真の繁栄(鳳凰=4)「死は忌み嫌うものではなく、全て受け入れるもの」
前回の続きです。
「先に逝った愛する者は一瞬の考えより遠くへは決して行かない」
本のご紹介です。
本:神との対話3
著:ニール・ドナルド・ウォルシュ
(第六章P156~159抜粋)
☆**~☆**~☆**~☆**~
ニール:
それじゃ、死者と話したいと頼むのはかまわないんですか?「先に逝った」ひとたちと接触しようとしても、いいんでしょうか?
神:
どうしてそうしたい?
ニール:
何か、わたしたちに言いたいことがあるかもしれないからです。
神:
「向こう側」にいる誰かが何かを知らせたいと考えれば、必ず方法を見つける。だから、心配しなくていい。「先に逝った」おじ、おば、いとこ、兄弟、姉妹、父母、配偶者、恋人、みんなそれぞれの旅を続け、完全な喜びを経験し、完全な理解をめざして進んでいる。
彼らが――あなたがどうしているか見たい、かれらが元気でいると知らせたいと――あなたのもとへ戻りたくなれば、ちゃんと戻ってくるからだいじょうぶ。だから、「徴」(しるし)に気をつけて、受けとめなさい。気のせいだ、「希望的観測」だ、偶然だと切り捨てたりしないこと。
ニール:
知り合いの女性が、瀕死の夫を看病しているとき、こう頼んだそうです。どうしても逝ってしまうのなら、お願いだから帰ってきて、だいじょうぶだよと知らせてね…。夫は、そうすると約束し、二日後に亡くなりました。それから一週間もしないある夜、目覚めた彼女は、誰かがベッドの自分のそばに座っていると感じたんです。目を開けてみると、誓ってもいい、そこに夫がいたと言うんですよ。ベッドの足もとのほうに座って、微笑みかけていたそうです。でも、またたきしてもう一度見ると、夫は消えていた。あとになってその話をした彼女は、きっと幻覚を見たのね、と言っていました。
神:
そう、よくあることだ。反論しようのない、はっきりとした徴を受けとっているのに、無視してしまう。あるいは、気のせいだ、幻だと切り捨ててしまう。この本についても、同じことだよ。
イエスの復活を疑ったトマスと同じで、見て、感じて、触れなければ、信じようとしない。だが、あなたがたが知りたいことは、見ることも感じることも触れることもできない。べつの領域のことがらだから。あなたがたは、そこに向かって開かれていない。まだ、用意ができていない。だが、焦らなくていい。生徒の準備ができたとき、教師が現れるのだから。
ニール:
そうなんですね。ところで、さっきの話に戻りますが、向こう側の誰かと接触したくて、超能力者のところへ行ったり、交霊会に参加したりしない方がいいんですか?
神:
こうせよとか、するなとは言わない。そんなことをして何になるか、と言いたいだけだ。
ニール:
でも、向こう側のひとに聞きたいんじゃなくて、言いたいことがあったら、どうなんでしょう?
神:
あなたが言うことが彼らに聞こえないとでも思うかね?「向こう側」にいる誰かについて、ほんのわずかでも考えれば、とたんに、彼らの意識はあなたのもとへ飛んでくる。「逝った」ひとについて、何かを思ったり考えたりすれば、そのひとのエッセンスは必ず気づく。霊媒を使って接触する必要などない。愛こそが、コミュニケーションの最高の「霊媒(メディア)」だよ。
ニール:
なるほど。でも「双方向」コミュニケーションはどうなんでしょう?霊媒は役に立ちますか?だいたい、可能なものなんでしょうか?それとも、ほら話ですか?危険な企てですか?
神:
あなたの言っているのは、霊(いのち)とのコミュニケーションだね。もちろん可能だ。危険かって?怖がっていれば、何だって「危険」だよ。何かを恐れれば、恐怖の対象を創造してしまう。しかし恐れねばならないことなど、何もない。
愛する者は決して遠く離れはしない。一瞬の考えより遠くへは決して行かないし、あなたが必要とするときはそばにいて、相談に乗ったり、慰めたり、助言したりしてくれる。愛する者が「だいじょうぶ」かどうかと案じて、強いストレスを感じていれば、必ず徴(しるし)、合図、ちょっとした「メッセージ」を送って、すべてうまくいっているよ、と知らせてくれる。彼らに呼びかける必要すらない。この世であなたを愛していた者の魂は、あなたの霊のフィールドに小さなトラブルや乱れを感じたとたん、引きつけられ、引き寄せられて、飛んでくる。新しい世界で得られる可能性について知れば、彼らはまず愛する者を助けよう、慰めようとする。だから、あなたもほんとうに彼らに向かって自分を開いていれば、そばに来て慰めてくれているのを感じるはずだ。
二ール:
亡くなったひとが部屋にいたと「誓ってもいい」と言うひとたちの言葉は、本当なんですね。
神:
もちろんだとも。愛する者の香水の匂いを嗅いだり、葉巻の香りがしたり、よくハミングしていた歌がかすかに聞こえたりすることもある。あるいは、個人の持ち物がいきなり現れる。ハンカチや財布、カフス、宝石などが「なぜか、突然に」出てくる。椅子のクッションのすきまや、古い雑誌の下で「見つかる」。おや、こんなところに。とくべつな絵や写真が、故人を思い出して偲び(しのび)、悲しくなったちょうどそのとき、目にふれる。そういうことは、「たまたま起こる」のではない。そういうものは、「ちょうど、故人を偲んでいるときに」、たまたま「なぜか、突然に」出てくるのではない。いいかね、宇宙には偶然はないのだよ。そういうことはよくある。しょっちゅう起こっている。
さて、あなたの質問に戻ろうか。身体から離れた存在とコミュニケートするのに、いわゆる「霊媒」や「チャネリング」が必要か?いや、必要はない。役に立つか?役に立つこともあるだろう。それは、超能力者あるいは霊媒によるし、彼らの動機による。
高い報酬を払われなければ、「チャネリング」や「仲介」をしないと言われたら、とっとと逃げ出しなさい。そんな相手は金だけが目当てかもしれない。何週間も、何か月も、それどころか何年も、「ふりまわされて」、「霊界」と接触したいというあなたの欲求や願いを利用されても、不思議ではない。ただ助ける為だけに――霊がそうであるように――いるなら、そういうひとは、自分の仕事を続けるのに必要なもの以外はいっさい要求しない。そういう超能力者や霊媒が助けてくれると言うなら、こちらもできるだけの援助をすることだ。相手の法外な寛容さにつけこんで、充分にこたえられるのがわかっているのに、わずかしか、あるいは何も提供しないというのはいけない。
ほんとうに世界の為に役立ちたい、ほんとうに智恵と知識を、洞察と理解を、思いやりと優しさを分かち合いたいと思っているひとを探しなさい。大いにそのひとたちの力になってあげなさい。最高の敬意をはらいなさい。できるだけ多くを提供しなさい。彼らこそ、光の担い手なのだから。
☆**~☆**~☆**~☆**~
朗読でお聞きしたい方はこちらの動画より
↓
【神との対話3】第六章
(上の文章は33:10秒~最後です)
『死』とは何か?
こちらも興味がありましたらご覧ください。
バシャールのチャネリングメッセージです。
今日も読んでいただきありがとうございました。
にほんブログ村
(☝応援よろしくお願いします✨)