仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 5月24日 (82年:免停講習、83年:飮み會)

2011-05-24 00:52:52 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

自主休講
暑い日であつた
家庭教師


土曜日。
1コマ目:哲學(磯江)
2コマ目:DP(西本)
2コマ目のドイツ語初級は必修講座なので、本來なら自主休講などもつての外なのだが・・・
暑い日だつたさうだから、出かけたくなかつた?

とはいへ、家庭教師には出かけなくてはならない。
私が來るのを待つてゐる生徒がゐる。




【1981年】(2囘生)


モギの下宿で夕食 ヒサヨ孃料理
心理レポート スダ孃にTel(22:00)
オクツさんよりTel(22:00)


日曜日。
モギは高校の同級生で、豫備校、大學、就職先と一緒だつた友人。
ヒサヨ孃は前年10月に、嵐山でモギが聲をかけた女子大生で、現在はモギの奧さん。
彼の下宿でヒサヨさんの手料理を食べたらしい。

心理學のレポートがあつたやうだ。
翌日の月曜日に心理學實驗があつたので、たぶんその宿題だらう。
スダ孃はL1クラスで一番の美人。
コンパになると男どもは彼女の近くに群る。
私がスダ孃に電話をしたのは、おそらくレポートのことで訊きたいことがあつたのだらう。
しかし、それならタカイとか心理學專攻豫定の男にでも訊けば良ささうなものだ。

オクツさんはL1クラスの同級生。
女の子の範疇に入れるには勇氣がゐるやうな女傑。
彼女からなぜ電話がかかつて來たのかよくわからない。
2日前の「在日朝鮮人問題學習會」の件に關はり合ひがありさうだ。
この電話で3日後に會ふことになつたらしい。




【1982年】(3囘生)

免停講習


月曜日。
2日間にわたる免停講習の初日。
3月18日に、大津市で「通行區分違反」の名目で捕まつた
罰金は4月2日に大津簡裁に出向いて支拂つてゐるが 、免停講習は違反後2ヵ月以上經つたこんな時期。
ちなみにこの時は60日免停で、2日間の講習を受けることで30日間の免停となる。
30日免停の場合は講習を受けると1日だけの免停になるが、60日免停ともなるとさういふわけにはいかないらしい。
講習受講料は30日免停が¥3,000のところ、60日免停だと¥5,000。
1日で¥3,000のところを2日で¥5,000だから、60日免停のはうが割安だ。




【1983年】(4囘生)

16:00 京阪三條驛 富雄へ
ワインリバーで酒(with カワムラ・モギ)
ホロヴィッツ來日決定
 

火曜日。
當時、私はカワムラとモギとともに枚方で塾をしてゐた。
「してゐた」といふ表現は微妙なのだが、單に講師として生徒を教へてゐただけではなく、塾の運營そのものにも踏込んでゐた。
その塾は、富雄にある塾の子會社ならぬ子塾のやうなものだつたので、富雄の本部で打ち合せをすることも少なからずあつた。
おそらくこの日はさうした富雄での打ち合せの日だつたのだらう。
富雄からの歸り、河原町通り附近のワインリバーで3人で酒を飮んだ。

ホロヴィッツ といふのは20世紀を代表するピアニストの一人で、さういふピアニストのうち存命してゐるなかでは唯一來日してゐなかつた。
そのホロヴィッツが突然來日すると云ひだしたのだから、日本のクラシック愛好家たちは狂喜亂舞した。
この日、來日が決定し、コンサートは6月11日と16日。
その間、わづか18日!
S席5萬圓(平均4萬圓)といふ超高額なチケットであるにも關はらず、即日完賣だつたらしい。
當時の貨幣價値を新卒初任給から推定すると、現在のほぼ2倍。
つまり、いまなら10萬圓もするわけだ。
大所帶のオペラの引越公演ならいざしらず、たつた一人のピアニストでこの金額は考へられない。
ちなみに、私は翌年、リヒテルのコンサートを聽きに行つたが、S席で1萬5千円前後だつた。
ピアニストとしての價値もさることながら、初來日であることや、高齡なのでこれを逃したらもう永遠に聽けないかもしれない、と云つた要因も大きかつたのだらう。






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