日本通史の旅―古代史紀行・平安鎌倉史紀行・室町戦国史紀行
宮脇俊三
講談社
この年末年始にずっと読んでいた。
僕はもともと学生時代から日本史が好きで大学入試センター試験も日本史を選んでいた。愛読書は小学館の「まんが日本の歴史」全21巻であった。
しかし、ここ数年は世界史のほうに関心がうつっていた。ぼくは世界史の知識があまりにもお粗末だったのでちょっと補強しようと思ったのである。そんなわけでしばらく歴史関係の本は世界史にちなむものが多かった。
一方で、中学生の長女が中間試験だ期末試験だといって日本史の質問をしてくる。最近の歴史の授業はよくしたもので、年号や人物の暗記で済まさせず、鎌倉時代に新仏教が成立する背景とか、江戸時代における米価安の諸色高の理由とか問題に出してくる。適当な答えで済ますわけにはいかない。
そんなわけで久々に日本史をトレースしようと思った。
とはいえ、いまさら教科書みたいなものを読んでもつまらないので、本書を手にしたのである。
著者の宮脇俊三氏は17年前に亡くなった紀行作家である。鉄道旅行作家として有名だったが、彼の場合、単なる鉄道マニアではなくて、地理や歴史に対する深い教養があった。
その代表的なものがこの「日本通史の旅」である。単行本としては「古代史紀行」「平安鎌倉史紀行」「室町戦国史紀行」の3巻がある。
この「日本通史の旅」は歴史の時系列順にゆかりの地を旅するというものだった。それもかなり細かく刻んでいる。第1章は日本海の島である対馬の訪問から始まる。日本史をどこから始めるかはいろいろ議論があるが文献上で最初に現れるのは対馬である。第2章は壱岐の訪問、第3章は出雲の旅行記となる。第7章くらいでようやく魏志倭人伝に出てくる国々となる。そこからしばらくは大和朝廷の時代となって、大和や飛鳥地方の訪問記となる。奈良時代には奈良が中心、平安時代には京都が中心になるが、地方になにかエピソードがあればそこまでとんでいく。たんなる名所名跡めぐりではない。学術調査にしか訪れないような場所にも足を運び、碑が一本立っているような場所でもそのエピソードが歴史上重要であればそこまで行く。公共の交通機関がないところなければタクシーを使い、そうでなければ歩きに歩く。大化の改新で有名な藤原鎌足の痕跡をたどるために群馬県の多胡碑まで赴いたりする。平将門ゆかりの地をめぐるために常総地区の湿原地帯を彷徨するし、楠木正成ならば千早城の険しい山を登る。大海人皇子や後醍醐天皇が吉野にこもるので、この旅でも何度も吉野に出向く。日本だけでなくて韓国(百済や高句麗との関係で)にも訪れる徹底ぶりだ。そんな進行速度だから、連載開始は1987年1月、最後の連載となった関ケ原の章は1999年8月だった。10年以上費やして江戸時代に行きつかなかったのである。
もともとは明治維新くらいまで行く予定ではあったらしいのだが、そのあいだに著者も高齢になり、体調も崩し気味となって体力の限界ということで関ケ原までで終了となったのだ。著者が亡くなったのは2003年、77才であった。
そんな内容だから、文献や遺跡をたよりに日本の歴史をトレースするならば本書の通読で十分おつりがくる。単なる旅行見聞記ではなくて、その時代についての概説もつどつどしてくれるから、史実としてなにがあったのかもわかる。学校の勉強用にするにはちょっと向かないが(文科省の学習指導要領に入っていない話も多いので)、日本史をぞんぶんに味わえる異色の本と言えよう。関ケ原で終わってしまったのが本当に惜しまれる。
しばらく世界史の本ばかり読んでいたので、改めての日本史どっぷりは新鮮だった。
世界史の面白さは、地政学的なものの見方やシステム的な因果関係のゆえに事態が進行していくさま、国家と宗教と民族と人種という様々なレイヤーがうごめくところである。それは全般的にマクロな視野である。
一方で、日本史は日本にクローズアップされるぶん対象がミクロになる。一人一人の登場人物の足取りや思考に思いをよせることになる。時代は違えど同じ日本人同士ということで少なからず共感したり同情したりする部分も出てくる。著者もところどころに著者ならではの人物評や世評を挟んでいて、それが面白い。古事記における武烈天皇が残忍な人として書かれているのを指して「容赦なく悪しざまに記述できるということは、どう書いても罰せられる心配がないからであろう。これは政権の交代を意味する。社史の類にしても同様である。」と書いていて思わず笑ってしまう。長岡京跡を訪ねた章では、桓武天皇が弟の早良親王を処刑したことを「よき協力者で実弟の早良親王を断罪するのは辛かったろうが、やむをえなかった。この非情と忍耐は徳川家康に似通うものがあるように思われる。二人とも長期安定政権の創設者である。」と述べている。なるほどとうなづく。後醍醐天皇については「諸芸に秀でた傑出した人物だったようで、こういう人が紆余曲折をへて天皇の地位につけば権力志向が強くなる。中世の帝王の心境をおしはかるのは無理だが、私の社会経験からすると、そう見える。」となんとも興味深い感想を述べている。著者は作家になる前は中央公論社の名編集者だった。
それにしても歴史を知るというのは盛者必衰の理をみるということなんだなとつくづく思う。これは世界史も日本史も変わらない。
天皇家も蘇我氏も藤原氏も平家も源氏も北条氏も足利氏も織田氏も豊臣氏も、ほんの短い栄華と長い長い低迷や凋落の繰り返しである。飛鳥時代以降権力闘争にあけくれる藤原氏も内外の政敵を駆逐してようやく平安時代に藤原道長で頂点にたつが、次の代では男子が生まれなかったために天皇の外祖父になれず、あっという間に凋落する。まことにあっけない。足利氏なんて一五代続くが、三代目義満のときだけが栄華でのこりの一四人はめちゃくちゃである。そもそもこの日本という国、飛鳥時代に大宝律令が制定されて租庸調制度とか口分田とか整備されたが、本質的には江戸時代までは日本というところは無政府状態だったといってもいいのかもしれない。
そして、文献や遺跡遺物のはざまから垣間見られる庶民の暮らし。それこそはどこまでいっても悲惨なものだ。貴族の没落なんて所詮は程度の問題である。庶民こそは重税や使役を課され、戦さに巻き込まれ、燃料替わりに家を燃やされ、飢餓や疫病に晒された人びとたった。何度も遷都を繰り返した聖武天皇を指して、そのたび造営に駆り出される庶民にとっては大迷惑以外の何物でもなかっただろうと述べている。まったくそうだろうなと思う。