☆日々是好日☆

最凶・最強~荒波乗り越えどっこい生きてる、🐔のひとりごと

番外編~子供の為なら母は鬼にもなれるんです!

2023-12-19 21:37:00 | 日々つれづれ
勢いでもう一投!

大腸がんのお話に行く前に、娘が小さかった頃(4歳)に夜間診療所で初めて女医さんに喧嘩を売ったお話しを(^^;)

忘れもしない娘が4歳だった時の11月3日文化の日の夕方。
その時息子はまだ6ヶ月。

昼間は元気に遊んでいたのに急に熱を出した娘。
最初は微熱だったのだけど、どんどん熱は上がりぐったりとして来てしまった。

休日でどこも病院は開いてない。
休日診療所に電話をかけたら「直ぐに来てください」との事だったので、息子は旦那(当時)に任せ娘を連れて休日診療所に急行しました。

受付を終え、その時に熱を計ったら39.8度。
それを見た受付の方は
「あらあらちょっと高いわね。待っててね。」と。
30分経ち、40分経ち、、、
腕に抱えた娘はどんどん熱くなりぐったりとして来る。
もう一度体温計を借りて計ったら42度に達していた。
「すみません。42度もあるんです。どうにかなりませんか?」
そう言っても
「もう少しお待ちください」と言われるばかり。
患者さんはそれほど多くない。
なのにある一定まで進んだところで、ぴったりと呼ばれなくなってしまっていたのです。
そして1時間半(もっと待ったかも?)近く経って漸く中から女医さんが出てきたのです。口をモグモグさせながら。しっかりお弁当の匂いがしたのは今でも覚えています。

「すみませんねぇ~お待たせしちゃってぇ」
軽く言うその方に一瞬ブチ殺意沸いたよね。
小さい子供は急変しやすいから。
どこのお医者様でもそう言っていた。

そして診察を受けて先生が一言。
(以下👩‍⚕️=女医、🐔=私)

👩‍⚕️「風邪だと思うんですけどねぇ。分かりませんねぇ~」

その瞬間、ブッチーーーンと私の中の何かがブチキレた❗❗

🐔「はぁぁぁ???分かりませんじゃ困るんてすけど!!どんどん熱は高くなるし、待たされるし、それで分かりませんって?なんなんですかっ💢」
そしたら女医は言う
👩‍⚕️「じゃあ点滴でも打てばいいですかねっ!」
🐔「打ってください。それで少しでも緩和されるなら」
点滴の針を刺す所を見ていて感じた。
あ!あれちゃんと入ってないな。
点滴慣れしてる自分は何となく分かるんです。
🐔「娘ちゃん、痛かったら痛いって言わなきゃダメだよ」
「痛い」の言葉も出ず顔をしかめて悶絶する娘。それを見た女医
👩‍⚕️「あぁ、ちゃんと入らなかったねぇ。ゴメンゴメン」
🐔「もういいです!他の救急病院を紹介してください。そこへ連れていきますから!」
👩‍⚕️「(ふて腐れ気味に)じゃあどこがいいですかぁ?」
🐔「✕✕病院と、△△はやめてください!」
👩‍⚕️「それならT大学病院で良いですかね」
🐔「そうしてください!」

後にも先にもお医者様に向かって怒り散らかしたのはこの時だけ。

自分でもよくあそこまで噛みつけたなと。😅
自分の事ならともかく娘の事となるとね。
しかも小さい子供は悪くなり出すと早いから。

大学病院で処置を受けて家に帰り着いたのは23時近くになっていました。
大学病院からの指示で翌日かかりつけの小児科へ。そので先生に言われたのが
👨‍⚕️「休日診療所は何も出来ませんからね。今回の様な場合は迷わず救命救急センターのある大きな病院へ行ってくださいね」

そう言えば、私が扁桃腺を拗らせすぎた時も最初に行ったのが休日診療所だったな。
薬を処方して貰った時に思ったもの。
「こんな薬じゃ絶対効かん!」
あの時は暮れも押し迫る12月30日の夜。
仕方なかったったゃぁ仕方なかった。

散々書きましたが、休日診療所が悪いって言っている訳ではありません。
色んな病院から当番制で勤務する医師。その日によって専門の先生が違うから、運が悪ければ見当違いな見立てをされてしまうことも無きにしもあらずなのです。
足の骨を折ったのにその日の担当が内科の先生だったらどうにも出来ませんよね?って事。

もう20年近くお世話になっている内科の先生にも言われた事があります。
信頼している先生だったので、子供達を連れて行った時の事。
ちゃんと診察もしてくれて薬も頂いたのですが先生は「子供はね別の生き物だからね。ちゃんと専門の小児科へ行ってね」
確かに!先生の言う事も一理あるなと。

お医者様とて人間。
様々です。
自分が信頼できるか、考えが合うか、安心できるか。
合えば例え1時間かかろうとも電車に乗って通っています(^^)


↑↑↑
またまた記事とは関係ありませんが
キングペンギンのひなです🎵

茶色の羽毛が抜けると中からこれが出てきます
↓↓↓





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追記

2023-12-19 20:10:20 | 日々つれづれ
先ほどの記事ですが、書いているうちに興奮したのか?誤字脱字、そして書きたかった肝心なことが抜けていたりしたので、書き直してアップしました。

ブログは落ち着いて。
見直し大事ね😅
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セカンド・オピニオンの大切さ②

2023-12-19 20:03:00 | 日々つれづれ
①からの続きです。

2度めの流産は病院云々の問題ではなく、初診を受けた時からダメかもと言うのは分かっていたので、そのまま当時住んでいた所から程近い公立の大きい病院で処置を受けました。
その時キツかったのは、生まれたばかりの新生児を持つ方と同じ部屋だった事。
こっちは失くして辛いその横で、家族みんなが笑ってる。心の痛みと頬の痛み。
頬の痛みは麻酔が効きすぎてなかなか目が覚めなかったから、起こそうとかなりひっぱたいたみたいです。最後の方は若干記憶が残ってたもの。
話すことは出来なかったけど、心の中で
「痛いよこのー!そこまでひっぱたかなくても良いじゃないかよー!」ってね(-o-;)

もと旦那は帰ってしまって居ないし、看護師さんはもう会計が閉まってしまうからお金を払いに行けとうるさいし。
元旦那が貴重品を持っていたので当然持ち合わせもなく、フラフラしながらも会計へ。身内が持って帰ったと言っても聞き入れて貰えず。
それを見かねた売店のおばさまが見ず知らずの私にお金を貸してくれました。
捨てる神あれば拾う神あり。
あの時のおば様、本当に今でも感謝を忘れません。
勿論次の日直ぐにお金はお返しに行きました。
その病院へはもう二度と行くことは無かったな。

そう。近所のご主人がそこの病院入院して、肺に溜まった水を抜いたりなんやしていたのです。
その後退院してまた高熱が出たから病院へ行くも「風邪」と診断され薬を貰って家で安静を保っていたのですが、1週間もしないうちに急変して亡くなられてしまったのです。子供が生まれたばかりの47歳。
だから尚更そこはNG!

そして下の子(長男)が出来たと分かった時に近所の産婦人科Sへ。
次の診察日は実家へ戻っていて帰ることが出来なかったので、実家近所の産婦人科で診察を受けたのですが心拍がとれても良い週数なのに心拍は取れず。
そのまま2週間が過ぎ、S医院を受診。
実家近所の産婦人科で診察を受けたけど心拍が取れなかった事を話すと
「ええっ?なに?心拍が取れなかったんだったら何で出してこなかったんだよ!」と怒られ続けざまに「こういう子は残しても障害が残るからあんたが不幸になるだけなんだよ!」
医者としてこの発言どうなのよ?
あり得ん話だよね💢
それでも診察は受けた。
心拍は確認できました。その時に院長が放った言葉
「おー生きてる生きてる!動いてんじゃん笑じゃあ次は◯日後に来て」

「はい」と言いながらその足で違う総合病院へ行ったのは言うまでもない。
上の子が幼稚園に通う予定だったから近くにと思ってS医院にしたけど、ここはもうね。同じ過ちは繰り返したくないから電車に乗ってでも評判の良い所へ転院しました。
そこの総合病院の先生は
「あれ?S医院に通ってたみたいだけどどうして?」と。
私がゴニョゴニョモゴモゴしてたら、
「分かりましたよ。大丈夫です。ちゃんと診ますから安心して」と言われ一安心。
時間の都合や生活のリズムもあるだろうけど、やはり通える範囲なら評判を確かめて良いところに行った方が良いですね。

そこの総合病院は耳鼻咽喉科も評判が良かったので、扁桃腺を拗らせすぎて死にかけた時は迷わずその病院へ駆け込みました。
1月から5月の間に3回入院。3回目に扁桃腺の摘出手術を受けました。
今思えば自分が後に罹る2度のガンより質が悪かった!
扁桃腺を侮る無かれです。
後日談ですが、その時の主治医は付き添ってくれた私の母に
「あと1日。いや、半日遅かったら命は無かったですよ」
と言われ脚が震えたと話していました。

私の40代は病気まみれ。
40歳で大腸がんが見つかり、44歳で扁桃腺を拗らせすぎて死にかけ、46歳では乳ガンに。
呪われた40代って、今元気だから笑い飛ばしてしまう自分がいるけど、これもやはり信頼できる病院、医師有っての事。

大腸がんもセカンド・オピニオンをしました。

これまた長くなったのでその③に続きます。
この大腸がんの時も大きな大学病院だから大丈夫と行ってみたのが失敗だった!

そんなお話はまた次回。

シリーズ化してどないするねん😅

いや、次回完結であります(^^)



↑↑↑
これは昨年11月に起こった442年ぶりの皆既月食です。
近くに天王星も見えました🎵
寒かったけど最初から最後まで頑張って撮影した中の一枚です
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素敵な勘違い

2023-12-19 16:21:55 | 日々つれづれ

芸人顔負けの記事発見!

めっちゃ笑わせてもらいました💓


お母様最高です!🤣

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/grapee/trend/grapee-1508654

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小さな命が教えてくれたセカンド・オピニオンの大切さ①

2023-12-19 13:53:00 | 日々つれづれ
もう30年も前の話になるのだけど、今でもあの時の事は鮮明に覚えています。

当時はまだ一般的にはインターネットなど普及していなかった時代。
一部の人は使っていただろうけど、今の様に手軽に使える時代ではなかったよね。

だから病院を選ぶのも口コミと勘!
近くに親しい友達でもいれば楽なんだろうけど、引っ越して間もない土地だと本当に勘しかないもの。

初めての子供
その子の母親でいられたのはたったの3ヶ月。
けどその3ヶ月は子供や私にとって闘いであり、とても重要な意義を残してくれる3ヶ月になったのです。

妊娠が分かって(検査薬で)ちゃんと検査をしてもらう為に選んだその病院は駅前にそこそこ大きな建物を構える産婦人科でした。
ここなら大丈夫かなと入った院内は外観とはかけはなれたとても"雑"な印象を受ける所だったのを覚えています。
スリッパは脱ぎ散らかされ、片方しかない。
待合室のソファーは古びて色褪せ、ソファーの後ろの隙間には埃がごっそり溜まっていたからビックリ❗
診察室へ入ると、そこはまあそこそこ綺麗で。だけど、院長先生はちょっと上から目線で横柄な感じ。
今の私ならもうこの1回で絶対に他の病院へ行ってます。
だけど当時の私は言われるがまま、次の予約を入れて帰ってきてしまったんですよね。
そして次の診察までに微量の出血があり、初めてで不安まみれだったので診察を受けに行きました。
「切迫流産の状態だから安静にしている様に」と言われ帰路につく。
がしかし!その3日後にはもっと大量の鮮血があったのでまた病院へ行ったのです。
理由をちゃんと説明しているのに、その時の受付の女性の不審そうな顔。そして奥から聞こえてくる院長の声
「この患者この間来たばかりだよね。また来たのか」
一瞬耳を疑ったよ。その場で帰れば良かったのかもしれない。けど不安に押し潰されそうになっていた私はそこで言うことを聞くしかなかったんですよね。
今はどこの病院でも膀胱に尿が溜まっていなくても超音波でみてもらえることは出来るけど、そこの病院は全てにおいて遅れていて古い機材しかなかったんだ。
勿論急に行ったものだから膀胱には溜まってないからちゃんと写し出すことが出来なかった。
その時にそこの医師が発した言葉が、
「君ねぇ、時は金なりって言葉を知ってるかね?君がちゃんと検査を受けられる状態で来ないから私も時間を取られて非常に迷惑してるんだよ。分かるかね?」
いやいや、今なら訴訟物な発言だよね?

一瞬イラッとしながらも不安の方が大きかったからそのまま入院することになってしまったのです。
入院してからはひたすら安静。
切迫流産なら安静が一番なのだけど、看護師さんは怖いし対応悪いし、先生もほとんど来ない。
食事もお粗末で、朝食は食パン1枚、ハム2枚にキャベツの切れ端みたいな付け合わせとお茶。
昼も夜も大したものは出なかった様な気がします(全てがショボすぎてここはもう忘れた!w)
結局、入院10日めに完全流産となってしまいました。
下腹部の強烈な痛み。そして何か大きな塊が出る感じ。
初めて私に宿った命は私の身体に後の負担をかけることなく、胎嚢のまま全てを引き連れて出てきたのでした。
中に少しでも組織が残ると掻爬せねばらない。けど全てが出てきたので後は洗浄するだけだとその時院長が言ってました。
「お母さん頑張るからあなたもね!」
毎日お腹に話しかけていた言葉。
その子は「もう頑張らなくていいよ」と言わんばかりに私の身体から出て来てしまったのです。
乳白色の膜の中は淡いオレンジがかった黄色。胎嚢ってこんなにも綺麗なんだって感じたのを今でも思い出します。
「全て」が終わって、「もうすぐこの子の父親が(もと旦那)来るからと」と院長に話すも
「今日はもう診療終了だから明日にして」と。
18時診療終了。その時の時間は18時10分。

この時からですよ。
まず信頼、信用出来ない、自分には合わない、不安要素が大きい。
これがある場合はすかさずセカンド・オピニオンをする。

仮にいずれ流産をしたにせよ、もしもっと"まとも"な病院へ行っていれば少なくとも精神的ダメージは半分以外で済んだかもしれない。
余計な心配やメンタル的ストレスは妊娠初期にはよろしくないですから。

それから数年して今の長女を妊娠した時、その時も胎嚢が潰れていて、助かる確率は50%と言われ酷く落ち込みました。
でもその時の院長先生は、前回私の身に起こった一連の出来事を全て話したら
「そうか!そんなに辛いことが有ったんだな。よし!私に任せなさい。絶対に助けるから!!」と心強い言葉をかけてくれました。
やはり切迫流産と言うことで31日間入院しましたが、病院は綺麗だし食事もちゃんと栄養面が考えられた豪華な食事だったし、何より先生達も看護師さん達も優しく丁寧でした。
そして節分の日に無事娘を出産することが出来ました!

ただ、娘の次も流産をしてしまうのですがここも酷かった。
そして長男の時は「この病院無理!」とその病院を出た足でそのまま違う病院へ駆け込むのであった。。。

つづく、、、

前置きのつもりがめっちゃ長くなってしまったので、後半へ続きます😅


記事とは全然関係ないけど、、、
掛川花鳥園の睡蓮です🎵

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