仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 12月10日 (82年:メサイア)

2011-12-10 00:01:00 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

バイト ¥4200 (¥30,800)

水曜日。

大家さんの實家、鞍馬にある 「京・くらま 林」 でのバイト。
11月26日から始めて、この日で10日。
12月に入つてからの累計が、この日の分を含めて、¥30,800。




【1982年】(3囘生)

梅田 15時 改札出て右側
Haendel "Messiah"

金曜日。

10月9日にHと再會して以來、初の逢瀬。
Hを眞夜中に歸宅させ、父君を激怒させてしまつたので、さすがにすぐに逢ふことは出來なかつた。
2ヵ月經つて、やうやく父君の怒りも鎭つて私と逢ふのを許してくれたのだらうか。
それとも、私と逢ふのは内證にしてゐたのだらうか。

「ハレルヤ・コーラス」こそ聽いたことはあつたものの、 「メサイア」 全曲を聽くのは初めてだつた。
Hに誘はれてから、私は友人にレコードを借りて豫習をした。
確か、オットー・クレンペラーの指揮だつた。
歌詞は英語なのだが、ところどころに「ye」とか「hath」といつた古い英語が登場してゐたのを覺えてゐる。
レコードの解説に、ハレルヤ・コーラスの時には立上がるのが慣習となつてゐる、といふ一節があつた。
小心者の私は、立上がるタイミングがわからずにオロオロする自分の姿が思ひ浮んだ。
Hにそのことを話したら、
「別に立上がらなくてもいいんぢやない。みんなが立上がつたら立上がれば?」

會場は、オープンしたばかりの ザ・シンフォニーホール
Hはこけら落しにも來たと云つてゐたが、私はもちろん初めて。
なので、ザ・シンフォニーホールそのものが樂しみでもあつた。

メサイアは、莊嚴な曲だつたが、なにせ長かつた。
2時間半もひとところに、それもお行儀良く座つてゐるのは、かなり苦痛だつた。
「ハレルヤ・コーラス」の時に立上がつて腰を伸ばさうと思つたのだが、立上がつたのはほんの數名だつたので、恥づかしいから止めた。
Hと一緒だから我慢も出來たが、もし私一人だつたら、第2部が終つたところで逃出してゐたかもしれない。
ちなみに、第2部まででも2時間かかる。

ザ・シンフォニーホールの響きは、クラシック專用ホールだけあつて、さすがに素晴らしかつた。
多目的ホールの京都會館第1ホールとは比較にならない。
音が空氣に融けこむやうな感覺。
殘響2秒は伊達ぢやないと思つた。


ヘンデル:オラトリオ「メサイア」
クレンペラー(オットー),シュワルツコップ(エリザベート),ホフマン(グレース),ハインズ(ジェローム),ゲッタ(ニコライ),フィルハーモニア合唱団
EMIミュージック・ジャパン


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<1982年>
10月9日:京都。再會~H宅。
12月10日:シンフォニーホール。ヘンデルのメサイヤ
12月24日:梅田。クリスマスイヴ。
<1983年>
2月18日:花房晴美リサイタル。ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番ほか。
5月14日:京都。「楢山節考」。
5月26日:大阪城など。(秋田沖地震)
6月2日:みゅーず → 圓山公園 → 枚方。  
6月11日:「細雪」 → 須磨海岸。
6月17日:藤原眞理のチェロ。
7月20日:ピカソ展 ~ 銀閣寺。
8月2日:鞍馬寺、夕立。
9月23日:H宅訪問。
10月1日:三宮、「陽暉楼」。
10月18日:H宅まで深夜ドライブ。
11月12日:H來訪。
12月3日:H來訪。





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