「終戦のローレライ(1~4)」 福井晴敏
お薦め度:特選 ☆☆☆☆☆ /
2006年10月22日読了
2002年12月講談社刊。
第24囘吉川英治文學新人賞、第21囘日本冒險小説協會大賞を受賞した作品ださうだ。
そもそも映畫化を前提として書かれた作品で、「第2次世界大戰と潛水艦と女を出すといふ三題噺のやうな條件」を出されて書き始めたのだとか。
大東亞戰爭の末期のこと。
ドイツは既に降伏してゐたにも關はらず、ナチス・ドイツの潛水艦が日本を目指してゐた。
潛水艦を日本に引き渡す代はりに、日本を經由して世界の隅に紛れやうといふ意圖だつた。
その潛水艦には非常に特殊な兵器「ローレライ」が搭載されてをり、それと引き換へに自分達の命を助けて貰はうといふのだ。
大日本帝國海軍はその潛水艦を「伊507」と名付けた。
この物語は、この「伊507」が終戰に際して、祕かに與へられたミッションを如何に遂行したかを描いてゐる。
國を守るといふことは如何なることか。
國を守るために自らの命を投げ出さざるを得なかつた者たちは、自らの死にどのやうな意義を見出せるのか。
ナチス親衞隊の士官で日系3世のフリッツ・S・エブナーはローレライ擔當士官として、そのまま「伊507」に乘りこんだ。
彼は祖國ドイツでも日系であるがゆゑの差別を受けつつ、それを跳ね除けて成長してきた。
自分の身を守るためにはどうすべきかを冷靜に計算し、利用できるものは利用するといふ利己的な人生觀を持つてゐる。
その彼が、祖母の祖國に來て、その軍人たちと命懸けのミッションを遂行するうちにどう變はつていつたか。
「ローレライ」整備擔當となつた少年兵、折笠征人。
彼は「ローレライ」との出會ひ、ミッションの遂行によつて、いかに成長していつたか。
そして「ローレライ」。
この兵器がどのやうな機能をもつた兵器であるかは、物語の序盤で明らかになる。
しかし、「彼女」もまた折笠との出會ひによつて變容してゆく・・・
大日本帝國が敗戰により日本國へと變貌していく、その歴史の轉換點。
大東亞戰爭の終戰に際して、「國を守る」といふ名目のもとで死んでいつた人々がほんたうに守らうとしたものは何だつたのか。
彼らの死の延長線上にいまの我々の平和な日常がある。
彼らの死の意義を思ふとき、「ローレライ」が、そして「伊507」の乘員が唄ふ「椰子の實」の唄が聞えてくるやうな氣がする。
人と人との繋がりの強さと暖かさ、人はミッションを通じていかに成長するか、そして、愛するものを守るとはどういふことか。
本書はそれを私に教へてくれた。
2006年10月13日読了 御茶ノ水「穂高」にて
2006年10月16日読了
2006年10月18日読了
2006年10月22日読了
お薦め度:特選 ☆☆☆☆☆ /
2006年10月22日読了
2002年12月講談社刊。
第24囘吉川英治文學新人賞、第21囘日本冒險小説協會大賞を受賞した作品ださうだ。
そもそも映畫化を前提として書かれた作品で、「第2次世界大戰と潛水艦と女を出すといふ三題噺のやうな條件」を出されて書き始めたのだとか。
大東亞戰爭の末期のこと。
ドイツは既に降伏してゐたにも關はらず、ナチス・ドイツの潛水艦が日本を目指してゐた。
潛水艦を日本に引き渡す代はりに、日本を經由して世界の隅に紛れやうといふ意圖だつた。
その潛水艦には非常に特殊な兵器「ローレライ」が搭載されてをり、それと引き換へに自分達の命を助けて貰はうといふのだ。
大日本帝國海軍はその潛水艦を「伊507」と名付けた。
この物語は、この「伊507」が終戰に際して、祕かに與へられたミッションを如何に遂行したかを描いてゐる。
國を守るといふことは如何なることか。
國を守るために自らの命を投げ出さざるを得なかつた者たちは、自らの死にどのやうな意義を見出せるのか。
ナチス親衞隊の士官で日系3世のフリッツ・S・エブナーはローレライ擔當士官として、そのまま「伊507」に乘りこんだ。
彼は祖國ドイツでも日系であるがゆゑの差別を受けつつ、それを跳ね除けて成長してきた。
自分の身を守るためにはどうすべきかを冷靜に計算し、利用できるものは利用するといふ利己的な人生觀を持つてゐる。
その彼が、祖母の祖國に來て、その軍人たちと命懸けのミッションを遂行するうちにどう變はつていつたか。
「ローレライ」整備擔當となつた少年兵、折笠征人。
彼は「ローレライ」との出會ひ、ミッションの遂行によつて、いかに成長していつたか。
そして「ローレライ」。
この兵器がどのやうな機能をもつた兵器であるかは、物語の序盤で明らかになる。
しかし、「彼女」もまた折笠との出會ひによつて變容してゆく・・・
大日本帝國が敗戰により日本國へと變貌していく、その歴史の轉換點。
大東亞戰爭の終戰に際して、「國を守る」といふ名目のもとで死んでいつた人々がほんたうに守らうとしたものは何だつたのか。
彼らの死の延長線上にいまの我々の平和な日常がある。
彼らの死の意義を思ふとき、「ローレライ」が、そして「伊507」の乘員が唄ふ「椰子の實」の唄が聞えてくるやうな氣がする。
人と人との繋がりの強さと暖かさ、人はミッションを通じていかに成長するか、そして、愛するものを守るとはどういふことか。
本書はそれを私に教へてくれた。
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2006年10月13日読了 御茶ノ水「穂高」にて
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2006年10月16日読了
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2006年10月18日読了
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2006年10月22日読了
福井晴敏には「亡国のイージス」で出会いました。それ以来、彼の作品は一通り読んでいて、「終戦のローレライ」も一気に読み上げたのを覚えています。
感想は人それぞれで、そんな幅の広さと、それを受け止められる懐の深さがが、文化の深みだと思います。先人の犠牲の上に立つ現在、矯正すべき事項も多いですが、深みを持つ文化には誇りを持っていいと思っています。何はともあれ、色々と考えさせられる作品だというのには同感です。作品の完成度という意味では、「亡国が…」が上な気がしますが。。。
福井晴敏の作品、面白いですね~
どきどきしながら讀んでいくのですが、いつもこころに響くものを感じます。
一番最初に讀んだのは「亡國のイージス」でした。
今年は映畫まで見に行きました(笑)
「終戰のローレライ」、淺倉大佐の「國家としての切腹」といふ理屈があまり説得力がなかつたやうに思はれました。
少し作りすぎたやうな氣がしてゐます。