3月18日(木)杉並公会堂大ホールで「現代の音楽展2010・コンチェルトの夕べ」を聴く。山下一史指揮、桐朋学園オーケストラ
松尾祐孝「フォノスフェールⅣ-a」二十絃箏・吉村七重
梵鐘を模した重厚なパルスが連呼する冒頭に続き、コントラバスの最低音Eの持続と、木管と弦によるペンタトニックの雅な響きが交互する中、琴がソロパートを刺繍する。次いで中央、左右3奏者によるティンパニーがH音を掛け合い、琴は刺繍を続ける。一転、琴の高いF音のトレモロがイニシャチブを取り、オケが弦のピッチカート、弱音器を付けたトランペットのダブル・タンギング等で呼応。高まる。
長い終結部は右側のコントラバス3奏者がピッチカートでE-Aの4度上行する付点音型を反復し、左側のコントラバス3奏者がため息のようなアルコのポルタメントを加え、梵鐘の再現。
琴の高いG-Aを木管が風のような柔らかいテクスチャーで模し、金管が息を吹く。同型反復を基にしたコンヴェンショナルな作風。
大家百子「薺(なずな)舞」三味線・本條秀慈郎
指揮者で作曲家だったジュゼッペ・シノーポリのような一昔前の前衛を思わせる猛々しいフォルテの混沌でオケが開始。
比して三味線は音が弱い。この両者は容易に協調せず、オケは三味線とは無関係に進むが、2度のカデンツァの1度目で3本のピッコロがお囃子の合いの手として、2度目は小物打楽器が三味線に寄り添う。リズムとテンポの設計は成功していたが、ピッチや楽器の棲み分けには疑問が残る。各部分の〆で必ず銅鑼を使っていたのも。
藤原嘉文「巡りあう時空」ピアノ・蛭多令子
ソソソソミ、ソソソソミ♭…と、口ごもるようなピアノで始まる緩徐楽章的な前半。
スクリャービン風ハーモニー。センチメンタルな程に抒情的な弦。内省的なカデンツァはシンバルの傍若無人なフォルティッシモに破られる。
後半はミニマル的反復音型。ピアノはメシアンのトゥーランガリーラにも挨拶し、弦は現代日本ならではのシリアスな単旋律のフレーズなど聴きどころも交え、盛り上がりの様相を見せるが、オケが弾くとピアノは止め、ピアノが弾くとオケは口をつぐむ。
終結部は前半の抒情を豊かに再現。ミニマル音型がチェレスタに投影され、オケが長三和音を憧憬する。
矢代秋雄「チェロ協奏曲」チェロ・堤 剛
音の選び方、持続の質と量、構成手腕…確かに名作との耳目を集める曲。だが先入観なしに感じた疑問点は、アレグロの生硬さ、またカデンツァの有機性について。曲の本質とは無関係に演奏者が名人芸をひけらかさぬよう、ベートーヴェンは自らカデンツァを作曲したのではなかったか。
鳴らないチェロに気を遣い、オケはフォルテを去勢した。物理的にチェロの高音域は鳴らないから。実際、全く聴こえない箇所もあった。
堤氏はフォルテの演奏中、弓で宙に大きく弧を描く仕草を再三した。瞑想するような演奏姿など、感銘深かった。
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