仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 1月8日

2012-01-08 00:01:00 | 昔の手帳から
【1981年】(1囘生)

15:30 船橋驛改札 クボ
好青年風 (女好きのするカンジ)

木曜日。

クボは小學校、中學校の同級生。
中學を卒業すると同時に私は引つ越したので、彼と會ふのはそれ以來、おほむね5年振り。
15歳から20歳の5年は、少年を青年にする。
かはいらしいイメージだつた彼が、大人になつてゐたのに驚いた。
ここには書けないやうな自慢話を聞いたので、「女好きのするカンジ」などといふコメントを殘したのだらう。




【1982年】(2囘生)

體育 講義開始
歸京 2:30~9:00 (for 6.5 hour!)

金曜日。

體育の講義(實技)が始まつた。
出席さへしてゐれば單位が貰へるものなのだが、前年私は單位を落してゐる。
この年に取つておかないと3囘生になつても1囘生に混つて跳んだり跳ねたりしなくてはならなくなつてしまふ。
それだけは避けたい。
といふわけで、出席出來るやうに、眞夜中に千葉を出發した。
千葉から京都の岩倉まで、單車を飛ばして6時間半。
途中で何囘か休憩を入れてゐる筈だから、それを考慮に入れると、かなりのスピードを出してゐる。
車ならともかく、單車で、しかも眞冬の寒空のもと、それも夜中に・・・
いまの私には到底できない藝當だ。




【1983年】(3囘生)

講義開始

土曜日。

と云つても、まだ千葉にゐる。
土曜日は講義を登録してゐなかつたのかもしれない。




【1984年】(4囘生)

歸洛

日曜日。

1月3日から1月7日まで、南アルプスの甲斐駒&仙丈に登つてゐた。
つまり、この日の前日の夜、山から降りて歸つて來たわけだ。
その翌日にすぐに京都に戻つてゐる。
どうしてそんなに急いで歸つたのか不思議に思ひ手帳を調べてみたが、翌日は空白。
10日に試驗がひとつあつたが、いまさらジタバタしても始まらないし、私がジタバタしたとは思へない。
何もそんなに急いで歸らなくてもいいのに、と思ふ。






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