読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

身体構造力 日本人のからだと思考の関係論

2020年09月24日 | 日本論・日本文化論
身体構造力 日本人のからだと思考の関係論
 
伊藤義晃
幻冬舎
 
 SNS上に広告で現れた本なのだが、なんかピンとくるものがあってポチッたところ、当たりだった。
 
 安田登の「あわいの力」なんかと近い世界の話である。
 「あわいの力」では、そもそも「心」というのは「文字」が発明された後にうまれた概念だった、という仮説をたて、皮膚で直に得る感触が体の調子や頭のめぐりに与える程度は馬鹿にならないことを説いていて、なるほどと思った。
 「心」というのは現代で言えば「脳」であるが、なんでも「脳」のせいにする「全脳主義」がこの近代主義において幅を効かせすぎているのは確かだ。「サピエンス全史」なんかでも脳の発達が、サピエンスのサピエンスたる由縁であることを説いているし、「脳の中の幽霊」とか「教養としての認知科学」とか、脳のなせる技にまつわる名著はいっぱいある。
 したがって「あわいの力」のような本はなかなか類書がなく、しかしどうして非常に面白い本で心底惚れ込んでいたので、この「身体構造力」を読んだときは、やったあ!と思った次第である。
 
 本書「身体構造力」では、人体とはそもそも骨格という「構造」であって、その構造にはその人が生きてきた分の癖や歪みが蓄積され、当然ながらそれは経年として歪み、軋み、それが循環器系や消化器系、ひいては精神状態をも左右することになることを説いている。心技一体というか、構造のゆがみが体調や心に影響を与える。果てには「性格形成」にも影響する。
 考えてみりゃそりゃそうだろうな。内臓も脳も、骨と筋肉に囲まれ支えられているのだから、長年の軋みや歪みは当然なんらか作用するであろう。ロジックとしてはシンプルなのに、近代西洋医学のスコープにうまくはまらなかったこともあって、このようなものの見立てはとても亜流となってしまった。
 
 東洋医学の雰囲気が強い「整体」は、むしろ「気持ちよくなるところ」(本書曰く「優しい整体」)という目的で通うところにもなってしまった。これは整体師側の問題意識の欠如もあるし、患者側の勘違いもあるそうだ。整体師サイドの事情についてはなかなか面白い話が本書に書いてあって興味深かったのだが、患者サイドすなわち僕もちょいちょい駅ビルに入っているチェーンのマッサージ屋さんでもんでもらう。たしかに気持ちがよく、まさしく本書でいうところの「優しい整体」をついつい選んで刹那的に気持ちよくなりたいことを選ぶ自分がいる。本書ではそれは「認識のゆがみ」である、と厳しく叱責していて、読みながら首をすくめてしまった。
 
 話はかわるが、とある中国旅行記で「西洋医学」と「東洋医学」について考える機会になるエピソードを読んだ。その旅行記の著者のおなかの調子が悪くなって中国にて病院にかけこんだ。日本ではなにか調子が悪いときにどの病院に行くかを患者が決める。内科に行くか、外科にいくか、形成外科にいくか皮膚科にいくか、診療科にいくか。しかし、どこにいったらよいのかわからない症状(愁訴というのかな)だってたくさんある。だから変なたらいまわしになって、場合によっては手遅れになったりする。
 ところが、その著者の経験したところでは、中国では入口に番頭みたいなのがあって、症状を伝えると、その人がどこそこの窓口に行け、と案内する。というのがその手記エッセイの内容だった。その番頭の力量次第のところもあるがこれはこれで合理的である。
 つまり、われわれが当然と思っていた患者がどの科に行くかを選ぶという方式は西洋医学の区分と方法論なのである。こういった西洋医学的のやり方が主流化したことにともなって、身体構造の由縁が様々な不調へとつながるという見立ての世界が失なわれたという著者の指摘は説得力がある。
 
 この「身体構造力」が面白いのは、だからといってアンチ西洋近代医学ではないところだ。それどころか近代的価値観をたんに否定して神秘的なものにふりきるのはこれはただの思考停止やオカルトである、と厳しく断罪している。
 すべては「相対的」にみること。近代西洋医学や大脳主義での成果と限界を見極めることで、そこに足りないところを東洋医学と身体構造論から別照射していく。すなわち東洋的世界観でみていく。これが近代世界を生きぬく道ということだろう。
 
 最近、コロナ禍で外出機会が激減し、歩く量が減ってしまっていることは自覚している。まずは、本書のいうように、身体構造を省みて足の内側に重心がくるようにし、足の裏全体が着地するようにしておおいに歩いてみようかと思う。
 
 

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呪いと日本人

2019年03月26日 | 日本論・日本文化論

呪いと日本人

小松和彦
角川ソフィア文庫

 これは面白い本を読んだ。なるほど、古代日本にあっては「呪い」というのは十分に科学だった。科学というのが因果関係を説明するものであるとすれば、京の都が荒廃するのも、神殿に雷が落ちるのも、関係者が流行り病でばたばた死んでいくのも、これみんな、平将門が、菅原道真が、崇徳上皇が呪ったのだと説明できたのだ。

 「呪い」が科学ならば、その科学を制御するテクノロジーは「祓い」である。真言宗や陰陽道はテクノロジー集団であった。巫女とはリケジョであった。

 

 時の権力者は、天皇家も摂関家も「祓い」の専門家をテクノロジストとして起用していた。

 というのは、権力の座に上り詰めるということは、そこに至るまでに死屍累々とでもいうべき多くの人の恨みを買ってきたからである。様々な人間に呪われるだけの根拠があったからだ。

 天皇家や摂関家を頂点として、当時の人間社会というのは「呪い」が科学であったから、誰もが何であれ恨み恨まれの因果を持っていたといってよい。どんな聖人でもひとつやふたつの後ろ暗い覚えがあった。こういったココロのひっかかりが「ケガレ」であった。日本の社会風習や文化で欠かすことのできない「ハレ」「ケ」そして「ケガレ」である。

 「ケガレ」の蓄積が不健康の度を高めるから、蓄積の度がひどくなる前に駆逐しなければならない。伝統行事でケガレを祓うたぐいのものは現代でもたくさんある。

 本書の痛快なところはまさにここで、「呪い」ー「祓い」-「ケガレ」という日本の通底にあった関係式が見えてくる。そしてこの日本人のメンタルの急所とでもいうべきこれらを巧みに利用してきたのが陰陽道や密教であり、民間に流布した狐信仰や丑の刻参りなのである。

 

 ところで、僕は「呪い」というのは、呪われた人に「罪の自覚」がないと機能しないという話をきいたことがある。逆説的だが、呪われることをしでかしたという「自覚」がある人が呪いにかかる。悪いことをしたという気を露とも感じなければ、良心の呵責を一寸も感じなければ、いくら呪いを浴びせかけられても当人はケロッとしている。

 芥川龍之介に「さまよえるユダヤ人」という短編がある。

 十字架を担ぎながらゴルゴダの丘の処刑場へ連行されるイエス・キリスト。それをみて罵詈雑言を浴びせかけ、石をなげうつエルサレムの町の衆。とあるユダヤ人の男もそんな中の一人であった。町衆にまじりながら彼も転倒したイエスに蹴りをいれた。そのとき彼は、下から見上げるイエスと目があった。澄んだイエスの瞳を見た。

 そのときこのユダヤ人の男にイエスの「呪い」がかかった。その呪いとは、永遠に死ぬことができないでこの世をさまようという呪いだった。現代でもこの男「さまよえるユダヤ人」は生き続けているという。

 イエスを虐待したのは彼だけではない。それなのになぜ彼一人だけがイエスの「呪い」にかかったのか。

 これが芥川龍之介の真骨頂だ。この男は、イエスの目をみたとき「しまった!」と思ったのである。「自分はなんてことをしてしまったんだ」と罪を自覚してしまった。その罪の自覚が呪いを発動させた。

 人はごまかせても自分はごまかせない。他人様は騙せてもお天道様は騙せない。自分がしでかしたことによる悔い、罪の意識、良心の呵責は、それが大きければ大きいほど自分の心身をむしばむ。それが「呪い」である。

 

 三大怨霊といわれる平将門、菅原道真、崇徳上皇。これはそのまま桓武天皇、醍醐天皇、鳥羽法皇の感じた罪の意識の深さとも言えるのだろう。


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未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命

2019年01月15日 | 日本論・日本文化論

未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命

 

片山杜秀

新潮社

 

 

数年前の本。刊行当時はけっこう話題にもなったので、いまさらここにとりあげるのは周回遅れの感がある。単に積ん読状態が続いていて今頃になって読んだに過ぎない。

だいたい、片山杜秀という人は僕にとっては「クラシック音楽評論家」のヒトであった。洋泉社から出ているクラシック音楽関係のムック本に寄稿していたり、音楽之友社の雑誌に連載をしたりしている人であった。NAXOSというクラシック音楽レーベル会社の日本人作曲家シリーズに、破格といっていいほどに充実な解説を書く人であった。

それなのに、著者の専門は「社会思想史」だという。クラシック音楽は完全に余技だったのだ。

 

それはともかく。

なるほど、本書は「失敗の本質」のひとつ上のレイヤーに位置すると思った。

失敗の本質 日本軍の組織論的研究」では、太平洋戦争における各所の戦闘において、日本軍が後世から見ればなぜに失敗するとわかるような無謀な作戦を繰り出したかを、当時の日本軍特有の組織メカニズムから解き明かしている。その「失敗の本質」は“そもそもなぜ負けることがわかっているような対米戦争に踏み出したかについてはここでは問わない”としている。つまり、「失敗の本質」はあくまで各個別の戦闘における「失敗」を研究したものである。

一方、「未完のファシズム」は、この「失敗の本質」が言及を避けた”なぜ負けることがわかっているような対米戦争に踏み出したか”というそもそもの失敗を扱っている。

 

話題になったし、あちこちで書評も出ているから改めて本書の中身を繰り返さないけれど、合理的な思考判断をする理系頭脳の持ち主が進退極まって極端な精神主義に走るというのは、オウムのサリン事件なんかでも例がある。毛沢東もポルポトも元来「アタマは良い」人間だったとされている。

つまり、ロボットが暴走するように、不可能解の問いを提示されながら立場的になんらかの回答を出さなければならないとき、論理的であれば論理的であるほどソリューションに窮し、破滅的な精神論解答をするということだ。しかも本人の中ではそれは一定の筋が通っている。

この「一定の筋が通っている」ことを、著者は「密教と顕教」と表現している。筋が通っているのは「密教」、つまりある種の条件下のときに成立する、ただしその条件については顕わにしない。表向きはあくまで一般論としてとりつくろう、というところである。

この「ある種の条件下では通用する」という留保をつけたがるのは“頭のいい人”が良くやりたかがる思考だ。例の”ご飯問答”もそのパターンだろう。国会答弁なんて密教的留保だらけと言ってよい。

 

もっとも、著者の記述では、何人かの「頭の良い」軍人による個人的な暴走が、満州事変や日中戦争ひいては太平洋戦争に突入させたのではなく、地政学的な環境条件が必然的に日本をそう追い込んだとも読める。

つまり、第1次世界大戦という欧州での歴史的大転換に「中途半端」に関わってしまったことが、欧州と日本の格差を広げたということである。第1次世界大戦で飛躍的に工業力・生産力が高まり、列強主義へと走り出した欧米と、たいしてそこまで国力がないのに巻き込まれないために背伸びをせざるを得なかった日本なのだから、日本にどんな軍人が出たとしても多かれ少なかれ似たような悲劇になったか、あるいはもっと悲劇的な結果になったのかもしれない。

また、著者は明治憲法そのものが内包していた欠陥、それを補う元老政治の所在をついている。つまり明治政府、というか大日本帝国はそもそも薩長当代限りの近代国家だったということである。著者曰くは、薩長の元老たちが死に絶えたとき、明治憲法は、日本という国家は機能しなくなったと評している。言い換えれば、薩長が明治政府を立ち上げたときその時点で、招来自滅するアルゴリズムが作動していたということである。

 

しかし、僕がぼんやりと思うことは、日本という国の行政は伝統的に「世代交代」が下手なんじゃないのかということだ。ぶっちゃけ、上手にやったのは徳川家康くらいではないかという気もする。

平成も終わる今日の日本は、超少子高齢化社会で、公的教育費用の対GDP比は先進国の中でも下の方だし、保育施設は迷惑施設と煙たがられ、社会保険の賦課制度は崩壊ぎりぎりで、郊外のニュータウンは高齢化が止まらず、地方の若者流出は加速する一方である。つまり、現代日本も世代交代ができていない。これは戦後世代の既得権益が結局のところ優先されているということだし、高度成長時代のエネルギーの基盤が将来の借金となる国債の乱発と、廃棄物の処分法が見つからないのに次々と稼働した原発であるとすれば、これが当世限りの繁栄しか見ていなかったと批判されてもしかたがなかろうと思う。未完のファシズムは1945年に瓦解したが、永世国家としてはいまだ未完のまま平成も終わろうとしている。

 


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「世間」とは何か

2019年01月02日 | 日本論・日本文化論
「世間」とは何か
 
阿部謹也
講談社現代新書
 
  先日、大型書店にいったら山本七平の「空気の研究」が新装版となって平積みされていた。
「空気」というのは、日本人論に欠かせないキーワードである。「空気」については類書も相次いだし、数年前からKYというコトバも生まれたりして広く一般に知られた概念となった。
 
一方、「世間」に注目したのが故・阿部謹也である。欧米では「Scoiety(社会)⇔Individual(個人)」という関係式が成立するのに対し、日本の場合は「同調圧力」とか「他人の目」とか「承認欲求」とかにふりまわされない「屹立した個人」というものが成立しえないため、その対抗軸である「社会(Scoeity)」も空疎な概念であり、実状として代わりに台頭するのが古来から日本にあった感覚であるところの「世間」、というのが阿部謹也の主張である。本書によると、明治時代に「Society」という概念が欧米から輸入されたとき、どのような訳語をあてるかにあたっては、日本に従来からある「世間」というコトバをあてる案もあったそうだが、Individualという概念を含まない「世間」など日本では考えられない、ということで没となり、最終的に西周が「社会」という文字をあてたとのことである。
公文書をはじめとする文書の世界では「社会」というコトバはしばしば使われるが「世間」というコトバが用いられることはほぼない。しかし人々の会話ではその逆である、と著者は指摘する。
「世間」というのは、本人との関与度が高い人間関係の共同体といってよい。日本人は「世間」の目は気にするが「社会」の目は気にしない(というか目に入っていない)」と整理したのは、「『空気』と『世間』」を描いた鴻上尚志である。彼は、日本における電車の中で周囲に憚りなく大声でおしゃべりするおばさんたちと、電車の座席や網棚に置かれた忘れ物が盗難にあわない治安の良さは、根っこで同じ、という指摘をした。つまり、電車の中というのは見ず知らずの他人が集う空間=社会であり、日本人は「社会」は目に入らないし積極的にかかわるつもりもないのである。一方、大声でおしゃべりしあうおばさん同士は「世間」という関係性でつながっている。
 
とはいうものの、ここにきて「世間」というコトバを耳にする機会は減ってきているように思う。
本書の刊行は1995年だから決して古いわけでもないが、なにか「世間」というコトバは古めかしい雰囲気を感じる。「世間」が意味する概念自体が消えたというわけではなさそうだが、なぜこの言葉に古さを感じるかは、考える意味がありそうだ。
 
僕なりの仮説は2つある。
 
仮説①「世間」とは別次元のもっと現代的な共同体ができている
仮説②ついに「屹立した個人」が誕生してきている
 
①はSNSのソーシャルネットワークや、Webでの炎上など、つまり地縁・血縁ではない共同体がハバを利かせるようになり、「世間」というコトバとのニュアンスが合わなくなってきた、というものである。
「世間」というのはずっと”隣近所”とか、しばしば直接顔を合わせる関係性という意味合いをまとっていたが、現代生活、とくに都市部においては”隣近所”の顔色はとくに怖くなくなりつつある。一方で、ソーシャルネットワーク上での顔色伺いは依然としてある。
もっとも、学校空間のようにひどく狭いー世間と称すよりももっと狭く、束縛力のある空間も出現している。”隣近所”の束縛力が希薄化する分、相対的に学校空間の圧力は大きくなっていると言えよう。
こういった気にしなければならない共同体が遷移したことで、「世間」というコトバがしっくりこなくなったというのが僕の仮説①である。
 
仮説②は、人は共同体との束縛から逃れるように力学が働くという社会学的な考え方で、すなわち「個人化」は進むべくして進むというものだ。その限りでは「世間」なんて共同体のとらえ方は用済みということになる。こういったニーズは情報技術開発や情報サービス開発を加速させ、個人へのカスタマイズが進み、かくして個人の価値観を満足させる情報やサービスが充実してくると、無理に他人に合わせるストレスはさらに少なくなり、人はこぞって「個人」の快楽に覚醒し、相対的に「世間」は意識しなくなる。
 
とはいうものの、そもそもの欧米の定義では「Society(社会)⇔Individual(個人)」という両立こそが前提であった。SocietyなきIndividualはありえないし、Individualが守られないSocietyも無いというのが欧米での思想であった(この欧米流思想が正義なのかどうかはまた別の問題である)。そのつもりでみると、こと現代日本においては個人が屹立したかといって、その対となるSocietyなるものが同時に育ったかというとどうもそうではないような気がする。むしろさきほどの電車の例のように、自分に関係のないところは何が起ころうと関係ないとばかりにSocietyはますます遠ざかっているようにも思う(平田オリザは、電車の4人掛けボックスシートの中でたまたま向いに座った人に世間話をむける習慣がなくなったことを指摘している。かつては同じボックスシートに座ったもの同士は「世間」だったのである)
 
ただ「個人」が台頭したとはいえ、傍若無人が許される世の中かというとそうでもない。むしろはめを外した人に対しての社会的制裁はかつてより厳しいとさえ思える。また、はめをはずした当人は、炎上するまで「はめをはずした」ことに気づかない、というケースが多いというのも現代的特徴のひとつだ。
 
ということは、かつては「世間」が良くも悪くも人々の行動規範を縛っていたが、その世間が後退した今、何か別のものが個人を縛っているということになる。
それは何だろうか。「世間」というコトバにとって代わって現在流通しているコトバはあるだろうかと考えてみるのがしっくりしたものを思いつかない。
遠からず近からずで思い当たるのは「みんな」という言い方だ。報道なんかでも「まちのみなさんの声をききました」なんて使い方をする。
この「みんな」というコトバは、なんとなく連帯感があるようでもあり、どことなく無所属感も感じさせるような気がする。そういう意味では都合がいいコトバであり、世間よりも正体があやふやだ。
「みんな論」は掘り下げ甲斐がありそうだ。
 

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菊と刀

2018年06月22日 | 日本論・日本文化論

菊と刀

 

著:ルース・ベネディクト 訳:長谷川松治

講談社学術文庫

 

 

有名な本であるが実はちゃんと読んだことがなく、ここにきてあらためて読んでみた次第。こういう風になんとなく内容は聞きかじっているけれど実は読んだことがないという本はたいへん多い。

 

さて、2020年も間近という現代に「菊と刀」を読んでびっくりするのは、いまだに日本人はこうなんじゃないかというところをたくさん散見できることだ。さすがに仲人&お見合い結婚も、威厳のある親父も、寝相をしつけられる女の子も今はいなくなったが、表象としてそういうのがなくなっただけで、その根底にあるメンタリティはいまだに多くの日本人にあるように思う。有名な「恥」の意識、なんてのはその最たるものだ。他人からの評価、社会からの目線が当人の自己評価を決定するところなんか、今なお現役ばりばりの日本人あるあるだ。

ほかにも「義理」(著者によるとアジアを含む他のどの国のコトバにも訳せない日本独特のメンタリティ)という感情、「矛盾」をそのまま共存させることに平気というのもそうだ(多神教ならではだと思う)。また、「立場にふさわしいかどうか」にこだわることの指摘なんかもこうやって言われるまで気づかなかったが、確かにそのとおりである。現代だって庶民的な人が急に羽振りが良くなったり金持ちになったりすると日本人は嫉妬まじりの嫌悪感こそ示しても、そこにアコガレや素直な成功者としての称賛はほとんどみないだろう。我々日本人には、その人の本来の立場、位置、役割に対してのふさわしいいでたちやふるまいというもののコモンセンスをなんとなく持っている。年下の上司、モノ申す新入社員、平日の保護者会に出る父親、サラリーマンより稼ぐユーチューバーの高校生、そういった存在は少しずつ社会に広がってきているが、その座りの悪さ、どこかにイレギュラーな気持ちがあることは今なお健在である。いわゆる身分不相応というやつだ。これをベネディクトは「日本人は、与えられた位置や立場にふさわしい行動様式というのがあり、そこから逸脱することに不自然を感じる」ということを指摘する。日本は性別役割機能分担意識が強い、ということは社会学者の多くが指摘することだがこれも「立場とふさわしさ」の一種だろう。

 

もっとも、現代的観点において比較文化論あるいは文化人類学としてみれば、「菊と刀」は突っ込みどころも多いとされる。現地(日本のこと)でフィールドサーベイしていないこともそうだけれど、西洋の行動倫理を規範とした場合の距離感、つまり文化人類学というよりは博物誌的な感覚で考察されているという指摘もそういわれればその通りだ。なぜ日本人は「立場と役割」にそんなに拘泥するのか、といった理由の発掘もまだ浅いといえば浅い。

 

とはいえ、本書が書かれたのは1946年、もう70年前。アカデミズムのありかたも現代とは違う。そもそも「菊と刀」はアカデミズムな論文というよりは、GHQがいかに平和裏に日本を占領統治するための基礎研究として本書は書かれた。そういう意味では「結果として」本書はかなり機能したと言えるのではないか。

 

それにしても、まさにここがヘンだよ日本人の元祖。著者は一度も日本を訪れたことがなく、すべて文獻と日系人の行動観察から導いたもの。たまに変なところがあるが概ね思い当たる節がある。さすがだ。むしろ文獻と日系人の観察だけでここまで迫ることができることの証明でもある。しかも解説を読むまで気づかなかったのだがルース・ベネディクトは女性である。なぜかずっと男性だと思いこんでいた。こんな先入観があってしまうのも僕が知らず知らずのうちに「立場とふさわしさ」の罠につかまってしまっていたからか。

 

 


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国土が日本人の謎を解く

2016年12月28日 | 日本論・日本文化論

国土が日本人の謎を解く

大石久和
産経新聞出版


 言葉遣いは乱暴だし、決めつけが多いし、他人を見下す物言いが多いし、押しつけがましいし。もう少し品よくすればそこそこ面白い本になれると思うんだけれどなあ。

 タイトルにあるような、その国の民族の歴史はその国の地勢条件に大きく影響を受けているという歴史観そのものは、決して荒唐無稽ではない。日本に限っても、網野善彦や梅棹忠夫や宮本常一や和辻哲郎などの提唱はかねてから有名だったし、鈴木秀夫の「森林の思想・砂漠の思想」なんかは僕の大好きなワールドモデルである。

 したがって、この日本が、他の国とくらべ、どのような地勢的特徴があり、それは人間が生活を営む上でどのような制約を与え、それが日本人にどのような文化や風俗や性行をつくらせるに至ったかを考えてみることは、大事なことだと思うし、本書の前半は要領よくまとまっている。

 日本語コミュニケーション特有の、細部のニュアンスを言語化せずに行間と空気で察しあうような特徴がなぜ生まれたかというと、日本の歴史というものが、外敵に攻めこまれてそれにどう対応するかなど厳格な指示伝達系統を持つ必要性にかられることが少なかったからだとする。(つまり、大陸諸国は、日々戦闘と防御に明け暮れたため、指示は厳格にしないとすぐに行動が混乱して全滅なんてことになるため、言語も研ぎすまされていったということ)
 これに似たようなことは梅棹忠夫も「文明の生態史観」で言っている。大陸というところは野蛮なのだ。

 

 日本人の気質をつくった要因は、日本列島特有の地勢条件であった。これが日本特有の気象条件をつくり、日本特有の外交距離感をつくり、日本特有のコミュニティ感覚をつくり、日本特有の世界観、人生観をつくった。その地勢条件とは、外敵に攻め込まれる危険性は少ない代わりに、やたらに天災にあいやすいということである。

 本書の指摘で大事な部分は、ながい日本列島の歴史の中で、地質学的にも歴史学的にも幾多の天災が起こっていることが解っているにもかかわらず、1950年代から40年ほどは、大きな天災がなかったということである。具体的には1959年の伊勢湾台風から、1995年の阪神淡路大震災まで、大規模な死者を出す天災がなかったということだ。

 実際はこの期間にも、宮城県沖地震や日本海中部地震があったし、有珠山や三宅島や雲仙普賢岳が噴火している。1974年には多摩川が決壊した。コシヒカリとブランド力を二分していた東北地方のササニシキ栽培を終わらせたのは1993年の冷害だった。

 しかし、かつての大天災のように大規模な死者や破滅的な建造物被害を出さなかったからか、おおむね高度成長時代の日本は、自然災害から免れることができていた期間であった。日本の原発や新幹線や高速道路などの重要インフラは、この期間に整備されている。

 われわれの高度成長の記憶の中に、天災の存在はあまりリアリティがない。(「リアル」ではなくて「リアリティ」というところがポイントである)

 その後、東日本大震災や熊本地震といった大地震が頻発したり、また気象異常の頻繁化によって洪水や土砂災害、大雪などが毎年のように報道されるようになった。

 

 本書は、「天災」というのは予兆がないから対策しようがなく、そこに日本人特有の「暫定的」で「臨機的」な刹那な反応しかしないようになった因果を指摘しているが、三陸にある「ここまで波がくる」ことを示した神社の位置とか、天災の名残をとどめておく地名や、妖怪の名を借りた民間伝承などをみると、古来からの日本人気質というよりは、「たまたま高度成長時代に天災が少なかったこと」が現代日本人の原体験となってしまっていることが大きいように思う。

 要するに、世界でもまれにみる天災にみまわれやすい地勢をもつ日本であるにも関わらず、たまたま天災が少ない期間に現代生活様式とそれを支えるインフラ都市基盤をつくってしまった、という指摘である。

 つくってしまったものはしょうがないから、さてこれからどうする? という、この問題意識はしごく全うだと思う。

 

 なお、本書後半は、地勢の話からはだいぶ離れて、GHQの戦後日本占領政策が日本人を腑抜けにしたとか、日本人の矜持とは何かなどの方向に熱を帯びてくるので、この手の話がダメな人は気を付けられたし。


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日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

2016年04月28日 | 日本論・日本文化論

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

竹内整一

筑摩書房

 

本書によると別れの際に発す「さようなら」という言葉、これのニュアンスに適した外国語訳というのがなかなか困難なのだそうである。

え、Good-bye じゃないの? といいたくなるが、以下のようなことらしい。

 

世界における別れ時のあいさつのコトバは以下3つにほぼ集約されるそうである。

  ①神の身許によくあれかし―――― Good-bye・Adieu・Adios・Addio

②また会いましょう――――See you again・Au revoir・再見・Auf Wiedersehen

③お元気で――――Farewell・アンニョンヒゲセヨ

 なーるほどなあ。もちろん徹底なリサーチではないのだろうけれど、メジャーな言語はたしかに当てはまっている。

 で、日本語の「さようなら」はたしかに①~③のどれでもない。

 

ちなみに、「さようなら」とは、本書によれば、文語生成的には「そのようなことであるならば」という意味合いになるそうである。現代においては実際の生活では「さようなら」はよほど改まった場でないと使わないコトバだが、「じゃあね」とか「それじゃ」みたいな別れコトバはしばしば口に出すようにおもう。

確かに「じゃあね」や「それじゃ」は、「そのようなことであるならば」と近い文脈を持つ。

 

「じゃあね」「それじゃ」「そのようなことであるならば」は、すべて指示語が入っている。何を指示しているのかといえば、それは場面の転換にいたった経緯についてである。――いま2人がいる。この2人はわけあって今まで2人で同じ時空間をすごした。しかし諸事情によりこの共同の時間は終わらせなければならなくなった。果たして2人は次の1人1人別個の時空間に事態を移していかなければならない。この事態の成り行きによってこのあと2人は別々になるね――というお互いの共有の感覚が「じゃあね」という言葉になる。

 

本書では、なぜ日本人が、この「ここに至るまでの時空間を一緒に過ごしたことと、事態のなりゆきによる別れを不可避のもの」というニュアンスの共有をもって、別れの挨拶とするのか、そもそもこのニュアンスにこめられた美意識とは何か、というのを徹底的に掘り下げて圧巻このうえない。

ここでその内容を繰り返してもしょうがないのだが、究極の到達点は、「こと」と「もの」という微妙な、しかし決定的に異なるニュアンスをさりげなく使い分ける我々のメンタリティに見いだせる。それは、一回性であり、そこに意思があることをこめている「こと」という言い方と、普遍性があり、人智を超えた力に身をゆだねる「もの」という言い方。この微妙な綾の中に我々は生きていること、その人生観に肯定を見出すことこそ、一神教の神をもたぬ日本人の魂の拠り所なのである。

つまり、「ここに至るまでの時空間を一緒に過ごした『こと』と、事態のなりゆきによる別れを不可避の『もの』」への想いの共有が、「じゃあね」ないし「さようなら」という一言に凝縮される。いやあ、深い深い。

 

最初の世界の別れコトバ3種類に戻れば、

  ①神の身許によくあれかし―――― Good-bye・Adieu・Adios・Addio

②また会いましょう――――See you again・Au revoir・再見・Auf Wiedersehen

③お元気で――――Farewell・アンニョンヒゲセヨ

②③はそれに類した日本語のあいさつコトバはある。該当が難しいのは①。ということは、「さようなら」は、「唯一神」を持たない日本人にっての①ということが言えるわけだ。

「さようなら」という改まったコトバは、現代のわれわれはなかなか口にしないが、「それじゃ」「じゃあね」とは頻繁に使っているわけで、ということは、この感受性は源氏物語のころから現代に至るまで、我々日本人に今なお強く根付いているのだ。

 


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日本語が亡びるとき ―英語の世紀の中で

2014年03月19日 | 日本論・日本文化論
日本語が亡びるとき ―英語の世紀の中で
 
水村美苗
 
 
7年くらい前に刊行されて、ずいぶん話題になった本だが、ここに書かれてきたことがいよいよ現実化してきたような気がする。
 
 
さいきん、韓国の日本海表記問題とか、従軍慰安婦問題の西欧諸国でのチェアアップ運動が盛んである。そして、実際に欧米の議員やNPOがこれに呼応して動くような例が出てきている。
 
これが意味していることは、この問題について西欧諸国の議員やオピニオンにロビー活動を行い、そして少なからず相手を動かすくらいまでの「英語力」を持つ人材が、韓国で確立してきているということである。
 
このようなロビー活動において、日本はこれに比肩するだけの人材がどれくらいいるのかとなると、残念ながらなかなか心もとない。ビジネス商談ならともかく、このような自国と相手国の政治・外交・歴史観・価値観・倫理観を必要とする話題で相手と会話し、説得し、交渉し、相手に行動を起こさせるだけの「英語力」がある人材となるとだいぶ限られるような気がする。
 
 
  日本は、先進国の中でも、極めて英語ができない国とされる。なにしろ、他の国が日本を語るときに「あそこは英語ができない国」として紹介されるのである。
ずいぶん前に日本政府が海外むけに観光アピールしたビデオを見たことがある。そこでは英語通じます、ということを一生懸命アピールしていて、それはオトナがみんな片言で、でも親切に日本料理を説明したり、渡そうとしたチップを断ったりするものであった。そして一番最後に、小学生の女の子が極めて流暢な英語で道を教えるというシロモノであった。
 
中国や韓国も大多数の国民が英語ができないという点では日本と同じである。しかし、この2つの国は、とくに韓国は、国策で、つまり国費も投入して少数のトップエリートに英語はもちろんマナーやビジネススキルも含めた国際市場で通用するトップエリートの養成を行っている。欧米の大学へ留学させることを専門とする国立の高校があったりする。
最近の韓国のロビー活動の活発化は、こういった人材が実際に国際市場に出てきていることを表す。
 
 
一方、日本すなわち文部科学省は、この点でだいぶ出遅れていて、教育において英語は昔から「みんなそこそこできればいい」という方針で行っている。この「そこそこ」はながいあいだ「読み書き」のことであり、それも訓詁学的な、「過去完了進行形」みたいな妙な深堀にいくものだった一方、コミュニケーション手段としての英語に注目するようになったのはつい最近である。それも「そこそこ」。
したがって、ホントに世界と渡りあうような英語力を身につけるには、あくまで自分の意志で、自分の費用で、私学やスクールに通ったり、留学しなければならなかった。原則いまでもそうである。
 
もっとも、光明もある。
日本は、2020年の東京オリンピック開催をこぎつけた。
これもIOCをはじめとする様々なオピニオンへのロビー活動の成果であり、もちろん英語力は試されたはずである。
遅遅とはいえ、日本人の英語力は上がってきてはいるのだ。
 
だが、これと引き換えにして、かくして「日本語が亡びる」のはますます必至になってきた。
「日本語が亡びる」というのは、どこかの少数民族の言語が絶滅するのと同じような意味ではなく、著者が設定したところのこの世界にある言語体系、「普遍語」―「国語」―「現地語」において、日本語は「現地語」に堕していく、ということである。
2020年の東京オリンピックまでに、日本をどう「英語が通じる国」にするかは、けっこう重要な政策課題になっているはずである。
これまで「国語」であった日本語で書かれてきた重要なドキュメントは、これからは「普遍語」である英語で書かれ、日本の美意識を言語体系化した「国語」であった日本語は、「国語」としての尊重性を失い、ポピュラーな現地語に留まる。
 
日本語の粋を凝らして文章をつくってやろう、というモチベーションはなくなっていくだろう。そして、日本語が放っていた日本人の美意識観も軽視され、やがて消失していくだろう。
 
たとえば、日本語の「哀しい」。sadnessでもgriefでもmelancoliaでもsentimentalでもない、“よかれと思うとさびしい”というこのニュアンスは、言語の消失とともに通用しなくなる。
 
 
そんな言葉に汲々するより、国際市場で対話できる英語力をつけるほうが優先だろう。今の親なら、みんな子どもに期待するにはそちらであろう。
 
やむをえない気がする。言語は機械システムではなく、生態系なのだ、ということを改めて感じる。
 

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それでも、日本人は「戦争」を選んだ

2011年04月11日 | 日本論・日本文化論

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

加藤陽子

 

3.11の大震災は日本から何を奪い、何を与えたか、などと超然的な立場でものを考えられるようになるのはまだまだずっとさきだろう。事態はいまださなかにある。

だが、政府をはじめとして、これが「戦後最大の国難」であると言われ、「9.11にはじまったゼロ年代は3.11をもって終わった」と見切った発言も見かけ、これを日本の「グラウンドゼロ」である、と見立てる論述もあった。およそ地形さえ変わった文字通りの天変地異は確かに太平洋戦争の終戦以来のリセットをこの日本にもたらしている。

だが、この“リセット”の先、日本は、社会は、人々はどこにベクトルをあわせ、どう動こうとするのか。

 

僕が、想像力とわずかな知識を総動員して、思うことはこの3.11のインパクトに似たものを、近代以降の日本は過去に2度経験したと思う。、ひとつは太平洋戦争と終戦、もうひとつは関東大震災である。

関東大震災は、今回の東日本大震災に比べればはるかに局地的なものだし、むしろ阪神大震災と比較されそうなものだが、だがしかし、当時の帝都を壊滅させたこの地震が社会にあてた衝撃とその後の影響はやはり国難級のものであっただろうと思う。関東大震災からの復興プロセスは、たしかに目を見張った。だが、一方、この震災で手負うことになった傷は、そのまま不況そして大陸への進出という歴史の進む道の遠因ともなっている。関東大震災のときは、当時の国家予算の3倍、約45億円の損害が出たとされる。このときの市中の取引の円滑化を目指し、震災手形が発行されたが、これの処理が後々うまくいかず、昭和恐慌にまでつながっていったとされている。

1000年に1度の天変地異とされる今回の東日本大震災に見舞われた日本社会の行方を考えたくて、手にとったのが本書である。去年話題になったが、ちょっとそのときは別に関心の的があったので本書はパスしていた。今回は、書店の本棚を探して見つけ出した。

なぜならば、この東日本大震災は、おそらく現代日本においては、戦争に匹敵する犠牲と社会変革を強制するものであり、その意味では太平洋戦争と戦後になぞらえることができる。一方、先に記したように太平洋戦争への道のりのずっと手前の一つの要因として関東大震災があったこともまた事実だからである。つまり、社会変革の原因であろうと結果であろうと、今回の震災は間違いなく大きな転換点になるだろうと思うのである。

 

さて、本書は明治時代以降の近代日本が、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、そして太平洋戦争と、国家のかじ取りを選択した、あるいは選択せざるをえなくなったそのシナリオを解説しているのだが、まず気になるのは序章にある2つの指摘である。

1.(戦争などで)巨大な数の人が死んだ後には、国家には、新たな社会契約が必要になる
2.国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らない

1.は戦後の「日本国憲法」や、アメリカのリンカーンの演説に例をみる。2では、戦前の日本軍部だし、本書では触れてないが、ドイツのナチスや、もしかしてもしかすると小泉純一郎の郵政選挙とか鳩山民主党の政権交代選挙もそうだったのかもしれない。

さて、今回の震災においては、政府は被災地の復興と原発の収束化に泥縄で取りかかっている。なにしろ1000年に一度の天変地異なので、誰だって泥縄にはなるだろうが、国民としての期待と不安は、たしかにこれから政府は国をどうしていくのかという、「これからの契約」にある。東北地方の被災地をどうしていくのか、間違いなく大打撃となった経済をどうしていくのか、そして、原子力発電所をどうしていくのか。

特に原発の問題は難しい。今のこの状況では、反・原発の空気はきわめて自然である。実際、今後は新たな原発の建設は、地元の合意がまずとれまい。だが、日本という国を脱・原発で本気で描けている人はまずいない。今回なによりも痛感し、そして露呈したのは、日本という国は、高度経済発展を実現し、国際社会の中で先進国としての地位にたどりつき、これを維持したのは、原発というもののエネルギー力に立脚していた、ということなのである。原発があったから、工場が動き、技術革新があり、仕事があり、天然資源のない狭い国土に、自給率が半分以下で、1億2000万人の人口を養うことができた、といっても過言ではない。ここに「原発は安全である」という神話はなくてはならなかったのだ。ここを否定するのは、今の日本社会の成立を否定するのに等しい。

言うならば「原発は日本の生命線」だった。かつて、「満蒙は日本の生命線」だったように。

だから、政府や経済界が満州を極上の地としてそこに投資し、プロパガンダでそこに人々を住まわせ、研究開発も満州を舞台にし、利権を守るために外交を繰り広げたのと同様に、原発は日本にとって“夢と希望”であった。ちょっとやそっとのアンチテーゼは、国と経済界が一緒になってなきものにしたといってもよい。もちろん、原子力にかかる研究開発は産学協同で進められ、プロパガンダもそこに足並みを揃う。一時期、そうとう旗色が悪くなったが、CO2を出さないというエコブームになると、ここに真っ先に飛びついた。いや、今考えると、原子力を正当化する最終兵器として地球温暖化というイシューが登場したといっても辻褄があうのではないか、と思うくらいである。

だが、当時の大日本帝国が、震災後の出口のない不況の突破口を”生命線”とした満州に見出したように、戦後の日本国は、原発エネルギーなくして成立しなかった。1億2000万人の国民は存在できない。

 

そこで、もう一つのこれらの社会システムが不全になったときの「国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が出ないとも限らない」。ここに注目しなければならない。

原発という社会システムは不全になった。今年の夏に必至となっている大節電は、これを不全と言わず何と表現するかという抑制を強制する。国民の多くは政府にも電力会社にも失望し、情報に疑心暗鬼になる。そのとき、平時ならあり得ない、簡単に騙されてしまうカリスマ、あるいはポピュラリズムが、登場して、ころりと相転移してしまうおそれがある。阪神大震災のときは、オウム真理教の自作自演ハルマゲドンというものに終わったわけだが、今回の社会抑圧と不安はその比ではないだけ、ゆめゆめ気をつけなければならない。エコエネルギー社会という夢、それが本当に持続可能で、人々に健康で文化的な生活を約束できるか。今の技術力では、これまでの日本の生活クオリティを維持できない。ドイツでは60%がクリーンエネルギーを達成したといわれているが、ドイツと日本では日々の生活に使うエネルギー量が全く違う。少なくとも、今の東京、山手線や地下鉄が走り、企業の本社が集中し、無線有線ありとあらゆる物流と情報を中継するこの都市があるだけでも、クリーンエネルギーだけではあまりにも心もとない。だが、原発はもう動かない。これからの日本の生命線をどこにつくるのか。

平成の開国TPPを強硬する可能性だってある。これだって「夢」である。中国・韓国とともに、世界史上例を見ない「高齢国民社会の国家」を東アジアに出現させ、新秩序をつくる、という一見荒唐無稽な、しかし事実としてはたしかにそうなりつつある「夢」もある。

「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、結論として、日本は他の西洋先進国に比べ「人民の命を軽視した」ということを指摘している。明治以降、日本という国はあくまで生産、つまり供給側に立脚した国づくりをしてきた。制度も仕組みも生産であり、それを受容する―つまり市民の権利は常に後回しであった。それは戦後も続き、日本の省庁のほとんどが生産のために司る省庁であった(経済産業省、国土交通省、農林水産省・・)。エリートをつくるとは、国を運営し、海外と渡り合える生産者をつくるということであり、賢い消費者をつくるということではなかった。消費者庁というものができたとき、明治以来の画期的転回と評された理由はここにある。

だが、日本国家のDNAとして「人民の命を軽視する」が、満州であり、原発であったことは確かだろう。「人民の命」を餌に次のユートピア探しはもうすでに始まっている。それでも「戦争」を選んできた日本なのである。

 


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ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史

2010年07月30日 | 日本論・日本文化論
ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史

山口誠


 「若者の●●離れ」と言われているもの、枚挙にいとまがなく、クルマ・酒・煙草・ギャンブル・洋楽・活字・理科などいくらでもあてはまる。こうなってくると、今の若者が、という若者論ではなくて、要するに社会がダイナミズムとして変化してきている、と考えるほうがむしろしっくりくる。

 そんな「若者の●●離れ」の中でも、「海外旅行離れ」はよく言われている。本書によれば、96年をピークに下がる一方なのだそうだ。ちなみにここでいう若者とは、学生含む20代独身あたりをさしているようだ。

 本書は副題にもあるように、戦後の若者と海外旅行のかかわりを追跡している。視点として慧眼なのは、「なぜ若者が海外に行かなくなったのか」という若者論ではなく、「なぜ、海外旅行が若者にとって魅力的でなくなったのか」と、海外旅行のほうの変容に注目していることにある。 
 本書によれば、この96年以降の下降にあたって、この旅行関係において象徴的な3つのものが世の中に出現した。テレビ番組「進め!電波少年」の「猿岩石」と、H.I.S.の「スケルトンツアー(つまり、飛行機とホテルだけ決まっていてあとは自由のツアー」と、JTBの旅行誌「るるぶ」である。
 つまり、あれだけの反響がありながら終ぞ「猿岩石」は、沢木耕太郎の「深夜特急」や小田実の「何でも見てやろう」のように、若者の鏡にならなかった。むしろ「見世物」であった。
 都市やリゾートに短期間の滞在型の旅行スタイルをつくった「スケルトンツアー」は、鉄道やバスで何日も大陸を移動、放浪するような海外旅行のスタイルを後景に追いやった。そして、「るるぶ」は、初期の「地球の歩き方」にあったような異国との差異を楽しむ旅行から、まるで東京や沖縄で遊ぶのと同じような感覚、つまりグルメとショッピングとエンターテイメントへの消費の旅行にしてしまった。そこがバリだろうがプーケットだろうがセブだろうが、やることは同じなのである。
 いわば、こういう安近短が、かつての若者にあった「若いうちになにがなんでも海外にいかねば」という強迫観念と憧憬のまぜこぜのような海外旅行観を無くした、というわけである。


 ただ、ここで私見を述べると、今の20代、「海外旅行」という以前に、そもそも「旅行」をしなくなったように思う。国内旅行さえしなくなったように感じる。職場の後輩に話を聞くと、修学旅行とスキー場以外はほとんど行ったことがない、という人がけっこういるのだ。だから白神山地とか宮島とか、日本にある世界遺産の場所を聞かれてもまったく知らない。

 海外であれ国内であれ、旅行の価値の根っこに“日常からの脱却”というのがある。非日常への誘い、である。どの程度脱却したいか、で、近所の小旅行から海外の辺境までのスケール差が出てくるし、大名ツアーみたいな万事お任せなものから、リスク覚悟のバックパッカーまで旅行スタイルもある。
 だから、若者がそもそも旅行をしたがらなくなったというのは、つまり“日常からの脱却”願望があまりない、という気もする。それだけ日常に満足している、ということだろうか。それならば、そんな幸福なことはないわけだが、どうも違う気がする。
 それならば旅行以外に、”日常からの脱却”を行う術を見つけたということだろうか。たとえばネットとかゲームとか。

 だが、あえて僕が思うのは、“日常から脱却しない”限り、今以上の苦境に陥ることはない、というリスク回避意識があるように思う。

 で、このリスク回避意識がどうも万事につきまとっている気がする。「何かをする」ことで会得を狙うより、いかに「何もしない」で損失を防ぐほうにアンテナが働く。成功するより、失敗しないほうを選ぶという、この価値観こそが今の時代だろう。
 「若者の●●離れ」とは、要するにこれすべて危険とか恥とか失敗とか孤立からのリスク回避であり、これは今の若者にそうさせるだけの社会リスクが現実にあるということだ。かつてはまわりからも同年代からもお互い大目に見られた20代という年代が、いまや厳しい生存競争となった。日常と折り合いをつけられることが勝者の条件となる中、海外旅行などという非日常の世界など、憧れるわけがないということだろうか。


 

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「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる

2010年06月27日 | 日本論・日本文化論
「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる
 
竹内整一
 
「かなしい」という感情は、人間だけが持っているわけではない。たとえば、犬は、ご主人が去って一人残された時、あきらかに「かなし」そうな表情や仕草をする。ただ、これは犬にそのとき生じている特徴ある感情を、人間が自分の場合にあてはめ、「かなしい」と解釈して、あてはめているともいえる。もしかしたら、「悲しい」というのではなく、「不安」なのかもしれないが、とりあえずたいがいにおいて、このときの犬の目は「悲しい目」をしていると表現される。
 
人間にとって「かなしい」とは何か。特に日本人における「かなしい」を、過去から現代までの文芸作品、古典文学から童謡や当世歌謡曲にまで至って追跡したのが本書である。
まるで無限のバリエーションがあるかにみえる「かなしい」の中身も、つきつめれば本書のかなり冒頭部分に出てくる「力が及ばずどうしようもない切なさを表す言葉」ということになる。つまり、もはや自分の手に負えない、あるいは手の届かない領域を目の当たりにしたときの無力感とでもいったらいいのだが、ここに出てくる「切なさ」という日本語、むしろここに謎をとくカギがある。本書は「切なさ」という言葉をめぐる探究はほとんど出てこないのだが、実はここで語られる「かなしみ」は、限りなく「切ない」のニュアンスに近いものだ。
 
というのは、文学史の中であつかわれた「かなしみ」は単なる対象の喪失やなんらかの失敗によって引き起こされる「感情」、sadnessやgriefやmelancoliaもsentimentalももちろんあるのだが、それ以上に、そういった「かなしみ」を引き起こされた事態において、最終的にはそれを受け入れる、あるいは受け入れざるを得ないというところまでの感情こそが日本人の「かなしみ」なのである。多層的な物言いになるが、本書の表現でいえば「かなしみ」とは、まずは、「みずから」の有限さ・無力さを深く感じとる否定的・消極的な感情であるが、しかし、そうしたことを感じとり、それをそれとして「肯う」ことにおいてこそ、そこに「ひかり」(倫理、美、神、仏)が立ち現われてくる、肯定への可能性をもった感情」ということになる。もしくは「「かなしむ」以外のないことをきちんと「かなしむ」ことが、結局は、この世の仕組みをそう定めた神々の働きに従うことになる、だから、そこに「安心」というものがあるのだという考え方」である。
 
「かなしみ」の中でまずはあらわれる「否定的・消極的な感情」、これを引き起こした事態に対し、最終的にどう受け入れるかという点こそが、さまざまなバリエーションがあるところで、文学も宗教も芸能もこれを追い求めてきた。この受容性のあり方の模索が日本精神史と言ってもいい。「他人も同じだ」とか「それでも自然は変わらない」とか「人生そんなもの」とか「これも予定されてたことのうち」とか「これが将来の糧になる」とか。
 
で、日本人としてはこういうことを「無常」とか「もののあはれ」とか表現してきた歴史がある。これの現代語が「切ない」とか「空しい」であって、「もののあはれ」や「無常」を外国語で説明するのに多弁を要するのと同様に、「切ない」や「空しい」という感情のニュアンスを英語で説明しようとするとかなり困難な状況となる。
 
ちなみに本書ではないが、不条理ギャグ漫画家の榎本俊二は「空しい」ことを「よかれと思うとさびしいこと」と端的に説明していた。見事だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 

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日本数寄

2010年05月21日 | 日本論・日本文化論
日本数寄

松岡正剛

 白状すると、本書で松岡正剛が書いてある内容は、僕は半分も理解していない。何を言っているのかよくわからないと言っていい。
本書に限らず、松岡正剛の著作の多くには、確信犯的なディレッタンティズムが見られることは明らかなのだが、それを差し引いても、こちらの基礎教養力がまったく話にならない、ということなのだろう。
 特に、本書は京都の呉服屋に生まれ育った由来をもとに、日本文化が持つ精神情報構造そのものをエッセー風に解き明かす試みであって、こんなことできるのは彼だけではないかと思う(梅棹忠夫がやったらどうなるのだろうか)。

 ただ、ニッポンを語れるようになりたい、とはやはり思う。たとえば「桜」だが、外国人が最も日本を訪れるのは桜の季節なんだそうである。4月の桜の季節は、欧米からもアジアからも旅行客がいる。日本の旅行シーズンは4月ということなのだろうか。
だから、諸外国からみれば、「日本=桜」だし(あとは「菊」かな?)、絵画や刺青の代表的なモチーフどころか、「桜の下には死体が埋まっている」なんて見方を紹介された日には、日本と桜の精神的な絆についてはむしろ特異とすら思うだろう。
 が、なぜ、そこまで日本人と桜が結びついているかを説明できる人は実はそんなにいないだろう。僕はお手上げである。万葉集など、歌で「花」と出ればそれは「桜」を意味し、日本人の精神と桜を結びつけたのは、本居宣長あたりじゃなかったっけ、が、僕が思いっきり背伸びをしての限界なのであるが、松岡正剛によれば、「花」は最初は「梅」を指していたのだが、やがて「桜」にすり替わっただの、本居宣長の「しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花」は、師匠の賀茂真淵の受け売りであり、しかも句としてはヘタクソだ、とまで喝破する始末である。

 こんな調子で、しかし「桜」の話はまだとっつきやすくて、やがて「茶」や「浄瑠璃」、さらには「仏壇」や「末法思想」、そしていよいよ「茶」の世界となって、「茶」という「遊び」の本分は「結構」と「手続き」それに「趣向」から成り立ってくると、畳みかけられてくると、もう松岡正剛独壇場で、読み手としてはアワを喰う限りである。

 ただ、負け惜しみも込めて言えば、解読というよりは、シャワーのように浴びていくなかにあぶりだしのように情景がぽつぽつと浮かんでくるような世界の本にも感じる。
 そういえば、ことばというのは、慎重に選べば、説明したい対象物を指示しているだけではなく、五感で味わえるような「たたずまい」そのものを惹起させる力があり、また、ことばが放つそうした複合的なイメージを共有できることこそが母国語の偉大な点でもある。本書に随所に挿入されるやまとことば--「いでだち」「づくし」「つらね」「すさび」「いき」といった言葉--が出現した途端に突然醸し出されるあたかもバーチャルリアリティ的な情景感は、我々が日本人であったことを再確認させる瞬間である。「このみ」なんて、頻繁に使われるが、よくよく考えれば、この微妙なニュアンスを言い当てる英語はやはりなかなか思いつかない。

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日本人とユダヤ人

2009年08月06日 | 日本論・日本文化論
 日本人とユダヤ人---イザヤ・ベンダサン

 どう考えても日本人としか思えないのだが、自称外国人で、日本の社会や風俗を語るというと、最近では反社会学のパオロ・マッツァリーノ(イタリア生まれの30代。父は寡黙な九州男児、母は陽気な花売り娘)が有名だが、一昔前、この方法で一世を風靡したのが、イザヤ・ベンダサンである。
 そのベンダサンの代表作である「日本人とユダヤ人」で、論争というか物議を醸し出したのが有名な次の一説である。

 「(ユダヤ教義では)全員一致の議決は無効とする」

 要するに、全員の意見が一致した場合、それは偏見か興奮が作用しているわけで必ずどこか誤謬している、ということであって、いやそんな律法はどこにもないとか、説明のしかたがまずいだけで大筋であっている、とか喧々諤々なわけである。
 もちろん僕はユダヤ教でないし、ユダヤに関する言語も知らないので、本当にユダヤ教ではそうなのか、聖書の記述がこうなっているのか、妥当な解釈としてこうなるのか、はわからない。
 著者のベンダサン(要するに山本七平)は熱狂的な支持者とアンチがいて、イデオロギーレベルでの対立といってもいいくらいの毀誉褒貶だった人だった。その中でも特にエキセントリックな「日本人とユダヤ人」はもっとも俎上に乗られやすかったともいえる(ベストセラーでもあったし)。

 いずれにせよ、70年代に書かれた本書は、21世紀の今日において、学術書とか社会学あるいは比較文化人類学の本として読もうとすると、さすがに苦しく、今となっては一種の「読み物」という視点でとらえるべき本かもしれない。だが、その限りで言えば、まだまだ気付かされることも多い。

 たとえば、例の「全員一致の議決は無効」にしても、ユダヤ教云々はさておいて、「全員一致になった意見は注意せよ」という観点そのものに限ればこれは面白い。ギャンブルでも「逆張り」というセオリーがあるが、“全員一致”が持つリスク、というものはもっと考えてもいいかもしれない。ユダヤ人がどうなのかはともかく、少なくとも「全員一致の美」という美意識(様式美とでも言おうか)が一方で存在しているのは確かだし。
 日本の沖縄返還における外交手腕と相対させて「ユダヤ人は契約が最初に来るから、まず既得権をつくりあげるという離れわざができない」という記述に関しても、ユダヤ人や日本人が本当にそうなのかはともかく、目的を達成するためには、最終勝利から逆算して手始めのステップとしては「名を捨て実をとる」ことがやはり重要なのかもな、なんて反芻できたりする。


 もちろん想像でしかないのだけれど、たぶん本書は「正確に間違うよりはだいたいあっている」という意気込みでそもそも書かれている。そして、言いたいことが先にあって後から根拠を探している、というアドホック型で作られている気もする。こういう具合につくられた文章は、切れ味よく、しかも目ウロコ的な結論ががんがん出てくるように見えるから、非常にカタルシスが高い。どんなにいいかげんな本だと告発しても野暮の憂き目にあうことのほうが多いかもしれない。

 この場合のポイントとしては、その先にあった「言いたいこと」がどこまで、世間で歓迎される意見か、というサキヨミである。これさえ外してなければ、そうとう細部が間違っていても、根拠がご都合主義でも、かなりの場合通用してしまう。逆に、それが多くの望まない意見、あるいは無関心な領域の話だtったりすると、珍本トンデモ本で片付けられてしまう。

 ということは、世の中はつねに獏とした「落としどころ」を潜在的に持ちながら動いており、ただその「落としどころ」は非常に暗黙的な状態で漂っていて、それを(いいかげんでもいいから)可視化・形式化・定量化して見せた者が喝采を浴びる、という仕組みなのかなと思う。

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「空気」と「世間」

2009年07月24日 | 日本論・日本文化論
「空気」と「世間」----鴻上尚史

 先の「輿論と世論」に続き、似たようなテーマだが、本書は山本七平の「空気」論と、阿部謹也の「世間」論をベースにした鴻上流KY論で、鴻上尚史は、山本の「空気」と、阿部の「世間」をつなぐものとして、『「世間」が流動化したものが「空気」である』と表現している。別の言い方をすると「世間」というほど時間軸的に伸びていないが、瞬間風速的に蔓延している力学が「空気」といったところだ。だから、その「空気」はやがて「世間」として膠着化する可能性もあるし、霧散して消えてなくなるかもしれない。
 そして、「社会」とは「世間」の外にあるものだ。つまり“他人事の世界”である。しょせん他人事の「社会」について、いちおう論じてみよといわれて論じたのが「輿論」で、義理人情で形成される「世間」での感情が「世論」である。

 こういった「空気」とか「世間」とか「世論」とかの存在が、日本人っぽいとなるわけで、先人の指摘・研究をふまえ、本書でもこれを民俗学的な視点での日本人型の思考(世間・世論・森林の思想)と、欧米人型の思考(社会・輿論・砂漠の思想)の差異とおいている。欧米人型の場合はミニマムの「個」と、マキシマムの「社会」のダイナミズムな関係だけが重要になる。が、日本人型の場合は、「個」と「社会」の間に、「世間」というものがはさまり、しばしば「個」なるものは「世間」によって捨象されるというわけだ。
 じゃあ、「世間」が介在しない欧米人の場合はどうなのかというと、そこには「個」をしばるものとして、キリスト教というものが現れる、というのが本書の指摘(というか阿部の指摘)である。逆に言えば「キリスト教」があるから、「世間」を必要としないのである。これは前にも書いたが、欧米人型すなわちグローバルスタンダードの流儀には、骨の髄までしみこんだキリスト教(というか「教会がある」という日常)という生活様式が裏側に張り付いていることが暗黙知的な前提になっているので、日本人が表面だけ真似ても、フィードバックが働かず、うまくいかないのである。

 というわけで、「空気」や「世間」によって生じる「しかたがない」も「同調圧力」も「先輩後輩」も「半返し」も「形式的な会議」も「全員が一人を無視するいじめ」もなくならない。「王様はハダカだ!」と叫ぶのは簡単だが、実際に叫ぶことが困難な日常だからこそ、寓話となって語り継がれるのだ。

 ただ、自分に明らかな不利益や害や精神的ダメージをもたらしてくる「空気」や「世間」に対し、「逃げる」あるいは「逃れる」スキルは重要だろう。なにしろ「空気」や「世間」は他人を攻撃・排斥することで秩序を成立させる、という原則があるため、誰かが生贄にならなければならない。それを“やめさせる”のは社会的輿論そのものであって、人が複数で共同体として生きていく限りは無理なのである。

 本書の後半のテーマはこの「空気」からの逃れ方、で、特に伝えたい相手というのは「『差別的で排他的』な『世間』から弾き飛ばされないように、一日何十通ものメールを交換する必要なんかないんだと、『順番に来るいじめ』に怯えている少女」である。そこには、「複数の共同体とゆるく関れ」とか、「所詮はその場の空気に呑まれているだけ」とか、「いっそ世間を捨てて「個」として「社会」に関れ、とか、いろいろ指南している。
 共通しているのは、「空気」や「世間」を相対化してもういちどマクロな視点で見てみろ、ということだ。

 僕自身は、「空気」や「世間」に対処するのに必要なのは「自分自身に自信を持つ」ということだと思う。そして、そのような「自信」は、確かに相対化から生まれる。
 自分の世界、自分の人生、自分の場所は、目の前を支配している「そこ」以外にもいっぱいあるのだ、「そこ」は数ある用意された場所のただのひとつでしかない、そして、自分が行きたい世界は「あそこ」だ、ということを見つけることができれば、今度は「そこ」からいかにして「あそこ」に脱却するか、進出するか、というのが日々を生きるモチベーションになる。「あそこ」にむかっている自分というものの勇ましさ・美しさに「自信」が持てる。そして、こういう「自信」はとても強い。いままで重圧でひたすら気を使った「そこ」という空気や世間が、今度はむしろ「バカ」に見え、かえって自分の「自信」を補強する。もう意味のないメールの応酬もやめてしまう。無視やいじめもおそるに足らない。なぜなら、その「世間」から切られる自分がちっともこわくないからだ。そして不思議なことに、そういう「自信」のついた人を、他人はあまり攻撃できないのである。「空気」や「世間」は、自信のなさそうな者をこそ虜にするからだ。
 そういう「自信」がつけば、現実に「あそこ」にたどり着くのが当面先で、当分は「そこ」に在住しなくてはならないとしても、その「自信」を盾に、「そこ」が持つ空気や世間と一線を画せるし、また空気や世間のほうも「自信」が眩しくてネガティブなアプローチを繰り出しにくくなる。遠巻きに見るだけだ。むしろそういう「自信のある自分」が周囲に新しい「空気」をつくるということさえある。

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輿論と世論

2009年07月08日 | 日本論・日本文化論
 輿論と世論-日本的民意の系譜学 佐藤卓己

 解散総選挙が間近になって、新聞なんかが盛んに「世論調査」をやっている。曰く「麻生内閣は早く総辞職すべきだ」とか「世襲議員は認めないべきだ」とか「海賊法案は廃止すべきだ」とか。
 このような「・・すべき」という意見を全国民単位で集合させ、可視化するための行為が「世論調査」で、中でもこの国民の多数派による意見をもって、時の政治・政局へ民主主義的影響を与えていく、というのが概ねの「世論調査」の筋書きである。と同時に、国民ひとりひとりが自分の意見が全国民の中でどのようなポジションにいるかという確認にもなるが、いずれにせよ多くの世論調査は、その調査結果を国民に還元するというよりは、その調査結果をぶつけたい「誰か」、時の政権か官僚か、あるいはとある裁判のステークホルダーか、などが想定されている、と考えたほうが良い。

 さて、この「世論」調査。よみがなで「よろん」調査である。民主主義的手続きの中で必ず確認しなければならない「大多数の意見」=「よろん」である。ある課題(イシュー)に対して国民各々が持つ「・・・すべき」をベクトル別に集計した結果、最も大きなベクトルとなったものが「よろん」だ。英語で、Public Opinionとか、People's Opinionとか表記する。

 で、この「よろん」。いまでこそ「世論」と漢字であてるが、戦前は「輿論」と表記した。では「世論」のほうは戦後新しく当てられた字かというとそうでもなく、じつは「せろん」と読む用語で、その意味するところはPopular Sentiments、
あえていえば多くの人がもつ暗黙知的価値観、時の感情、もっとありていに言えば「空気」のことを指していた。「「空気の研究」で名高い山本七平の研究の対象は、まさしく「せろん」としての「世論」であった。
 戦後の当用漢字表の統廃合で「輿」という字が使えなくなって、その場しのぎで「世論」になったとき、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」は融解して「世論(よろん)」というものになってしまった。 
 が、お気づきのように「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」は似て非なるもので、むしろ逆というところさえある。建前としての輿論と本音としての世論、理想としての輿論と現実としての世論、左脳としての輿論と右脳としての世論、なんていい方もできよう。

 くどいように、よろんを、国民が「『・・・すべき』という意見」の集合体、と書いてきたが、市井の人間が、いちいちそれぞれの課題を真剣に吟味検討して、「・・すべき」と結論を下しているわけがない。むりやりアンケートを突きつけられて、なんとなく直感や、そのもっともらしさ、周囲の反応などから、ぱっと解答したものが多い。で、この直感・もっともらしさ・周囲の反応うんぬんというのは、そのアンケート回答者を取り囲む「空気」に他ならない。実際のところ、最近の「世論調査」は「空気調査」と言ってさしつかえない。
 で、その「空気」がいかに移ろいやすいかは、言を待たない。そんなにうつろいやすく脆いものを、「100年の大計」に鑑みて意思決定しなければならない政治政策に反映させることは大きなリスクがあるはずなのだが、時の人気・流行ばかりを追いかけ、利用しようとする行政の有り様の例は枚挙に暇がない。

 ただここが厄介なのだが、政治家がどうすれば「票」が入るか、を活動指標として設定すること自体に問題はない、ということである。民主主義である以上、「票」の多さが国民の意思なのである。
 ということは、けっきょくこれは「国民の民度」に跳ね返る話なのである。「国民」がオピニオンを持たず、センチメンタルに流される民度であるならば、その民主主義的意思決定プロセスは、センチメンタルに基づいたものになる、というだけの話だ。誰が言ったか「国民は民度に応じた政府しか持てない」という格言そのものなのである。

 じゃあ昔、「輿論」と「世論」というコトバが並存していた時代は、国民はみな「輿論」と「世論」を使い分けてこれたのか、センチメンタルを排してオピニオンを語ることができたのか、というとこれもどうも疑問っぽい。というのは、このダブルスタンダードは日本人のメンタリティそのものではないかという気がするからだ。むしろ「輿論」はボトムアップというよりは、こういう「輿論」になるようにとトップダウン戦略で行われ、それに新聞社が一枚噛んだ、というところだろう。(「社説」の存在はその名残? というかその使命感を持った人がまだ会社の中にいるということか)

 しかし戦後、「輿論」が「世論」に呑み込まれたとき、結局「Public Opinion」は、「Popular Sentiments」でもって代表されることになった。そして国民が”センチメ ンタル”から独立した“オピニオンを持つ”というリテラシーをつくる機会もむしろ与えられなくなった。「千と千尋の神隠し」ではないが、名を失うとは実態を失うことという、と文学的命題あるいは哲学的命題にまでこの現象は象徴している。意見は気分で決定されてしまう。そしてセンチメンタルにオピニオンを決めてしまうこの力学を最大限に利用したのが小泉純一郎であった。

 いずれにせよ、“空気”であるところの「世論」を人造的に作り出すのはこれは容易ではない。また、できてしまった「世論」を覆すのも並大抵ではないし、まして「よろん調査」によってつくられた出来合いの「輿論」に、“空気”による「世論」を変えるチカラはない。「世論」を変える力があるとすれば、それは別の「世論」が起きるのを待つしかなく、かくして社会はますます気分と移ろいに満ちていくのだろう。

ただ、これをもってだから論理思考ができない日本人はダメなんだ、とか、民度が低いんだ、とも実は思ってはいない。論理と情念が分かちがたいことこそが、白人の国には真似できない思考クオリティであり、「「シンプルスタンダードなどもはやありえない現代の世の中で、矛盾を相克できる底力の源泉かもしれないなどとも考えたりするのである。

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