9時過ぎ、再就職支援會社のコンサルタントから連絡が入つた。
「S社から、私どものはうに内定連絡の電話がありました。おめでたうございます!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先週23日に某法人Kから内定を頂いたものの、3月はタダ働きをせよとの話に愕然。
こんな組織に所屬したくないと思ふやうになつてしまつた。
翌日にS社の面接が入つてゐたので、これは何としてもS社から内定を貰はなくてはと氣持ちを新たにした。
24日14時から、S社の面接。
自宅からの所要時間は1時間10分あまり。
これなら毎日通勤するのも、さほど苦にならないだらう。
面接官は3人。
50代後半の總務部長らしき人と、同じく50代後半の業務本部長と、あとは40歳ほどの少し若い人がひとり。
質問は主に業務本部長がして、時折、若い人に質問を振る。
この40歳ほどの人もそれなりの役職者なのかもしれない。
私のキャリア、S社で貢獻できさうなことなど、私からひと通りお話し、あとは質問に答へる。
彼らが氣にしてゐたのは、私がこれまでに中小企業に勤務した經驗がないこと。
「これまでの會社とかなりレベルが違ふのですが、そのあたりは大丈夫でせうか?」
この質問にはいろいろな要素が想定されたので、ひとつづつ、思ひつく要素について順番に答へた。
事業内容、トップダウンの指揮系統を含む企業風土、想定年收、その他。
なかでも、企業風土については柔軟に適應できることを強調しておいた。
年收については、前職の約半分になつてしまふのだが、もちろんそれは口に出さず、恩社におまかせすると云ひ切つた。
その所爲か、その後は質問といふよりはむしろ先方から事業内容や現在の課題などについて説明してくれるやうになつた。
最後の質問は、他に面接を受けてゐる企業があるかといふものだつたので、正直にきのふ某法人から内定を貰つてゐる旨を答へた。
それに對しては、年收はいくらほどか、もしこちらが内定したらどうするかを訊ねられた。
年收については私の想定してゐる最低年收より少し低いこと、こちらから内定を頂いたら某法人はお斷りする旨を答へた。
ただ、先方からは意思決定を迫られてゐるので、出來るだけ早く結果を出して頂ければ幸ひだとつけ加へておいた。
これまでの經驗から云つて、この面接はかなり感觸の良いものだつた。
土日を挾んだ27日の9時過ぎ、再就職支援會社ではなく、直接S社の總務部長から電話があつた。
次囘の面接は、翌28日の13時半。
これが最終面接だといふ。
私がお願ひしたからか、じつにスピーディな對應だ。
これはいい傾向だと思つた。
再就職支援會社のコンサルタントに電話し、S社から次囘の案内があつたことを連絡。
ついでに某法人Kから3月にタダ働きして欲しいといふ話があり、そちらにいく氣が失せたことを傳へた。
コンサルタントは、いま内定辭退するのはもつたいないといふ意見だつたので、S社の結果が出るまでは引つ張つておかうといふことにして電話を切つた。
ところが、この後、今度はコンサルタントのはうから電話があり、社内のK擔當營業からクレームがついたので、斷るのかどうか態度をはつきりして欲しいとのこと。
確かに先方としては困るだらうし、それは採用をやつて來た經驗からもよく理解できる。
結局、K擔當營業から現状をありのまま先方に報告して貰ふことになつた。
あとは先方任せで、Kが内定を取り消すなら、それはそれで仕方がない。
28日13時半、S社の最終面接。
面接官は今度も3人。
總務部長と管理本部長は前囘と一緒だが、あと1人は60を幾つか越えてゐさうな人。
今囘の主役はこの60歳ほどの人らしい。
最終面接だといふし、HPの寫眞にも似てゐるので、てつきりこの人が社長なのだらうと思つてゐたのだが、最後にさうではなかつたことがわかつた。
この人は私の經歴は經歴書を讀んだからもういいと云ひ、業務本部長が前囘同樣「これまでの會社とのレベル差」について質問した。
もしかすると、前囘この質問をしたのは、今囘この人に聞かせるためにあらかじめ準備させてくれたのかもしれない。
この人は、目を細めて少しふてぶてしい感じで私の話を聞いてゐたが、業務本部長から質問を促されると「企業風土の違ひに適應できるか」といふ點を言葉を變へて質問してきた。
やはり、その點が不安らしい。
私はとても日本的な企業から外資系に轉職した時の經驗を踏まへ、企業風土の違ひへの對應を具體的な例をあげて説明した。
その答へに納得したのか、彼はその「とても日本的な企業」に關する雜談を始めた。
その企業の親會社の前身が何といふ企業であるかまでご存じだつたのには驚かされた。
その後、業務本部長から、年收については前囘の話(私の最低希望年收)で良いですねと念を押される。
ここで慾を出しては元も子もないので、ふたたび、お任せしますと答へた。
面接の最後に、いつ結果が出るかを訊ねたところ、社長が出張中で稟議が通るまでに少し時間がかかるとのこと。
だいたいどれくらゐなのかと食ひ下がつたら、早ければ3月2日(金)、おそらく3月5日(月)には連絡出來るだらうと。
今囘も前囘同樣、かなりいい感觸だつたので、これなら大丈夫かもしれないなと思つた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、本日9時過ぎに再就職支援會社からS社内定の連絡を貰つた。
早速、S社にお禮の電話をした。
總務部長曰く、「あ、ずゐぶん早いですね」。
かういふことはとにかく早いに限る。
事務手續きや社長との面談など、來週には連絡するとのこと。
入社日は3月21日付か4月1日付。
これも先方の都合にお任せする。
2年半に及ぶ浪人生活に、これでやつとピリオドをうてるかもしれない。
「S社から、私どものはうに内定連絡の電話がありました。おめでたうございます!」
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先週23日に某法人Kから内定を頂いたものの、3月はタダ働きをせよとの話に愕然。
こんな組織に所屬したくないと思ふやうになつてしまつた。
翌日にS社の面接が入つてゐたので、これは何としてもS社から内定を貰はなくてはと氣持ちを新たにした。
24日14時から、S社の面接。
自宅からの所要時間は1時間10分あまり。
これなら毎日通勤するのも、さほど苦にならないだらう。
面接官は3人。
50代後半の總務部長らしき人と、同じく50代後半の業務本部長と、あとは40歳ほどの少し若い人がひとり。
質問は主に業務本部長がして、時折、若い人に質問を振る。
この40歳ほどの人もそれなりの役職者なのかもしれない。
私のキャリア、S社で貢獻できさうなことなど、私からひと通りお話し、あとは質問に答へる。
彼らが氣にしてゐたのは、私がこれまでに中小企業に勤務した經驗がないこと。
「これまでの會社とかなりレベルが違ふのですが、そのあたりは大丈夫でせうか?」
この質問にはいろいろな要素が想定されたので、ひとつづつ、思ひつく要素について順番に答へた。
事業内容、トップダウンの指揮系統を含む企業風土、想定年收、その他。
なかでも、企業風土については柔軟に適應できることを強調しておいた。
年收については、前職の約半分になつてしまふのだが、もちろんそれは口に出さず、恩社におまかせすると云ひ切つた。
その所爲か、その後は質問といふよりはむしろ先方から事業内容や現在の課題などについて説明してくれるやうになつた。
最後の質問は、他に面接を受けてゐる企業があるかといふものだつたので、正直にきのふ某法人から内定を貰つてゐる旨を答へた。
それに對しては、年收はいくらほどか、もしこちらが内定したらどうするかを訊ねられた。
年收については私の想定してゐる最低年收より少し低いこと、こちらから内定を頂いたら某法人はお斷りする旨を答へた。
ただ、先方からは意思決定を迫られてゐるので、出來るだけ早く結果を出して頂ければ幸ひだとつけ加へておいた。
これまでの經驗から云つて、この面接はかなり感觸の良いものだつた。
土日を挾んだ27日の9時過ぎ、再就職支援會社ではなく、直接S社の總務部長から電話があつた。
次囘の面接は、翌28日の13時半。
これが最終面接だといふ。
私がお願ひしたからか、じつにスピーディな對應だ。
これはいい傾向だと思つた。
再就職支援會社のコンサルタントに電話し、S社から次囘の案内があつたことを連絡。
ついでに某法人Kから3月にタダ働きして欲しいといふ話があり、そちらにいく氣が失せたことを傳へた。
コンサルタントは、いま内定辭退するのはもつたいないといふ意見だつたので、S社の結果が出るまでは引つ張つておかうといふことにして電話を切つた。
ところが、この後、今度はコンサルタントのはうから電話があり、社内のK擔當營業からクレームがついたので、斷るのかどうか態度をはつきりして欲しいとのこと。
確かに先方としては困るだらうし、それは採用をやつて來た經驗からもよく理解できる。
結局、K擔當營業から現状をありのまま先方に報告して貰ふことになつた。
あとは先方任せで、Kが内定を取り消すなら、それはそれで仕方がない。
28日13時半、S社の最終面接。
面接官は今度も3人。
總務部長と管理本部長は前囘と一緒だが、あと1人は60を幾つか越えてゐさうな人。
今囘の主役はこの60歳ほどの人らしい。
最終面接だといふし、HPの寫眞にも似てゐるので、てつきりこの人が社長なのだらうと思つてゐたのだが、最後にさうではなかつたことがわかつた。
この人は私の經歴は經歴書を讀んだからもういいと云ひ、業務本部長が前囘同樣「これまでの會社とのレベル差」について質問した。
もしかすると、前囘この質問をしたのは、今囘この人に聞かせるためにあらかじめ準備させてくれたのかもしれない。
この人は、目を細めて少しふてぶてしい感じで私の話を聞いてゐたが、業務本部長から質問を促されると「企業風土の違ひに適應できるか」といふ點を言葉を變へて質問してきた。
やはり、その點が不安らしい。
私はとても日本的な企業から外資系に轉職した時の經驗を踏まへ、企業風土の違ひへの對應を具體的な例をあげて説明した。
その答へに納得したのか、彼はその「とても日本的な企業」に關する雜談を始めた。
その企業の親會社の前身が何といふ企業であるかまでご存じだつたのには驚かされた。
その後、業務本部長から、年收については前囘の話(私の最低希望年收)で良いですねと念を押される。
ここで慾を出しては元も子もないので、ふたたび、お任せしますと答へた。
面接の最後に、いつ結果が出るかを訊ねたところ、社長が出張中で稟議が通るまでに少し時間がかかるとのこと。
だいたいどれくらゐなのかと食ひ下がつたら、早ければ3月2日(金)、おそらく3月5日(月)には連絡出來るだらうと。
今囘も前囘同樣、かなりいい感觸だつたので、これなら大丈夫かもしれないなと思つた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、本日9時過ぎに再就職支援會社からS社内定の連絡を貰つた。
早速、S社にお禮の電話をした。
總務部長曰く、「あ、ずゐぶん早いですね」。
かういふことはとにかく早いに限る。
事務手續きや社長との面談など、來週には連絡するとのこと。
入社日は3月21日付か4月1日付。
これも先方の都合にお任せする。
2年半に及ぶ浪人生活に、これでやつとピリオドをうてるかもしれない。
はっきりしたら、またこのブログで報告されますね。その時は、あらためて、おめでとうございます。といいます。
今度のところは、今のところタダ働きの話も出てませんので、たぶん大丈夫だと思ひます。
正式に決つたら、またこちらで報告しますね。
なにはともあれ、おめでとうございます。
順調に上手くいくと良いですね。
応援しています。
2年半、みなさんのコメントのお蔭でなんとかここまで來られたと思つてゐます。
もう決まりではないでしょうか?
本格的にお仕事を始めた際には、改めて、中から見たS社の印象なども知りたいと思っております。
何事もなければ、入社手續きに進むのですが・・・
>中から見たS社の印象
入社すれば、新しい企業風土を經驗することになりますので、たぶんいろいろ書くことになると思ひます。
S社内定おめでとうございますッ!
K社でなくてよかった~(笑)
即、内定の連絡がいただけたなんて
お互い相性が良かったんですね♪
きっと大丈夫ですよ
これからもブログチェックしますよぉ
ほんとKぢやなくて良かつたと胸を撫でおろしてます。
>これからもブログチェックしますよぉ
よろしくですw
長い間のご苦労が報われ、今後のご活躍をお祈りいたします。
仙丈さんは、すぐに新しい環境に慣れられることと思います。
プロ野球の開幕も近づいていますが、当ブログは続けられるのでしょうか?
毎日でなくとも、無理をしないように続けて欲しいですね。
なるべく波風をたてないやうに氣をつけたいと思ひます(笑)
ブログは續けますよ。
毎日といふわけにはいかないかもしれませんが、タイガース戰はなるべく見たいと思つてゐます。
甲子園へは、なかなか行けないかも・・・