と報道とはかくあるべきといふみずからの信念との葛藤に苛まれる。
なぜ、17年後、悠木は「衝立岩」に登るのか。
じつは、日航機墜落事故が起こつたその晩に、同僚の安西と「衝立岩」に登ることになつてゐたのだ。
事件發生により、安西との約束をすつぽかしてしまふことになつた悠木であつたが、安西も同じ晩に發作で倒れて亡くなつてゐた。
二人の約束が、期せずして二人とも果たせなかつたのだ。
安西は悠木の「なぜ山に登るのか」といふ問ひに、「下りるために登るんさ」と答へてゐた。
この謎めいた安西の答への意味がわかるのは、悠木が安西の息子と「衝立岩」を登つてゐる最中、つまり17年後のことだつた。
「クライマーズ・ハイ」とは、作中で安西が悠木に説明してゐる。
「興奮状態が極限にまで達しちやつてさ、恐怖感とかがマヒしちやうんだ」
この言葉、岩をやつてゐる最中のこころのありやうを説明してゐると同時に、日航機墜落事故といふ空前絶後の事件報道に關はつた者すべてにあてはまる言葉だつたのかもしれない。
仕事に追はれて息子・淳とのコミュニケーションがとれなかつた悠木。
そんな悠木が不器用ながらコミュニケーションを取らうとした手段が山登りだつた。
淳と安西の息子・燐太郎を連れて山に登る悠木。
そして燐太郎は地元山岳會でも名の通つた有望なクライマーに成長した。
17年後、3人で「衝立岩」に登らうとしたのだが、淳とは聯絡が取れず、悠木と燐太郎の二人で「衝立岩」に登ることになつた。
私の一番好きなシーンは、悠木が大きなオーバーハングを越えられずに苦勞してゐる場面。
アブミの最上段に足をのせて、手を思ひきり伸ばしてもハーケンに手が屆かない。
「一番近いハーケンでも俺には遠すぎるんだ」と悠木。
すると燐太郎が云ふのだ。
「屆くはずです。だつて-」「そのハーケン、淳君が打ち込んだんですから」
父と息子。
高齡の父を案じて、下見に登つて來て、困難なところにあらかじめハーケンを打ち足しておく息子。
息子は父が思つてゐるより成長してゐるものなのだ。
このシーンで、不覺にも涙がこみ上げてきてしまつた。
この作品には、考へさせられることが、ぎつしりと詰つてゐる。
もう少し時間をおいてから、また讀み返したい、そんな作品だ。
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