中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

施設案内東京-68 いろは会商店街

2024-01-06 05:40:54 | 施設案内・東京

私の情報は、facebook twitter. を確認ください。「中華街を大切にする人」「ご利用する人」にはご協力をします。

何かご質問があれば、コメント欄 or sosamu@ya2.so-net.ne.jp にご連絡ください。

中華街は、中華街の魅力を、最近の中華街は中年おじさんの散策part2-ご覧ください。

私のもう一つの趣味、山登り(過去の記録をまとめています)。山好きおじさんの部屋 もご覧ください。

 

いろは会商店街

大正8年から続く山谷のいろは会商店街は、戦後しばらくまでは吉原遊郭に集う人たちで溢れ、その後の高度経済成長期には、今の日本の礎を築いた労働者たちを中心に賑わいを見せた通りだ。商店街から歩いて程ない交差点にその名を残す泪橋は、“あしたのジョー”のふるさとでもある。商店街の入り口には、今もジョーの像が佇んでいる。
労働者の街である山谷を象徴するように、メンズ洋品店が3軒程シャッターを上げていた。その1軒、マツモトヤの創業は明治の終わり頃。20年程前までは高価な服が人気だったが、今は高価なものはなかなか売れないと女将さんが話してくれた。
以前は120以上の店舗が軒を連ねていたが、馴染み客であった労働者が高齢になり、減少していくにつれて、畳んでしまう店が増えていったそうだ。しかし、焼き鳥屋や乾物屋、靴店など、今でものれんを守っている店は、どこも明治、大正、昭和初期の創業で、長い間、山谷に暮らす人たちのために、この商店街でがんばり続けている。場所柄、この街は決して幸せな人たちばかりが集う場所ではなかったことだろう。
店主たちは、買い物や飲食に来る人たちの悲しみや業を静かに包み込んでいたのではないだろうか。ジョーのことが好きだった林屋食料品店の紀ちゃんが彼にそうしたように。優しい店主たちがいる限り、この商店街が燃え尽きることはない。明日はある。いろは会商店街の、明日はどっちだ。

 

 

 

吉原大門近くの土手通りから吉野通りまで、かつて山谷と呼ばれた地域に延びる300mほどの商店街がいろは会商店街です。周辺には簡易宿泊施設が数多くあり、日雇い労働者が集まりドヤ街と呼ばれていました。
明日のジョーでも有名ないろは会商店街
治安や衛生面で問題があり、また労働者闘争などもあって観光客が近づく場所ではありませんでしたが、それだけに近隣住民たちの間には細やかな下町情緒が残っており、現在でも格安な商店や飲食店、総菜屋さんなど労働者たちに優しいお店が点在しています。近年では簡易宿泊施設は安価なホテルに変身しており、外国人バックパッカーやビジネスマンにも人気です。いろは会商店街もあしたのジョーの舞台として注目を集め、またミュージックフェスティバルも開催されるなど、地域の住民の努力もあって訪れる人たちも増えています。
いろは会商店街を人情味あふれるお店

 

 

 

いろは会商店街

当商店街におきましては2010年より泪橋界隈を中心にイメージして描かれましたあの名作「あしたのジョー」のふるさととしてイベントを開催致しております。 
[あしたのジョーのふるさと祭り]と題しましたそのイベントはお陰さまで大変好評を博し、遠方からのお客様も来街していただき感謝に絶えません。 
今後もこのイベントを大切にしながらお客様のニーズに応えられる商店街を目指し、少しずつではありますが、より良い工夫と改革を模索し、いろは会商店街振興組合として組合員一同で一致団結、日々精進して参りたい所存です。 
 どうぞこれからも末永くいろは会商店街をよろしくお願い申し上げます。 

いろは会商店街振興組合の沿革

いろは会商店街振興組合は区の東北に位置し日本堤1丁目(旧田中町)のほぼ中央を東西に走る幅8メートル、延長370メートルの通りです。 
その昔、陸羽街道から吉原土手へ抜ける小道の一部に夜店の出店が許されました。現在のいろは会通りの起こりです。
大正8年頃に商店会ができ連合大売り出しが始められ、この名を「ありがとう会」といいました。呉服店主の会長が大黒頭巾をかぶり、赤い羽織を着て金棒を引き「まいどありがとうございます」と毎晩夜店通りをねり歩き人気を呼びました。同11年いよいよ通りの全店が結束して「いろは会」をつくりました。関東大震災で大きな被害を受けましたが不死鳥の如く立ち上がり、特に通りの中央に寄席【吉祥亭】ができてからは遠近からのお客様で賑わいました。 
昭和12年政府の商店街育成に従い、いろは会通り商店街商業組合と改めましたが、同20年3月の空襲で焼野原と化しました。戦後の同25年に再発足し活動開始。同38年、区内2番目の振興組合に改組し初代理事長に磯貝建蔵氏が就任。二代目の中村広二氏、三代目に三輪隆氏、四代目が桜井照久氏と続きました。 
昭和51年4月念願のアーケードが完成。一般からの応募で「ショップメイト」と新たな愛称も決まり、近代的なアーケードはいろは会の長い歴史に画期的な一頁を加えました。また同年11月にはカラー舗装も完成し〝華麗な商店街”の誕生は当時「いろは会」の名を区の内外に強くアピールしました。 

 

 

施設案内東京-67 えびす製菓 本店

施設案内東京-66 お札と切手の博物館

施設案内東京-65 カキモリ 蔵前

施設案内東京-64 キラキラ橘商店街

施設案内東京-63 しばられ地蔵 業平山 南蔵院

施設案内東京-62  ジョイフル三ノ輪商店街

施設案内東京-61  すみだ水族館

施設案内東京-60  すみだ北斎美術館

施設案内東京-59  たばこと塩の博物館

施設案内東京-58  ねぎし三平堂

施設案内東京-57  延命寺

施設案内東京-56  下谷七福神

施設案内東京-55  下谷周辺

施設案内東京-54 下谷神社

施設案内東京-53 花王ミュージアム

施設案内東京-52 葛飾区郷土と天文の博物館

施設案内東京-51 乾燥木材工芸資料館

「東京施設案内 0~50」

施設案内東京-50 丸石ビルディング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする