読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

イシューからはじめよ【改訂版】

2024年12月15日 | ビジネス本
イシューからはじめよ【改訂版】

安宅和人
英治出版


 「イシューからはじめよ」はえらく売れたビジネス書だそうだ。刊行時に書店で平積みされているのを見たときはなんか鼻について敬遠したのだが、このたび「改訂版」が出たということなので読んでみることにした。

 本書の主張は、仕事でも何でも、なにか取り組むときには見通しがたたないまま着手するんじゃなくて、まずは要となるところを見定めてそこから逆算するように全体の進行設計をたてろ、ということである。つまり最短距離をまずは見つけてからそれから走れ、ということだ。
 これだけ書くと当たり前のように思うのだが、この世の中には当たり前でないこいことをしてしまうことはざらである。なんだかよくわからないからとにかく手をつけてみるとか、しょせん人が見通せるこの先なんてのは限界があるとか。よって、最終ゴールにたどり着くまではしなくてもよかった余計な仕事や回り道をしてしまう。昨今ビジネス界で盛んに言われる「生産性の高い」とはこの余計分が少ない人ということでもある。
 この「要となるところ」を本書はイシューと読んでいる。イシューとはissueのことだ。本書が確信犯的に「イシュー」と書いているように、どうもここにしっくりくる日本語がない。僕も「要となるところ」となんとなくぼやかしてしまったが、どういうものが「要」になるのかをぴしっと言いきれないでいる。
 イシューを日本語で訳すと、英和辞典では「課題」とか「問題」とか「争点」とか出てくる。「課題」も「問題」も「争点」も微妙にニュアンスが異なる。
 ・課題⇒結論が出ていないこと
 ・問題⇒解答があるはずのいまだ未解決のこと
 ・争点⇒合意がとれていない未解決のこと
 といったところだろうか。ここらへんをまとめて「イシュー」という。
 本書における「イシュー」の定義は著者によれば
 ①2つ以上の集団の間で決着のついていない問題
 ②根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題
 の両方の条件を満たすもの、としている。
 ①に従うならば、無人島に一人でいる場合は「イシュー」は起こらないことになる。また②に従うならば、どうすればいいかわかって後はとりくむだけのものも「イシュー」とは言わないことになる。
 つまり、「相手がいて見解の統一がまだできてなくてでもこの部分がスッキリすれば万事うまくいくんだけどなあ」というところが「イシュー」になる。「イシューからはじめよ」とは、そういうところをまず見つけてそこから段取りを逆算しなさいよ、ということである。

 閑話休題。
 「ハンス・フォン・ゼークトの4象限」という有名な組織論がある。
 組織に所属する人を、「有能か無能か」「やる気があるかやる気がないか」で4象限に分類するやり方だ。「有能×やる気あり」がいちばん優秀かというとそうでもない。「無能×やる気がない」がいちばん使い物にならないかというとそうでもない、というのがこの象限の面白いところだ。どの象限に属する人も、組織の中でそれぞれ有益なポジションがある。ただし例外は「無能×やる気あり」だ。これはまわりに害を与えるおそれがあるので始末したほうがよい、とされる。
 僕は会社の中の立場ではいちおう管理職というものであり、したがって部下がいる。このゼークトの組織論はなかなか頑強で、ぼくも部下を見てこいつは「やる気のない有能タイプだな」なんてことを心の中で値踏みしている。僕自身が他人からどう分類されているかはこの際無視する。
 そこで、確かに手を焼くのは「やる気のある無能タイプ」なのである。ひとりで明後日の方向を追いかけて締め切り間際に見当違いのアウトプットを持ってきたり、意味のない作業を後輩にさせてしまったりする。

 さて、本書「イシューから始めよ」に話を戻すと、このイシューから始めるタイプを、直観的にできてしまう人は「やる気のない有能タイプ」に多いように思う。さっさと仕事を終わらせてしまいたいから、あとくされない最短距離を見つけるセンスに長けてくるのだろう。こういう人はいまさら本書は必要ない。
 で、そう考えると「イシューから始めよ」というメソッドは、最短で及第点を突破するための方法、と言えなくもない。つまりそのテストの合格ラインが80点ならば100点ではなくて80点越えをすればいいのである。とことんビジョンを追求するアーティストの思考法を述べた「東京藝大美術学部 究極の思考 」の逆とでも言おうか。安打を量産することと逆転ホームランを打つこととどちらが大事かは時と場合によるが、本書はやたらにトレーニングに精をだしているのに凡打しか出せない人に対しての啓発本ということになる。要するに「やる気のある無能タイプ」にむけてのものなのだ。
 こんど彼に読ませてみようか。


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セールスにはびこるムダな努力・根拠なき指導を一掃する 営業の

2024年12月07日 | ビジネス本
セールスにはびこるムダな努力・根拠なき指導を一掃する 営業の科学

高橋浩一
かんき出版

 いまの僕は管理職、それも内勤なので、自分でセールスに関わるような提案書を書いてクライアントのところに行ってプレゼンするような機会がほぼなくなってしまった。先日、久しぶりに自分がそれをやらなければならない機会があって、久々なので勘所を忘れてしまっていた。提案書にはどんなことを書けばいいんだっけ?

 この「どんなことを書けばいいんだっけ?」というのは、マーケティングとかソリューションのことを指すのではない。「どういう書き方をすればクライアントはその提案をお買い上げをしてくださるか」である。いってみれば、提案書そのものがクライアントという世界におけるマーケティングに裏打ちされているものでなければならない。正論を正面から書いてもクライアントが素直に採用するとは限らない。むしろそうではないことの方が多い。世の中は生き馬の目を抜く本音と建前の生存競争であり、競争相手だっているし、予算のことだってあるし、クライアント自身の思惑や保身やプライドもある。提案を通すというのは、提案の中身も大事だが、そういったクライアントのコンディションをめぐるファクターもまた重要なのである。

 というわけで本書は「営業の科学」。営業とは足と熱意と度胸だよ、というのは昔の話、パフォーマンスが優れている営業とそうではない営業をアンケート結果から比較してそのココロをひも解いた本だ。正直言うと僕はアンケート結果というものをあんまり信用していない。「人は自身の本当のところをアンケートで答えることはできない」とさえ思っている。国勢調査のように事実関係をYESかNOかみたいなもので尋ねるタイプならばズレもないが、「あのときあなたは何を思いましたか」とか「どうしてあなたはそうしたのですか」みたいな意識めいたものを問う質問は、言語化以前の脳味噌の判断も多いにあるし、様々なシナプスの連鎖反応の結果でもあるし、肌感の直観のときだってあるだろう。質問作成者が作る質問や選択肢の文章が、回答者が普段あやつっている言語感覚と合致したもであるかどうかもあやしいし、この中から選べと提示されている選択肢の区分が適切かどうかもあやしい。

 だから、本書のアンケート結果そのものはそんなに注目はしなかったけれど、著者が導き出すロジックそのものはけっこう勉強になった。というか、そうだそうだたしかにそうだ、と忘れていた感触を思い出した具合である。その大前提は「お客様は本音を話さない」というところである。

 じゃあ、どうすれば本音を話してくれるのか、といえば、ここで出てくる決まり文句が「信頼関係」だ。いかにクライアントと「信頼関係」をつくるか。そこにごまんと回答がある。トップセールスをほこる保険や自動車のセールスマンは何が違うのか? 飛び込み営業の名人は何が優れているのか? とはいえ、こういうレジェンド級営業による信頼関係の作り方はやはり常人離れしていて、凡夫たる我々が即とりいれられるものでもない。

 では、本書はどうか? 本書はかなり分厚いのだが言っていることはシンプルで、実に「本音の引き出し方」と「決裁のさせ方」である。「本音の引き出し方」は、「あなたの個人的主観でいいから・・」という枕詞をつけて回答しやすくさせろとか、あえて「困ってないんじゃないですか?」という角度で質問することで相手の課題を口に出させろとか、急に見積依頼がきたときは見積だけでなくてお役立ち情報も渡して「話が早くて頼りになるやつ」というポジションをまずつかめとか、なんかビジネスマンマンガなんかで指南されそうなことが次々と出てくる。「信頼関係」という言葉で投げ出さないところがミソだ。こういうのは耳学問じゃなくて体が会得しなければならないものだけれど、こういった勘所も最近の自分は忘れかけていたなと思う。

 これくらいならWEB記事とかにも出てきそうだが、「決裁のさせ方」の中に目を見張るものがあった。決裁の権限を持つ者は独断専行かというと多くの場合はそうではなく、何を基準にそれを選んでいいかわからなかったりする。そこで「決裁のさせ方」、これさえ押さえていれば、決裁者は安心して決裁する。ここにそれを書いてしまうと営業妨害になるような気もするので適当にはしょるが、営業トークだけでなく、提案書を書くときとかも肝要である。それは

 ・課題の把握
 ・解決策の希少性
 ・費用対効果

 が抑えられているということだ。本書にはもう少し詳しくそれぞれのことが書いてあるのだが、この話をきいて僕は、提案を通すには「3つのi」が大事なんだよ、という会社の先輩の話を思い出した。それは   
 ・issue (課題)
 ・insight(課題解決の根拠)
 ・idea  (独創的な企画)
 というやつだ。わりとよくできているので、先輩も何かの受け売りだったのではないかと思っているのだが、これとよく似ている。どちらも「課題」で始まっている。

 この最初の「課題は何か」をとらえ損なうと、間違った方向に踏み出してしまう。いくら斬新なソリューションがあっても、費用対効果があってもお門違いになる。したがって「課題は何か」はとても重要な第一歩なのだが、厄介なことに「自分はいま何が課題なのか」は案外にクライアントもわかっていないものである、

 しかも、この提示する「課題」が求められるスイートスポット範囲というのはわりと絶妙なのだ。「そんなの言われなくてもわかっているよ」では関心を持ってもらえないし、「それ、本当に本当なの?」という新奇性が強すぎても疑われたり、相手の脳にうまく入ったりしない。
 じゃあ、クライアントが納得する最適な課題の把握とは何か。それは僕の経験では「言われてみりゃ確かにそうだな」という読後感を得るものである。

 「そうそう言われてみりゃ確かにそうなんだよ」と課題を言い当てられたら、回答は半分出たも同然なのだ。根拠が少々怪しかったり、課題の分解がMICEになっていなくても、クライアントが「言われてみりゃ確かにそうだな」と反応すれば、それは好感触である。反対に、いくらデータが出そろっていてもロジックが完璧でも、クライアントに「言われてみりゃ確かにそうだな」がなければ、その提案はどこかで自然消滅する。

 ところで。もともと僕は「どういう書き方をすればクライアントはその提案をお買い上げをしてくださるか」の勘所を忘れてしまって本書をひも解いたのだった。行き着いたのは「言われてみりゃ確かにそうだな」とクライアントがつぶやきそうな「課題」を提示することだった。
 でも、このスイートスポットを探り当てるにはどうすればいいのだろう? これはもはや「営業」ではなくて、「マーケティング」とか「コンサルティング」とかの世界になってくる。これもかつてはなんかうまく探し当てられたような気がしたのだが、これこそは日ごろの世の中の観察とか、日常のちょっとした違和感を見つけるアンテナが大事だ。内勤の管理職なんかやっているとこういうのからどんどん離れていく。書を捨てよ街へ出よとか、事件は会議室で起きているんじゃない、とか、そういう世界だ。これだけこたつ記事があふれている今日、ポイ活目当てのモニター登録者が答えるアンケート結果からみられる分析なんかに「言われてみりゃ確かにそうだな」は見つからない。まさかマーケティングのほうが足と熱意と度胸の世界になるとは。

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刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機

2024年12月03日 | 歴史・考古学

刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機
 
関幸彦
中公新書
 
 
 刀伊の入寇キター!
 
  最近の日本史をテーマにした新書は「観応の擾乱」とか「中先代の乱」とか渋いところをついたものが多くて興味深かったが、まさか「刀伊の入寇」が一冊の新書になってやってくるとは。
 
 「刀伊の入寇」は僕にとって謎に満ちていた事件だ。なにしろほとんど言及されたものを見たことがないのである。高校生のときに学校で使っていた山川の教科書でも欄外に注釈みたいな一文が書かれていただけで、情報量としてはほぼゼロであった。
 なので「刀伊の入寇」でまるまる新書一冊というのは僕にとってタイトルしか知らされてなかった謎の事件の全容をいよいよ知るということなのである。
 
 それにしても「刀伊の入寇」が、元寇のように語り継がれていないのははぜだろうか。本書を読むまでは史料がそれほど残ってないからかとも思っていたが、どうやらそれなりに記録は残っていたようである。むしろ日本があっさりと迎撃してしまい、元寇ほど歴史的インパクトを残さなかったことが理由としては大きいのかもしれない。
 たしかに元寇はその後の日本の歴史に作用した。北条政権すなわち鎌倉時代を追い詰める一因になったし、日蓮宗という新仏教の隆盛とも因果をつくった。元寇という事件は歴史の流れに影響を与えるものだったと言える。
 だけど「刀伊の入寇」が平安時代の流れに何がしかの影響を与えたかというとどうもそこまでは言えないようである。刀伊軍が対馬の地を襲撃してから最終的に朝鮮半島のほうに敗走するまでの期間はわずか半月程度で、全体的にみれば日本の完勝であった。海の反対側から女真族が攻めてくるという平安時代最大の対外危機でありながら歴史の教科書で軽視されてしまうのはこのあたりが背景だろう。
 
 むしろ平安時代というあの世に、刀伊軍をあっさり潰走させるだけの兵力をもった日本軍がいたという事実のほうが考察に値する。
 
 つまり、「刀伊の入寇(1019年)」の理解とは、平将門や藤原純友の反乱である「天慶の大乱(939年)」と、源頼義・義家親子の東北遠征である「前九年の役(1051年〜)」というミッシングリンクをつなぐことなのである。
 
 「天慶の大乱」と「前九年の役」という武士が関わる二つの争乱の間には藤原摂関政治の頂点時代がすっぽりとはまる。「刀伊の入寇」があったときの京都はあの藤原道長の時代なのだ。どうもこの時代の印象は王朝文学とか国風文化であったり朝廷内の内ゲバ的な権力争いだったりして、なんとなく生ぬるい平和な印象がある。一方で浄土思想なんかも芽生えていて決して煌びやかなだけではないけれど、その前後の時代に比べるとどうも緊張感がないなというのが僕のイメージであった。本書によると朝廷や京の貴族たちは海外情勢もよくわかっていなかったようである。
 
 だけど中央部がふやけているということは、地方への行政指導力が弱まったということでもあり、地方はそのぶん自治が強まっていった。税制としての班田制が廃れて荘園制が台頭し、治安を確保するための警察力として武士(兵)なるものが育っていくのである。教科書では武士についての記述は「天慶の大乱」の後は「前九年の役」まですっとばされてしまってこの間のことがわからなくなってしまっているが、刀伊の入寇があったとき九州北部には兵団と兵力があったのだ。中世への序章はすでに始まっていたのである。
 
 この地方におけるガバナンスのあり方は100年近く時間をかけて完成されていったようだ。律令制が緩み、由緒ある出自の国司崩れや在庁官人(桓武平氏、清和源氏、藤原傍流など)と地元の有力豪族の虚々実々なバーターがあって利害の一致と協力関係の仕組みとして整えられた。「天慶の大乱」は監視が緩やかな地方において貴族のボンボンが調子こいて火遊びしちゃったような面が無きにしも非ずですぐに鎮圧されてしまったが、「前九年の役」では蝦夷サイドの安倍氏がなかなか強く、朝廷が派遣した源頼義も手を焼いた。結局、源頼義が勝利したのは安倍氏と同じ俘囚の清原氏(後の奥州藤原氏)が源氏側に加担したことが大きい。それでも安倍氏を討ち破るまでには11年を要することになった。「刀伊の入寇」はこの両者の過渡期に起こっているのだ。
 
 刀伊が入寇してきたときの日本側の総司令官的立場にあったのが藤原隆家だ。この人は藤原道長の甥に当たり、前半生は宮廷内で権力争いをしていた。有名な花山法王誤射事件なんかにも関わっていて、藤原伊周と一緒に左遷させられたりしている。道長にとってかなり煙たい存在であったようだ。いろいろあっての太宰府への赴任は隆家本人の希望であったとされるが、道長は九州勢力と結託するのを恐れて妨害しようともしたらしい。
 しかし、結果的には隆家が太宰府にいたことは刀伊の入寇において日本側の僥倖と言えるだろう。彼はなかなか気骨ある貴族だったようである(もともと荒っぽい性格だったようだ。枕草子にも登場する)。地元の豪族もよく管掌していた。刀伊との戦闘においては戦略戦術ともによく機能し、刀伊軍を蹴散らしたのは彼の統帥が優れていたからでもある。太宰府は国防上の要所だからそれなりの人物を配すことにしていたのだろう。もしも紀貫之のような人間がこの時の太宰府権帥だったら目も当てられなかっただろう。
 
 
 ところで善戦したとはいっても刀伊軍の経由地であった対馬・壱岐の犠牲は甚だしい。元寇のときもそうだが、この二つの島は地政学上の宿命として悲惨な歴史を負っている。日本人はもう少しこの二つの島に関心を持ってよいのではないかと思う。

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デザインはストーリーテリング  「体験」を生み出すためのデザインの道具箱

2024年11月26日 | 編集・デザイン
デザインはストーリーテリング  「体験」を生み出すためのデザインの道具箱

著:エレン・ラプトン 訳:ヤナガワ智予
ビー・エヌ・エヌ新社


 銀座はGINZA SIXの6階に蔦屋書店が入っている。小洒落た空間でカフェが併設されている。扱っている本は、インバウンドを意識してか日本文化を扱ったものも多いが、全体的にはアートや建築に関するものが幅を利かせていてそういうコンセプトの本屋のようだ。
 ふらっと立ち寄る機会があって、なにげに棚を眺めていたら本書の装丁とタイトルに惹かれた。ぱらぱらめくると大きなイラストと読みやすい文字組。奥付を調べてみたら2018年刊行の本だ。すこし時間が経った専門書は一般の大型書店でも出くわしにくいので、これも僥倖と思うことにして買ってみることにした。要するに衝動買いである。

 あらためて読んでみれば、かなり欧米(というかアメリカ)のカルチャーと、いかにも翻訳翻訳した文であったが、何事も3段式にしてしまえば食いつきやすくなる、という話に興味がわいた。

 ・魅入る映画は、序盤・中盤・終盤がはっきりしている
 ・物事の手順を教えるときは3ステップに分解して教えると理解しやすい
 ・我々が美味しいものを食べたり、セックスで快楽を得るのも3段階である(欲する⇒気に入る⇒満足に浸る)
 ・要点をまとめるときは「3つある」とするのがよい。(3つめが肝心、ないしオチにするのがコツ)

 なお、本書でみられる三段式は、クライマックス曲線とでもいうか、左向きの滑り台みたいな形の推移で表現されている。誘惑してどんどんカタルシスを高めていって絶頂に達し、クールダウンは速やかに、という形だ。あけすけではあるが人間の本能や生理に即しているのだろう。

 というわけで、美術館なり遊園地なり、あるいはコンカフェなりは、単にモノを見せたり買わせたりするだけでなく、建物に入る前から、建物から出た後までを3段式を活用して体験設計するとよい、ということだ。本書はほかにもいろいろ手法や考え方が紹介されていたが、なんとなくわかった気になったのは上記のことである。


 考えてみれば、TED式プレゼンとか、1枚で説明せよ系のハックでもこんな感じの説明がよいとされている。

 ①こんなことありませんか? (課題という名の誘惑)
 ②これで解決しちゃうんです!(ソリューションの提示)
 ③具体的にはこうやって解決します、あるいは具体的にこんな良いことがあります! (自分ごと化)

 ジャパネットたかたのトークもこうだよな。これで雨の日でも気にせず洗濯ができる! とか。

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谷川俊太郎氏 逝去

2024年11月21日 | その他

谷川俊太郎氏 逝去



 本当に「詩」で食っていけている人はこの日本では絶対的に少ないはずだが、谷川俊太郎氏はその中のひとりだっただろう。彼の訃報に際し、SNS上ではめいめいがお気に入りの氏の詩を上げながらお悔やみの投稿をしていた。


 若き日のデビュー作「二十億光年の孤独」は今から70年も前に発表されたものだが、現在読んでも心に迫るものがある。デビュー作がこれでは、ピークアウトが早すぎてしまやしないかと思うくらいだが、その後も彼の詩は世間に愛され続けてきた。


 僕は13才のときに、東京都内にある某私立中学校を受験した。国語で出題されていたのが谷川俊太郎の「朝のリレー」だった。受験本番の入試問題という非常事態にも関わらず、この「朝のリレー」のあまりにも清廉さに僕は心を奪われてしまった。谷川俊太郎の名前は知っていた。小学6年生の国語の教科書にも出ていたし(「りんごへの固執」だったと思う)、あとで書くけど僕にはおなじみの名前だった。


 だけど「朝のリレー」は、そのときが初読だった。カムチャッカの・・で始まって次々とメキシコ、ニューヨーク、ローマとつながっていく言葉のマジックは、純粋な13才の僕の心をノックアウトしたのである。40年前の話なのにしっかりと覚えている。

 にもかかわらず、というべきか、それゆえにというべきか、僕はこの中学校の受験に落ちてしまった。


 だけれど、僕はこの「朝のリレー」と出会うためにこの中学校を受験したのだ、とずっと思っている。

 この「朝のリレー」は、その後テレビのCMなどにも使われて谷川俊太郎の代表作になった。彼の作品の中でも特に抒情性と優しさに富んだ詩である。


 しかし、なんといっても僕にとって谷川俊太郎といえば「スヌーピーの翻訳者」だ。スヌーピーやチャーリーブラウンでおなじみのコミック「ピーナッツ」を50年にわたって我が日本にて翻訳してきたのは彼である。そのことは「スヌーピーたちのアメリカ」という本を紹介したときに克明に書いた。ピーナッツのマンガを初めて手にしたのが僕が小学校4年生のときなので、私立中学の入試問題よりも小学6年生の教科書よりも、僕は翻訳家として谷川俊太郎の名前を知ったのだった。日本において、ピーナッツの翻訳が単なる英文翻訳家でも児童向け翻訳家でもなく、詩人の谷川俊太郎であったことは日本にとってまことに奇蹟的幸運だったと本当に思う。


 晩年の彼の講演を聞いたことがある。千葉県にある美術館で行われたイベントだった。自作の詩を朗読した。既にご高齢だったからあまり声の張りはなかったが、いやいやと照れながら朗誦する姿を見ながら、目で追う詩と耳で聞く詩はぜんぜん別物なのだと強く思った。楽譜を見るのと実際に音で聞くのの違いくらいーーというと大げさすぎるが、台本を読むのと実際の舞台を見るものくらいの違いはあったような気がする。谷川俊太郎の詩は音なんだなと思った。ご冥福を祈る。


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この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

2024年11月18日 | SF小説

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

(※「新世界より」「復活の日」「渚にて」のネタバレに触れているので注意)

 

ルイス・ダートネル 訳:東郷えりか

河出書房新社

 

 

サバイバル百科事典あるいはサイエンス読み物の名を借りたSF小説とでもいおうか。

つまりは、「大破局」なる人類滅亡後に幸いにも生き延びたものがどうやって生活の糧を得て生き延び、再建していくかというのを、飲料水の確保の仕方、農業の始め方、建材の集め方や作り方、家の建て方、情報の取り方、移動の仕方、薬の調達の仕方など解説していく。

 

ただ、本書の示すような「世界の消え方」にはいくつか条件がある。

つまり、人類は滅亡しても建物とか道路とか文明の利器はしばらくそのままあるということだ。もちろん電気やガスは止まっているが、スーパーには食品がひとまずあるし(散乱しているかもしれないが)、乗り捨てられている乗用車などもある。人類だけがいない。サバイバルのためにはこういう残された文明の再利用からまずは始まるのである。

だから、「ノアの箱舟伝説」のように、大地を大津波が襲っていっさいがっさい流されてしまい、かろうじて高いビルの上にいた人だけが生き残った、とかだとこの条件にはあてはまらない。「地球の長い午後」のように、地球の自転軸にまで影響を与えるような破局も、破滅度がデカすぎてちょっと無理な気もする。「火の鳥未来編」のように核爆弾が世界中で同時多発的に投下されるのも都市が壊滅しすぎてしまい、土壌も汚染されるからダメな気がするし、「風の谷のナウシカ」の「火の七日間」も破壊力が強すぎそうだ。

いっぽうで、少しずつ人口が減って滅亡に瀕するというのも破局の設定としてはよくあるのだが、これも本書にはちょっとあてはまらない気がする。このパターンには貴志祐介の「新世界より」なんかがそうだ。ほかにも「トゥモロー・ワールド」や「世界を変える日に」のように人類に子どもが生まれなくなるというSFもあるが、いずれにせよ人口の減少と同時に都市機能も少しずつシュリンクしていくはずなので、あちこちに残る文明の残骸を再利用を試みるには、すでにもう撤去されてなかったり、仮に放置されていたとしても建材や道路の劣化がひどすぎ、時間が経ちすぎているとみるべきだろう。

 

したがって本書の設定する大破局はわりと条件が狭い。あてはまるとすれば、謎の病原菌が蔓延し、速攻で人がバタバタ死んでいった中、幸運にも隔離された環境にいた人が生き残ったというパターンだろうか。「復活の日」や「渚にて 人類最後の日」などの設定だ(「渚にて」は最後全滅してしまうが)。また、一見全然違うようでいて案外似ているなと思ったのは「火星の人」(映画名は「オデッセイ」)である。

 

つまり、普遍的なサバイバルというか文明の再建を解説する体でありながら、これが成立する条件というのはわりと狭く、その裏側には何か物語がーー「復活の日」や「渚にて」や「火星の人」のようなこういう破局条件に導かれるようなSF的な物語がそこにはあるはずなのである。その破局に至る物語は読者各自の想像にすべて委ねてしまい、ただクールに文明を再興させる方法を解説するという、なかなか高度なテクニックを用いたこれはSF小説なのである。それは「復活の日」にて南極大陸から戻ってきたあなたかもしれないし、「渚にて」でなぜか耐性を身につけたあなたかもしれないし、「火星の人」のように、人類全員が別の星に逃亡したのになぜか地球にひとりおきざりされたあなたかもしれない。その設定はすべてあなたの好みである。なんとわくわくする読み物ではないか。

 


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人類学者と言語学者が森に入って考えたこと

2024年11月13日 | 民俗学・文化人類学
人類学者と言語学者が森に入って考えたこと

奥野克己
伊藤雄馬

教育評論社


 僕が文化人類学の本(といっても入門書)を読む理由は、観察対象を知るためというよりは、僕自身をとりまく生活環境の閉塞感の打破のためであることが多い。日々の生活において約束事や決まり事で忙殺されているうちに、価値観がどんどん狭窄的になる。知らず知らずにストレスが溜まっていく。

 そんなときに、自分とまったく違う世界において、まったく違う価値観と生活様式で生きる彼らを知ることで、自分自身がとるにたらないことにとらわれていたのだ、と気づくことができる。これは精神衛生上まことによい。文化人類学の本を読むことは、僕にとって詩集よりも写真集よりも癒されるのである。このことは「文化人類学の思考法 」のところでも書いた。

 ということを、もう少し本気でディープに語っているのが本書である。ボルネオ島のプナンの民を調べる人類学者の奥野克己氏と、ラオスの少数狩猟民族ムラブリを調べる言語学者の伊藤雄馬氏の対談と寄稿で構成された本だ。社会人類学者のティム・インゴルドやインフルエンサーのプロ奢ラレヤーなども引き合いに出していきながら、プナンやムラブリの生活のありようから、日本社会として何が学べるかを議論している。本書ではそれを「すり鉢状の世界の外で生きる」と表現している。我々の日常はすり鉢の中の世界で、あたかもそれが全てのように生きているが、実はその外にも世界があるという見立てだ。プナンやムラブリはすり鉢の外である。

 両者が行う議論の内容は難解なものもあるが、根本的には絵本作家ヨシタケシンスケの名言「それしかないわけないでしょう」という観点だ。科学的に真実はひとつでそれ以外は間違い、というものの見方に対し、いやいやA だってBだってありえるのだ、と発想する。「科学的に真実はひとつ」というものの見方自体が生き方の選択肢の一つである、ということである。「幽霊が見える」という人に対して、幽霊が見えるわけないじゃないか、何かを幽霊ということにしているのだ、というメタな話に収めるのではなく、彼らには幽霊が見えるのだ、ということをそのまま受容するのである。幽霊が見える世界観の中を彼らは生きている。そこから、幽霊が見えない我々は彼らから何を学ぶことができるかを考える。西洋論理学の基本である弁証法に似てなくもないし、いったん断定を保留するエポゲーのようでもある。哲学的態度による試みと言えよう。


 本書の白眉と言えそうなのが、伊藤氏が語る、インゴルドの引用をさらに発展させたofからwith、そしてasへという話だ。
 つまり、かつて文化人類学は、対象をあくまで距離を保ちながら観察していた。安全な場所から一部分だけをクローズアップしてみていたのである。それは対象のofを見ていたことになる。博物学や物見遊山を出ていない。インゴルドは、そうではなくて、観察対象とはwithでなければならない、とした。一緒に生活して一緒に食べて一緒にものを見て、はじめてそこで観察対象のことがわかる。参与観察とかフィールドワークとか今では当たり前になったが、そのココロは他者から学ぶということだ。文化人類学は観察の学問ではなく、我々がどう生きるべきかの取り入れる学問になったのである。
 伊藤氏は、さらにas、「…として」の境地を目指す。withいうところの「一緒に」というのはまだ対象に没入していない。日本人のままである。日本人がムラブリと一緒にいるのではなくて、ムラブリとして生きてみる。日本人がムラブリになれるわけないじゃないか、に対して「それしかないわけないでしょう」。本人がasになりきれている、と言うならば、多自然主義ならばそれもありなのだ。それどころか、本人がムラブリにasならば、その活動場所はもはやラオスでなくてもよい。日本でもよいのだ。その境地に達した伊藤氏はラオスへの渡航を中止してしまった。

 このof、with、asは、自分と対象の距離と重なり具合そのものであろう。ofは離れており、withは部分的につながっており、asは完全に対象の中に自分が入り込んでしまっているわけだ。こうなると完全に身体感覚である。むしろ頭で考えて理解しようとしている限りでは、本当に取り込んで対象から学びや糧を得ることはできない、ということでもある。本書では第2言語習得論というのが出てくる。「モニター仮説」というのがあって、それによると言語を覚える際には習得(無意識)と学習(意識)があるそうだ。習得されたシステムが発話の生成を行い、学習された知識はその発話が正しいかどうかをモニターする、という仕組みである。モニター機能が強すぎると、正しさの追求のあまりに発話ができなくなる。日本人の外国語苦手な習性はここにきているのかもしれない。少なくとも僕自身にはすごく思い当たる仮説である。出川イングリッシュは習得がずば抜けているということだろう。
 しかし、これもof、with、asという概念が援用できる。ofに留まる限り、あるいはwithであったとしてもそれは正しさを追求する「学習」的態度を免れない。しかし、本当に身に付けるにはasによる習得ということになるのだろう。
 伊藤氏によれば、asでいるためには単にムラブリの言語に興味を持つのではなく、彼らの会話の中身や生活そのものに興味を持たなければならない。この時点でもはや「言語学者」を逸脱する。対象を無限抱擁するasになることことそ、我々の日常生活ーーすりばちの中の生活から、外に出でる道なのだろう。

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「自分の意見」ってどうつくるの? 哲学講師が教える超ロジカル思考術

2024年11月06日 | 生き方・育て方・教え方
「自分の意見」ってどうつくるの? 哲学講師が教える超ロジカル思考術

平山美希
WAVE出版


 表題には書かれてないけれど、本書は「フランス流 自分の意見のつくりかた」といったところだ。著者は、フランスはソルボンヌ大学に留学後、現地にて教鞭をとっているらしい。

 何かの事象なり誰かの発言なりに接して、それに対してどう思うか? これすなわち「自分の意見」である。会社員なんてやっていると、自分の意見を求められることはよくある。同じくらいの頻度で、特に求めてないのに「自分の意見」を永遠としゃべり続けて周りを困らせる人もいる。

 「自分の意見」というのは案外に難しい。本書はイラストのテイストからみるに高校生大学生むけに書かれているのだろうが、この歳になってもまだ難しい。それは意見ではなくて感想だろう、というのは自他ともにあるし、それは主観に過ぎないだたのコメントだろう、というものだって多く心当たりがある。本書では「主観でない意見なんてない」と喝破しているが、主観か客観かというよりは、その意見は聞くに値するか、何事かの参考になるか、意思決定に役立つか、という観点からみたときに無用な意見であればその理由として「それは主観に過ぎない」とくさされるのが実態に思う。
 意見を言った後のその場の空気が気になって、その意見が正解だったのか不正解だったのかをひどく気にする国民性の日本人は、意見を言うのに口が重くなる。一方でフランス人はそんなのは無頓着でとにかく何か言う訓練をしている、というのが本書である。もちろん口から出まかせではなくて、それなりのロジック構築の訓練を子どもの頃から受けている。このあたりはアメリカのShow&Tellにも通じる話だ。

 そのフランス流の具体的テクニックとは、「問いをたてる」「言葉を定義する」「物事を疑う」「考えを深める」「答えを出す」というステップにあるとか、人が何かを主張するときは発言者が主に何にこだわっているかを「道具性」「経済性」「論理性」「良識性」で大まかに分類して、議論の際はそこを揃えないと水掛け論になったりボタンの掛け違いになったりするとか、弁証法、帰納法、演繹法を駆使せよ、とかいろいろ解説がある。

 それぞれについての解説はなかなか面白くて、この歳になってもなるほどなあと思ったりもする。とくに「①そもそも→②たとえば→③たしかに→④でも」というフォーマットで文脈をつくると自分の意見になる、なんてのは哲学講師ならではだ。矛盾や逆説を導き、さらにはアウフヘーベンさせるのは哲学思考の基本所作と言えるだろう。①は議題がなんであったかの確認、②はその議題の具体例、③は議題が是となる理由の導き出し、ときてここまで与件を揃えてから④でも・・・と導いてみたときに脳味噌は何を引き出してくるか、だ。なにかにつけて反対したり否定したり難癖付ける人はこの④の神経が研ぎ澄まされているのだろうと思うが、①②③をクリアにすることで、それなりに説得力が出てくる。

 要するに本書の伝えたいことは、「自分の意見を言う」というのはそこになんらかの正解(right)があるということではなく、ちゃんと答え(response)ができるということなのである。


 とは言うものの、議論好きの外国人(西洋人に限らない。中国人なんかもそう)とつきあっていると、単に自分の言いたいことを言ってアイデンティティを満たしているだけだな、と思うことは多々ある。まさに単なるresponseだ。
 「建設的な意見」という観点から見れば、海外の議論好きの中には「オレは言いたいことを言った。この『意見』をどう使うかはお前次第だ」という態度の人が多いように思う。しかも、その議題の結論がどうなろうと己の立場は変わらない人ほどいろいろ意見を言ってくる。
 と書くとまるで嫌味っぽいが、要するに自分の発言にそこまでの責任を持たないし、相手もそこまで発言内容の責任を追及しない、という合意がそこにあるのだろう。文化と言ってもよい。日本語は冗長性が多くて定義があいまいなまま会話が進行するのが特徴とされる言語だが、それゆえに上手いこと言えたか言えなかったかは発言者の言語あやつり能力の責任に帰結させることが多い。つまり発言するからには意味がなければならず、失言に不寛容である。一方で英語みたいにロジックがしっかりしている言語は、発言の趣意や定義は明確になるが、それだけに「でも人間そんなに一貫になれないよね」という前提があって発言そのものの責任制は軽くみられている(つまり失言に寛容)とか、そんな見方もできそうだ。英語やフランス語はそれが建設的かどうかは無頓着に意見しやすい言語ということなのかもしれない。

 なんて書くと、著者からはこの「自分の意見」とはまさにあなたはどう考えるのか、という問いへの対応を説いているのであって、議題の解決を進めるための繰り出し方を説明しているわけでない、と指摘されそうだ。「意見」というと社会課題への意見表明みたいな硬派なものを考えがちだが、むしろ食レポを上手にこなすやり方くらいの温度感でとらえるべき話なのかもしれない。


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婚活マエストロ (ネタバレ)

2024年10月29日 | 小説・文芸
婚活マエストロ (ネタバレ)

宮島未奈
文藝春秋

 「成瀬は天下を取りにいく」の宮島未奈による新作小説。発売日を待って満を持して書店で購入。文芸作品で発売日を指折り待つなんてウブな買い物は何年ぶりであろうか。デビュー作である「成瀬シリーズ」が賞も話題も総なめだったので、作者にとって完全新作の第2作目は大変なプレッシャーだったのではないかと思う。あの元気はつらつなノリの作風で、婚活といういまどきテーマをもってくるのだから、ある程度の佳作にはなりそうな予感はあるものの、婚活ネタはすでに辻村深月の「傲慢と善良」とか垣谷美雨の「うちの子が結婚しないので」とか石田衣良の「コンカツ?」とか藤谷治の「マリッジ・インポッシブル」とか定番の激戦市場でもある。最初の数ページを読み進めるときは、面白くなかったらどうしようとこちらまで緊張してしまう。

 それは杞憂だった。最初の方こそ安全運転かな? とも思ったが、章を追うに従ってエンジンがかかった感じだ。まさか成瀬シリーズでおなじみの琵琶湖の遊覧船ミシガン号が登場するとは思わなかったが、その章あたりではもは作者も吹っ切れていたように思う。最終章を読み終えたときはあと2,3話ほしいぞと思うくらいだったが、このくらいの読後感がちょうどいいのかもしれない。それともひょっとしたら続編が出るのかしら?


 主人公は40才になっても学生アパートに住むこたつ記事フリーライターの猪名川健人、いわゆる三文記者である。ヒロインは婚活支援事業をやっている零細企業ドリーム・ハピネス・プランニングの社員の鏡原奈緒子。あとは社長さんと大家さんが強いて言えばの準レギュラーで、他はその場限りの登場人物がほとんどだ。なので第1章を読み終えたあたりから猪名川健人と鏡原奈緒子はくっつくなという予感がしたし、手強いライバルの出現も、あらぬ誤解の大失態も、絶望的な大喧嘩もない。要するにハリウッドの恋愛コメディのような周到なプロットではない。そういう意味ではストーリーラインはほぼ微温のそよ風といった感じだ。
 そもそも、このドリーム・ハピネス・プランニングが開催する婚活パーティ自体がかなりぬるい。参加者が椅子を自分で手で持って運ぶとか、飲み物が水出しのコップ麦茶とか。それなのにドリーム・ハピネス・プランニングの結婚支援事業がそこそこ続けられているのは、鏡原奈緒子が高確率でカップルを成立させる「婚活マエストロ」としてそこそこ評判だからということになっている。
 鏡原奈緒子がなぜそんなにカップル成立の腕を持っているのかは詳細は本書に委ねるが、とは言うものの、読んでみた限りでは、そこの事情はこの小説のメインでも重要な伏線でもなかったように思う。単に人の目線や声色を読み取る観察力が人一倍鋭いのだ、でも通用したのではないかと思うくらいだ。

 じゃあ、この「婚活マエストロ」。いったい何が面白いのかというと、全体を漂うこの「ぬるさ」がクセになる。ドリーム・ハピネス・プランニングが主催する婚活パーティのへんな手作り感も、インターネット黎明期のようなホームページ(阿部寛の例のあれのようなものらしい)も、まあまああまり肩肘張らないでやろうよと言っているようである。
 だいたいSNSの鉄板ネタ「デートでサイゼリヤに行けるか」を知ってか知らずか(いや作者は確信犯なんだろうが)、何度もサイゼリヤで食事するあたりはかなり意味深である。しかも必ず看板商品かつコスパ最強の「ミラノドリア」を頼んでいる。もしかしてこの小説、「本気で結婚を考えている」ならばサイゼリヤに行けるか、あるいは行ってくれるかこそが相性のリトマス試験紙だと暗に仄めかしているようだ。
 しかもその果てに、そもそも婚活婚活いいながら、猪名川健人と鏡原奈緒子がだんだんくっついていくという、けっきょく職場恋愛かい! というツッコミどころもあってひょっとしたらこれは婚活小説の革命かもしれない。


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最先端研究で導き出された「考えすぎない」人の考え方

2024年10月23日 | 生き方・育て方・教え方
最先端研究で導き出された「考えすぎない」人の考え方

堀田秀吾
サンクチュアリ出版


 だいたい、読書好きでこんなブログを長々やっているくらいだから「考えすぎる」クチである。家人にもよく言われる。
 「考えすぎ」は必ずしも良い結果につながらない。考えすぎているときは考察の対象が厄介ごとや面倒くさい類のものであることがほとんどだし、思考がぐるぐるして寝つけなくなったり、自家中毒みたいに隘路にはまって他のことに手がつかなくなってしまうこともある。身に染みてわかっているのだが、この「考えすぎ」は性分としかいいようがない。

 「悩まずにはいられない人 」という本によると、「悩んでいる人は悩みたいから悩んでいる」そうだ。悩んで立ち止まっているほうが事態を前に進めるよりも精神的に楽だからだ。
 これに準えれば「考えすぎの人は考えたままでいたいから考えすぎている」と言えるだろう。

 そうではなくて、考えるのはほどほどにしてちゃっちゃと決断しなさい。その決断の内容がのるものかそるものかは、結果論からみれば実は大事ではない。自分が味わうことになる幸福感(Well-being)としての結果はその決断内容がどういうものであれ、考えすぎて決断を先延ばしにしておくよりももずっと高いというのが統計的に証明されている。本書の「最先端研究」によるとそうなのだそうである。

 また、とにかく先に「行動」、つまり、えいやで手をつけちゃったほうがその先にいろいろ考えるべき判断があるにしても最善に近い結果に着地しやすいとも本書では示されている。早起きにしろ雑事の片付けにろ気が進まない他人への連絡にしろ先延ばしにいいことはない。ひところ流行ったアドラー心理学では、人は考えてから行動するのではなくて、まず行動してからそこに考えがあてはまっていくと唱えられている。だから、行動しないでぐちゃぐちゃ考えるというのは、「考えること」そのものが行動になりさがってしまい、その「考え」に「考え」当てはまることになってずるずると自家中毒のようになっていく、ということだろう。

 ということは、いちばんハードルが高いのは「行動」の最初の一歩である。重たい石の車輪をごろっと一回転させるごとく、ここの気力が大事なのである。フットワークが軽い人はこの最初の一歩にためらいがない人だ。


 僕だってもちろんそんなことはわかっているのだ。それでいて考え過ぎちゃうのだから始末に悪い。むしろ大事なアジェンダは「どうすれば考えすぎずに行動にうつせるか」である。本書によれば

 ①情報を過多にとらない。
 ②メリットデメリットで考えない。
 ③「損しないためには」という発想で考えない。
 ④第3者視点で見つめてみる。
 ⑤なにか夢中できるものに気をそらす。
 ⑥文字にして書き出す

 を挙げている。なるほど、あらためて解説されると思い当たることばかりだ。

 ①情報を過多にとらない。
 行動経済学でもよく言われているが、選択肢が増えると人は判断できなくなる。目の前に3つしか商品がなければ自分が買うべきものはすぐに選べるが、10個並んでいるとどれが最善の選択だかわからなくなる。これは様々な角度からの情報が増えて優先順位が作れなくなるからだ。昨今はとにかく情報が多い。しかもスマホでいちど調べたり注目したりしたニュースや情報については、レコメンド技術によって次々と類似情報が目に入るようになった。もちろんその中には相矛盾するものだって含まれている。判断の材料としては迷うものが増えていってどうしていいかわからなくなる。
 したがって、少ない情報のほうでとどめ、後はシャットアウトしたほうがむしろ行動には出やすくなるということだ。先に言うように、行動をしてみた結果がなんであれ、行動をせずに感じる結果よりは幸福感満足感は高いのだから、意図的に情報は少なくしておくというのは確かにありなのだろう。
 
 ②メリットデメリットで考えない。
 ぼくはあまりメリデメで検証するようなことはしないのだけれど、ぼくの周囲にはこのタイプがいる。しかしこれもいい判断結果を導かない。なぜかというとメリットよりもデメリットのほうを人は過剰反応するからだ。これも行動経済学で有名な指摘である。「結婚はすべきか」なんて問いをメリデメで考えるなんてのはあるあるだが、どうしたってデメリットのほうが多く挙がるし、深刻に見える。そうすると「やらない(つまり行動しない)」というジャッジになりやすい。メリデメ論に陥ったら思考のトラップだと思ったほうがいい。

 ③「損しないためには」という発想で考えない。
 これは、致命的な判断ミスにつながるリスクがあるからだ。「損」に対してのインパクト評価を人は実情以上にとってしまうので、それをカバーしようとしてとんでもないことをする。本書ではギャンブルで損した分を取り戻そうとありえないな大穴狙いをしてしまう話を挙げているが、出銭に関することだけでなく、いわゆる不祥事の隠蔽や粉飾行為もこれに当たると思う。怒られたくないあまりに嘘を嘘で固めたり、「クライシスマネジメントの本質 本質行動学による3・11大川小学校事故の研究 」のように、形だけの整合性をとって面倒を背負うことから回避している間に中身が破滅的なことになっていく例は枚挙にいとまがない。

 ④第3者視点で見つめてみる。
 いわゆる「離見の見」というやつ。自分のことというのは冷静に見れないものである。他人が同じ状況に陥ってたら、案外に自分はその人に冷静にアドバイスをしたり、論点がどこかがはっきりわかったりするだろう。よく自称を自分の苗字や名前で話す人(女性に多い)がいるが、あの自分自身を遠巻き感覚でみる感受性は、ライフハックの一つかもしれない。

 ⑤なにか夢中できるものに気をそらす。
 当座の考察はいったん脇においといて趣味でもスポーツでも他のことに頭を全振りすると、気分もよくなるし、脳の回路もほどけて考察の対象がシンプルになるということ。「アイデアの出し方」にも似たような話がある。脳生理学的に有効なのだろう。園芸が心身によいというのも(「庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭 」参照)同じ観点かもしれない。強制的にぼーっとしてみるのも有効とのこと。いわゆるマインドフルネスだな。

 ⑥文字にして書き出す。
 頭の中のぐるぐるは手を使って文字に書き出すといい。ジャーナリングとも言う。これもよく知られたライフハックだが、スマホのメモ帳などを使うのではなくて実際に手に筆記具を持って書くところがポイントのようである。前頭葉が動くことで、ぐるぐるを司っていた大脳辺縁系の動きがおさまるそうな。要するに「考えすぎる」脳の運動をそもそも止めてしまう効果がある。


 本書のサブタイトルは「最先端研究で導き出された」だ。とは言え「考えすぎ」は情報過多時代の現代病かというとそうではなく、昔の人はこういうのを「下手な考え休みに似たり」「案ずるより産むが安し」と言っていたわけである。昔から人間の性としては知られた習性なのだが、だから考えすぎることに対してどうすればいい塩梅に落ち着くのかは永遠の問いなのかもしれない。さらに最々先端の研究結果求む。

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アマテラスの正体

2024年10月21日 | 歴史・考古学
アマテラスの正体

関裕二
新潮新書


 著者の本は初めてだ。先行する著作がいくつかあるようで、本当はそちらを読んでからのほうがよさそうではある。

 僕自身は日本書紀も古事記もよく知らないので、本書で書かれている著者の主張が妥当なのか奇想天外なのか判断するだけの知識も材料もない。だから本書の判断や結論からは距離を置くとして、とはいえ、古代史ミステリー話はキライではない。ヤマトタケルは鉄文化の伝播に託した神話だよとか、邪馬台国は本当は岩手県の八幡平にあったんだよとか。

 とはいえ、日本人が学校の授業で正式に習う日本古代史は、文部科学省が認可した日本史の教科書のそれである。日本の古代史にあたっては、僕が中高生の頃(30年前)と現代とでは、考古学分野での調査や研究が進んでだいぶ記述が変わったそうだ。仁徳天皇陵は、大仙古墳(伝仁徳陵)になったそうだし、聖徳太子は実在さえ疑われだしてとりあえず厩戸皇子という記述になった。
 何よりも、僕が学生の頃は、古代日本については壱与なる巫女が女王に付いたあとは、中国の歴史書から倭国の記述が消えてしまってその後しばらくどうなったかわからない、とされていた。100年くらいの空白期間があって中国や朝鮮の文献に倭国に関する記述が再び現れ、それと考古学的な研究をあわせてどうやら4世紀あたりには近畿地方に支配力の強い王権ができたらしい、とされていた。越前から某人物が奈良盆地に繰り出して継体天皇になり、九州で磐井という連中が反乱を起こしたくらいが軽く触れられて、教科書は仏教伝来の話になっていく。

 最近では、東日本地方での発掘が進んだり、科学的アプローチが試みられるようになって、隔靴掻痒の感があった古墳時代の日本のありようがだいぶ見えてきたようである。古墳の分布を人口衛星から解析したり、出土品に残された染料や糸の成分から製造地を比定したりもするそうだ。

 このような考古学的アプローチが進んでくると、もともと怪しいとされていた日本書紀や古事記の記述はますます眉唾になっていく。元来が編集方針として神話色がつよい古事記はともかく、日本国家の正史を編纂しているつもりの日本書紀も、天孫降臨などの神話時代のエピソードはともかくとして、一見もっともらしい歴史的記述だったり、「神話のフォーマットを借りた史実の何かだったのだろう」という好意的に解釈できたエピソードも、どうやら出鱈目だらけと疑心暗鬼にかられる。

 もっとも、建国史が荒唐無稽であるのは日本に限らないだろう。正史の編纂なんてのは施政者の立場をより頑強にするために編纂されるものだ。本書は、日本書紀の編纂を事実上指導したとされる持統天皇と藤原不比等によって、天皇家と藤原家がいかに由緒正しくこのまほろばの国を治めるに至っているのかを説明したいがためにかなり牽強付会な編纂を行っているとされる。あったはずのことがなかったことにされたり、あるはずの無いことが書いてあったり、人間のはずが神様扱いになっていたり、Aの神様がBの神様にすりかえられたりしている。その詳細は本書に委ねるが、あまりにも饒舌で僕はとてもついていけない。

 学生の頃からぼくが素朴な疑問を持っていたのは、なんで同じ時期に同じような内容の歴史書ーー古事記と日本書紀が編纂されたのだろうということだ。もともと焼失した歴史書があったらしく、それの復刻とさらなる論理強化を目指したのが日本書紀と古事記ということで、どちらも天武天皇の指示によって開始されたプロジェクトだそうだ。両者は文体や物量、刊行の目的が異なるとされていて、対比表みたいなものも検索すれば出てくるが、大同小異じゃね? という気がしてならない。むしろ素人のピュアな発想では、こういう似たようなプロジェクトが同時発進する場合は社内コンペみたいに競わせたとか、あるいはプロジェクトメンバー同士がライバル関係(あるいは敵対関係)だったんじゃないかなんて勘繰りたくなる。本書では、古事記は、日本書紀のウソを暴くための告発装置として書かれているなんて大胆な仮説を出している。人間の心理を考えるとこっちのほうがリアリティを感じてしまう。

 また、本書によれば、意外にいい仕事をしているのは「続日本紀」だそうだ。僕なんか、日本書紀の続編くらいの認識しかなかったのだが、実は先輩の日本書紀が胡麻化そうとしたことをしれっと暴露したりして、日本書紀の記述の信ぴょう性に冷や水を浴びせているそうである。
 これは「続日本紀」の編纂者による歴史家としての良心か、と思いたくなるが、もちろんそんなことはなくて、これさえも「続日本紀」編纂時代の施政者が己の立場を強くするために処置したものだろう。「続日本紀」が扱っている歴史範囲は飛鳥浄御原京から長岡京まで、つまり奈良王朝とそのエピ&プロローグであり、それをその次の時代、つまり平安京メンバーが書いている格好だ。
 要するに、「続日本紀」は天智天皇系(桓武天皇)の血統が天武天皇系(元明・聖武・孝謙など)時代の記述をしていることになる。日本書紀は天武天皇系が都合のよいような書き方をしているのだから、そりゃ否定してくるわけである。

 というわけで、日本書紀も古事記も続日本紀も、記述内容のもう一つ上のレイヤーで、皇族(および藤原氏の)の骨肉の争いを行間から見せているのだ。こういうの酒飲み話としてうってつけでとても面白い。


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東京藝大美術学部 究極の思考

2024年10月17日 | 芸術
hi
東京藝大美術学部 究極の思考

増村岳史
クロスメディア・パブリッシング

 久々に面白い本を読んだ。東京藝大美術学部すなわち「美校」の関係者をインタビューして考察した内容の本だが、やっぱりアーティストの思考回路を追跡する話は面白い。自分がそんなものを持ち合わせてない凡人ゆえのコンプレックスなのか、あやかりたいのか物珍しさなのか。いずれも思い当たる。こういうのをアンビバレントな感情と言うのかもしれない。
 だいたい「アーティスト」なんていうと、なんとなく自分勝手で世間様を舐めていて髪型や衣装も変にツッコミどころがあって、そのくせ傷つきやすいメンタルを持っている、という先入観イメージがある。我ら世俗に生きる者とは心の置き場所が違う仕様でできているように感じてしまう。
 しかし、本書は藝大美校生の思考を追跡することで、アーティストの思考が本来はアーティストではない我々の生活やビジネスにも敷衍できることも狙っているようだ。実際のところ僕は本書を大型書店のビジネス本コーナーで見つけたのである。

 本書に登場する美校関係者は油絵科、日本画科、彫刻科、建築科に及び、語られる内容は、そのユニークな入試のありようや彼らの受験時のハプニング、在学中の過ごし方から卒業後の意外な進路までと幅広い。そういった中から収束するように見えてきたのは、彼らの3つの特徴である。

 ①「ビジョン」というものを持ち合わせている
 ②「観察力」が徹底している
 ③「やり切る力」がある

 アーティストは、なかんずく美校生は、これらがいわゆる「アーティストではない人」と比べてきわめて研ぎ澄まされている、ということのようだ。

 ①「ビジョン」というものを持ち合わせている 
 アーティストが作品を制作するにあたっては、何かを具体的に作り出す前に、そもそもビジョンやアイデアを持っていなければならない。つねに「ビジョン」は頭の上を浮遊している。この「ビジョン」なるものは北極星のごとくにぶれず、創り出す作品群の根底を流れる思想である。芸風とかテーマと言ってもよさそうだ。
 一作品ごとに全然違うテーマやアイデアを繰り出すアーティストとか、いつも出まかせのアーティストというのはあまり存在しなくて(いるとすれば「でまかせ」がビジョンなのである)、奈良美智はいつもコワい目の子どもを描くし、草間彌生といえば水玉模様である。坂本龍一の音楽は東洋音階に特徴があったし、支持されているJ-POPアーティストはみんな一聴すればわかる芸風がある。これらはみんな彼らが「ビジョン」と言うものを持っていて、それにしたがって諸作品を創り出していると言えるだろう。生涯に作風が何度も変化したピカソやストラヴィンスキーも、その「ビジョン」が掲げられていた期間には集中してそのビジョンに沿った作品を発表し続けた。それに、一見作風が変遷したようでも根底には何かしら一貫した思想があったのかもしれない。

 彼らが持ち合わせるこのビジョンが、世の中にどう受け止められるかで、そのアーティストの人気は大きく左右される。単に「わたしはこのようなビジョンを持ってます」ということをわからせるだけでは不十分だ。そこに見る人聴く人の心をざわざわと動かすような何かが求められる。鑑賞者をうならせたり、泣かせたり、畏れさせられるほどのビジョンがあれば、その人はアートをやっていく強い礎を持っていることになるだろう。
 とはいっても「ビジョン」は正論や善なものとは限らない。背徳、邪悪、危険、いびつなもののほうが鑑賞者の心をざわつかせたりすることだってある。藝大では入試の際に実技が求められるが、単に上手に描くのではなく、審査員になんであれ「さあ、あなたはこれについてどう思う?」という問題を投げかけるような「問うた」作品が望まれるのだそうである。

 ところが、アーティストでない我々(というか僕)は、「ビジョン」なるものを持って人生を送っているのかと問われると急に自信が無くなってくる。「貯金を1000万円貯める」「社長になる」「いつか世界一周してやる」「貧しい人を助ける」「自然を大事にする」などと、絵空事ふくめていくつか挙げてみても、特にぴんと来ない。自分の仕事に関して「社会に役立つ仕事をする」「地域の人が喜ぶ仕事をする」「未来に残る仕事をする」と言えばどれもそうありたいはずなんだけれど、じゃあそれが日々の自分の仕事の諸生産に反映しているかというとまったくそんな気がしない。我々の仕事はアーティストにおけるビジョンと作品の関係のようにはならない。
 そりゃ、アートと普通の人の仕事とは違うよ、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、本書には彫刻科出身でソニー生命のライフプランナーに就職した人物が登場する。彼いわく「彫刻のノミが保険証券に変わっただけだよ」。つまり、彫刻のノミと保険証券をアウフヘーベンしたものがあって、そこが彼の「ビジョン」の位置なのである。これはなかなか凄いことを言うなと思った。この「●●が××に変わっただけで、○○であることには変わらない」というのは思考フォーマットとしてなかなか使えると思ったけど(○○に何を置くかがポイント)、ちょっと思考実験してみたらこれはなかなか簡単なことではなかった。

 ②「観察力」が徹底している
 とはいえ「ビジョン」とは寝転がっていれば浮かび上がるものでもない。ビジョンが定まるのも、ビジョンに基づいて具体的な作品をつくるのも、まずはインプットが必要で、そのもとになる力が「観察力」である。アーティストは一般人に比べて観察力が鋭いことが本書ではしばしば指摘される。

 じゃあアーティストの観察力は具体的に何が凄いのか。それは
 ・「非言野」で観察する
 ・「バイアス無し」で観察をする
というのが本書の解答である。どうも一般人であるところの我々は、物事や事象を観察して把握するとき、本人の意識無意識に関わらずに脳みその「言語野」というところで情報を整理するそうだ。要するにコトバとして事象を把握しているのである。ヨハネの福音書が「はじめにことばありき」という冒頭で始まるとか、寒い国では雪や氷を表す言葉が何十種類もあるとか、言語による認識こそが世の中の認識という見立てはわりとハバを効かせている。
 しかし言うまでもなく森羅万象は人間様が言語化しようがしまいが絶対的にそこに存在する。それは風の囁きのように聴覚で把握できるものもあるし、黄昏時の空模様のように色覚で取り込めるものもある。いわば世の中は多次元で情報を発信しているわけで、そんな事象を言語という一次元情報に圧縮するということはそこにかなりの情報の簡略化や取りこぼしが発生するということである。

 アーティストは、事象を観察するときのこの取りこぼしが一般人よりもずっと少ない。その秘訣は脳みその「非言語野」を活性させながら観察してるのよん、ということだそうだ。一般人の観察力が音声メモアプリならば、アーティストのそれはマルチトラックレコーダーということだろうか。非言語野、つまり視覚聴覚嗅覚触覚すべてをそのまんま開いて事象を把握する。

 ただし、一般人ががんばって非言語野の脳みそを動かして観察しようとしても、その事象の把握はバイアス、つまり自分自身が持っている知識や経験というフィルター越しに事象を把握してしまう。雲をみればその色は白色と早合点し、赤ちゃんはよちよち歩くものという認識が先に出来上がっており、フォークの先は3本に分かれている、という先入観で事象を見てしまうのだ。バイアスというのは脳みそのショートカットであって、そうやって情報処理を合理化しながら裁くことで人間の脳は生存能力を磨いていったのだろう。
 しかしその結果、実際の事象とはずいぶん違う形で物事をとらえてしまうことが多いのだそうである。実はそのフォークは4本に分かれているのだが、そのことに気づく人はほぼいない。素人になんの手ほどきもなくスケッチをさせると、実態と本人の認識のずれがよく出るのだそうである。

 観察力を身に付けるには、自分自身が本来もつ知識・経験・先入観を排して、そして非言語野を解放して、つまり無我の境地で対象のあるがままを見る必要がある、ということだそうだ。観察力の鋭いアーティストはこの能力が備わっているらしい。
 ここに学ぶものがあるとすれば、我々も物事を観察するときは、サバンナの動物のようなつもりで、ぼーっと瞳孔を開きながら、だけどちょっとした異変にも気付く覚醒気分で挑めということになる。
 そうやって観察力が研ぎ澄まされると、そこにビジョンのタネが宿るようだ。

 ③「やり切る力」がある
 「観察力」がなければ強い「ビジョン」も持つことはできない。では「ビジョン」を持たないで生きていくとどうなるか。
 短視眼な生き方になってしまうのである。
 人生の大目的がたいへん希薄になり、とにかく目の前の雑事・些事・仕事を無事にケガ無くこなすことが目的の日々になっていく。いろいろなことに一喜一憂しながら毎日を過ごす。処世術には長けていくが、次第に目の前のクリアすべき課題に対し、最小限の労力と時間で最大の効果がはかれるようなバックキャストを繰り返す日々になっていく。想定不能なものに対して忌避していく態度になっていくし、冒険もしなくなる。
 ビジョンのない人生を無事に生きていくためには生存本能的にそのように脳みそが行動決定されていくんではないかという気がする。

 一方で、ビジョンを追いかけて生きる人は、毎日発生する雑事・些事・仕事も、どうやって「ビジョン」につなげようかという意思が働く。ビジョンに絡まない平穏な些事より、ビジョンにかこつけた無骨な些事のほうが人生は面白いという発想になる。ここにあるもので何が生まれちゃうかか考えてみようというトリガーキャストの発想になる。「死ぬこと以外かすり傷」という名言があるが、こう言えてしまう人は人生にビジョンがあって、些事の失敗なんかかすり傷ということなんだろう。ビジョンがないと、些事のひとつひとつの失敗があたかも人生上の大ケガになるような大ダメージの錯覚があってついつい安全運転してしまう。

 とはいえ「ビジョン」をただ掲げ続けるだけではただのホラ吹きである。その実現のために石にかじりつくおもいで実践をチャンレジし続ける。金が尽きようがひと様に指をさされようがチャレンジを続ける。一作つくって満足ということはまずない。一作で満足できるビジョンなんてのはたかが知れているビジョンだ。
 したがってそのビジョンが求めるものを何作も何作もチャレンジすることになる。ここで心が折れるか折れないかがアーティスト人生の分かれ道だ。諸事情によって道半ばでビジョンを捨てる元アーティストはごまんといるだろう。
 ということで、「やり切る」というのは一種の才能なんだなというのが本書を読むとよくわかる。アーティストというとひ弱なイメージがつきまとうこともあるが、いやいやどうしてアーティストは頑強でなければ務まらないのだ。このあたりはアスリートの精神に通じるものがある。

 ただし、面白くもおかしくもない日常の雑事・些事・仕事を、have to(やらされ)なものとして片付けず、何がしかのビジョンの体現にするのだとmust(使命感)なものとしてこだわることができれば、「やり切る力」はずいぶんつくのではないかと思った。細部のこだわりを大事にするいわゆる「ていねいな暮らし」なんてのも同じ話なのかもしれない。このあたりはアーティストではない我々も一聴できる思想だろう。
 もちろん、会社でこんなことやってると、お前のこだわりなんかどうでもいいからちゃっちゃとその仕事を仕上げろと叱られること必至である。くだんのソニー生命に就職した元彫刻科生は恩師から「やりたいことをできる環境に身を置くのを才能という」と教えられたそうだ。

 上記の通り、藝大に集うようなアーティストは並大抵ではないわけだが、この「やり切る力」に関連するところで言うと、以前「アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方 」という本を読んだ。「アーティスト・ハンドブック」によれば、このアーティスト足れというプレッシャーそのものにどう負けないか、ということがとにかく大事なのだということである。アーティストであり続けるには自分を信じて作品づくりを続けるしかない。本当にそれは優れたビジョンなのかとか、自分には観察力があるのか、というよりも、自分はいいビジョンを持っている、自分の観察力は大丈夫である、そして自分はやり切れる、という自分への信頼だけがアーティストのエンジンなのである。まして技術技法のうまい下手なんてのはさらにその次なのである。
 要するにアーティストを名乗れるかどうかというのは、売れているとか人気があるとかではなく、自分の主張する作品を生み出し続けることができるか、と言う気力を持ち続けらえるかということに尽きるようだ。彼らの「究極の思考」をぜひ我が日常に取れられたらと思ったものだがこれはこれで日々是修行なのだな。


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こうすれば人は動く

2024年10月08日 | ビジネス本
こうすれば人は動く

著:デール・カーネギー 訳: 田中孝顕
きこ書房


 43才のときに管理職を拝命して部下を持ったとき、どうしていいかわからなくて手に取ったのが本書であった。たまたま電子書籍のセール対象か何かだったと記憶する。

 僕は学生の頃から長いこと読書を趣味にしていたから、かなり色々な分野の本を漁ってきたけれど、いわゆるビジネス書の類は40代になるまでほとんど手を出してこなかった。毛嫌いしていたと言ってよい。もともと会社とかビジネスとかあまり好きな世界ではなかったのである。もっと高いレイヤーでの人生観・世界観というのを自分は大切にしているのであって、会社での仕事というのは、人生を送る手段の一部として利用するものでしかない、と意固地になっていた。終わらない中二病みたいなものであろう。

 しかし、部下というものを持つということは、彼らを指示・指導しなければならない。頭を下げてお願いすることだってあるだろうし、時によっては叱責をしなければならないこともあるだろう。
 会社の約束事の上では、人事評価権をもつ管理職とその部下という関係性において、部下は上司の命令に従わなければならないことは百も承知だが、そんな軍隊式の指示系統を蛇蝎視してきた自分が管理職になった瞬間にそれを行使するのは、それこそ人生観に反することだった。
 ということは、会社の上下組織だからというのではなくて、ちゃんと一人の人間としての人徳と説得力でもって相手を動かさなければならない。もちろん部下の立場から見れば、自分の直属上司という看板が部下自身を動かしている以上でも以下でもないのは百も承知で、これは僕の独り相撲なのかもしれないが、しぶしぶ動かれるよりは心から動いてもらうほうがよいに決まっている。
 しかしどうすればいいのか。自分が平社員だったときの上司の顔をいろいろ思い浮かべても理想と呼べるものがない。誰もかれも威圧的か迎合的かで、この人のような管理職になりたい! というモデルがいなかった。そもそも僕自身が組織とかチーム戦とかが子どもの頃から肌に合わないのであった。したがって部下の連中がこの組織下において何にモチベーションを持つのかわからないのである。
 そんな心境のところに、本書は転がり込んできたのであった。

 本書は僕の腑にすごく落ちた。本書はひたすら具体的なエピソードの連なりで編集されているのだが(再現ラジオドラマの書き起こし本みたいな体裁)、要するには、人に動いてもらうのに叱責も威圧もカリスマ性も必要ない。要は相手を信用し、相手を信用していることをめいっぱいに言葉と態度で示し、相手がかけてもらうと嬉しい言葉を想像しながら、常に上機嫌でいろということなのである。
 実際にこの本の僕における効果は抜群であって、僕の部署(といっても数名の部下がいるだけだが)の部下はかなり積極的に機嫌よく働いてくれた(と信じたい)。1930年代のアメリカを題材にした内容なので時代も場所も異なるはずだが、むしろそれだけに時空を超越した人間性に普遍的な内容であったということだろう。「心理的安全性」なんて言葉は影も形もない時代の話である。

 その後、少しはビジネス書や自己啓発書も読んでみるようになったが、その結果わかったことは、いわゆる部下を指導する系のリーダーシップ本はけっきょく本書の範囲を逸脱していないということだ。これこそが古典の持つ凄みであろう。
 なお、著者のカーネギー自身にも「人を動かす」という大変に有名な本(3部作のひとつ)があって、そちらも流し読みはしてみたが、この「こうすれば人は動く」のほうがよりとっつきやすい。つまり、偶然にも藁にも縋るつもりで手にした本書はまさに僥倖だったのである。

 はじめて本書を読んでから10年近く経っていて僕は相変わらずの万年中間管理職なのだけれど、さいきんスランプ気味でもあって久しぶりに本書をひもといた。ここに書かれていることは今でも遵守しているつもりだったが、全体の言わんとしている雰囲気は覚えていても、細かいひとつひとつの話はほぼ忘却の彼方だった。読前読後で目の前の地平が変わるような読書体験でも、その中身の詳細は10年も経てば忘れてしまうものである。血肉に消化されたのだと思えばいいのだけれど、これをきっかけにむかし心動かされた本の再読の旅をしてみてもいいかもと思っている。


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人生を狂わす名著50

2024年09月11日 | 言語・文学論・作家論・読書論
人生を狂わす名著50
 
三宅香帆
ライツ社
 
 
 本に耽溺してしまっているひとときというのはとても幸せな時間である。
 身も心も没入してしまう本に出逢うことは必ずしも多くないものだ。たいていの本は脳味噌の表面をさっとかすめて終わってしまい、二度と読み直されることはない。
 しかし、ごくまれに智と感と情すべてをゆさぶられ、読前読後で目の前に現れるこの世の地平の景色が変わるような本に出合うことがある。これこそ読書の値千金の効能であって、こういうのを名著という。
 
 
 というわけで本書だ。著者は「なぜ忙しすぎると本が読めないのか」が大ブレイクして今や時の人である。きっとますます忙しくなって本が読めなくなっているかもしれない。
 本書は、50の本に対しての著者の偏愛プレゼンテーションが繰り広げられている。その熱量に圧倒される。紹介される本それぞれに著者が人生を狂わすポイントになったところについて解説されている。
 著者はここで「〇〇 VS ●●」という対立構図を描く。たとえば、J・Dサリンジャーの「フラニーとズーイ」では、「立派で完璧な人生 VS 笑えて許せる人生」がテーマである、と。読前は前者の規範で生きていたつもりが、読後は、後者もありだと思えるようになったという。中村うさぎの「愛という病」は「愛したい VS 愛されたい」。山田詠美の「僕は勉強ができない」は「学校の勉強 VS 人生の勉強」。司馬遼太郎の「燃えよ剣」は「結果のカッコよさ VS 姿勢のカッコよさ」。杉浦日向子の「百日紅は「ドヤ顔 VS さりげなさ」といった具合だ。
 「人生を狂わす」名著とは、このようなコペルニクス的転回を体験する本ということなのだ。
 
 
 ところで、著者がこれらの本で人生を狂わすコペルニクス的転回を味わうに至ったのは、そのときに著者が置かれていた事情・環境・心境その他が当然作用している。著者の個人的なエピソードもしばしばこの本には書かれている。
 ということは、名著に出会うためには、必然的に、極私的な事情と結びつかなければならないということになる。
 その人にとって名著であればあるほど、それは万人にとって名著かどうかはわからない。なぜならば、自分自身を根底から覆すような本というのは、当然ながら自分自身のコンディションーそのときの気分・状況・抱えている悩みなどがあって、それに対して本の内容が化学反応を迫るからだ。「名著とはまるで自分のために書かれたように思えるもの」と言えよう。
 もちろん、多くの人が感興を揺さぶられるーつまり「名著率」の高い本というのは存在するが、我が人生を狂わすくらいの「名著」となると、これは極私的な事情とは切っても切り離せないものになる。
 
 実際にこの本で紹介された50冊の中で、僕が読んだことがあるのはほんの数冊程度であった。しかもその数冊が、じゃあ僕の人生を狂わすほどの名著だったかというと、そこまでじゃないなーというのが率直なところだ。人生を狂わす名著なるものが極私的にならざるをえないひとつの証左である。(著者と全く意見が同一した唯一の例外は岸田秀「ものぐさ精神分析」だった。この本の破壊力はホントに凄いぞ)。
 
 じゃあ、お前にとっての名著はどれなのだ、というといくつか脳内に浮かび上がるのだけれど、この感じを他人にわかってもらうのはやっぱり至難な気がする。それに当時の僕の心境がそれを名著にしてくれたわけで、仮にいまいま現在の自分が初読だったら、またぜんぜん違う読後感だったことだろう。名著とは一瞬の邂逅なのだと思う。というわけで、自分自身が名著に思った本についてはまたいつか・・・
 

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工作舎物語 眠りたくなかった時代

2024年09月03日 | 編集・デザイン
工作舎物語 眠りたくなかった時代
 
臼田捷治
左右社
 
 
 さて、松岡正剛といえば、工作舎という出版社であり、「遊」という雑誌だった。
 
 工作舎は今でもばりばり現役の出版社で、科学と人文をアナーキーに融合させたようなハイブローな書籍を多く刊行している。「遊」はこの工作舎が1970年から80年初頭まで刊行していた雑誌だ。というより「遊」を制作・刊行するために組織されたのが工作舎の発端である。
 
 いまから50年以上前の雑誌の話だから、戦後出版史のひとつのエピソードではあるものの、この雑誌に関わった当時の若者から、その後にデザイン界や出版界で重鎮となるクリエーターやデザイナーが続出した。祖父江慎、松田行正、戸田ツトム、羽良田平吉、西岡文彦などがいる。さらに周辺まで見渡せば、アートプロデューサーの後藤繁雄、翻訳家の木幡和枝、博物学者の荒俣宏、前衛舞踏家の田中泯、そしてレジェンド級デザイナーの杉浦康平も「遊」に関わった。
 
 松岡正剛は工作舎の設立メンバーであり、「遊」の初代編集長だった。
 
 本書は、その松岡正剛率いる工作舎と雑誌「遊」について当時の関係者にインタビューしながら、駆け抜けた10年間を追想したものである。
 デジタル編集以前の時代だから、版を組むのも活字を拾うのも色を調整するのもすべてアナログの手作業、職人芸の世界だ。現在の出版業界からすれば、ここに出てくる人物や用語やエピソードはすべて神話の世界といってよいだろう。
 
 
 半世紀前の回顧録だけに思い出補正が存分に含まれているだろうとは言え、多くの人の証言から、当初の工作舎の内部は相当に異常であったようだ。
 
 まずは超激務。モーレツどころではない。風呂も入らず床下で雑魚寝の仮眠をとりながらの不夜城勤務は、混沌と熱気の1970年代だったにもかかわらず、労働基準局が抜き打ち査察にやってきたレベルだったようだ。
 しかも給料があってないがごとし。そもそも給与体系がちゃんと社則として整備されていたのかどうかも怪しい。工作舎にスタッフ入りする上で事前に給与についてちゃんと説明したのかどうかもかなりかなり怪しい。
 そして、極限まで突き詰めるアーティスト魂。ミリ単位の文字組み、色合わせ、採算度外視の印刷工程・紙素材の指定。けっきょく雑誌「遊」は不採算によって出資会社からの介入があり、初代編集長の松岡正剛は罷免させられるに至る。
 
 商業というよりは妥協を許さぬアーティスト集団であり、悪く言えばオウム真理教のサティアンを彷彿させてしまう。何事も平穏とバランスを重視する令和の世から見れば、ブラック企業を通り越して滅茶苦茶の極みだが、当時にあっても超激務と超薄給に耐えられずに逃げ出したスタッフは少なくなかったようである。本書に出てくるインタビューでも、松岡正剛のレトリックにうまく言いくるめられたとか、あのときは冷静じゃなかった、と振り返るコメントが見受けられる。
 興味深いことに、では松岡正剛は独裁者よろしく強烈な圧をかけて彼らにデザインや編集の枠をあてはめさせていたかというと、本書でのインタビューの限りは必ずしもそうではなさそうだ。むしろ彼はスタッフひとりひとりの特性ややりたいことを尊重し、ダメ出しはほぼなかったという。チクセントミハイ言うところの「フロー」状態に持っていくためのスタッフへの後押しの仕方をよく心得ていたということだろうか(各パートのリーダーが担当スタッフに罵声を浴びせさせてはいたようである)。松岡正剛といえば「編集」であり、彼によれば学問から料理からスポーツから森羅万象すべて「編集」なのであり、ということは人事やチームアサインも編集である。この人の癖とあの人の芸風をかけあわせればどうなるか、というチームアサインの妙を彼は編集技としてよく発揮していたのだろう。スタッフを熱狂させて業務に邁進させるだけのカリスマ的魅力が松岡正剛にあったのは確かなようだ。スタッフたちは、松岡正剛に心酔し、彼と同じような髭を生やして同じようなボキャブラリーで会話を試みたそうだし、労基局が踏み込んだときは、俺たちは好きでやってるんだと追い返したという。
 
 
 僕自身は、「遊」が刊行された時代は小学生の頃だったのでリアルタイムでこの雑誌のインパクトを体験していない。「遊」界隈で僕が最初に経験したのは、通っていた大学に杉浦康平が講演で来たのを聴講したことだった。畳み掛けられるスライドに圧倒された。継いで西岡文彦(版画家・現在は多摩美の教授)の本を図書館で見つけた。アートや思想といった曖昧模糊なものを図解と論理で語る説得力に痺れて彼の著作をかき集めた。松岡正剛という名前を意識するようになったのはその後に社会人になってからだった。会社も仕事も慣れずに疲労困憊していた頃に「知の編集工学」を読んだ。自分のセンスを信じて情報が自己増殖していくさまに委ねればよいということがわかり、僕は仕事に対しての力みが無くなった。本好きで書店通いが好きだったのでちょいちょいいろんな本を直感で選んで買っていたが、なんとなく気になったり気にいった本の装丁が戸田ツトムや松田行正や祖父江慎の手によるものを知ったのはさらに後だ。
 
 そんなわけだから、こうして書いているけれど工作舎や「遊」については僕は後から調べて知ったのである。特徴的な明朝体の感じとか、本文の周辺に図解や写真がレイアウトされる感じとか、中表紙や特集面に過剰な情報量の図解(現代風にいうとインフォグラフィックか)が現れる感じとかを、彼らの本や作品から共通に見て取れることには気づいていたが、その源泉は「遊」なのだということは、彼ら個別の芸風に触れたあとの答え合わせとして知ったのだ。三つ子の魂百までと言うがごとく、彼らの作品に「遊」の面影はありありと残っている。
 本書に書かれているような仕事のやりかたや業務環境やそれをささえる美意識は、もはや再現不可能だろうし、それを期待する時代でもない。テクノロジーの事情もずいぶん違う。著者によれば本書は在りし日をしのぶセンチメンタルジャーニーとのことだが、感傷的な過去の美談なんてものにするにはもったいない、出版史における、とある特異点を記した貴重なノンフィクションと言えよう。

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