読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

魂の退社 会社を辞めるということ。

2024年07月20日 | エッセイ・随筆・コラム
魂の退社 会社を辞めるということ。
 
稲垣えみ子
幻冬舎文庫
 
 
 底本が2016年に東洋経済から出た単行本。本書はそれの文庫化である。2016年といえばコロナよりも東京オリンピックよりも以前だ。安倍晋三がまだ生きていて政権をとっていたころの話である。
 
 単行本刊行時はけっこう話題になったようだ。アフロヘアの朝日新聞記者として有名だった著者がついに退社してフリーになった顛末記なのである。僕自身は著者のことは、そのビジュアルだけはご本人の思惑通りしっかり認知していたが、いつの間にやら朝日新聞社を退社していたことはまったく知らなかった、先日「老後とピアノ」という本を読んだのが彼女の著作に触れたきっかけである。
 
 僕自身も50代であり、もろもろ生産力も判断力も衰えてきた自覚がある。会社からの視線、同僚や部下からの視線がだんだん居たたまれなくなっている。辞めちゃおうかなと思うことはしばしばだが、先立つものもないし、つぶしも聞かないし、なんとかあと10年くらいはしがみついたほうが結局のところ人生は安泰かもしれぬと逡巡する毎日である。こういう50代サラリーマンは多いに違いない。
 
 著者が僕と違うのはーーそれは「老後とピアノ」を読んだときも思ったのだがーー彼女はこの歳にして冒険好奇心をまったく失っていないことであろう。未知なもの未取得なものに首をつっこむ前向きな力に満ち溢れている。そうでなければ転職先のアテがあるわけでもなく退社するというのはやはりなかなかできないのではないかと思う。
 
 僕は20代の頃にいちど転職をしている。最初に就職した会社はスキルを磨くのに悪くはなかったが、待遇がいまいちなのと、やはり日本経済のビジネス商流において下請けのポジションゆえに、クライアントからの高圧的かつ中間搾取的なビジネス文化に日々ちくちくされるのがだんだん嫌になってきた。そんな折に、そこよりは大きな会社の人が声をかけてくれたこともあってさほど難しいこともなく転職ができた。
 でも、これさえも20代だったから深く考えずに行えたことだ。それよりも上の年齢だったら現状維持バイアスが働いて動かなかったかもしれない。「深く考える」ことがロクでもないことはよくわかっているつもりだが、自動的に脳みそが「転職しなくていい理由」「転職しないほうがいい理由」を次々と繰り出す。現状維持バイアスおそるべし。アドラー心理学風にいえば「動きたくない」億劫な心が先にあって、「動かなくてよい理由」が後からついてくる、といったところだろう。「置かれた場所で咲きなさい」は名言だと思うが、これさえひょっとすると現状維持バイアスの悪魔のささやきかもしれぬ。
 
 
 本書は、退社にあたっての経緯や心境をつづるとともに、後半部分はその退社の対象となった「カイシャ」への疑問と問題提起が繰り広げられる。そこには経済成長が止まったニッポン社会においてそれでもカイシャが存続するために利益をあげなければならないという構造矛盾を指摘する。もちろん朝日新聞社もやり玉にあがる。
 
 そもそも会社の仕事とはどんなものであったか。それは、その会社が提供する製品なりサービスなりがどこかの誰かが喜んだり助かったりするという結果があって、その対価として会社は顧客から金を受け取り、それがめぐりめぐって社員の評価(給料)と人事につながっていた。高度経済成長時代はこのシンプルなストーリーに矛盾はなかった。
 しかし、人口が停まり、GDPが停滞し、生活に必要なモノは一通り行き渡った。それでも会社は存続しなければならない。会社はこうして「カイシャ」化する。無理やり商品やサービスをつくりあげ、無理やりニーズを喚起して、無理やり売りつける。本書では象徴的なエピソードとしてスマホを家電量販店で買うときの複雑な料金設計とやたらにあるオプション料金に関しての店員からの猛烈なやりとりを挙げているが、これにげんなりするのは僕も同様だ。
 末端消費者をケムに巻くような売らんかな攻勢も、立場が変わればビジネスモデルのケーススタディとなり、他所から渡り歩いてきたCXOが外国語用語を振りかざし、どこのだれが助かっているのかよくわからないままにカネと人事をちらつかせて社員を動かそうとする。
 
 先ごろ読んだ「なぜ働くと本が読めないのか」もまさしく本書の内容と同様であった。「魂の退社」では「会社依存度」を下げて「会社で働くこと以外に何でもいいから好きなことを見つけてみる」という話が書かれているが、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」ではこれを「全身全霊ではなくて半身で働く」という言い方をしている。どちらにしても問題意識は同じだ。高度成長時代を過ぎて飽食と縮退を余儀なくされる中での新自由主義時代にあって会社という組織は、その存続のために社員も消費者も多いに蝕みながら生き延びようとする。そのことに悪びれもしない人間が組織の中で生き残り、勝ち進んで経営のボードメンバーになるから、より「カイシャ」の濃度は増すといってよいだろう。
 一方で、企業の社会的責任とかSDGsとか働き方改革とか言われだしたのは2017年頃ではなかったか。これさえも搾取が悪目立ちするようになったカイシャの方便なのではないかと思えてしまう。
 そういうわけだから、被雇用者としては、会社依存度を下げること、半身で働くメンタリティは、今後を生き延びる上でたいへん重要な視点ではある。
 
 では、どうすれば、著者のような会社依存度を下げちゃえという決断に到達できるのだろうか。
 いいから行動しちまえ、そうすりゃ嫌でもあとからその行動を肯定する理由や言い訳を見つけざるを得なくなる、という意見もある。昔から「案ずるより産むがやすし」「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」「心配事の96%は起こらない」と言う。なんとかなるさで踏み切る度胸こそが肝心ということだろうか。
 
 
 なにをどうめぐりあわさったか、僕は転職後、そのまま20年以上も同じ部署で同じ仕事をしている。これは会社の人事の中でも異例中の異例となってしまった。しかもそのままその部署の中間管理職になっている。
 なにしろ20年だから、会社のほうもますます僕を動かせなくなっている気配がある。この環境は僕自身をますますつぶしの効かない人間に追い込んでいることは確かだ。まずはせめてそこから動く意思をもっと強く出したほうがよさそうだ。

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最後はなぜかうまくいくイタリア人

2024年07月04日 | エッセイ・随筆・コラム
最後はなぜかうまくいくイタリア人
 
宮崎勲
日経ビジネス文庫
 
 
 タイトルが秀逸。裏を返せば「過程は問題ないはずなのに最後はなぜかうまくいかない日本人」という見立てが張りついている。くそー、なんであやつらはあんなにいい加減なのになんだかんだでうまくいってんだ! と思う日本人は多そうである。
 
 底本が2015年だから7年前の本だけど、コロナを経ても彼らのメンタリティは変わらない。コロナウィルスによって世界中で外出禁止になったときに、日本では自粛警察と買い占めで寒々としていたのに、イタリアにおいては道を挟んだアパートのベランダ越しにカンツォーネを歌い合う光景がニュースで取り上げられていて、なるはどイタリアらしいと思ったし、連中にはかなわんなと感じた次第である。ソーシャルディスタンスさえ楽しむのだ。
 
 もちろん「イタリア人とは」とひとくくりにするのは乱暴な話なのであって、そういう意味では本書は「面白い読み物」という感覚で接するべきであろう。とはいえ、なんとなく我々の生きるヒントみたいなものも感じさせる。たとえば、イタリアは社会運営がなにかと雑なので、そこで生活する彼らは予定を綿密にたてたところで実際は何がおきるかなんてわからないことを経験的に知っている。したがって先の段取りのことは気にせず、出たとこ勝負で繰り広げて、そして最後はなんとか辻褄合わせてしまうスキルが非常に鍛えられているのが著者の観察だ。この話、多いに考えさせられるものがある。
 なんとなく今の日本は、段取り力とかバックキャストとかTODOとかPDCAとかコスパタイパに頭をフル回転させて、最短距離で最大の成果を得るように周到に動くのが賢い人の条件のように言われがちだ。そのようなビジネス本や自己啓発本はたくさんある。
 日本はイタリアに比べればはるかに予定通りにコトが進む社会文化ではあるものの、とは言え想定外なことに見舞われることは大なり小なりよくあることだ。
 むしろ、時々刻々と変わる変化を感じながらその場のものにあやかりながら目的を達成する能力は、この日本でだって必要な能力であろう。
 まあ、最後はうまくいくさ、の行き当たりばったりで着地させる身体感覚(運動神経に近いものかもしれん)を持つこと。これはバックキャスト思考に負けず劣らず大事なサバイバル能力であることは肝に銘じようと思う。その肝は本書にもあるように経験主義(プラグマティズム)ということなのだ。
 
 ところで、本書を読んで気がついた。タモリの芸風ってこうだよな。彼の好きな言葉は「適当」で、座右の銘は「やる気のあるものは去れ」。しかしアドリブに優れ、手先が器用で、料理は玄人はだし、寄り道が大好きで、さりげなく様々なことに造詣が深く、やんちゃに事欠かない。短所を正すよりもそれを個性ととらえて長所を引き出す彼の審美眼によって世に出た芸人はたくさんいる。そういえば「日本ラテン化計画名誉会長」はタモリであった。

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優しい地獄

2023年06月23日 | エッセイ・随筆・コラム
優しい地獄
 
イリナ・グリゴレ
亜紀書房
 
 
 ぼくは、3回出会った本は読むことにしている。書店や書評や言の葉で耳目にはいってきた本だ。3回出会うということはこれは偶然なのではなく、その向こうに自分の関心領域としてのネットワークが何がしかつながっていて、そのシグナルとしてその本のタイトルに3回出くわすという事象が現れるのだ。だから本に限った話ではなくて、人名でも地名でもあてはまる考え方である。
 とはいうものの、最近は1回でもWEBの広告や記事を踏むと次々にそれに類した広告や記事が現れるから、3回くらいではただの水増しなだけでここは要注意だが、アナログなメディアやリアルな生活空間で目にした場合は、けっこう重要なシグナルとみなしている。
 
 この「優しい地獄」に僕は3回あたったのである。
 
 ・新聞(紙)の書評
 ・WEBのニュースアプリ
 ・書店で買ったとある本の中で、この本の言及があった
 
 上記のような次第だからWEBネットワークテクノロジーの操作による影響は低いと思われる。
 ちなみに、「書店で買ったとある本」というのは例の「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」だ。千葉県在住引きこもりの作者がルーマニア語で小説を綴ってルーマニアで文壇デビューした話である。
 一方、この表題作「優しい地獄」はルーマニア出身で日本に留学している文化人類学者の卵が、著者みずから日本語で書いて日本にて出版されたエッセイである。似たような時期にほぼシンメトリーな関係の本が出たことになる。
 
 それにしてもこの「優しい地獄」。非常に奇妙な味わいを持つ文章だ。このエッセイは、著者のルーマニア時代の回想や現在の日本での生活に関する思いを綴ったものだが、それらは単なる日常の描写ではなくて、なんとも絶望的な思いや暗鬱な記憶との闘いを伴なった非常に辛いものである。著者が物心ついたときには悪名高いチャウシェスク独裁政権は既に倒されていたが、ルーマニアはその後もひどく迷走した国だ。社会主義時代の多産政策によって産み落とされた孤児たちはマンホールチルドレンと呼ばれた。劣悪な医療環境でのワクチン接種によりHIVに感染する子どもたちが多数出現した。西側諸国の経済政策には対抗できずに搾取の対象となって、今でも貧しい国である。ルーマニアのポスト社会主義時代には暗い話ばかりが浮かんでくる。
 さらに著者には内臓の疾患があるようだ。彼女自身はそれをチェルノブイリ原発事故の影響とみている。チェルノブイリからルーマニアまでは約700キロ離れているため、本当かどうかは疑問も残るが、放射能が偏西風によって広がったとのは確かに観測されている。チェルノブイリ事故は共産圏諸国に暗い影を落とした出来事の一つだ。
 
 こうした暗い断片が日本語で綴られている。彼女の日本語は、生硬で文法が微妙に不正確なこともあるが、そのごつごつとした文章は、逆に効果的に読む者の心をえぐる。著者があらわそうとしているのは、豊かで五感を刺激するような情景や感受性だ。語られる内容はとりとめもなく次々と変容していく。豊饒な映像をコラージュのように組み合わせたような芸術的な趣を感じさせる。現在の話や過去の話、日本の話、ルーマニアの話、子供の話、親の話、自分自身の話。これらが断片的に交錯していく。
 
 こういうのをオートエスノグラフィと呼ぶそうだ。オートエスノグラフィとは自己の内省を通じて自分自身を文化人類学的な視点から解釈する手法で、学問的に確立されているそうである。この断片的な記述から、著者を支配している文化的な背景や、生まれと育ちによる心理的な要因などを再解釈することになる。
 このオートエスノグラフィをルーマニア語ではなく、日本語で書かれていることがまた興味深いわけであるが、母語ではなくて異国の言葉で書くことが、母国で起こった体験を客観視するある種の浄化作用が働いているのかもしれない。ここで描かれているものを読むと、著者が抱えるトラウマを癒すための心理療法を再体験しているような感じがする。
 
 著者は暗いルーマニアで多感な時代を過ごし、かの地で上映された日本映画「雪国」を観て日本との縁を得た。そして映像を記録する行為としての映画に興味を持ち、奨学金を得て日本に留学した。彼女の研究対象は東北地方の獅子舞だそうである。ポスト社会主義のルーマニアから見た日本は東北地方の伝統芸能、それも獅子舞。僕にはここから何を見出すことができるのかの想像力も知識も持たないが、東北地方という日本における民俗学的での特有の意味合いや、獅子舞という神仏の風習に対する興味から、彼女には政府や政策によって成立する公共社会とは異なる、オルタナティブな社会への渇望を感じる。
 
 
 万人受けするとは思えない内容だし文章だが、これが3回僕にヒットしたというのもなかなか意味深だ。ルーマニアに比べれば日本はずっとずっと安寧で安心で安全の国だとは思うが、日本は日本で社会課題があふれ、閉塞感も募っている。「優しい地獄」というタイトルが醸し出す絶望感は鬼気迫るものがあるが、この「優しい地獄」とは、ルーマニアのことか日本のことか、はたまた人間社会のことか。どこか著者イリナ・グリゴレの感受性に共感する空気がこの日本のあちこちで起こっているのかもしれないと考えると、この3回のヒットはなにやら予言めいたものも感じる。

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千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話

2023年05月23日 | エッセイ・随筆・コラム
千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話
 
済東鉄腸
左右社
 
 
 タイトルのごとくである。そんなことがマジであり得るのか、と思ったがマジなようだ。事実は小説より奇なり。千葉県在住日本人ルーマニア語小説家という奇なる事実がここにある。
 
 特筆すべきは単に千葉在住ということでなく、著者は「引きこもり」であるということだ。若干の例外はあるがおおむね彼の語学の習得と小説の執筆と投稿、現地関係者との交渉ははすべてインドアにおけるネット経由である。それでルーマニアにて小説家デビューしちゃうのだから、テレワークの極北であろう。
 外に一歩もでない孤独な芸術家がその死後、部屋の中で未発表の原稿や絵画作品でいっぱいだったというエピソードはいくつも存在する。その最大のものはヘンリー・ダーガーだが、彼もネット環境があればずいぶん違う人生だったかもしれない。
 
 もっとも著者の場合、そもそも英語や言語学に関して素養があったようである。また、大量の読書と映画鑑賞をしてきたことも背景にある。これがルーマニア語の習得ならびに習得方法に機能したようだ。芸は身を助くとはこのことだろう。
 とはいってもルーマニアで小説が発表されても口糊をしのげるような原稿料が振り込まれるようなことはほとんどなさそうではある。もともとルーマニアでは小説家として生計をたてるのはほぼ無理だそうだ。著者にとっては生活の糧のためというよりはレゾンテートルとしてルーマニア語小説家人生を歩んでいる。ルーマニア語小説家(それも純文)であることは彼にとって生きていることの証のようだ。
 正直なところ、本書を読み進めるのに最初しばらくは食いつきが悪かった。タイトルに惹かれて購入したものの、くどいというか、バランスの危うい自己顕示欲に溢れていてちょいと辟易してしまい、こちらもルーマニア事情にはまったく疎いこともあって著者のこだわりにあまりシンクロできない。読んでいてさほど面白いと感じずにタイトルの出オチかと思ってしまった。
 それでもまあ我慢して読み進めたのだが、そしたら最後の追い上げがすごかった。このバランスの悪さは彼のむき出しの生への執着なのだ。彼自身、こじらせた自尊心と躁鬱気味なテンションに自覚があるようで、それが文体としておもいっきり表出していることも自分で認めている。そうとわかったら、これまでのオレオレな文章も納得がいった。彼が「カッケエー自分」を求めるのも生存本能の叫びなのだ。
 
 そう考えると、本書自体がひとつの純文学であろう。実は著者は難病を患っており、引きこもり生活は単純にメンタルなものだけが理由ではないようだ。命に別状はないものの家から遠出できない事情を抱えている。ルーマニアはもとより、都心に出ることも難しいとのことだ。足止めされた千葉の地で、言語と思考だけが過剰に熱を帯びて渦を巻いている。出口のないひきこもり生活と「日系ルーマニア語」を繰り出ての創作、言わば破滅と創造のひりひりしたところを焦りもがいている感じがして、著者は本書をエッセイと称しているがそんなライトな読み物で済まされない気がする。そもそも「千葉でひきこもりしながら、ルーマニア語を学んでルーマニアにて小説家をやる」という行為自体が十分にアートである。不自由な身の上ではあろうが、そのやけくそ気味の没入と繊細な感覚は神の与えし希少な技量だ。いっそノーベル文学賞あたりまで目指してほしいものである。

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一汁一菜でよいという提案

2023年02月03日 | エッセイ・随筆・コラム
一汁一菜でよいという提案
 
土井善晴
新潮文庫
 
 
 たいそう話題になっていた本だが、文庫になったので読んでみた。
 なんとなく、タイトルを見ただけで全ネタばれ、というかまさに出オチというか、そんな本であって、あとはひたすらそのことを肯定する文章が続く。
 しかし、この本で目ウロコした人、感涙した人が続出したというのだから、世のご家庭における食事係の人はいかにプレッシャーに押しつぶされる毎日を送ってきたのかと思う。「一汁三菜」という言葉の支配力はまことに大きい。
 
 ところで。ぼくは学生時代の一人暮らし、まさに「一汁一菜」だった。
 大学生になって親元を離れ、一人暮らしになるとまず問題なのが食事である。それまで料理らしい料理をしたことがなく、僕の世代はまだ中学校の家庭技術の授業は男女別で、リンゴの皮むきどころか包丁の握り方さえ怪しいものであった。
 というわけで当初は学食や近所の定食屋を頼っていたのだが、しかしやはりこれはとても出費がかさむのである。エンゲル係数が高くなる一方なので、一念発起して自炊することにした。炊飯器は実家から持ってきたものがあった。僕の住んでいたアパートはワンルームのユニットバス。冷蔵庫は、ビジネスホテルにあるような小さなやつ、台所は電気コンロがひとつと小さなシンク、かろうじてまな板がおけるくらいのひどく狭いスペースである。この台所環境でつくれるものなどたかが知れているだろうが、そもそもの問題ときてロクなものがつくれるほどの腕はない。

 というわけでとにかく具沢山のスープをつくる毎日になった。スーパーにいってお勤め品のキャベツやニンジン、もやし、じゃがいも、玉ねぎなどと、特売の鳥肉(水炊き用)や豚切り落としを買ってきては、包丁でざくざくと切っていった。ニンジンやダイコンは皮もむかなかった。水から煮て、キューブのコンソメ、顆粒の本だし、そして味噌などをベースにしてスープをつくった。栄養はばっちりだし、コストパフォーマンスにも優れるが、およそ料理とは言えないシロモノだ。刑務所の食事のほうがもっとマシなのかも。なにしろ予め炒めるとか下味つけるとかそういう過程は一切ない。これならいくらひどい僕の腕でも30分以内につくれてしまう。これにごはんを炊いて、納豆や卵を乗せたり、海苔つくだにと一緒に食べていたのだ。
 
 まさに20数年後に土井善晴氏が「一汁一菜」で述べたスタイルそのものではないか! 具沢山のお汁とごはんとちょっとした塩気のもの。本書を読んで、当時の光景をありありと思いだした僕の驚愕わかってもらえるだろうか。あのとき、僕はもっと自分の食事を誇ってよかったのだ!!
 
 僕の学生時代の「一汁一菜」は、とある日にホットプレートなるものを友人から譲り受けたことで突如終わりとなった。電気コンロでは炒め物をするに火力が不十分だったのだがホットプレートなら問題はない。ホットプレートなんて通常はご家庭でたまに鉄板焼きとかお好み焼きをするときに棚の上から引っ張り出されてくるようなものだろうが、僕の場合は部屋に常設であった(つまり出しっぱなしだったということ)。ホットプレートで野菜や肉など炒めつつ、コンロのほうでは味噌汁をつくる「一汁二菜」生活になったのである。文明度も文化度も向上したような気がしたものだ。
 
 
 ところで、料理の味を調えるのに、みりんや日本酒を使ったり、砂糖を使うようになるのを覚えたのは社会人になってからだ。めんつゆを使うハックも全く知らなかった。学生時代の僕の料理はしょうゆ、塩、みそ等、ひたすら辛い味付けばかりだったのである。それでまあまあ美味しいと思っていたのだから、僕の何でもおいしいと思うおめでたしい舌(こういうのを貧乏舌というらしい)は、このとき由来のものらしい。

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成分表

2022年10月22日 | エッセイ・随筆・コラム

成分表

上田信治
素粒社


 著者は俳人である。俳句および句集のセンスをそのままエッセイに仕立て上げたものといえようか。眼前の光景や出来事から感じた手ごたえと印象、そしてそこから展開される思索を、豊富な語彙を駆使して端的に表していく。とくに「愛」の定義と、「美」の定義を導き出すエッセイにはひどく感心してしまった。この2つをもらっただけでも本書は「買い」であった。

 著者は俳人である、なんてすっとぼけたけど、いやそれ自体は決して間違いではないのだけれど、巷間(?)では、この人は「けらえいこのオット」として知られた人である。いや、これどれだけ狭い情報なんだろう?

 漫画家けらえいこ。代表作は「あたしンち」。読売新聞日曜版で長期に連載された漫画であり、アニメ化や映画化もされた。しばらく休載期間が続いたが現在は雑誌AERAで連載されている(なぜ、朝日新聞社系列にうつったのだろうか?)。


 だけど、ぼくにとってけらえいこは、まず「セキララ結婚生活」シリーズの人だった。
 まだ僕が独身だった頃、池袋のリブロで、メディアファクトリーから出ていた「7年目のセキララ」が平積みになっているのを見つけて、それがけらえいこ作品の初対面だった。ピンとくるものがあってジャケ買いし、その内容の面白さからすぐに「セキララ結婚生活」「いっしょにスーパー」「戦うお嫁さま」をゲットした。当時はまだAmazonもなかったので、池袋の大型本屋を探して集めた記憶がある。ちなみに池袋を振りかざすのはけらえいこのお母さんのネタである。

 この「セキララ結婚生活」シリーズとは、要はけらえいこ夫妻のご家庭エッセイマンガなのである。今となってはこの手のマンガは紙本からWebメディアまで百花繚乱状態だが、当時はあまり例がなかったのではないか。しかし、いま現在読み返してみても、あまたの「ご家庭エッセイマンガ」より抜群に面白い。なんというか、作品として、視点・切れ味・リズムのクオリティが段違いなのである。

 日本人のエッセイは平安時代このかた、男性は説教で女性は自慢話である、と看破したのは清水義範だが、多くの女性漫画家が書いたご家庭マンガは、全体的に作者の主観的な興味対象領域が狭く、なぜそう思ったのか、なぜそんな行動をしたのかの背景をはしょりがちだ。読者層を限定しているのかもしれない。それに、どうも隠しきれない自慢の気配を感じてしまうことが多いのだ。そう思ってしまうのは僕が男性なのかもしれないが、自虐的にオチているような描き方をしていても、舞台袖ではしてやったりとガッツポーズをしているような、自虐を装った自慢話のような、そんな仕上がりのゆるさを感じるのである。もちろん編集者だってそこはコントロールしているのだろうけど、要するに全体的にはエッセイ成分のほうが高めで心情の吐露の抑制が効かず、技法としてのマンガ表現が後付けな印象を受けやすいのである。

 それが「セキララ結婚生活」シリーズにはない。やはりパイオニアは違うのだろうか。具体的にいうと、作者けらえいこ自身のキャラの描きぶりがいやに客観的で、よくも自分自身をここまで観察できてるなと思うくらい、セリフやモノローグや挙動が突き放されたキャラとして完結している。それに、作者以外の登場人物の行動や心象も適格に描かれていて逃げがない。全体的に目線が三人称で描かれているとでも言おうか。構図や視点ポジションも限られたコマ数の中でテンポよくきりかわる。つまり表現行為の「マンガ」として完成されている。
 そしてエッセイとしても、喜怒哀楽を豊富に描きながら、単にそれをおしつけるのではなく、なぜそんな気持ちになったのかのトレースをていねいに(でも限られたコマ数でテンポよく)描く。そんなマンガだった。

 で、だんだんネタバレしてきているが、このけらえいこ夫妻のご家庭マンガ「セキララ」シリーズには、当然ながら夫(作者は「オット」と表現される)である上田信治氏がレギュラー人物として登場しているのである。

 その後、なにかのテレビ番組でこの夫婦が出演しているのを観た。「セキララ」では夫君は出版社で編集者を勤めていることが明かされていたが、その後会社を辞め、いまは妻のマンガ制作を手伝っているということだった。「あたしンち」の連載開始のために体制を整えたのだという。

 が、そこで合点がいった。「けらえいこ」とは、実質上「共作」のペンネームなのである。キン肉マンの作者ゆでたまごのようなものだ。「セキララ」にはオットの視点やアイデアも存分にとりこまれた作品だったのだ(それどころかネーム切りまでやっていたそうな)。しかもこのオットは漫研出身であり、大手出版社で漫画雑誌の編集者の経歴を持つ。そんなスキルが注入されていたのだ。完成度が高いわけである。これがあまたのご家庭マンガと一線を画していた理由だったのだ。

 そこで、本書「成分表」に戻る。後知恵かもしれないが、本書のエッセイが醸し出す世界観は「あたしンち」ときわめてシンクロしてくる。「成分表」の各エッセイを絵にしてオチをつければそれは「セキララ」や「あたしンち」に化けそうなくらいだ。既視感さえあるといってよい。著者が繰り出す思索は、「あたしンち」の登場人物みかんやユズヒコがなんとはなしに思い描いたりくっちゃべったりしているもやもやそのものだし、原稿用紙800字で占めるそのサイズ感も「あたしンち」と同じスケールが醸し出すものと同じだ。「あたしンち」の小さいけれど、不思議なほど時空の広がりのある印象を読後に残すのも、俳句の美意識が注入されていたからなのだと納得する(この「あたしンち」の一を描いて十を表すようなクオリティコントロールはもっと指摘されていいように思う)。もちろん妻けらえいこの成分も存分に多いことは言うまでもなく、こういうのを理想的な「共作」と言うのではないか。

 著者がプロフィールや本文で「けらえいこのごく初期の作品からネタ・ネーム・編集で協力していた」と、ややくどいほど書かれているのは著者の矜持ではなかろうか。

 


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しごと放浪記 自分の仕事を見つけたい人のために

2021年08月27日 | エッセイ・随筆・コラム
しごと放浪記 自分の仕事を見つけたい人のために
 
森まゆみ
集英社(インターナショナル新書)
 
 
 就活でくたびれた学生とか転職を考えている若い会社員が、森まゆみという人のなんたるかを知らずに、サブタイトルに惹かれて本書を手にするとかなり面食らうのではないか。なんでセクハラや性別役割分担の告発とか離婚話とか東京オリンピック開催への批判とかが次々と出てくるのかとびっくりするだろう。
 
 本書は、作家にして編集者にして書評家にして市民運動家としてまちづくりや景観保存など様々なNPO活動にもかかわってきた著者の半生記である。男女雇用機会均等法以前に就職活動と企業勤めをして雇用差別に苦しんだ会社員時代、フリーになりながら経済難の下で子どもを3人育て(しかも離婚してシングルで)、地域雑誌「谷根千」の創刊と経営、市民活動としての様々。このあたりは彼女の著作を読んできた人ならば、改めて本書を読むことで感慨深いけれど、新書のたぐいとしては異質だ。なんで企画が通ったのだろう。手に取りやすい新書にして若い人に読んでほしかったのかな。
 
 著者の半生記といえば、1993年に「抱きしめる、東京 町とわたし」というのが講談社から出ていた。著者が四十歳になるかならないかのころの著作だが、文豪ばりの筆致でなかなか読ませるちょっとした傑作だ。東京の下町(といってもインテリ)に生まれた著者の幼少期を振り返るところからはじまってその半生を回顧しつつ、戦後の復興時期から高度成長期を歩む東京、そしてバブル期の乱開発とくに地価上昇と地上げの狂騒にあけくれる東京(ここの描写は圧巻である)、ついにバブル崩壊といった時代の変化とその中での著者の東京での暮らしを彼女の見解や思想をちりばめて書かれたものだ。サブタイトルにあるように、時代変化の中で町や地域の人々、そして家族と日々どう関わりながら生きてきたかというのがコンセプトである。ジャンルとしてはエッセイに属するかもしれないが、当時の東京の生活事情を場所や年月や事物をかなり特定した客観的な目線で記録しているあたり貴重である。
 この本はその後ポブラ文庫で再販された。
 
 本書はそこからさらに四半世紀分の上乗せということになる。「抱きしめる、東京」執筆と同時期、著者は法人を立ち上げての地域雑誌の創刊を始めた。それから大学の教員やノンフィクションの取材など彼女自身の仕事回りの変化、子どもたちの成長と独立、雑誌の終刊、そして自身の健康変化。しかしびっくりすることに「抱きしめる東京」で書かれていたことと通底の思想がまったく変わっていない。町を見る目線も、社会の価値観への違和感も変わっていない。
 本書の終わり方も「抱きしめる、東京」の結びと同じだ。あたかもわたしの信条は変わっていないのよ、と言っているかのようだ。この四半世紀で日本は良くも悪くも大変貌したが森まゆみは変わっていない。むしろ時代のほうがひとまわりして地域コミュニティとか脱成長とか古民家とかSDGsとか言い出して、彼女の思想に追いついた感じである。
 
 とはいうものの本書における著者の語り口そのものはだいぶマイルドになった。「抱きしめる、東京」のときの密度の濃い迫りくるようなシリアスさはなく、ちょっととぼけたような書きぶり。その達観したような語り口はまるで仙人の心境を思い起こさせる。それはそれで著者の社会や世相に対しての諦観と訣別もちょっと感じてなんだか寂しい気もしたが、さきほど見かけた著者のTwitterでは相変わらず啖呵を切っていて安心した。

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大学教授が、「研究だけ」していると思ったら、大間違いだ!

2021年01月12日 | エッセイ・随筆・コラム
大学教授が、「研究だけ」していると思ったら、大間違いだ!
 
斎藤 恭一
イースト・プレス
 
 
 大学教授という職業は「研究」をしているだけではない。大学という教育機関に所属している以上、「教育」「広報」「管理」もやらなければならない。「教育」とは学生を指導することであり、「広報」とは自分が属する大学や学部やゼミをアピールしてその存在意義を知らしめることであり、「管理」とは大学を経営にしていくにあたっての各種避けられないことである。大学には事務職員もいるにはいるが、教授だって駆り出される。本書はその「教育」「広報」「管理」のぶちまけ話だ。
 この「教育」「広報」「管理」という切り分け方は、一中間管理職としてはなかなか身につまされる話である(最近、読む本読む本みんな自分の仕事や会社の境遇に置き換えて読むクセがついてしまっていけない)。
 
 中でも「広報」の話は興味深い。「教育」や「管理」はなんとなくピンとくるが「広報」を要するという観点は今までなかったな。しかし、たしかにこれをやらないと優秀で前向きな学生が入ってこない。企業が評価しない。その大学のステイタスが上がらない。したがって、大学教授も高校や予備校に模擬講義をしにいったり、学園祭や合同展示会でブースを開いたりする。その大学の地域へのアピールや企業への訪問もあるだろう。
 
 こういう広報活動は、好きな人には面白いだろうが、どちらかというとパリピ属性の人にむいているような気がして、研究者属性では苦手な人が多いんじゃないかというのは僕の勝手な偏見である。
 
 だけれど、自分の身に置き換えて、自分の部署の広報を社内外にちゃんとやっているかと言われるとたいへん心もとない。ぼくもぜんぜんパリピな人ではないのである。会社の場合は、所詮は人事経営の世界であって、あの部署に行きたいから行けるというものでもないが、とはいえ部署の広報がまったく無意味ということもないだろう。
 
 
 それから「教育」という点でいうと、本書では学生に対する半分愚痴みたいなエピソードが次々と出てくる。今どきの若い者は・・という人類史で昔からよくあるフォーマットと言えばそれまでだが、連絡よこさない学生とか、あるまじき服装の学生とかそういうのに対しての恨み節がとても多い。学生側の言い分としては「必ず連絡しろ」とか「必ずこの服装でこい」というのがなかった、ということのようだ。年配者と若者のあいだでの言語外での共通認識部分がどんどんずれていってるんだろうなというのがよくわかる。昨今、ネタとしてよく使われる「やる気がないなら出てけ」と言われて本当に出ていくことの是非も、ここでも実話として出てくる。
 
 「教育」というのは、「教えて・育てる」であるが、「育てる」という言葉が入っているがために教育者の人につきまとう義務と責任はなかなか重たいものがある、というのが羽海野チカの「三月のライオン」には出てくる。「教える」だけならば、教わったものをどうするかは学生の責任である。しかし、「育てる」となると、ちゃんと育ってくれるところまで教育者の責任範囲となる。よく言われるように、魚を当面困らないだけ大量に与えるのが「教える」で、釣り方を身に着けさせるのが「育てる」であるが、前者のつもりで大学に入った学生に、後者は大きなお世話であろう。もちろん後者を期待して大学にいく人だってたくさんいることは事実である。
 
 また、「教える」ことの内容はある程度は万人にむけての定型化ができるが、「育てる」ことについては、教育者サイドと被教育者サイドの組み合わせの数だけ、その適切な方法も存在するといってよい。つまり、教育者というのは相当に人間に通じていないとできないということになる。
 そう考えると、研究者と教育者というのは、まったく異なる資質を必要することになる。このあたり、名選手が必ずしも名監督にならない、という野球界の格言と同じ話になる。同様に業績のよかった現場社員が管理職に出世したらいまいちだったとか、その反対という話もよくある。
 
 つまり「研究(実務)」「教育」「広報」「管理」に必要な資質はすべてバラバラなのだけど、全部やらなければならない。これはどうしてなかなか大変なことである。大学教授しかり、会社員もまたしかりだ。
 
 なんで中間管理職はこんなにてんやわんやするのか。単に板挟みというだけでないぞと思っていたが、こんなことだったのかと図らずも本書を読んでわかってしまった次第である。

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家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

2020年12月13日 | エッセイ・随筆・コラム

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

岸田奈美
小学館

 

 かなわないと思う。

 こういう文章書ければなと思っても、著者の人生にふりかかってくる「一生に一度しか起こらないような出来事が、なぜか何度も起きてしまう」苦労や苦悩と、それをばねにする強靭な精神と半端なき行動力。それからそれをユーモアにくるめながら読ませてしまう達者な文章力には、ひれ伏すことしかできない。

 

 話がまったくそれるけど、盲目のピアニストというのが存在する。日本人では辻井信行氏が有名だが、梯剛之氏はそれより以前から活躍しているし、世界を見渡しても古今東西存在する。ピアノを弾いて一流の芸術家として大成するには様々な要素が必要ではあるが、音に対する鋭敏性に関しては盲目のピアニストのそれは半端ない。もちろん世界レベルの第一級のピアニストや往年の大ピアニストは目が見える人がほとんどだけれど、盲目のピアニストが弾く、ピアノの音のあまりにも研ぎ澄まされた響きの妙は神の領域である。辻井氏のピアノの音をじっくり聞いてみてほしい。

 盲目の人がピアノを修得するにあたっての苦労たるやとんでもないものであることは想像に難くない。畏敬というか奇蹟をみる思いがする。そしてそれを克服した彼らの演奏を虚心坦懐にきいてみると、とにかく音の細やかなコントロールがものすごい。ここまで微妙に指先の筋肉の動きを制御するかと驚愕する。彼らは視覚情報が制限されるだけあって耳から入る情報処理能力がものすごく発達すると言われている。彼らの生活の万事が耳への鋭敏性を鍛える。その耳を頼りにした彼らの音づくりは、健常者の神経がそもそも太刀打ちできるものではないのだ、

 つまり、目が見えないという人生を歩むことが、聴覚を徹底的に研ぎ澄まし、音づくりの感受性を超人的なレベルにもってゆき、類まれな演奏になっていく。音楽というのはサウンドをコントロールする時間芸術だから、これを司るものとして、従来目が見えない人には、もう絶望的にかなわないのである。何がいいたいかというと、盲目の人生がこの音の奇蹟をつくるのだ。

 

 本書を読んで思いだしたのが、この「目の見えないピアニストにはかなわないんだよな」ということだった。

 著者がこういう文章を書けるのはもちろん、父をはやくに亡くし、母が下半身不随で、弟が障がい者という、背負った人生そのものにあるわけだけれど、真に大事なのは、そういった境遇によって鍛えられた彼女の感受性であろう。社会や人に対してのまなざし、心がキャッチするアンテナ、体についた条件反射、こういうときはどうしてやろうかという胆力、こういった彼女の「心身」についた感受性と美学こそがこの文章を成らしめている。もちろんここには著者の家族のあいだにあるお互いをリスペクトする感受性も大いに含まれる。

 ということは、このような文章を僕が書きたいなと思っても書けるわけがないのである。彼女に比べれば圧倒的にぬるい世の中に浸かっていて感度も鈍っている僕に書けるわけがないのである。土台が違うとはまさにこういうことである。

 

 だと思うけれど、そのことを承知の上で、とはいえ著者の文章はやはり巧い。

 以前、ノンフィクション作品には、「題材そのものが稀有で、作品の価値を決めているもの」と「題材そのものは地味だけど、圧倒的な筆力で読み手を引き込ませるもの」の2種類があると書いたことがある。その意味では、本書は「題材が稀有」で「圧倒的な筆力」のハイブリッドだと言えよう。決して厚い本ではないけれど何度も笑い、そして涙し、読後は幸福感があった。完全に著者の術中にはまったわけである。せめてこの文章の謎くらいには迫りたい。

 著者の文章をあらためて読み返してみると、ひょうひょうと書いているように見えるが、かなり練られている。超絶技巧と言ってもよい。なんとなく、古典落語あたりに通じるプロットの技を身につけているなとか、講談なんかにみられる文節リズムの采配をわきまえているなとは感じる。ボキャブラリーが豊富なのと、連想や引用が人一倍広いなとも気づく。「100文字で済むことを2000文字で伝える」のは才能だとは思うけど、文章に冗長さをいっさい感じさせないのは、技術がしっかりしているということだ。これが意味しているのは、著者はこの家族とともに格闘しながら、その一方で相当なインプットをしてきたという驚異的な事実である。おそるべきガッツだ。「ガイアの夜明け」に取材させるために番組のプロットを学ぼうとしたあたりにもそれは表れている。1991年生まれというからまだ20代。僕よりも二回り下の世代だ。これこそが自分ももっと頑張らねばなと素直にこうべを垂れたくなる福音なのだった。


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ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法

2020年04月25日 | エッセイ・随筆・コラム

ピュリツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法

ジョン・マクフィー 訳:栗原泉
白水社


 タイトルからするとハウツー本を想起させるが、どちらかといえばエッセイである。原題は"Draft No.4”サブタイトルは"On the Writing Process"。第4稿。執筆のプロセスといったところか。

 とはいうものの、たしかにノンフィクションの技法、そうか、ノンフィクションを記すというのはこういうところに気を使うのか、というのがわかる内容ではある。
 ただ、その書きぶりは、完全にネイティブなアメリカ人によるセンスとユーモアによるもので、そのインサイトをつかんでいないと、本書に書かれている味わいはなかなかわかりにくい。白状すると、僕にはよく理解できないところがたくさんあったのである。たぶん気がきいたジョークを言っているんだろうな、と思うのだが何がいいたいのかピンとこない。どれが冗談でどれが真剣に語っているのかもいまいちくみ取りにくい。どうやらこれがオチらしいが、なぜこれがオチなのかがわからない。それにどうも話があっちこっちいったりする。たぶんすごく凝ったエッセイなんだろうと思うのだが、どうも僕は期待にそえる読者ではなかったようだ。

 それでも、ノンフィクションを書くということのなんたるかが垣間見えた。フィクションの小説を書くのとはまったく違う気苦労があるのだ。

 それは要するに「事実を書かなければならない」ということと「著者のクリエイティビティを出さなければならない」ということのぎりぎりのせめぎあいである。

 つまり、取材先が何か言ったら、その言った通りのことを書かなければならない。ノンフィクションなのだから。しかし、取材先の一言一句を丸写ししていたら冗長になって話にならないだろう。だから刈り込みの編集が必要になる。しかしその編集はノンフィクションを語るとしてどこまで許されるのか。
 著者マクフィーのこだわりは、その取材先が話したコトバを、直接話法で書くのか、間接話法で書くのかの選択にも出てくる。そして、間接話法のときは、主語や述語の示す先から、そもそも語り手が言いたかったことの微妙なニュアンスまで徹底的に留意しようとする。

 それから、綿密なファクトチェックというのがある。ノンフィクションであるからには嘘があってはいけない。あの道は右に曲がったかそれともまっすぐだったか。屋根の色は赤だったか青だったか。某作家がほにゃららとという名言をはいたことになっているが、それは本当にエビデンスがあるのか。ちょっとした演出で書いてみた「アメリカにはイリノイ川が2本ある。どちらも知られていない」は、本当に「2本」しかないのか。出版社には専門のファクトチェックチームがいる。このチームが徹底的にリサーチしてみたら、イリノイ川はほかに何本もあることが判明する。「ないことを証明する」というのは悪魔の証明だが、ノンフィクションを名乗るからには事実をいいかげんにしてはいけないのである。。

 また、取材したことのすべてを本にするわけにはいかない。何をとりあげ、何は捨てるのか。しかし本来はノンフィクションだからすべては事実である。捨てるーー書かないことによる事実の棄損ということもありえるのだ。何を書かずに済ませるか。(取材メモの10分の1くらいしか原稿にはならないそうである)。ここにも著者は神経を使う。

 しかし、このように事実の下僕であることを強いられるノンフィクションを書くとき、ではどこでクリエイティビティを発揮させるのか。とりあげる題材がユニークであればそれでいいのか。


 そこで著者が明かすには、クリエイティビティの最大の発揮どころはその「構成」にある。

 「構成」というのは、どういう順番で書くか、ということだ。
 一番シンプルなのは、そして小学生の作文なんかでよくあるパターンは、「時系列」の順番で書くことだ。物事を秩序だてて整理しようとするときに時系列の強いる力は大きい。
 しかし、「時系列」はマンネリであり安直でもある、ということで、本書では時系列ではない技法が開陳される。本書の中でもっともハウツーっぽいところである。マクフィーが過去に書いた作品を例に出してその構造を説明する。それは円環構造だったり、2つの大きな流れがやがて1点に収斂されるYの字型だったり、渦巻き型だったりする。ずらりとならぶ吊り革型なんてのもある。ほかにも一人の人間を取材するときに、その人の関係者を3人取材して最終的に本人の実像にせまるABC/D型なんてのもある。
 実際にそうやって書かれたものがどんな体になっているのか彼の著作を読んでいないから詳細はよくわからないのだが、「時系列」というのが数ある手法の一種で、しかもチープであるという感覚を初めて知った。これは目ウロコだ。

 たしかにノンフィクションの傑作とされるサイモン・シンの「フェルマーの定理」は、単純な時系列ではない。時間軸でいうとまず途中から始まる。その次に過去の話となり、だんだん現在に近づいて冒頭のシーンにつながる。そのあと冒頭より未来方向への時間軸の話へとなっていく。「フェルマーの定理」は実にドラマチックで読み応えがあるノンフィクションだが、たしかに構成の妙も一役買っている。
 この「途中から初めて、そのあと昔に戻り、途中に追いつき、それから未来方向へ」という手法を用いた例は、他にもいくつか心当たりがある。

 そういえば、椎名誠の初期の代表作に「わしらは怪しい探検隊」というのがある。椎名誠と仲間たちによる島とキャンプの話だが、これの構成がなかなか面白い。最初は普通に島に行くキャンプ隊の話で、キャンプの話から始まり、やがてその由来の話となっていく。つまり、過去に戻って現代にむかって進む。しかし、冒頭の現代に戻るのかというとそうではなくて、いつのまにか何年後かに時空が飛び、探検隊の一員だった中学生の成長の話になって、そのあとまた島での騒ぎのシーンに戻る、という構成をとっている。これが実に効果的で、刹那的な島のバカ騒ぎと、そこから日常で成長していく少年の姿の対比となってどこか切ないのであった。椎名誠のノンフィクションや自伝的エッセイは、時系列の変幻自在が特徴で、それが独特の不思議な世界観をつくっていたんだなあ、などと初めて気づいた。

 なるほど。たしかにノンフィクション作家にとって、構成とは、クリエイティビティを生かすも殺すもありなのだな。もっとも著者によると「構成」とは、題材の上に型を押し付けるのではなく、その題材から生まれ出るものなのだそうである。ということは、題材から生まれ出る構成を見抜く力こそがクリエーティビティということだろう。納得である。

 


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どこでもいいからどこかへ行きたい

2020年03月23日 | エッセイ・随筆・コラム
どこでもいいからどこかへ行きたい
 
Pha
幻冬舎
 
 著者は、元「日本一有名なニート」だそうである。「元」というのがついているのは年齢が35才を上回って「ニート」の定義を外れてきたことと、なんだかんだで収入があるからとのことだ。
 
 
 書評があちこちに出ていて、興味あって読んでみた。著者は、世代的にはぼくとあまり変わらない。だから、というわけでもないだろうけれど、共感できることはとても多い。とくに「旅」は、日常から離れた環境で日常の思いをはせることに醍醐味がある、なんてのはその通りだと思う。この「日常を離れた環境」というのがミソで、べつに観光地でなくてよいのである。極論すると自宅の部屋でなければよい。街のビジネスホテルでもスーパー銭湯でも、そこで一夜明かして、でもやっていることはスマホをいじったりドクショをしたりと部屋の中でしていることとかわらない。それでよいのである。また「旅先」は遠方でなくてもよい。近所の散歩でもいいし、毎日使う駅のひとつ手前の駅で降りて後は歩く、でもいいのだ。そこからいつもとは違う非日常を感じ取れればいいのである。
 
 著者の場合、「旅先」の外食は全国チェーン店でよいそうだ。吉野家とかファミレスである。著者がチェーン店にいってしまう理由としては、店員とのコミュニケーションが最低限で済む、いちいち何を食べるか選ばなくて済む、そこそこ美味いなど。もともと著者はあまり食に興味がないようではある。
 この、チェーン店さえあれば生きている、という主張。これは僕としてはとてもよくわかる反面、でもこれに抗う自分もいる。よくわからない土地柄を訪問したときとか、歩き疲れたときとかは、なんかチェーン店に駆け込みたい気分になることは僕もよくある。海外旅行中ではなおのことそうだ。せっかく海外なんだからその地ならではの店に入るべきなのに、くたびれていたり気持ちが落ち着かないときは、マクドナルドとかスターバックスとかに入ってしまう。
 普段でも、散歩ついでに昼食とるときに僕もついついリンガーハットや餃子の王将に入ってしまう。はっきりいって十分に美味い。だから文句はないのだけれど、一方で忸怩たる思いの自分もいる。既知の世界を再確認しただけのような、消化試合をなんの副産物も無しにこなしてしまっただけのようなそんな空しさがある。それのどこが悪いと言われても困るけれど、目が覚めたら夕方だったあたりの心境に似ているとでも言おうか。
 
 著者が一押しするネットカフェ。これも僕は心から楽しめないというか、恐怖にも似た拒絶感がある。もちろん僕だって何度か利用したことがあるし、当初はこの金額で漫画読み放題で飲み物もあって、という時空間を楽しんだものだが、ある日を境におそるべき虚しさに襲われるようになり、入れなくなってしまった。スーパー銭湯なんかに併設されているマンガコーナーなんかでごろごろするのは大好きなのに、ネットカフェという空間がどうにも怖くなってしまった。
 なんでそんな気分になってしまったかというきっかけわりと明確に覚えていて、それは東日本大震災があってそんなに月日も経っていなかった頃。家人と喧嘩したかなにかで会社をひけても家にまっすぐ帰る気がせず、某所のネットカフェに入ったのだった。夜の10時くらいだったと思う。雑居ビルの薄暗い個室スペースで寝転がっていたら、そこそこな余震があって壁や天井がみしみし鳴った。ギシギシと揺れてはいるがフロア内はひっそりとしていて誰も声をあげない。みんな息をひそめている。ぼくもじっとしていた。余震はおさまったが個室の上の薄暗い天井を眺めているうちに気が滅入ってしまい、それ以来ネットカフェという空間に漂う虚無感とでもいうようなものが襲うようになった。その後何度か足を運んでみたが耐えられず、もう何年も行っていない。
 
 
 思うに、僕はまだもう少し闘争心というか、未知や未開のものに触れておきたい、という感情が残っている気がする。いや、どちらかというと年齢的にはかなりおっくうで、新しいサービスも新しい商品も新しい人間関係もごめんなさいしたいのは本心そのものなんだけれど、いちどその安楽に身をゆだねたらもう二度とカムバックできないような気がして、必死にその誘惑に抵抗しているという感じのほうが近いかもしれない。僕がネットカフェに恐怖するのはそれがドラッグのような禁断の誘惑を感じるからだ。著者の言うことは、異邦人どころかいちいちまったく心当たりのある話ばかりで、そして僕はその心当たりに絡めとられないよう必死になっているという具合である。著者の心境には僕はまだたどり着いていない。 
 

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小田嶋隆のコラム道

2019年08月17日 | エッセイ・随筆・コラム

小田嶋隆のコラム道

小田嶋隆
ミシマ社

 コラムってのは不思議なシロモノで、シロモノだから決してイロモノではないがなかなか定義のしにくいジャンルだ。時事評論もあれば、映画の感想もあるし、業界の解説もあるし、そのどれでもないこともある。

 ただ、コラムは一概にいってそんなに長文ではない。囲み記事程度のものもあるし、せいぜい雑誌の1ページだ。数十ページにわたるコラムというのは想像しにくい。

 それからあまり怒りや悲しみの心情を吐露しているようなペシミスティックなものもコラムとはいいにくい気がする。鴨長明の「方丈記」はエッセーではあるけれどコラムとは言い難いように思う。コラムとはもっと軽妙洒脱なオーラをまとっている。

 では、清少納言の「枕草子」はコラムだろうか。あれはけっこう上機嫌なテンションが支配している読み物だけれど、あれをコラムと呼べるかというとこれも抵抗がある。あれもエッセーなのだと思う。

 ということはエッセーとコラムにはもっと本質的な違いがありそうだ。それは何か。

 

 この「コラム道」を読んでそうか、と膝をうつ。著者が何度も繰り出す「ダブルバインド」というやつである。

 本書は名うてのコラムニスト小田島隆による言わば「コラムの書き方」本である。あてずっぽうなのかすべて計算のうちなのか、グダグダなのか超絶技巧なのかよくわからない本だが、世にあふれる「文章読本」や「企画書の書き方」などよりはユニークで面白いことには間違いない。

 で、本書のあちこちに「ダブルバインド」が出てくる。(「ダブルスタンダード」というコトバを使うこともある)。

 ・コラムは文章界の「規格外」でありながら、文章としての「常識」もふまえる。
 ・「主題」も大事だが「主題の料理の仕方」がもっと大事。
 ・本来乖離している「魅力的な会話を成立させる能力」と「マトモな文章を書く能力」
 ・書き続けないとモチベーションはわかないが、書き続けても疲弊するモチベーション
 ・両立しない文章作法としての「最後のまとめの一文」と「印象に残る一文」
 ・メモは日々取り続けなければならないが、そのメモを活かしたコラムはたいがい成功しない
 ・フォーマルで理知的できどった人格の「私」と、個人的で乱暴で気さくな人格の「俺」(主語が決める文体)
 ・発言の一貫性を心がければ議論は硬直するし、率直さに重点をおくと結果的にダブルスタンダードに陥る
 ・文章を書くときの頭脳と文章を読むときの頭脳は異なる(相反する「創造性」と「批評性」)
 ・コラムニストは複数の視点で観察しながら、ひとつの見識のもとにひとつのコラムを書く
 ・文章を書く人間は〆切を恐れながら、〆切に依存している

 著者の目線はつねにダブルバインドにあると言って間違いなさそうだ。確かにこの世の中は複層的であり、複合的であり、複式が横行し、複数の複雑な複線が輻輳していたり、複写して申し込んだ複利で複勝式を狙ったりする。つまり人の世の常というのは、双方に矛盾しあう目的を同時処理しなければならないダブルバインドが横行しているのである。(しかしこの「複」という字はじっと眺め続けているとゲシュタルト崩壊を起こす字だな)

 コラムとは世の中のダブルバインドを短い文章でとらえたものだ。コラムニストとは、どんな主題や主語を用いていようと、その世の中のダブルバインドをみつけ、自らのダブルバインドを遊ぶ者である。そして技術と発想でダブルバインドを一瞬でも解き放って昇華させたものが名コラムと言えるのではないか。鴨長明はダブルバインドをただ憂いただけであり、清少納言はそれがダブルバインドであったことさえ気づいていない。そもそも鴨長明も清少納言も〆切には追われていなかったのではないか。


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生きながらえる術

2019年08月05日 | エッセイ・随筆・コラム

生きながらえる術

鷲田清一
講談社

 さいきんブリコラージュの言及をよく見かけるなあと思っているのだがこれもそうだった。
 もしかしたら、今日にあって「生きながらえる術」とは「ブリコラージュできること」なのかもしれない。

 「ブリコラージュ」の思想は、単に”そこにあるあり合わせでつくる”だけではない。発想を応用させれば、自分も”ブリコラージュされる一要員”と考えることも可能だ。これこそが本書にも出てくる「横請け」にほかならない。
 つまり、そこにいる仲間同士の異質ながら対等の関係知の中でものをつくっていく。このとき、あなたはブリコラージュの一要員である。それでいいのだ。それが持続可能で脱消費な生産行為であり、社会なのである。

 そして、結論からの逆算だけでなく、”今ここにあるこれらで何がつくれるだろう”という感覚、転じて”今ここにいる仲間たちならば何ができるだろう”という発想。これがアーティストの術となる。また、「置かれた場所で花を咲かせろ」「手持ちのカードで勝負しろ」という格言とも人生訓ともいえるものがあるが、これもブリコラージュの価値観の範疇だ。

 これらを総合するに、「生きながらえる術」とは「今ある環境を上手に使う術」ということである。この環境には社会環境、人間環境、自然環境、その他幾多の環境があるが、五輪書も孫子も自衛隊のレンジャー部隊もボーイスカウトの自然塾もみんな同じことを言っているような気がする。


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ぼくが猫語を話せるわけ

2017年04月14日 | エッセイ・随筆・コラム

ぼくが猫語を話せるわけ

庄司薫
中央公論社

 

 今回は、ふるーいエッセイ集の紹介である。刊行は1978年。ついに40年前の本になってしまった。

 ちなみにこのエッセイの冒頭はこうである。

 ”或る日ぼくは、主観的には全く突然に、一匹の猫の居候を抱えこむことになった。
 これは一大事だった。”

 おお! まるで村上春樹!

 作者の名前は庄司薫である。年配の人には懐かしい。それこそ、庄司薫は昭和40年代に、村上春樹のようなファッショナブルな作家として登場した。

 庄司薫の代表作は「赤頭巾ちゃん気をつけて」。これは芥川賞を受賞し、映画にもなった。

 この作品は、主人公である高校生の薫クンが、学園紛争真っ只中のある一日を描いた青春小説である。村上春樹の小説のようにすぐに肉体関係に至るわけではないが(爆)、後に、村上春樹の先駆と言われることにもなった。ちなみにヒロインは由美ちゃんという。

 その後は続編として「白鳥の歌なんか聞こえない」「さよなら怪傑黒頭巾」「ぼくの大好きな青髭」と、赤・白・黒・青として連作された。

 この薫くんシリーズの後はそ「狼なんてこわくない」「バクの飼い主目指して」というエッセイというか、青少年論みたいな作品を出し、そして「ぼくが猫語を話せるわけ」というエッセイ集を最後に上梓し、そのまま断筆してしまった。筒井康隆のように断筆宣言したわけではないが、以後いまに至るまで新作は世に出ない。もう80歳になるはずだ。

 小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、道具立てその他を現代のものに置き換えていけば、今でも通用しそうな内容だと思っているが(10年ほど前だったか、ラノベ大好きだった人間が、はじめてこれを読んでえらく没入し、立て続けにシリーズを読破していったのを見た)、庄司薫は、この「僕の大好きな青髭」を最後に小説の発表をやめてしまっているから、結局のところ小説家としてはこの薫クンシリーズの4冊しか出さなかったことになる。(正確には活動初期に短編集が1冊ある)。

 

 そういう寡作な作家だったのだが、なぜいまさらここに「僕が猫語を話せるわけ」なんてエッセイを持ち出したかというと、たまたま僕がひっさびさに書棚から引っ張り出して読んだからである。

 「僕が猫を話せるわけ」は、数少ない庄司薫作品群の中ではもっとも読みやすいと思われる。内容は、もともと「犬派」だった作者のもとに「極端に旅行がち」な知人(女性)から猫を預かるはめになり、その猫との生活エッセイである。しかもあろうことか、猫だけでなく、その猫の「本来の飼い主」まで預かることになる。

 とはいえ、衒学であり碩学であり高等遊民として知られた庄司薫だったから、単なる日常エッセイではなく、そうとうにハイブローで教養を要求される内容だ。ここで試されるセンスは、おそらく現代ではもう通用はせず、ただのめんどくさいおっさんでしかないだろう。書かれていることはえらくインテリなのに、その文体は、とても大仰にしてナチュラルという、当時としては斬新な語り口だった。

 たとえば「鉛筆けずり」と題されたエッセイはこんな文章である。

 ”ぼくは、大体において昔から文房具というやつが大好きなのだ。中学生時代からひいきにしている銀座の伊東屋はもちろんのこと、ただ街を歩いていても、文房具店を見るとついなんとなく入りこんでしまう。そして、いい加減あれこれと見廻したあとで、鉛筆を一本もっともらしい顔をして買ったりするのは、これはすごく感じのいいものなんだ。”

 僕がこのエッセイを愛読していたのが今から25年ほど前の1990年代前半。つまりその時点で十分に古いエッセイだったのだ。しかし、当時の僕は決して古い内容とは思わず、その言葉の使いまわしや何を面白がり何を美しいと思うかのセンスを違和感なく味わった。文章の書き方、エッセイとしてのまとめ方の読本にもなった。

 とはいえ、ここ10年ほどはすっかりご無沙汰していた本である。それをなぜ急に引っ張り出したかというと、恩田睦の「蜂蜜と遠雷」が本屋大賞をとって話題化したからだ。

 「蜜蜂と遠雷」は、国際ピアノコンクールをテーマにした小説である。ただ、国際ピアノコンクールを題材にした本というと、かねてから有名だったのは中村紘子が1988年に上梓した「チャイコフスキー・コンクール」だ。著者はもちろん、去年なくなったピアニストの中村紘子である。これは小説ではなくて、ピアニストでありコンクール審査員でもあった中村紘子がまだソ連だったころのチャイコフスキーコンクールをルポしたものであった。単なるコンクール進行記録ではなく、ロシアの芸術事情や、ピアニスト事情、日本のピアノ受容史まで話がおよぶなかなか骨太で読み応えのある内容で、何かのノンフィクション賞をとっていたはずである。

 で、その中村紘子こそが、「本来の飼い主」なのであった。(ファンには有名な話である)
 海外への演奏旅行で留守しがちだった当時20代の中村紘子が飼っていたシャム猫を、庄司薫は預かったのである。この「僕が猫語を話せるわけ」は随所に小さなイラストが載っているのだが、そのイラストは中村紘子が描いたものだ。

 つまり、ぼくは恩田睦「蜜蜂と遠雷」→中村紘子「チャイコフスキーコンクール」→庄司薫「僕が猫語を話せるわけ」と連想したのだ。だからどうしたと言われても困るけれど。

 

    本棚を眺めていると、連想が連想を呼び起こして普段なかなか手に取らない本を開いたりする。これはなんとも楽しい。ジャンルやカテゴリーだけでなく、こういう縁の繋がりで本を並べてみるのもまた楽しそうだ。

 




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園芸家12カ月

2014年02月27日 | エッセイ・随筆・コラム

園芸家12カ月

著:カレル・チャペック 訳:小松太郎


 僕は原則として3回出会った本は読むことにしている。

 これはいわゆるシグナル効果というやつで、2回目は偶然でも、3回出会ったならばなんらかしら自分の関心領域に関係ある可能性が高い。もちろん本に限らず、映画でも旅行先でも効果は同じである。

 

 さて、「園芸家12ヶ月」は、父の書棚にあった(父はべつに園芸家ではない)。僕が父の書棚にどのような本があるのか関心を持つようになったのは中学生くらいだっただろうか。これが最初の出会いである。とはいえ、手にとって開くようなことはせず、へえそういうタイトルの本があるのかと思っただけである。

 やがて高校生の頃だったかに鉄道旅行作家の宮脇俊三氏のデビュー作「時刻表20000キロ」を読んだ。この作品は日本国内に張り巡らされた国鉄(今のJR)の完全踏破を目指す旅行記だが、すべての鉄道に乗り終わったあと、最後に「園芸家12ヶ月」の引用で結んでいる。したがって、これが2回目である。(なお、宮脇俊三には「汽車旅12ヵ月」というまさに園芸家12ヵ月に倣った作品もある。)

 その後、「園芸家12ヵ月」は2回出くわしたリーチ状態のまま10何年が経過した。なお、著者のカレル・チャペックという名は、いつのまにか、いわゆるロボットという言葉をつくった人として聞いてはいたが、それ以上のことは知らなかった。

 

 さて先日、ある講演を聞いたときに、「園芸家12ヵ月」が出てきた。これも園芸とは関係がない講演で、とある著名なコピーライターが読んでいた本、ということで紹介されたものである。(残念ながらコピーライターの名前のほうを失念。その業界では名人級とのこと)。

 おお、あの「園芸家12ヵ月」かと、父の書棚と、「時刻表20000キロ」の最後の部分を思い出し、「3回目だ」と思ってすぐに買いにいった次第である。

 

 で、その「園芸家12ヵ月」。僕自身は庭いじりもガーデニング趣味もない人間で、だけれどマニアの生態というのは古今東西おんなじだなと思う。
 しかし、本書のだいご味はひとつはこのような園芸家あるあるの描写だろうが、もうひとつは作家やコピーライターも着目するその文章だろう。ということは原文自身ももちろんだが、訳者の小松太郎氏もそうとういい仕事をしている。

 よくよく読んでいると、ものすごく細かいところまで観察していて神は細部に宿るがごとくなのだけれど、実は植物自身のトリビアにはほとんど割いていない。まったくないといってよい。植物の名前だけは次々出てくるが、どうもそれも確信犯っぽくて、そのひとつひとつの名前を知って覚える必要はまったくない。この花のどの部分がどんなふうにできている、とか、この苗を植えるにはどこにどう気をつけてこのようにやる、みたいなところを追いかけていない。あくまで描写しているのは、そういう園芸に汲々している人の姿である。

 「園芸家12ヵ月」は、タイトルのごとく、「園芸」ではなく、「園芸家」を描いているのだ。

 だから、ここに「園芸家」という人間と、「植物」があるとすれば、このエッセイが描いているのは、園芸家という人間自身、それからその園芸家が植物や土に触れているまさにその接触部分の感触(身体感覚といっていいか)である。「植物」そのものはほとんど描かない。

 言わば園芸にたずさわる人間の心の動きがこのエッセイの主題なのである。

 また、この「心の動き」を描く姿勢が小気味よい。たいしたことしてませんが、ということを自覚しながらも卑下せず、かといってこれの価値がわからないあんたバカじゃないの的尊大さもない。いわばオトナの余裕というか、紳士然とした態度がある。そこには絶対的自信のようなプライドがみえる。

 作家やコピーライターが、この作品に惹かれるのは、植物の知識のひけらかしでも園芸の指南書でも内向的な趣味の独白でもなく、12か月の季節のうつりかわりの中で園芸にふれることの機敏と肌感を、シンプルに品よく描いたこの姿勢にあるのだろうと思う。

 

 読んで良かった。3回出会ったものは読む、は有効である。


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