故郷へ帰って母の病院の近所を少し歩いてみた。
小中学生時代の通学路、ここは病院だった。
随分しゃれた建物だとその頃から思っていたけど
なんとちゃんと残してある。
国道三号線沿いの向かい側には、K農機具やさんが昔のままあって
となりにあった文房具やさんを思い出し、2度3度前を行き来して
涙がこぼれた。
小学校と中学校が併設だったので、この文房具屋さんに行くと
いつも中3男子がたむろしていて、こわくてこわくて
「下さい」と言えなかった。
ウインドウに鎮座していた「サクラクレパス」「古梅園」 と書かれた
墨や筆巻きがまぶしかったことが思い出された。
小学校の建物はすっかり変わっていたけどここだけは
タイムスリップしてしまった。
ここを見ている同級生の皆さん、この病院と
K文房具屋さんのこと、覚えてる?
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文房具屋さんも、かすかな記憶のなかにあります。
この病院にアッコちゃんがよく注射をしに行ってたよ。
あの時代に、こんなおしゃれなたてものがあったのですね。子供のころには気がつかなかったよね。
このごろ、物忘れがひどく、言葉もでてきません。
いつか、元気なうちに、ゆっくり、歩いてみたいおもいが、ますます、つのります。
知らなかったことがいっぱいあるなぁ。
昔はこの建物の前にやしの木々などが繁っていたと思いますが、今はなくなって建物が全面にでています。
こんなに綺麗に保存しようとする後継者の方がしのばれます。
裏のほうにS・F子さん一家が住んであったあの部屋もそのままです。
k農機具、k文房具店等懐かしいです。
十字路の角は、自転車店その南側が油屋さん
鳥栖側の方にI.Y子さんの家、その前がNさんの魚屋が在ったと記憶しています。
S.F子さんは今どの様にして居られるのでしょか?
役場の近くにあった郵便局はありますが、その隣あたりにあった駐在さんは十字路のところに移動しています。
魚屋さんの後には、インドの方が経営するアジア料理店があり繁盛しています。
お人形さんのようにかわいかったI・Y子さんは、miyaさんに頂いた名簿によると物故者の欄に、S・F子さんの欄は不明となっています。
しかし何と言っても一番変化の大きいところは、田んぼしかなかった曽根崎から飯田までの道沿いが全て物流拠点となっており、すばらしい道路が縦横無尽に走っているところです。
浦島太郎状態でした。