【1980年】(浪人)
慶應 文 合格發表 ○
早稻田 一文 合格發表 ○
本命の文學部に、2つとも合格した。
入學金は慶應が17萬で早稻田が24萬。
第一志望の大學に自信があれば安いはうにしたのだが、自信がなかつたので行きたい早稻田に入學金を納めることにした。
これで第一志望がダメでも「都の西北」を歌へる。
【1981年】(1囘生)
C高。 春山の件。
北アルプスの鹿島槍を登るといふ無謀な計畫に待つたをかけるべく、C高へ。
手帳の後ろにある白紙ページに私の代替案が記されてゐた。
<北アルプス>蝶ヶ岳
<南アルプス>鳳凰三山
北八ヶ岳、南八ヶ岳・權現岳、那須・朝日岳
これを提示して、現役たちに檢討させたのだと思ふ。
【1982年】(2囘生)
父兄面接。
前日はK教育センターのコンパ があり、そのあと塾に泊まり込んでゐる。
たぶん、この父兄面談に遲刻するリスクを囘避するためだつたと思はれる。
しかし、それにしても無謀だよなあ。
布團なんてないし、どうやつて寢たのだらう。
この季節、まだ寒かつただらうに。
それに、不精髭のまま面談といふのもなあ・・・
【1983年】(3囘生)
19:00 クレーメル(Vn)井上道義指揮 大フィル シンフォニーH。
シベリウス、ブラームス Vn Con
クレーメルはジプシーのヴァイオリン彈き。からだを實によく動かす。
音は良い。特に高音がつややか。アンコールピースがvery good!
(イーゴリ・マルケヴィッチ死す)
クレーメルを聽いたことは覺えてゐるのだが、わざわざシンフォニーホールまで出かけたことは覺えてゐなかつた。
井上道義指揮の大フィルだつたことも忘却の彼方。
彼女と聽きにいつたのかとも思つたが、待ち合せ時間などの記録がないので、おそらく一人で行つたのだらう。
演奏の印象は、このメモ通り。
からだを大きく搖さぶりながら演奏する姿に、いい意味でも惡い意味でも感銘を受けた。
ヴァイオリンの演奏を聽いたのは、L1クラスの同級生アリマくん、辻久子についで、この時が3囘目。
さすがに前2者と較べると(較べるなよ!)、さすがはクレーメル、格段に巧い。
いま、ふと記憶を探つてみたのだが、ヴァイオリンは、その後も、ツィメルマンの伴奏で再度クレーメルを聽いたのみ。
どうしても同じ金を出すなら好きなピアノを聽きに行つてしまふやうだ。
この日、マルケヴィッチが亡くなつたのだらう。
その頃、N響アワーかなんかでチャイコの悲愴を聽いたやうな氣がする。
それで名前を覺えたところに訃報が入つて來たといふところだらう。
【1984年】(4囘生)
リヒテル。
最後のデートにはしたくない!!
モギの下宿。徹夜。
私の好きなリヒテルが來日した。
當初の豫定では、1月21日と2月12日だつたのだが、1月のはうはリヒテルがからだの調子を崩してキャンセル。
その代替日がこの日になつた。
演奏曲目は、ブラームスのピアノソナタとラフマニノフ「音の繪」から8曲。
照明を落として、仄暗いなかに浮び上がるリヒテルの姿は、まるで神にまみえんとする求道者のやうだつた。
冒頭の分散和音をあたかも普通の和音のやうに掴みとつてしまふのが印象に殘つた。
もともと彼女と行く豫定だつたので、彼女もこれには付き合つてくれた。
この日の私のミッションは、これを最後のデートにしないこと。
このあとの手帳の記述を見る限り、どうやらそのミッションは遂行できたらしい。
ただ、その記憶が私にはものの見事に欠落してゐる。
私にとつて、この日のリヒテルが彼女との付き合ひの學生時代最後の想ひ出となつた。
モギは高校、豫備校、大學、會社が一緒といふ「腐れ縁」の友人。
彼女と別れた後、ひとりでゐるのが怖くて、モギの下宿に轉がり込んだらしい。
きつと泣き言、云つてたんだらうなあ・・・
さぞや鬱陶しかつたことだらう。
反省。
いまさら反省しても遲いか。
<參考:過去記事「リヒテルの名盤マイベスト10_その2」より拔萃>
ブラームスのピアノソナタはそれほど有名な曲ではない。
特に1番と2番は若くして書かれた曲といふこともあつて、むしろ知らない人のはうが多いのではなからうか。
それでも、ここで取り上げるのは何故か。
・・・私が好きだから。
ブラームスの曲だけあつて、どちらかと云へば、澁い味はいの曲だ。
しかし、その中にもブラームスらしい、優柔不斷な青春が感じられる曲。
さうした曲に、リヒテルが眞正面から取り組んだ演奏である。
70歳に手が屆くリヒテルがみづみづしい演奏を繰り廣げてゐる。
あたかも自らの青春時代を懷かしむかのやうに・・・
私が特に好きなのは第2番のソナタ。
冒頭の分散和音を、がつしりとおほきな手で掴みとつてしまふ當り、リヒテルの面目躍如といつたところか。
1984年の來日の際に、實演で聽いた記憶が鮮やかによみがへつてくる。
それは私の青春時代の終りでもあつた・・・
慶應 文 合格發表 ○
早稻田 一文 合格發表 ○
本命の文學部に、2つとも合格した。
入學金は慶應が17萬で早稻田が24萬。
第一志望の大學に自信があれば安いはうにしたのだが、自信がなかつたので行きたい早稻田に入學金を納めることにした。
これで第一志望がダメでも「都の西北」を歌へる。
【1981年】(1囘生)
C高。 春山の件。
北アルプスの鹿島槍を登るといふ無謀な計畫に待つたをかけるべく、C高へ。
手帳の後ろにある白紙ページに私の代替案が記されてゐた。
<北アルプス>蝶ヶ岳
<南アルプス>鳳凰三山
北八ヶ岳、南八ヶ岳・權現岳、那須・朝日岳
これを提示して、現役たちに檢討させたのだと思ふ。
【1982年】(2囘生)
父兄面接。
前日はK教育センターのコンパ があり、そのあと塾に泊まり込んでゐる。
たぶん、この父兄面談に遲刻するリスクを囘避するためだつたと思はれる。
しかし、それにしても無謀だよなあ。
布團なんてないし、どうやつて寢たのだらう。
この季節、まだ寒かつただらうに。
それに、不精髭のまま面談といふのもなあ・・・
【1983年】(3囘生)
19:00 クレーメル(Vn)井上道義指揮 大フィル シンフォニーH。
シベリウス、ブラームス Vn Con
クレーメルはジプシーのヴァイオリン彈き。からだを實によく動かす。
音は良い。特に高音がつややか。アンコールピースがvery good!
(イーゴリ・マルケヴィッチ死す)
クレーメルを聽いたことは覺えてゐるのだが、わざわざシンフォニーホールまで出かけたことは覺えてゐなかつた。
井上道義指揮の大フィルだつたことも忘却の彼方。
彼女と聽きにいつたのかとも思つたが、待ち合せ時間などの記録がないので、おそらく一人で行つたのだらう。
演奏の印象は、このメモ通り。
からだを大きく搖さぶりながら演奏する姿に、いい意味でも惡い意味でも感銘を受けた。
ヴァイオリンの演奏を聽いたのは、L1クラスの同級生アリマくん、辻久子についで、この時が3囘目。
さすがに前2者と較べると(較べるなよ!)、さすがはクレーメル、格段に巧い。
いま、ふと記憶を探つてみたのだが、ヴァイオリンは、その後も、ツィメルマンの伴奏で再度クレーメルを聽いたのみ。
どうしても同じ金を出すなら好きなピアノを聽きに行つてしまふやうだ。
この日、マルケヴィッチが亡くなつたのだらう。
その頃、N響アワーかなんかでチャイコの悲愴を聽いたやうな氣がする。
それで名前を覺えたところに訃報が入つて來たといふところだらう。
【1984年】(4囘生)
リヒテル。
最後のデートにはしたくない!!
モギの下宿。徹夜。
私の好きなリヒテルが來日した。
當初の豫定では、1月21日と2月12日だつたのだが、1月のはうはリヒテルがからだの調子を崩してキャンセル。
その代替日がこの日になつた。
演奏曲目は、ブラームスのピアノソナタとラフマニノフ「音の繪」から8曲。
照明を落として、仄暗いなかに浮び上がるリヒテルの姿は、まるで神にまみえんとする求道者のやうだつた。
冒頭の分散和音をあたかも普通の和音のやうに掴みとつてしまふのが印象に殘つた。
もともと彼女と行く豫定だつたので、彼女もこれには付き合つてくれた。
この日の私のミッションは、これを最後のデートにしないこと。
このあとの手帳の記述を見る限り、どうやらそのミッションは遂行できたらしい。
ただ、その記憶が私にはものの見事に欠落してゐる。
私にとつて、この日のリヒテルが彼女との付き合ひの學生時代最後の想ひ出となつた。
モギは高校、豫備校、大學、會社が一緒といふ「腐れ縁」の友人。
彼女と別れた後、ひとりでゐるのが怖くて、モギの下宿に轉がり込んだらしい。
きつと泣き言、云つてたんだらうなあ・・・
さぞや鬱陶しかつたことだらう。
反省。
いまさら反省しても遲いか。
<參考:過去記事「リヒテルの名盤マイベスト10_その2」より拔萃>
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ブラームスのピアノソナタはそれほど有名な曲ではない。
特に1番と2番は若くして書かれた曲といふこともあつて、むしろ知らない人のはうが多いのではなからうか。
それでも、ここで取り上げるのは何故か。
・・・私が好きだから。
ブラームスの曲だけあつて、どちらかと云へば、澁い味はいの曲だ。
しかし、その中にもブラームスらしい、優柔不斷な青春が感じられる曲。
さうした曲に、リヒテルが眞正面から取り組んだ演奏である。
70歳に手が屆くリヒテルがみづみづしい演奏を繰り廣げてゐる。
あたかも自らの青春時代を懷かしむかのやうに・・・
私が特に好きなのは第2番のソナタ。
冒頭の分散和音を、がつしりとおほきな手で掴みとつてしまふ當り、リヒテルの面目躍如といつたところか。
1984年の來日の際に、實演で聽いた記憶が鮮やかによみがへつてくる。
それは私の青春時代の終りでもあつた・・・
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