「大和朝廷の起源―邪馬台国の東遷と神武東征伝承」 安本美典
お薦め度:☆☆☆+α /
2006年10月9日読了
プロローグとして、神武天皇陵の場所が間違つてゐることを述べてゐる。
昔から、神武天皇陵の場所については以下の3つの説があつた。
1.丸山説
2.ミサンザイ説
3.福塚(塚山)説
このうち、現在、神武天皇陵として整備されてゐるのは2のミサンザイ(神武田)である。
古事記には神武天皇陵について「畝火山の北の方、白橿の尾の上にあり」と記されてゐる。
この記述に最も相應しいのは1の丸山説である。
なぜ、より相應しい1ではなく2が認定されたのか?
幕末の時代に神武陵として1が認定され現在にゐたつてゐるが、認定に際しては、どうやら當時の政治的な事情が左右したらしい。
神武天皇は、その墓ですら間違つて認定されるほど謎に包まれてゐるといへさうだ。
神武天皇が活躍した時代はいつのことなのか。
これは「古事記」「日本書紀」から直接はわからない。
ただし、安本氏の數理文獻學の立場から「古代天皇平均在位期間約10年」を適用すると、おほむね西暦280年頃となる。
これをさらに遡つて適用してゐくと、天照大御神の活躍時期は西暦230年頃となる。
從つて、天照大御神=卑彌呼であり、邪馬臺國の東遷を傳へるものが神武東征傳承だといふ。
邪馬臺國(ヤマト)が大和(ヤマト)へと遷つたので、國の名前が繼承されたのだといふ。
私の素朴な疑問。
邪馬臺國は魏や西晉に使者を送つてゐたほどの外交感覺を持つてゐた。
その邪馬臺國が本據地を遷すに際して、もしくは遷した後、西晉に對して使ひを送らなかつたものか。
中國の歴代王朝は、「倭」といふ國を連續して、つまり同じ國として認識してゐるやうだ。
唐の時代になつて初めて、「倭國」が「日本」といふ國になつた、つまり違ふ國として認識してゐるのである。
もうひとつ。
もし、大和朝廷が邪馬臺國にまで遡れるのだとすれば、また天照大御神が卑彌呼なのだとすれば、なぜ「記・紀」にその記述がないのか。
邪馬臺國は中國に使者を送るほどの分化的・政治的・外交的に成熟した政權だつた。
しかるに、「記・紀」に記された天照の時代はまさに神話の時代だ。
このギャップの大きさはいつたいどういふことなのだらう。
本書の構成についてひとこと。
第2章「天皇の在位年數と壽命」から第5章「神武天皇東征の理由と時期」へと内容はつながるのだが、その間にある第3章、第4章の内容が游離してゐるやうに思はれる。
(第3章「地名説話と歌謠」、第4章「氏族傳承と帝紀」)
論旨を理解しやすいやうにするには、この2つの章は後に廻すなり、別の本にまとめるなりしたはうが良かつたのではなからうか。
讀者の立場からすると、この2つの章を讀んでゐるうちに著者の「いいたいこと」の全體像がぼやけてきて、少々辛かつた。
餘計なお世話かもしれないが・・・
お薦め度:☆☆☆+α /
2006年10月9日読了
プロローグとして、神武天皇陵の場所が間違つてゐることを述べてゐる。
昔から、神武天皇陵の場所については以下の3つの説があつた。
1.丸山説
2.ミサンザイ説
3.福塚(塚山)説
このうち、現在、神武天皇陵として整備されてゐるのは2のミサンザイ(神武田)である。
古事記には神武天皇陵について「畝火山の北の方、白橿の尾の上にあり」と記されてゐる。
この記述に最も相應しいのは1の丸山説である。
なぜ、より相應しい1ではなく2が認定されたのか?
幕末の時代に神武陵として1が認定され現在にゐたつてゐるが、認定に際しては、どうやら當時の政治的な事情が左右したらしい。
神武天皇は、その墓ですら間違つて認定されるほど謎に包まれてゐるといへさうだ。
神武天皇が活躍した時代はいつのことなのか。
これは「古事記」「日本書紀」から直接はわからない。
ただし、安本氏の數理文獻學の立場から「古代天皇平均在位期間約10年」を適用すると、おほむね西暦280年頃となる。
これをさらに遡つて適用してゐくと、天照大御神の活躍時期は西暦230年頃となる。
從つて、天照大御神=卑彌呼であり、邪馬臺國の東遷を傳へるものが神武東征傳承だといふ。
邪馬臺國(ヤマト)が大和(ヤマト)へと遷つたので、國の名前が繼承されたのだといふ。
私の素朴な疑問。
邪馬臺國は魏や西晉に使者を送つてゐたほどの外交感覺を持つてゐた。
その邪馬臺國が本據地を遷すに際して、もしくは遷した後、西晉に對して使ひを送らなかつたものか。
中國の歴代王朝は、「倭」といふ國を連續して、つまり同じ國として認識してゐるやうだ。
唐の時代になつて初めて、「倭國」が「日本」といふ國になつた、つまり違ふ國として認識してゐるのである。
もうひとつ。
もし、大和朝廷が邪馬臺國にまで遡れるのだとすれば、また天照大御神が卑彌呼なのだとすれば、なぜ「記・紀」にその記述がないのか。
邪馬臺國は中國に使者を送るほどの分化的・政治的・外交的に成熟した政權だつた。
しかるに、「記・紀」に記された天照の時代はまさに神話の時代だ。
このギャップの大きさはいつたいどういふことなのだらう。
本書の構成についてひとこと。
第2章「天皇の在位年數と壽命」から第5章「神武天皇東征の理由と時期」へと内容はつながるのだが、その間にある第3章、第4章の内容が游離してゐるやうに思はれる。
(第3章「地名説話と歌謠」、第4章「氏族傳承と帝紀」)
論旨を理解しやすいやうにするには、この2つの章は後に廻すなり、別の本にまとめるなりしたはうが良かつたのではなからうか。
讀者の立場からすると、この2つの章を讀んでゐるうちに著者の「いいたいこと」の全體像がぼやけてきて、少々辛かつた。
餘計なお世話かもしれないが・・・
大和朝廷の起源―邪馬台国の東遷と神武東征伝承 推理・邪馬台国と日本神話の謎 勉誠出版このアイテムの詳細を見る |
苦笑、ですね。
とってもユニークなんで、好きなんですけどね。
これがキリスト関係だと、やれ埋葬されたときの布のことだとか、十字架の破片のことだとか、いっぱい盛り上がるのに。
神武さんじゃ役不足? いえいえ、そんなはずはない!
古事記や日本書紀のの「神武記」って、結構面白いんだから。
ま、いいか。
(今日も早退してしまった私でした。)
私たちのいま生きてゐる「日本」といふ國はいつどのやうにして始まつたのか。
「記・紀」に書かれてゐること、書かれてゐないこと。
中國や朝鮮の史書に書かれてゐることとの矛楯・・・
未だにこれが眞實だと誰も云ひきることが出來ない。
古代史にはロマンがありますね。
安本美典と古田武彦。
どちらも面白いです。
古代史のたくさんの謎をどれだけ説明できるかが、それぞれの説のどちらが眞實に近いかの決め手になるのでせうね。
邪馬臺國は九州にあるといふ點ではお二人は共通してゐるのですが、その後邪馬臺國がどうなるかで全く相いれないお二人。
この二人の論爭もなかなか面白さうです。
なんかあれなにおいが…
ちなみに昔、神武天皇陵は立ち入り禁止ではありましたが柵ではなく垣根みたいなものでした。
最近行ったらすごい柵ができていて「何かあったんか・・・?」と邪推しました(笑)
神武の結婚相手の素性すごいですよ。
妙な年齢の女性の口からいえない品のないお話で
初代の王の后にするにはひどい名前というので何度も改名されています、気の毒。
やっぱり畝火山口神社なのかなあ←丸山説
>キリストの墓が青森辺りにあるの知ってます?
戸來村ですよね~
いはゆる「トンデモ本」で讀みました。
なんだか、ヘブライ語のやうな「お囃」まであるさうですね。
さういふ話も結構好きだつたりします(笑)
>女性の口からいえない品のないお話
を?
俄然、興味が沸いてきました(笑)
古事記に書かれてゐるのかな?
調べてみやう!
>やっぱり畝火山口神社なのかなあ←丸山説
畝火山口神社は畝傍山の西のほうですよね。
丸山は畝傍山の東北の尾根のところにあります。
すぐ近くに「生玉神社」といふのが、大正9年まであつたさうですよ。
古事記とかに載ってます
名前がめちゃくちゃなんでいーってこないように(笑)
すごい当て字で長いんですよ
品のなきことはなはだしいのでお楽しみに(爆)
畝傍山のほんま下ぐらいですか…
時間のあるときに畝傍山と三輪山には登っておくべきでした…
もちろん登山って山じゃないです。
一人で登るのもなんだなあと思ってそのままにしたら時間がなくなってしまった…
神武の皇后さんの名前、樂しみ!
連休中に調べやうかな。
三輪山つて登れましたつけ?
確か、大神神社のご神體ですよね。
頂上附近に巨石があるのは寫眞で見たことがあるのですが・・・
登れるのだつたら登つてみたいですね!
畝傍山はみるからに雄々しい山だし、これまた登つてみたい。
頂上からの展望が良ささうですね!
妙な年齢の女性が一人で行くにはきびしいので。
神武関連の話は詳しいですよーw
諸事情でむっちゃくっちゃ調べたんで
三輪山は確か事前に許可をもらったら登れます
畝傍はふつーに登ってもいいと思う。
かんさいやに連休はありません、とほほ
完済屋なのです;;
いいですね~
確かに妙齡のご婦人がひとりで登るのは危險が危ないかもしれませんね。
それにひとりで登つて祟られたりするのもイヤだし(笑)
祟りは道連れ?
ちなみに三輪山つて、ヘビの傳説がありますよね。
ヘビがたくさんゐたら怖いかも・・・
連休はない?
それはそれは・・・
私はこの連休でからだの調子を整へないと!
明日からまた…がくり
危險が危ないのですよ、一応、小柄な女性の格好をしているので…
こんなのでもよってくるヤカラとか
祟られないとは思いますけどw
夏以外の時期に行きたいですね(^^)
で、探し物をしたついでに見つけたハニワキーホルダー
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/fb/2bd787ce9fd6afd2228ed20cf9a49317.jpg
ご紹介したく思いまして
10年ぐらい前、橿原神宮の近所で200円で売っていました
ものの割に安いので友人知人にいっぱい配りましたねw
今も売っていればよいのですが
ハニワキーホルダー、これは秀逸ですね~!
素材はちやんと埴土なんでせうか?
さうだとしたらみやげには最適ですね。
馬以外のデザインもあるのかなあ~
あ、さうだ、神武の正妻の名前を調べやう!(笑)