仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『 ナイチンゲールの沈黙 (上・下) 』 海堂尊

2009-03-05 15:32:10 | 讀書録(ミステリ)
『 ナイチンゲールの沈黙 (上・下) 』 海堂尊

お薦め度 : ☆☆☆+α
2009年2月28日讀了


『チーム・バチスタの栄光』で登場した、白鳥・田口コンビの第2作。
もつとも、「白鳥・田口コンビ」などと書くと、田口が嫌がるだらうが・・・

殺人事件の謎解きよりも、歌を聽くとイメージが頭に浮ぶといふ「共感覺」のはうが面白い。
推理小説的なものを期待すると肩透かしを喰ふといふ意味では前作と同樣。
ただし、登場人物のキャラの面白さでは前作をも凌ぐだらう。
新しい謎めいたキャラが、物語を盛上げてくれる。

警察廳の警視正である加納達也とその部下・玉村誠警部補が登場することで、警察の搜査が入り推理小説らしくなり(ふつう事件が起きれば病院内部だけで濟ます譯にはいかない)、ミステリとしての厚みを増した。
さらに、この加納と白鳥が學生時代からの友人(「友人」といふ表現が正しいかはさてをき)であるといふ設定で、「毒をもつて毒を制す」的な面白さが生れた。
あの白鳥を辟易させることの出來る人物は、加納をおいてほかにないだらう。

ワトソン役の田口と玉村がお互ひの立場について同情してゐるのが面白い。
讀者はその二人にさらに同情するといふ、同情のトライアングルが成立する。

この作品で面白いのは「共感覺」だと書いた。
看護師の濱田小夜の歌聲を聽くと、聽衆は小夜の心象風景をそのままイメージするといふ設定だ。
この設定がストーリーに影響するのはもちろんだが、「事件」そのものよりも、視覺と聽覺の關係について考へさせられることになる。
目から入つた光は、神經細胞を通じて刺激として腦に傳達され、そこで「映像」としてのイメージが出來上がる。
つまり、目は單に光の通過する「窓」に過ぎない、とも云へるわけだ。
光の與へる刺激と同樣の刺激が腦に與へられれば、そこには光によるものと同樣のイメージが出來上がる筈。
その「光の與へる刺激と同樣の刺激」を歌聲が與へるとすれば、濱田小夜の歌によつて「映像」を見ることも可能だらう。

クラシック音樂の或るレコードを聽くと、いつも同じ光景(ベトナム戰爭での虐殺)を思ひ出す。
そんな實話もあつた。
それは、手塚治蟲さんの「0次元の丘」といふ作品になり、さらには 恩田陸の「不安な童話」 にも使はれてゐる。
私自身、シベリウスの交響曲第2番の第4樂章の有名な旋律を聽くと、いつも雪煙の舞ふ仙丈岳の稜線を思ひ浮べる。
「音」による刺激で「映像」イメージを想起させるといふことは、きつとあるに違ひない。



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