私は彗星を發見したことがある。
小學校の5年生から中學校2年生にかけて、私は天文少年であつた。
毎月、「天文ガイド」や「天文と氣象」といふ雜誌を講讀してゐた。
お年玉をためて、口徑10cmの反射望遠鏡を買ひ、團地のベランダから星をみて樂しんでゐた。
關勉さんや本田明さんの著書を讀んで、新彗星を見つけようと思ひたつた。
新しい彗星を發見すると、發見者の名前がつけられる。
自分の名前が殘るなんて、素晴らしいことではないか。
その彗星が太陽の廻りを廻るものであれば、何十年かごとに自分の名前のついた彗星が地球から見えるのだ。
中學校1年だつたか2年だつたか、毎朝、太陽が昇る前の1時間ほど、望遠鏡で東の空を搜索した。
望遠鏡の視野に入つてくる星雲状の天體を、ひとつひとつ星圖で確認してゆく。
星圖に記載されてゐない星雲状の天體があれば、それは彗星である可能性が高い。
あるとき、いつものやうに星雲めぐりをしてゐたら、星圖に載つてゐない星雲状の天體にぶちあたつた。
これは彗星ではないかと私の胸は高鳴つた。
しかし、もしかしたら私が星圖を讀み間違へてゐるだけで、星雲なのかもしれない。
彗星であるなら、明日また位置を確認すれば、位置が變つてゐるはずだ。
翌日、同じところに望遠鏡を向けたが、そこにはなかつた。
その周圍を搜したところ、少し離れたところで、その天體を見つけた。
これは彗星に間違へない!
星圖に彗星の位置をプロットした。
東京天文臺に電話をかけた。
プロットした赤經・赤緯を告げ、「彗星を發見しました!」
つひに私の名前が彗星に冠される時が來た。
どきどきと打つ心臟の音が聞えて來さうだつた。
「ああ、その位置だつたらナントカ彗星ですね。1週間ほど前にアメリカのナントカさんが發見したんですよ。」
天文臺のかたの少し迷惑さうな聲が聞えて來た。
ここ2・3日、新彗星發見の電話がかなりかかつて來てゐるのだといふ。
かくして、私の新彗星發見の夢は終つた。
しかし、新彗星ではなかつたにしろ、私が自分で彗星を發見したことは確かだ。
私が自慢できることは數少ないが、これはその自慢話のひとつである。
小學校の5年生から中學校2年生にかけて、私は天文少年であつた。
毎月、「天文ガイド」や「天文と氣象」といふ雜誌を講讀してゐた。
お年玉をためて、口徑10cmの反射望遠鏡を買ひ、團地のベランダから星をみて樂しんでゐた。
關勉さんや本田明さんの著書を讀んで、新彗星を見つけようと思ひたつた。
新しい彗星を發見すると、發見者の名前がつけられる。
自分の名前が殘るなんて、素晴らしいことではないか。
その彗星が太陽の廻りを廻るものであれば、何十年かごとに自分の名前のついた彗星が地球から見えるのだ。
中學校1年だつたか2年だつたか、毎朝、太陽が昇る前の1時間ほど、望遠鏡で東の空を搜索した。
望遠鏡の視野に入つてくる星雲状の天體を、ひとつひとつ星圖で確認してゆく。
星圖に記載されてゐない星雲状の天體があれば、それは彗星である可能性が高い。
あるとき、いつものやうに星雲めぐりをしてゐたら、星圖に載つてゐない星雲状の天體にぶちあたつた。
これは彗星ではないかと私の胸は高鳴つた。
しかし、もしかしたら私が星圖を讀み間違へてゐるだけで、星雲なのかもしれない。
彗星であるなら、明日また位置を確認すれば、位置が變つてゐるはずだ。
翌日、同じところに望遠鏡を向けたが、そこにはなかつた。
その周圍を搜したところ、少し離れたところで、その天體を見つけた。
これは彗星に間違へない!
星圖に彗星の位置をプロットした。
東京天文臺に電話をかけた。
プロットした赤經・赤緯を告げ、「彗星を發見しました!」
つひに私の名前が彗星に冠される時が來た。
どきどきと打つ心臟の音が聞えて來さうだつた。
「ああ、その位置だつたらナントカ彗星ですね。1週間ほど前にアメリカのナントカさんが發見したんですよ。」
天文臺のかたの少し迷惑さうな聲が聞えて來た。
ここ2・3日、新彗星發見の電話がかなりかかつて來てゐるのだといふ。
かくして、私の新彗星發見の夢は終つた。
しかし、新彗星ではなかつたにしろ、私が自分で彗星を發見したことは確かだ。
私が自慢できることは數少ないが、これはその自慢話のひとつである。
僕もそのくらいの頃一時期天文ガイドなんか読んでいたなぁ。望遠鏡を買うところまでは行かなかったけれど。
ラジオの気象通報聞いて天気図を書くなんてことも高校時代しばらくやってました。
男のロマンだよね。
新彗星だつたら良かつたのだけれども。
氣象通報を聞いて天氣圖を書くのは、山岳部でやりました。
地學の授業で櫻井先生に習つたこともありました。
ウラジオではとか、モッポではとか、懷かしい。