そらいろ

旅とアートの雑記帳… 旅・自転車・写真・音楽・陶芸など身近な話題を気の向くままに…

「鎌倉古道」

2013-09-30 | トピック
 出勤時、お天気がよかったので、最寄りのバス停の手前で降りて、山越えをしてみました。と言っても、半分以上が住宅地と公園で、後半の下り坂だけが「山道」を感じさせる程度です。




 降り切ったところに道標があります。今まであまり気にしていなかったのですが、よく見ると「右 鎌倉古道  左 裏甲州路」と記されています。




 すぐ近くに陣馬街道があり、和田峠を超えて上野原、甲府へと続くので、きっとこれが「裏甲州路」…
 
 で、「鎌倉古道」は…

 府中市から町田方面に延びる都道18号線が通称「鎌倉街道」というのは知っていましたが、府中市からはたぶん北に向かっていたはず… 鎌倉末期、新田義貞らも通っていて、府中市の「分倍河原」は新田軍vs幕府軍の戦場として有名です。

 「鎌倉古道」を調べてみると、鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉!」という時に、すぐに駆けつけることができるように整備した道ということです。上記のような「鎌倉街道」という道も各地から鎌倉に向けて何本もあったようです。

 この近くに古道があったなら、主要幹線の支線のようなものだったんでしょうか。それとも、こっちへ行くとその主要幹線「鎌倉街道」に通じてますよ、という標識なのでしょうか。(かなり離れています…)

 知識のない中で想像すると… 近くを通る高尾街道は町田街道になり、それが、都道18号に合流し、藤沢街道につながっていくので、「支線」と考えた方が筋が通るように思われます。高尾街道もその昔、鎌倉道と呼ばれていたのだと思われます。


 今は裏道にひっそりとたたずんでいる道標ですが、長年に渡り、この地の人たちにとって大切なものだったに違いありません。


 「道」といえば、八王子周辺は桑の栽培が盛んで、「絹の道」が有名です。江戸末期から明治の初めにかけて、横浜港へと絹を運ぶための道(「浜街道」と呼ばれた)として活躍しました。

 「奥の細道」や「熊野古道」など道のテーマはたくさんあります。そんな道を訪ねて歩くのもいいかもしれません。