仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『偽りの大化改新』 中村 修也

2009-06-09 21:45:19 | 讀書録(歴史)
『偽りの大化改新』 中村 修也

お薦め度 : ☆☆☆☆
2009年6月9日讀了


「大化改新」、「乙巳(いつし)の變」について、新しい視點から全面的に觀直して、日本書紀の疑問點を解決する假説を提出してゐる。
なるほど、かういふ見方もあるのか、と感心した。
確かに、この假説なら、日本書紀の疑問點のいくつかは解決する。

通説では「乙巳の變」を、
「中大兄皇子と中臣鎌足が、中央集權的な國家建設を目指して、專横を極めてゐた蘇我氏を打倒するため、朝鮮三國からの進調儀式の場で、蘇我入鹿を慘殺した」事件
とする。
これは、日本書紀の記載に從つた理解なのだが、それでは以下の疑問に答へられない。
1.中大兄は自ら手を下してまで入鹿を慘殺したのに、なぜ自分が即位しなかつたのか。
2.蘇我氏が倒されたのに、なぜ皇極は退位しなければならなかつたのか。
3.輕皇子(孝徳天皇)はどのやうな理由で大王(天皇)に選ばれたのか
4.中大兄は王族なのに、どうして自ら殺害に加はつたのか
5.蘇我倉山田石川麻呂は同じ蘇我氏なのに、どうして入鹿殺害に加擔したのか
6.乙巳の變の際、中大兄の弟の大海人皇子はなにをしてゐたのか

なかでも、1と2は私も疑問に思つてゐた。
中大兄が即位しなかつたのは、「皇太子」でゐたはうが革新政治を進め易かつたからといふ説明には、なんとなく納得できなかつたのだ。
本書によれば、「皇太子=時期大王豫定者」に政治を左右するだけの權限はなかつたし、そもそも「皇太子」といふ制度そのものがまだなかつた、といふ。
では、どうして・・・

結論は、以下の通り。
蘇我入鹿を殺害して「皇極政權」を打倒した主人公は輕皇子(=孝徳天皇)である。
中大兄も中臣鎌足も關與してゐない。
つまり、日本書紀のつくりごとである。
この作爲は、天武天皇の意思による。
すなはち、政權簒奪者である自己の正當化を圖るため、前代の爲政者を貶しめる意圖があつた。
中大兄の「冷酷で殘忍」なイメージは、意圖的に作られたものであつた。

ちなみに、この説によれば、
・「乙巳の變」の後、中大兄が即位してゐないこと
・孝徳大王の死後、中大兄が即位してゐないこと
の説明はつくが、
・齊明女帝死後、中大兄がすぐに即位してゐないこと
の説明はつかない。
この點については、本書ではふれられてゐない。


偽りの大化改新 (講談社現代新書)
中村 修也
講談社

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2 コメント

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天智称制は嘘 (著者)
2009-08-07 00:04:31
斉明女帝の死後、中大兄はすぐに即位したと思います。
しかし、在位期間をできる限り短くすることで、大王としての徳を貶めようという考えから、称制期間を天智にだけ設定した書き方をあえて『日本書紀』はしたのだと思います。
これも天武の意向と考えています。
返信する
著者さん (仙丈)
2009-08-07 07:15:38
なるほど、すぐに即位してゐたなら、謎ではなくなりますね。

>在位期間をできる限り短くすることで、大王としての徳を貶めようという考え

ほんたうは大王だつたのに「稱制」だつたとすることで、在位期間を短くしたといふことですね。
その場合、「在位期間が短い=大王としての徳に乏しい」といふ考へが一般的だつた、といふ論證が必要になると思ひます。
それさへクリアになれば、説得力のある説ですね。

コメント、どうもありがたうございました。



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