成分表
上田信治
素粒社
著者は俳人である。俳句および句集のセンスをそのままエッセイに仕立て上げたものといえようか。眼前の光景や出来事から感じた手ごたえと印象、そしてそこから展開される思索を、豊富な語彙を駆使して端的に表していく。とくに「愛」の定義と、「美」の定義を導き出すエッセイにはひどく感心してしまった。この2つをもらっただけでも本書は「買い」であった。
著者は俳人である、なんてすっとぼけたけど、いやそれ自体は決して間違いではないのだけれど、巷間(?)では、この人は「けらえいこのオット」として知られた人である。いや、これどれだけ狭い情報なんだろう?
漫画家けらえいこ。代表作は「あたしンち」。読売新聞日曜版で長期に連載された漫画であり、アニメ化や映画化もされた。しばらく休載期間が続いたが現在は雑誌AERAで連載されている(なぜ、朝日新聞社系列にうつったのだろうか?)。
だけど、ぼくにとってけらえいこは、まず「セキララ結婚生活」シリーズの人だった。
まだ僕が独身だった頃、池袋のリブロで、メディアファクトリーから出ていた「7年目のセキララ」が平積みになっているのを見つけて、それがけらえいこ作品の初対面だった。ピンとくるものがあってジャケ買いし、その内容の面白さからすぐに「セキララ結婚生活」「いっしょにスーパー」「戦うお嫁さま」をゲットした。当時はまだAmazonもなかったので、池袋の大型本屋を探して集めた記憶がある。ちなみに池袋を振りかざすのはけらえいこのお母さんのネタである。
この「セキララ結婚生活」シリーズとは、要はけらえいこ夫妻のご家庭エッセイマンガなのである。今となってはこの手のマンガは紙本からWebメディアまで百花繚乱状態だが、当時はあまり例がなかったのではないか。しかし、いま現在読み返してみても、あまたの「ご家庭エッセイマンガ」より抜群に面白い。なんというか、作品として、視点・切れ味・リズムのクオリティが段違いなのである。
日本人のエッセイは平安時代このかた、男性は説教で女性は自慢話である、と看破したのは清水義範だが、多くの女性漫画家が書いたご家庭マンガは、全体的に作者の主観的な興味対象領域が狭く、なぜそう思ったのか、なぜそんな行動をしたのかの背景をはしょりがちだ。読者層を限定しているのかもしれない。それに、どうも隠しきれない自慢の気配を感じてしまうことが多いのだ。そう思ってしまうのは僕が男性なのかもしれないが、自虐的にオチているような描き方をしていても、舞台袖ではしてやったりとガッツポーズをしているような、自虐を装った自慢話のような、そんな仕上がりのゆるさを感じるのである。もちろん編集者だってそこはコントロールしているのだろうけど、要するに全体的にはエッセイ成分のほうが高めで心情の吐露の抑制が効かず、技法としてのマンガ表現が後付けな印象を受けやすいのである。
それが「セキララ結婚生活」シリーズにはない。やはりパイオニアは違うのだろうか。具体的にいうと、作者けらえいこ自身のキャラの描きぶりがいやに客観的で、よくも自分自身をここまで観察できてるなと思うくらい、セリフやモノローグや挙動が突き放されたキャラとして完結している。それに、作者以外の登場人物の行動や心象も適格に描かれていて逃げがない。全体的に目線が三人称で描かれているとでも言おうか。構図や視点ポジションも限られたコマ数の中でテンポよくきりかわる。つまり表現行為の「マンガ」として完成されている。
そしてエッセイとしても、喜怒哀楽を豊富に描きながら、単にそれをおしつけるのではなく、なぜそんな気持ちになったのかのトレースをていねいに(でも限られたコマ数でテンポよく)描く。そんなマンガだった。
で、だんだんネタバレしてきているが、このけらえいこ夫妻のご家庭マンガ「セキララ」シリーズには、当然ながら夫(作者は「オット」と表現される)である上田信治氏がレギュラー人物として登場しているのである。
その後、なにかのテレビ番組でこの夫婦が出演しているのを観た。「セキララ」では夫君は出版社で編集者を勤めていることが明かされていたが、その後会社を辞め、いまは妻のマンガ制作を手伝っているということだった。「あたしンち」の連載開始のために体制を整えたのだという。
が、そこで合点がいった。「けらえいこ」とは、実質上「共作」のペンネームなのである。キン肉マンの作者ゆでたまごのようなものだ。「セキララ」にはオットの視点やアイデアも存分にとりこまれた作品だったのだ(それどころかネーム切りまでやっていたそうな)。しかもこのオットは漫研出身であり、大手出版社で漫画雑誌の編集者の経歴を持つ。そんなスキルが注入されていたのだ。完成度が高いわけである。これがあまたのご家庭マンガと一線を画していた理由だったのだ。
そこで、本書「成分表」に戻る。後知恵かもしれないが、本書のエッセイが醸し出す世界観は「あたしンち」ときわめてシンクロしてくる。「成分表」の各エッセイを絵にしてオチをつければそれは「セキララ」や「あたしンち」に化けそうなくらいだ。既視感さえあるといってよい。著者が繰り出す思索は、「あたしンち」の登場人物みかんやユズヒコがなんとはなしに思い描いたりくっちゃべったりしているもやもやそのものだし、原稿用紙800字で占めるそのサイズ感も「あたしンち」と同じスケールが醸し出すものと同じだ。「あたしンち」の小さいけれど、不思議なほど時空の広がりのある印象を読後に残すのも、俳句の美意識が注入されていたからなのだと納得する(この「あたしンち」の一を描いて十を表すようなクオリティコントロールはもっと指摘されていいように思う)。もちろん妻けらえいこの成分も存分に多いことは言うまでもなく、こういうのを理想的な「共作」と言うのではないか。
著者がプロフィールや本文で「けらえいこのごく初期の作品からネタ・ネーム・編集で協力していた」と、ややくどいほど書かれているのは著者の矜持ではなかろうか。
家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった
岸田奈美
小学館
かなわないと思う。
こういう文章書ければなと思っても、著者の人生にふりかかってくる「一生に一度しか起こらないような出来事が、なぜか何度も起きてしまう」苦労や苦悩と、それをばねにする強靭な精神と半端なき行動力。それからそれをユーモアにくるめながら読ませてしまう達者な文章力には、ひれ伏すことしかできない。
話がまったくそれるけど、盲目のピアニストというのが存在する。日本人では辻井信行氏が有名だが、梯剛之氏はそれより以前から活躍しているし、世界を見渡しても古今東西存在する。ピアノを弾いて一流の芸術家として大成するには様々な要素が必要ではあるが、音に対する鋭敏性に関しては盲目のピアニストのそれは半端ない。もちろん世界レベルの第一級のピアニストや往年の大ピアニストは目が見える人がほとんどだけれど、盲目のピアニストが弾く、ピアノの音のあまりにも研ぎ澄まされた響きの妙は神の領域である。辻井氏のピアノの音をじっくり聞いてみてほしい。
盲目の人がピアノを修得するにあたっての苦労たるやとんでもないものであることは想像に難くない。畏敬というか奇蹟をみる思いがする。そしてそれを克服した彼らの演奏を虚心坦懐にきいてみると、とにかく音の細やかなコントロールがものすごい。ここまで微妙に指先の筋肉の動きを制御するかと驚愕する。彼らは視覚情報が制限されるだけあって耳から入る情報処理能力がものすごく発達すると言われている。彼らの生活の万事が耳への鋭敏性を鍛える。その耳を頼りにした彼らの音づくりは、健常者の神経がそもそも太刀打ちできるものではないのだ、
つまり、目が見えないという人生を歩むことが、聴覚を徹底的に研ぎ澄まし、音づくりの感受性を超人的なレベルにもってゆき、類まれな演奏になっていく。音楽というのはサウンドをコントロールする時間芸術だから、これを司るものとして、従来目が見えない人には、もう絶望的にかなわないのである。何がいいたいかというと、盲目の人生がこの音の奇蹟をつくるのだ。
本書を読んで思いだしたのが、この「目の見えないピアニストにはかなわないんだよな」ということだった。
著者がこういう文章を書けるのはもちろん、父をはやくに亡くし、母が下半身不随で、弟が障がい者という、背負った人生そのものにあるわけだけれど、真に大事なのは、そういった境遇によって鍛えられた彼女の感受性であろう。社会や人に対してのまなざし、心がキャッチするアンテナ、体についた条件反射、こういうときはどうしてやろうかという胆力、こういった彼女の「心身」についた感受性と美学こそがこの文章を成らしめている。もちろんここには著者の家族のあいだにあるお互いをリスペクトする感受性も大いに含まれる。
ということは、このような文章を僕が書きたいなと思っても書けるわけがないのである。彼女に比べれば圧倒的にぬるい世の中に浸かっていて感度も鈍っている僕に書けるわけがないのである。土台が違うとはまさにこういうことである。
だと思うけれど、そのことを承知の上で、とはいえ著者の文章はやはり巧い。
以前、ノンフィクション作品には、「題材そのものが稀有で、作品の価値を決めているもの」と「題材そのものは地味だけど、圧倒的な筆力で読み手を引き込ませるもの」の2種類があると書いたことがある。その意味では、本書は「題材が稀有」で「圧倒的な筆力」のハイブリッドだと言えよう。決して厚い本ではないけれど何度も笑い、そして涙し、読後は幸福感があった。完全に著者の術中にはまったわけである。せめてこの文章の謎くらいには迫りたい。
著者の文章をあらためて読み返してみると、ひょうひょうと書いているように見えるが、かなり練られている。超絶技巧と言ってもよい。なんとなく、古典落語あたりに通じるプロットの技を身につけているなとか、講談なんかにみられる文節リズムの采配をわきまえているなとは感じる。ボキャブラリーが豊富なのと、連想や引用が人一倍広いなとも気づく。「100文字で済むことを2000文字で伝える」のは才能だとは思うけど、文章に冗長さをいっさい感じさせないのは、技術がしっかりしているということだ。これが意味しているのは、著者はこの家族とともに格闘しながら、その一方で相当なインプットをしてきたという驚異的な事実である。おそるべきガッツだ。「ガイアの夜明け」に取材させるために番組のプロットを学ぼうとしたあたりにもそれは表れている。1991年生まれというからまだ20代。僕よりも二回り下の世代だ。これこそが自分ももっと頑張らねばなと素直にこうべを垂れたくなる福音なのだった。
ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法
ジョン・マクフィー 訳:栗原泉
白水社
タイトルからするとハウツー本を想起させるが、どちらかといえばエッセイである。原題は"Draft No.4”サブタイトルは"On the Writing Process"。第4稿。執筆のプロセスといったところか。
とはいうものの、たしかにノンフィクションの技法、そうか、ノンフィクションを記すというのはこういうところに気を使うのか、というのがわかる内容ではある。
ただ、その書きぶりは、完全にネイティブなアメリカ人によるセンスとユーモアによるもので、そのインサイトをつかんでいないと、本書に書かれている味わいはなかなかわかりにくい。白状すると、僕にはよく理解できないところがたくさんあったのである。たぶん気がきいたジョークを言っているんだろうな、と思うのだが何がいいたいのかピンとこない。どれが冗談でどれが真剣に語っているのかもいまいちくみ取りにくい。どうやらこれがオチらしいが、なぜこれがオチなのかがわからない。それにどうも話があっちこっちいったりする。たぶんすごく凝ったエッセイなんだろうと思うのだが、どうも僕は期待にそえる読者ではなかったようだ。
それでも、ノンフィクションを書くということのなんたるかが垣間見えた。フィクションの小説を書くのとはまったく違う気苦労があるのだ。
それは要するに「事実を書かなければならない」ということと「著者のクリエイティビティを出さなければならない」ということのぎりぎりのせめぎあいである。
つまり、取材先が何か言ったら、その言った通りのことを書かなければならない。ノンフィクションなのだから。しかし、取材先の一言一句を丸写ししていたら冗長になって話にならないだろう。だから刈り込みの編集が必要になる。しかしその編集はノンフィクションを語るとしてどこまで許されるのか。
著者マクフィーのこだわりは、その取材先が話したコトバを、直接話法で書くのか、間接話法で書くのかの選択にも出てくる。そして、間接話法のときは、主語や述語の示す先から、そもそも語り手が言いたかったことの微妙なニュアンスまで徹底的に留意しようとする。
それから、綿密なファクトチェックというのがある。ノンフィクションであるからには嘘があってはいけない。あの道は右に曲がったかそれともまっすぐだったか。屋根の色は赤だったか青だったか。某作家がほにゃららとという名言をはいたことになっているが、それは本当にエビデンスがあるのか。ちょっとした演出で書いてみた「アメリカにはイリノイ川が2本ある。どちらも知られていない」は、本当に「2本」しかないのか。出版社には専門のファクトチェックチームがいる。このチームが徹底的にリサーチしてみたら、イリノイ川はほかに何本もあることが判明する。「ないことを証明する」というのは悪魔の証明だが、ノンフィクションを名乗るからには事実をいいかげんにしてはいけないのである。。
また、取材したことのすべてを本にするわけにはいかない。何をとりあげ、何は捨てるのか。しかし本来はノンフィクションだからすべては事実である。捨てるーー書かないことによる事実の棄損ということもありえるのだ。何を書かずに済ませるか。(取材メモの10分の1くらいしか原稿にはならないそうである)。ここにも著者は神経を使う。
しかし、このように事実の下僕であることを強いられるノンフィクションを書くとき、ではどこでクリエイティビティを発揮させるのか。とりあげる題材がユニークであればそれでいいのか。
そこで著者が明かすには、クリエイティビティの最大の発揮どころはその「構成」にある。
「構成」というのは、どういう順番で書くか、ということだ。
一番シンプルなのは、そして小学生の作文なんかでよくあるパターンは、「時系列」の順番で書くことだ。物事を秩序だてて整理しようとするときに時系列の強いる力は大きい。
しかし、「時系列」はマンネリであり安直でもある、ということで、本書では時系列ではない技法が開陳される。本書の中でもっともハウツーっぽいところである。マクフィーが過去に書いた作品を例に出してその構造を説明する。それは円環構造だったり、2つの大きな流れがやがて1点に収斂されるYの字型だったり、渦巻き型だったりする。ずらりとならぶ吊り革型なんてのもある。ほかにも一人の人間を取材するときに、その人の関係者を3人取材して最終的に本人の実像にせまるABC/D型なんてのもある。
実際にそうやって書かれたものがどんな体になっているのか彼の著作を読んでいないから詳細はよくわからないのだが、「時系列」というのが数ある手法の一種で、しかもチープであるという感覚を初めて知った。これは目ウロコだ。
たしかにノンフィクションの傑作とされるサイモン・シンの「フェルマーの定理」は、単純な時系列ではない。時間軸でいうとまず途中から始まる。その次に過去の話となり、だんだん現在に近づいて冒頭のシーンにつながる。そのあと冒頭より未来方向への時間軸の話へとなっていく。「フェルマーの定理」は実にドラマチックで読み応えがあるノンフィクションだが、たしかに構成の妙も一役買っている。
この「途中から初めて、そのあと昔に戻り、途中に追いつき、それから未来方向へ」という手法を用いた例は、他にもいくつか心当たりがある。
そういえば、椎名誠の初期の代表作に「わしらは怪しい探検隊」というのがある。椎名誠と仲間たちによる島とキャンプの話だが、これの構成がなかなか面白い。最初は普通に島に行くキャンプ隊の話で、キャンプの話から始まり、やがてその由来の話となっていく。つまり、過去に戻って現代にむかって進む。しかし、冒頭の現代に戻るのかというとそうではなくて、いつのまにか何年後かに時空が飛び、探検隊の一員だった中学生の成長の話になって、そのあとまた島での騒ぎのシーンに戻る、という構成をとっている。これが実に効果的で、刹那的な島のバカ騒ぎと、そこから日常で成長していく少年の姿の対比となってどこか切ないのであった。椎名誠のノンフィクションや自伝的エッセイは、時系列の変幻自在が特徴で、それが独特の不思議な世界観をつくっていたんだなあ、などと初めて気づいた。
なるほど。たしかにノンフィクション作家にとって、構成とは、クリエイティビティを生かすも殺すもありなのだな。もっとも著者によると「構成」とは、題材の上に型を押し付けるのではなく、その題材から生まれ出るものなのだそうである。ということは、題材から生まれ出る構成を見抜く力こそがクリエーティビティということだろう。納得である。
小田嶋隆のコラム道
小田嶋隆
ミシマ社
コラムってのは不思議なシロモノで、シロモノだから決してイロモノではないがなかなか定義のしにくいジャンルだ。時事評論もあれば、映画の感想もあるし、業界の解説もあるし、そのどれでもないこともある。
ただ、コラムは一概にいってそんなに長文ではない。囲み記事程度のものもあるし、せいぜい雑誌の1ページだ。数十ページにわたるコラムというのは想像しにくい。
それからあまり怒りや悲しみの心情を吐露しているようなペシミスティックなものもコラムとはいいにくい気がする。鴨長明の「方丈記」はエッセーではあるけれどコラムとは言い難いように思う。コラムとはもっと軽妙洒脱なオーラをまとっている。
では、清少納言の「枕草子」はコラムだろうか。あれはけっこう上機嫌なテンションが支配している読み物だけれど、あれをコラムと呼べるかというとこれも抵抗がある。あれもエッセーなのだと思う。
ということはエッセーとコラムにはもっと本質的な違いがありそうだ。それは何か。
この「コラム道」を読んでそうか、と膝をうつ。著者が何度も繰り出す「ダブルバインド」というやつである。
本書は名うてのコラムニスト小田島隆による言わば「コラムの書き方」本である。あてずっぽうなのかすべて計算のうちなのか、グダグダなのか超絶技巧なのかよくわからない本だが、世にあふれる「文章読本」や「企画書の書き方」などよりはユニークで面白いことには間違いない。
で、本書のあちこちに「ダブルバインド」が出てくる。(「ダブルスタンダード」というコトバを使うこともある)。
・コラムは文章界の「規格外」でありながら、文章としての「常識」もふまえる。
・「主題」も大事だが「主題の料理の仕方」がもっと大事。
・本来乖離している「魅力的な会話を成立させる能力」と「マトモな文章を書く能力」
・書き続けないとモチベーションはわかないが、書き続けても疲弊するモチベーション
・両立しない文章作法としての「最後のまとめの一文」と「印象に残る一文」
・メモは日々取り続けなければならないが、そのメモを活かしたコラムはたいがい成功しない
・フォーマルで理知的できどった人格の「私」と、個人的で乱暴で気さくな人格の「俺」(主語が決める文体)
・発言の一貫性を心がければ議論は硬直するし、率直さに重点をおくと結果的にダブルスタンダードに陥る
・文章を書くときの頭脳と文章を読むときの頭脳は異なる(相反する「創造性」と「批評性」)
・コラムニストは複数の視点で観察しながら、ひとつの見識のもとにひとつのコラムを書く
・文章を書く人間は〆切を恐れながら、〆切に依存している
著者の目線はつねにダブルバインドにあると言って間違いなさそうだ。確かにこの世の中は複層的であり、複合的であり、複式が横行し、複数の複雑な複線が輻輳していたり、複写して申し込んだ複利で複勝式を狙ったりする。つまり人の世の常というのは、双方に矛盾しあう目的を同時処理しなければならないダブルバインドが横行しているのである。(しかしこの「複」という字はじっと眺め続けているとゲシュタルト崩壊を起こす字だな)
コラムとは世の中のダブルバインドを短い文章でとらえたものだ。コラムニストとは、どんな主題や主語を用いていようと、その世の中のダブルバインドをみつけ、自らのダブルバインドを遊ぶ者である。そして技術と発想でダブルバインドを一瞬でも解き放って昇華させたものが名コラムと言えるのではないか。鴨長明はダブルバインドをただ憂いただけであり、清少納言はそれがダブルバインドであったことさえ気づいていない。そもそも鴨長明も清少納言も〆切には追われていなかったのではないか。
生きながらえる術
鷲田清一
講談社
さいきんブリコラージュの言及をよく見かけるなあと思っているのだがこれもそうだった。
もしかしたら、今日にあって「生きながらえる術」とは「ブリコラージュできること」なのかもしれない。
「ブリコラージュ」の思想は、単に”そこにあるあり合わせでつくる”だけではない。発想を応用させれば、自分も”ブリコラージュされる一要員”と考えることも可能だ。これこそが本書にも出てくる「横請け」にほかならない。
つまり、そこにいる仲間同士の異質ながら対等の関係知の中でものをつくっていく。このとき、あなたはブリコラージュの一要員である。それでいいのだ。それが持続可能で脱消費な生産行為であり、社会なのである。
そして、結論からの逆算だけでなく、”今ここにあるこれらで何がつくれるだろう”という感覚、転じて”今ここにいる仲間たちならば何ができるだろう”という発想。これがアーティストの術となる。また、「置かれた場所で花を咲かせろ」「手持ちのカードで勝負しろ」という格言とも人生訓ともいえるものがあるが、これもブリコラージュの価値観の範疇だ。
これらを総合するに、「生きながらえる術」とは「今ある環境を上手に使う術」ということである。この環境には社会環境、人間環境、自然環境、その他幾多の環境があるが、五輪書も孫子も自衛隊のレンジャー部隊もボーイスカウトの自然塾もみんな同じことを言っているような気がする。
ぼくが猫語を話せるわけ
庄司薫
中央公論社
今回は、ふるーいエッセイ集の紹介である。刊行は1978年。ついに40年前の本になってしまった。
ちなみにこのエッセイの冒頭はこうである。
”或る日ぼくは、主観的には全く突然に、一匹の猫の居候を抱えこむことになった。
これは一大事だった。”
おお! まるで村上春樹!
作者の名前は庄司薫である。年配の人には懐かしい。それこそ、庄司薫は昭和40年代に、村上春樹のようなファッショナブルな作家として登場した。
庄司薫の代表作は「赤頭巾ちゃん気をつけて」。これは芥川賞を受賞し、映画にもなった。
この作品は、主人公である高校生の薫クンが、学園紛争真っ只中のある一日を描いた青春小説である。村上春樹の小説のようにすぐに肉体関係に至るわけではないが(爆)、後に、村上春樹の先駆と言われることにもなった。ちなみにヒロインは由美ちゃんという。
その後は続編として「白鳥の歌なんか聞こえない」「さよなら怪傑黒頭巾」「ぼくの大好きな青髭」と、赤・白・黒・青として連作された。
この薫くんシリーズの後はそ「狼なんてこわくない」「バクの飼い主目指して」というエッセイというか、青少年論みたいな作品を出し、そして「ぼくが猫語を話せるわけ」というエッセイ集を最後に上梓し、そのまま断筆してしまった。筒井康隆のように断筆宣言したわけではないが、以後いまに至るまで新作は世に出ない。もう80歳になるはずだ。
小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、道具立てその他を現代のものに置き換えていけば、今でも通用しそうな内容だと思っているが(10年ほど前だったか、ラノベ大好きだった人間が、はじめてこれを読んでえらく没入し、立て続けにシリーズを読破していったのを見た)、庄司薫は、この「僕の大好きな青髭」を最後に小説の発表をやめてしまっているから、結局のところ小説家としてはこの薫クンシリーズの4冊しか出さなかったことになる。(正確には活動初期に短編集が1冊ある)。
そういう寡作な作家だったのだが、なぜいまさらここに「僕が猫語を話せるわけ」なんてエッセイを持ち出したかというと、たまたま僕がひっさびさに書棚から引っ張り出して読んだからである。
「僕が猫を話せるわけ」は、数少ない庄司薫作品群の中ではもっとも読みやすいと思われる。内容は、もともと「犬派」だった作者のもとに「極端に旅行がち」な知人(女性)から猫を預かるはめになり、その猫との生活エッセイである。しかもあろうことか、猫だけでなく、その猫の「本来の飼い主」まで預かることになる。
とはいえ、衒学であり碩学であり高等遊民として知られた庄司薫だったから、単なる日常エッセイではなく、そうとうにハイブローで教養を要求される内容だ。ここで試されるセンスは、おそらく現代ではもう通用はせず、ただのめんどくさいおっさんでしかないだろう。書かれていることはえらくインテリなのに、その文体は、とても大仰にしてナチュラルという、当時としては斬新な語り口だった。
たとえば「鉛筆けずり」と題されたエッセイはこんな文章である。
”ぼくは、大体において昔から文房具というやつが大好きなのだ。中学生時代からひいきにしている銀座の伊東屋はもちろんのこと、ただ街を歩いていても、文房具店を見るとついなんとなく入りこんでしまう。そして、いい加減あれこれと見廻したあとで、鉛筆を一本もっともらしい顔をして買ったりするのは、これはすごく感じのいいものなんだ。”
僕がこのエッセイを愛読していたのが今から25年ほど前の1990年代前半。つまりその時点で十分に古いエッセイだったのだ。しかし、当時の僕は決して古い内容とは思わず、その言葉の使いまわしや何を面白がり何を美しいと思うかのセンスを違和感なく味わった。文章の書き方、エッセイとしてのまとめ方の読本にもなった。
とはいえ、ここ10年ほどはすっかりご無沙汰していた本である。それをなぜ急に引っ張り出したかというと、恩田睦の「蜂蜜と遠雷」が本屋大賞をとって話題化したからだ。
「蜜蜂と遠雷」は、国際ピアノコンクールをテーマにした小説である。ただ、国際ピアノコンクールを題材にした本というと、かねてから有名だったのは中村紘子が1988年に上梓した「チャイコフスキー・コンクール」だ。著者はもちろん、去年なくなったピアニストの中村紘子である。これは小説ではなくて、ピアニストでありコンクール審査員でもあった中村紘子がまだソ連だったころのチャイコフスキーコンクールをルポしたものであった。単なるコンクール進行記録ではなく、ロシアの芸術事情や、ピアニスト事情、日本のピアノ受容史まで話がおよぶなかなか骨太で読み応えのある内容で、何かのノンフィクション賞をとっていたはずである。
で、その中村紘子こそが、「本来の飼い主」なのであった。(ファンには有名な話である)
海外への演奏旅行で留守しがちだった当時20代の中村紘子が飼っていたシャム猫を、庄司薫は預かったのである。この「僕が猫語を話せるわけ」は随所に小さなイラストが載っているのだが、そのイラストは中村紘子が描いたものだ。
つまり、ぼくは恩田睦「蜜蜂と遠雷」→中村紘子「チャイコフスキーコンクール」→庄司薫「僕が猫語を話せるわけ」と連想したのだ。だからどうしたと言われても困るけれど。
本棚を眺めていると、連想が連想を呼び起こして普段なかなか手に取らない本を開いたりする。これはなんとも楽しい。ジャンルやカテゴリーだけでなく、こういう縁の繋がりで本を並べてみるのもまた楽しそうだ。
園芸家12カ月
著:カレル・チャペック 訳:小松太郎
僕は原則として3回出会った本は読むことにしている。
これはいわゆるシグナル効果というやつで、2回目は偶然でも、3回出会ったならばなんらかしら自分の関心領域に関係ある可能性が高い。もちろん本に限らず、映画でも旅行先でも効果は同じである。
さて、「園芸家12ヶ月」は、父の書棚にあった(父はべつに園芸家ではない)。僕が父の書棚にどのような本があるのか関心を持つようになったのは中学生くらいだっただろうか。これが最初の出会いである。とはいえ、手にとって開くようなことはせず、へえそういうタイトルの本があるのかと思っただけである。
やがて高校生の頃だったかに鉄道旅行作家の宮脇俊三氏のデビュー作「時刻表20000キロ」を読んだ。この作品は日本国内に張り巡らされた国鉄(今のJR)の完全踏破を目指す旅行記だが、すべての鉄道に乗り終わったあと、最後に「園芸家12ヶ月」の引用で結んでいる。したがって、これが2回目である。(なお、宮脇俊三には「汽車旅12ヵ月」というまさに園芸家12ヵ月に倣った作品もある。)
その後、「園芸家12ヵ月」は2回出くわしたリーチ状態のまま10何年が経過した。なお、著者のカレル・チャペックという名は、いつのまにか、いわゆるロボットという言葉をつくった人として聞いてはいたが、それ以上のことは知らなかった。
さて先日、ある講演を聞いたときに、「園芸家12ヵ月」が出てきた。これも園芸とは関係がない講演で、とある著名なコピーライターが読んでいた本、ということで紹介されたものである。(残念ながらコピーライターの名前のほうを失念。その業界では名人級とのこと)。
おお、あの「園芸家12ヵ月」かと、父の書棚と、「時刻表20000キロ」の最後の部分を思い出し、「3回目だ」と思ってすぐに買いにいった次第である。
で、その「園芸家12ヵ月」。僕自身は庭いじりもガーデニング趣味もない人間で、だけれどマニアの生態というのは古今東西おんなじだなと思う。
しかし、本書のだいご味はひとつはこのような園芸家あるあるの描写だろうが、もうひとつは作家やコピーライターも着目するその文章だろう。ということは原文自身ももちろんだが、訳者の小松太郎氏もそうとういい仕事をしている。
よくよく読んでいると、ものすごく細かいところまで観察していて神は細部に宿るがごとくなのだけれど、実は植物自身のトリビアにはほとんど割いていない。まったくないといってよい。植物の名前だけは次々出てくるが、どうもそれも確信犯っぽくて、そのひとつひとつの名前を知って覚える必要はまったくない。この花のどの部分がどんなふうにできている、とか、この苗を植えるにはどこにどう気をつけてこのようにやる、みたいなところを追いかけていない。あくまで描写しているのは、そういう園芸に汲々している人の姿である。
「園芸家12ヵ月」は、タイトルのごとく、「園芸」ではなく、「園芸家」を描いているのだ。
だから、ここに「園芸家」という人間と、「植物」があるとすれば、このエッセイが描いているのは、園芸家という人間自身、それからその園芸家が植物や土に触れているまさにその接触部分の感触(身体感覚といっていいか)である。「植物」そのものはほとんど描かない。
言わば園芸にたずさわる人間の心の動きがこのエッセイの主題なのである。
また、この「心の動き」を描く姿勢が小気味よい。たいしたことしてませんが、ということを自覚しながらも卑下せず、かといってこれの価値がわからないあんたバカじゃないの的尊大さもない。いわばオトナの余裕というか、紳士然とした態度がある。そこには絶対的自信のようなプライドがみえる。
作家やコピーライターが、この作品に惹かれるのは、植物の知識のひけらかしでも園芸の指南書でも内向的な趣味の独白でもなく、12か月の季節のうつりかわりの中で園芸にふれることの機敏と肌感を、シンプルに品よく描いたこの姿勢にあるのだろうと思う。
読んで良かった。3回出会ったものは読む、は有効である。