この日も探して土手歩きをしましたが、代わりにミサゴを見つけました。
魚を捕る体制ではありません。まさか小魚を狙っているのか?
ジッと辺りを見回しているようです。
段々と体を下げていっているようです。
水浴びを始めました。
結構ジャブジャブやっています。
上空に別のミサゴが姿を見せました。
縄張りを荒らされると思ったのか急に飛び立ちました。
友人の娘さんはもっとすごいミサゴの写真を撮るのですが、我が腕ではここまでです。
この日も探して土手歩きをしましたが、代わりにミサゴを見つけました。
魚を捕る体制ではありません。まさか小魚を狙っているのか?
ジッと辺りを見回しているようです。
段々と体を下げていっているようです。
水浴びを始めました。
結構ジャブジャブやっています。
上空に別のミサゴが姿を見せました。
縄張りを荒らされると思ったのか急に飛び立ちました。
友人の娘さんはもっとすごいミサゴの写真を撮るのですが、我が腕ではここまでです。
先週の日曜の朝、土手歩きに行こうとしていたらサクランボに小鳥の姿が見えました。
間近で可愛い動きを見せてくれました。
花を啄みだしました。
美味しそうなところを探してアチコチ見ています。
いい花があったようです。
暫く啄んでいました。
今年は桜の木が弱っているのでこれだけ啄まれると果たして収穫できるかな?
一週間ぶりにカワセミ君を求めて土手歩きをする前に我が家の廻りの花達を楽しみました。
チューリップは貰ったものと少し買ったものを植えています。
咲き出したのは貰ったものからです。
土手にも可愛い花が咲いてましたが、なかなかカワセミ君に出会えません。
いつもの歩くルートをちょっと変えてみました。
姿を見せてくれましたが、カメラの設定ができてなく何とか1枚だけ取れました。
ダイサギはアチコチに姿を見せてくれます。
1羽だけでしたが、顔を拝めていい一日です。
帰宅してアチコチ写してから 墓参りに行くことにしました。
何年もホッタラカシにしていたチューリップから、
こちらは貰ったチューリップ
ラッパスイセンは数は少ないのですが、今年も咲いてくれました。
ここからは、お隣にお邪魔してスズラン。
可愛い山桜桃梅の花も咲いてます。
さて、墓参りに行ってきます。
明日はアレコレ少し切って母に春を届けます。
この日もカワセミ君を求めて歩きました。
土手には土筆がアチコチにニョキニョキと顔を見せてくれてます。春ですね。
ダイサギが小魚を咥えていました。
「最近はこの辺りは小魚が減ってきている。」との話を聞いていたのでチョット安心。
きっとカワセミ君もいるはず・・・
少し期待して前に出会った所まで歩きました。
期待していた場所はここではないのですが、すぐ足元にトマッテくれていました。
嬉しいですね。
でも残念ながら、カメラの設定を変えている間にどこかに行ってしまいました。( ;∀;)
期待していた場所では彼は姿を見せてくれませんでしたが、コブシが綺麗に咲いてました。
帰ると庭の八朔でジョウビタキが迎えてくれました。
昼前に妹夫婦と待ち合わせて母の所へ面会に行きました。
シート越しですが妹夫婦はコロナのせいもあり、久しぶりの面会で母はすごく喜んでました。
早く収束してビニールが無くなればいいのですが、ワクチン接種にはしばらく時間が
かかりそうです。できれば国産のワクチンがいいのですがね。
国内の製薬会社の研究開発能力が落ちているようで国内産のワクチンはなかなか出来そうに
ないですね。
安価なジェネリンクの薬が出回っているせいか研究開発能力が落ちているのですかね?
夕方もう一度歩きましたが、土手沿いでは会えなかったので少しルートを変えました。
よそのお宅のサンシュユやしだれ梅やミモザが楽しませてくれます。
何気なく普段通らない裏通り(?)を歩くとこんなところにイマシタ❕
我が家のすぐそばです❕
トマッテいる脚元がいいですね❕ 用水路への転落防止用のポールです。
この街ではここ数年 用水路への転落事故が多かったのでここにも設置されていたのですね。
何か見つけたようで飛び立ちました。
何か摑まえることができたようです。嘴の先に丸いものを咥えてますが 何かわかりません。
弱らすためか、吞み込むためか、暫くしきりに頭を振っていました。
もう少し楽しませて欲しかったのですが、行ってしまいました。
我が家のすぐ近くで会うことができて嬉しい一日でした。
造山古墳の駐車場に集まり、日差山へ。
チョットむくんだ顔をした狛犬が迎えてくれました。
本殿の裏に本殿の裏に崖に刻まれた毘沙門天があります。
約千数百年前の天平勝宝時代に刻まれたとのことで、風雨に晒されたかちょっとかわいい顔に
なっています。
江田山から高松城水攻めで小早川が陣を張った鷹ノ巣城へ向かいました。
鷹ノ巣城址からは、造山古墳群が見下ろせます。
造山古墳造営時にはこの辺りから指示を出していたとの説もあります。
赤ペンの先が造山古墳です。
後円部が低く 平らになっているのは、水攻めの時に切り崩したためのようです。
仕手倉山山頂でS師匠が写してくれました。
この後金崎池に行き、戻りました。