満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

         MADLIB 『MEDICINE SHOW NO.1』

2010-03-31 | 新規投稿

音楽の進歩を実感して疑わなかった時代に聴く新しい音源の数々に共通したのは、エッジの強度だった気がする。私にとってそれはパンクーニューウェーブ、オルターネイティブ(オルタナじゃない)時代のイギリス、ヨーロッパを中心とする音楽群のリアルタイムな感受による感覚だった。その‘エッジ’を意味性や精神性とリンクさせる習慣が音楽に於ける一つの快楽原則と化していたのがあの時代特有の蒼さでもあったか。あの時代、リリースされる音楽は一枚、一枚が‘更新’であった。今から思えば私に欠落していたのは‘グルーブ’の感覚だったのかもしれないが、それは80年代後半のマンチェスタームーブメントに全く賛同できなかった事と無関係ではない。私がイギリスを‘追う’のをやめたのはあの頃だった。マンチェのだらしないルーズファッションや間延びした音楽と演奏、ヒッピーに戻ったような髪型はパンクが確立した美学や知的なものをぶち壊したと感じていた。そこに連続性など何もなかった(と当時は思った)。そんな私はパンクを発端とするイギリスの音楽革命はマンチェスタームーブメントで後退し、ニューヨークのダウンタウンシーンがそのエッセンスを引き継いだと感じ、関心が全面的にアメリカに移行したのである。ノーウェーブを発端とするアメリカ新音楽は脱ロック的であり、ミュージシャン気質のテクニカル性とノーミュージシャン的アーティスト性が混在し、ジャズやフリーミュージックと連動したが、80年代前半までのイギリスと共通したのは、やはり、アンチグルーブな感性だったと思う。そこには‘エッジ’の強度があり、それはグルーブに優先する時代的キーワードであったのかもしれない。

グルーブ全盛時代における‘懐かしの’アンチグルーブなエッジの強さを‘新しさ’とするジャンルの一つは現在、私にとってはアブストラクトヒップホップであろうか。マッドリブがそんな私の欲求を満たすアーティストである事は間違いない。そのアンチグルーブの中に変則ビート(カンタベリーや初期ラフトレードのような)やハンマービート(ジャーマンニューウェーブのような)の要素を濃厚に感じ取る私は、ヒップホップのノリが下半身と脳髄に同時に直撃するハードエッジなスタイルに‘嘗ての快感’を想起している。

数々の名義でリリースを連発するマッドリブはジャズを素材にする時のクールネスとヒップホップでの狂気という二つのカラーがやや、固定したイメージに集約されているとも感じるが、新シリーズである『MEDICINE SHOW』では、そのヒップホップの‘マッド’度合が全開。コラージュやカットアップすらグルーブとなるその‘更新’に私は嘗てのイギリスニューウェーブを追った日々の驚きを再体験しているようなデジャブ感に襲われている。インナースリーブの過激さも充分にハードエッジ。やばいです。

2010.3.31

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      BOB DYLAN LIVE AT ZEPP OSAKA 2010.3.16

2010-03-21 | 新規投稿

キーボードから離れ、マイクを握って歌い始めたディランを見た時、「うわっ」と思ったのは私だけではないだろう。以前なら後ろにギタリストが三人いてもギターを肩から降ろす事のなかったディランがそのトレードマークとも言える‘分身’に触れず、ステージの右端にセットされたキーボードの位置から動こうともしない異様さを見せつけられた果てに、丸腰でステー中央に向い、スタンドからマイクをはずし、まるで‘歌手’のように歌い始めたのだから。

しかしディランによるその歌とキーボードはいずれも素晴らしいものであった。
器用にオルガンを繰り、ギタリストのチャーリーセクストンとフレーズの掛け合いをして‘ジャム’るディランには掛け値なしのカッコよさと音楽的レベルの高さしか感じなかったのは事実である。それは余興ではなくある必然に従った音楽の成果であった。アルクーパーの音色や断片が甦り、ディランをして固有のキーボーディストたる正プレイヤーにまで高めていたように思う。そのセンスは間の取り方やリズム感覚に於いて独特のものであり、私が想起したのは最後の来日公演となった87年のマイルスデイビスのキーボードプレイであった。

また、90年代以降のディランを象徴した‘つぶやきボイス’はここにきて‘うなりボイス’へと変容している。それは9年前である2001年の公演で観たディランのアグレッシブさに共通するものであり、あの時、「highway61revisited」の語尾をダミ声で叫んだうなり声の‘ロック指数’は正しく最高レベルであったのだ。それは更に遡る97年公演で見せたカントリーハウスを擬した(ように感じた)ステージの暖かさ、淡い光が差し込む静かな音響とフォーキーサウンドとは全く異なるものだった。想えば最初の東大寺ライブ(94年)から数え、私がディランを観るのは今回が4回目であるが、順を追って好印象になってくるのは面白い。それは年齢と共にアグレッシブな姿勢が甦るパフォーマンス度における進化とも言える。2001年公演に於けるディランの発声がフルボリュームのパワーであった事を私は鮮烈な記憶として持っており、その延長に今回の公演はあった。しかもカントリーやブルース、ブルーグラス、ジャズというオールドアメリカンサウンドに‘モダンノイズ’を経過したナウアメリカンサウンドを創造したのだと感じている。

ディランは『time out of mind』(97)以降、古いアメリカを巡る探求の旅を続けてきた。ダニエルラノワが集めた腕利きのアメリカンプレイヤーに各々が不得手な楽器の演奏を命じた時、出来上がった音楽のオルターネイティブな音響には最先端のアメリカが示されていた。そこには古いアメリカの別の顔が裂け目から現われたのだ。それはディランによるアメリカの回帰と再生の表現であり、『time out of mind』はディランの基点となった。言わば、嘗て言葉に生命を宿す事を一義と考えた歌う詩人が、アメリカを理解し、体現する旅に於いて、音響という空間にその詩的昇華の可能性を見始めたのだ。以後、ルーツミュージックに真正面から挑み、現代的ソングライティングで高度化した『love and theft』(04)のやや様式化したそのオールド路線に落ち着き、その延長の『modern times』(06)で完成を見る。このアルバムはディランの到達でもあり、ある‘引き返せない’場所に立つものであったようにも感じる。そして、はっきり言えば、レコーディングに於けるディランによる音響空間への旅が、ここで生き詰まった。
それはディランがルーツミュージックを今現在の解釈で先鋭的に創造するのではなく、はっきりとルーツミュージックそのものに溶け入る方法論を選択した事に顕われている。従ってディランミュージックの評価はもはや、発想よりも曲の善し悪しのみが基準になったと感じる。果たして『modern times』はその批評精神と音楽の力感にもかかわらず私にはスタイルに於いて、やや、マンネリを感じた。ソングライティングでは圧倒的に『love and theft』の方が勝っていると感じたのは事実である。

しかし、ヒットチャートでは30年ぶりの全米第一位になった『modern times』は以後の制作にやはり、暗い影を落としたと思う。即ち、映画のサントラ『together through life』(09)及びクリスマスアルバム『christmas in the heart』(09)という二つの受動的な制作にそのマンネリを脱しきれない新たな停滞期(80年代のような)の到来とも思える内容を感じていた。年老いてますます活発化するその活動に喝采をおくる世間の評価とは違い、私は少し醒めていた。コルトレーンと並ぶ音楽の神であるディランを当ブログで一度も取り上げなかったのも、ディランは停滞期に入ったと感じていたからだ。

しかし。
私はこの間のディランのステージを観ていない。そして、そもそもディランがその創造の真価を発揮するのはいつもライブパフォーマンスに於いてである事は承知していた。それは80年代以降のスタジオ機材の変化に‘とまどった’というディランの迷いを解決する手段としてのライブ本数の増加が、結果的に‘ネバーエンディング’な創造の習慣を自身にもたらせたものである。上下巻による大著『瞬間の轍(ときのわだち)』(ポールウィリアムス著)は克明なディランのライブの記録集だが、私がこの本によって、考え改めたのは、あのキリスト教三部作(『スロー・トレイン・カミング』(79)、『セイヴド』(80)、『ショット・オブ・ラブ』(81))のつまらなさに反した、当時のライブ音源の素晴らしさではなかったか。私は当時のブートレッグを多数、聴いてその感動とむしろスタジオ音源とのギャップを思い知った事を忘れてはいない。

同様の事が、今、起こっているようだ。
私が目撃したディランが以前、観た3回の公演とはっきり、異なるのはそれが、グループサウンドだった事につきる。メンバー間の電流とノイズがステージ上を行き来し、渦巻くようなボリュームになっていた。しかも、ディランはそこに埋没する事なく、屹立していた。‘うなりボイス’は一つの低音金管楽器のようであり、私はテナーサックスの号砲の如き響きを感得したと思う。しかも音量のセッティングがやたらでかい。リバーブはむしろ薄い。コンプレッシングされたボイスの堅い物質が飛んでくるような力感があふれ、その迫力に押されていただろう。度々、圧縮された声による言葉の語尾がグワー!と響くのである。この声の質を持ってディランの詩的世界の次なる段階が見えたと思う。それは言葉によるイマジネーションを従来の言語発声の空間のみに求めるのではなく、ノイズ、混濁された音響の中に放出した表現の拡大である。
歌いだしてからしばらくしないと何の曲かわからない事は以前からの特徴だが、ここにきてディランはメロディを解体しながら、音響の軋みのようなバックのサウンドと自らが参加するオルガンのランダムなリフやビートの中に言葉を散布しているように感じた。

このディラングループは互いに音をぶつけ合うような演奏を繰り広げた。
相手の音に反応し、生き物のような動くサウンドの磁場を形成する。ドラムの過剰とも思えたラウドネスからも、このバンドの型通りのオールドアメリカンサウンドとは違うイメージを植えつけられた。定型をはみ出し、絶えず、壊すようなスリリングさこそがこのバンドの本領のような気がする。
バンドディレクター然としたベーシスト、トニーガーナー。彼はエレベとアップライトを曲によって使い分ける。バイオリンやマンドリン、ペダルギター、バンジョー等でオールドアメリカンのカラーを担うのはダニーヘロン。地味で味わい深いリフを繰り返すサイドギターはスチュキンバルで巨漢が携えるギターが小さく面白い。そして唯一、ステージをうろうろ、せわしなく動き回ってバンドを牽引するリードギターはチャーリーセクストン。しかし、彼の動きはどことなく滑稽なほど、カッコ良くない。スター的風貌に似つかわしくないような、ぎこちなさは根っからのミュージシャンの風貌である。アイドル的なデビューで紙面を賑わしたのは昔話。その面影は本物のアメリカンギタリストとしての深みを湛え、ディランミュージックの核心を表現する。私はその鋭い音色に嘗てのロビーロバートソンの青い炎を見た。

旧友、斎藤と大谷と三人で会場の中央、左寄りに陣取った私は、当然、右端にスタンドするディランはおろか、ドラム、ペダルギターも見えない。見えるのはスチュとトニー、そしてあっち行ったりこっち来たりのチャーリーが時折、視界に入るだけという有様。しかも私の前方はやたら大柄な野郎が多かった。全く見えやしない。これはいかんと感じた私は意を決して満員電車のような人波をかき分けて前方に移動を試みるが、これは失敗。そこで斎藤と大谷をほっといて、一旦、外に出て会場を囲む通路をぐるっと一周し、右側から入れそうな扉から割り込む事にした。これがまんまと成功。ステージが一望できる前方右側に場所を確保した私は音も全然、違う最高のシチュエイションでディラングループのパフォーマンスを楽しんだのであった。

選曲の妙も光っていた。
一曲目から何の曲かわからず、私はとまどったが(後で『under the red sky』収録の「cats in the well」というナンバーである事が判明。あのレコードはあまり聴いてないな。)、2曲目になんと「火の車」(wheels on fire)をやった。リックダンコと共作したザ・バンドのファーストに入った名曲である。全セットリストはここでは書かない(もう覚えてない)がアルバム『love and theft』からの曲は多かった気がする。やはり、あのアルバムは良い曲が多かった。アンコールでやった定番ナンバー「like a rolling stone」、「all along the watch tower」のニューソングのようなアレンジの力感は現在のディラングループを象徴するものであっただろう。
ボブディラン。今回を最後とは思うまい。やはり、私は次を期待する。

2010.3.20



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     2010.3.11 時弦旅団ライブ   ~邂逅~

2010-03-16 | 新規投稿


演奏が終わって楽器を片づけていた時、店のスタッフと談笑する阿木譲氏を見つけ、思わず私は挨拶をしていた。クラブnu-thingsのオーナーでありながら、時折、姿を見せるだけと聞いていたので、その鉢合わせは幸運であったか。嘗て『ROCK MAGAZINE』の読者として、その言説に多大な影響を受け、また80年代初期は『ROCK MAGAZINE』関連イベントにしばしば参加し、PALMSやFABMABといったクラブで何度か会話した事を鮮明に記憶する私としては、実に25、6年ぶりの氏との遭遇であったのだ。私は阿木氏に対し「阿木さんの呪縛から解けた時、自分で音楽を始めたんです」とちょっと失礼な言い方で自分を説明した。それは阿木氏の影響力、吸引力の大きさを遠回しに表現した謝意でもあり、対面した事で若い記憶を甦らせ、瞬間的に自分の原点を想い起こした事による釈明でもあったような気がする。そう、確かに釈明だった。読者に対し常に何かを問いかけ、アクションを促していた阿木氏に対峙するという事は本来、あまり気軽なものではない。その感覚に縛られていた私にとって、その後のバンド活動や本の出版、ブログでの言論活動などが例え自己満足の域を出るものでないとしても、一定の実りや精神的充足につながっているという事を阿木氏に報告したいという気持ちの表れであったのかもしれない。

さて、肝心のライブは私のエフェクタのトラブルやドラムの留め具が壊れたり、演奏ミスを連発したりと散々な感じで、終わった直後は‘今日の録音は一ヶ月後に聴こう’と思ったくらい、不本意で失意にあったのだが、ビデオを見ると「それほどひどくもないか」とも思い直し、某ブログでの好意的なライブレポート(http://cozy-creative.sakura.ne.jp/j-prog/reports/index.html)にも単純な私はすぐ、勇気つけられ、また早くライブをやりたい等と思うのである。そして阿木譲氏との会話はそんな私の積極性を呼び覚ます新たな力になるような予感もする。有意義な夜であった。

次回のライブは未定ですが、4月末を予定しています。今後、もっと充実した演奏を目指して頑張ります。乞うご期待。

2010.3.15

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              GONG 『2032』

2010-03-04 | 新規投稿


鳩山‘バーチュアル’由紀夫首相が「世界の人の命を救いたい」と宣った時、この人のアーティストとしての将来は約束された。このおよそ政治家とは思えない夢幻気質こそは、あらゆるアーティストのアーティストたる内的条件であり、夢幻気質の強弱は、表現のレベルを左右する最たる要素と言って良いのだから。更に「この世界から足を洗ったら農業をやりたい」というお言葉も、農業の過酷さを充分、判っていながら、敢えて軽口をたたく、そのシニカルなヒネリに於いて、また、‘足を洗う’という言葉は何か疾しい仕事やヤクザな生業などを辞める時に使うものであり、誉れ高くもあるが、汚い稼業でもある政治を示すにぴったりの言葉だという事を暗に主張する、その‘諧謔精神’に於いて、更に言えば、今現在、国内外の危機的な諸問題に対峙すべく‘強さ’が求められるはずの一国のリーダーが無防備にも引退後の身の処し方を呑気に談話するというその‘超現実性’に於いても、やはり、この人物は一級のアーティスト気質を持った‘選ばれた人’であろう事を感じずにはおられないのである。従って本人にとっては大金持ちの贅沢な道楽なのであろう政事(まつりごと)に飽きがくるのを待つのではなく、一刻も早く政界から引退していただき、何かしらの表現をその友愛の詩歌を持って始められん事を願うばかりである。私は鑑賞してみたい。この人の表現を。

さて、ロック界きっての夢幻3人衆と言えばジョンレノン、ジェリーガルシア、そしてデビッドアレンであろうか。アレンは今なお、サイケデリックやテクノシーンにも多大な影響を与え続ける現役アーティストでもある。

90年のGONG再結成時のまるでロンパールームのようなふざけたステージングを見た時、強力なサウンドと一体化した遊戯性とB級ファンタジーのような夢幻性の開放を思い知った。そこにヒッピーカルチャーの生き残りによる筋金入りのロックを見たのは事実である。その一見、安物くさいビジュアルが、思想、コンセプトの成熟や落ち着きを回避し、永遠のカウンターカルチャーたる精神に満ちている事、そして平和思想、そのメッセージが高踏的なスタンスではなく、ポップフィールドに於ける感覚的伝播、定着の方向性を持っている事も充分にイメージさせるものだった。あれはデビッドアレンの夢幻性がもはや、一つのリアリティを勝ち得て、この世に居場所を確保した勝利のプレゼンスだったであろう。サウンド面に於けるスティーブヒレッジ(g)の不在だけが惜しいなと感じた事を覚えている。

そのスティーブヒレッジ(g)が参加した『2032』はラジオグノーム3部作のラスト『YOU』(74)から連なる物語であり、これが本当の最終章となるのであろうか。ライナーに掲載された全曲の訳詞には戦争や環境というテーマにSFやファンタジーを交差させた夢幻世界、その現実へのまたしても強いメッセージがこめられている。ジャズロック愛好の性ゆえか、私にとって最初の1、2回、聴いた当初の印象、即ち、ドラムのタイトでシンプルな垂直8ビートが物足らないのと歌の比重が過多であるというマイナスの印象も5回、6回と聴くうちに段々、好転してきたのは、やはり、アレンの歌の魅力がインストウルメンタルの環境に左右される事なく、存在感が増してくる為か。思えばこのような印象の変化はこの何年かのGONG作品に共通のものだ。アレンの作るソングは聴けば聴くほど味が出る奥深さを持っている。しかも今回はヒレッジの参加によってサウンド、音響面での宇宙ぶりが増し、嘗ての70年代GONGを彷彿とさせる局面が多い。中でも10曲目「guitar zero」で聴かれるドローンミニマルフレーズにテクノに移行する以前の‘ギタリスト’ヒレッジの本領を見るし、‘never fight another war(もう戦争をするな)’というワンフレーズを延々と繰り返すミケットジローディのボイスにGONGの最良部分をアレンとともに補完する共同体的創作の復活を感じる。

デビッドアレンは奥深い歌を今作でも散りばめた。
夢幻性がネガティブの象徴として力感を伴わないなら、そこにジャズロックのテクニカルな外形をドッキングさせる事で、夢幻の物語性を強度ある娯楽作品に昇華できるはずだ。傑作『YOU』(74)とはそんなGONGミュージックの真髄であると感じていたのだが。しかし私はずっと以前、アレンが「みんな、上手くなりすぎた」と言ってグループを脱退、GONGは分裂し、ピエールモエルラン(ds)を軸としたピエールモエルランズゴングというインストバンドに変貌した経緯も知っている。私のような‘ジャズロック’のフォーマットに歓喜するリスナーはついつい、そんなインストサウンドのスリリングさを期待してしまうが、嘗て、そんな私も結局、フェイバリットは『YOU』ではなく、その前作である『angels egg』(73)であるという結論に至るまでに時間はかからなかった。『angels egg』の歌と器楽アンサンブルの配分、言葉の強調こそが、GONG=デビッドアレンの本領である。

回想すれば高校時代に発見して熱中した‘一大宇宙ジャズロック’アルバム『YOU』は同じヴァージンレーベルのtangerine dreamの『phaedra』(73)やMike oldfieldと同列に聴いた言わば幻想と瞑想のバックミュージックであり、その方向をベースにしながらロック/ポップのダイナミズムをも持ち合わせている特異性が私にとってのGONG理解だった気がする。従ってそのスペースサウンドの要たるティムブレイク(synthe)こそが重要なキーであった。そこでアレンはバンドの一ボーカリストであったか。そんな私がアレンの本領を認識したのはソロアルバム『now is the happiest time of your life』(77)を聴いた時である。このジョンレノンばりのlove & peaceの歌集はアレンの夢幻思想の中核的作品であり、自らをエイリアン的異邦人としながら、地球の崩壊、愛の不滅をメッセージするGONGのスタンスを端的に表わしていた。

アレンの夢幻性は独自のファンタジーソングを紡ぎだす。プログレッシブロックの構築性やサウンド志向はその夢幻を綾どり、生かす為の環境的背景であった。そしてそれはバランスが一方に傾けば、その夢幻性が損なわれる。果たしてハイテクドラマー、ピエールモエルラン亡き今、クリステイラーによるタイトなドラムサウンドがアレンの夢幻ワールドを際立たせるGONGのボトムとなっている。『2032』はその未来志向をも併せ持つGONG神話の不滅性を約束する新たな出発点となるアルバムであろう。デビッドアレン71歳、ジリスマイス(昔はギリスミスと訳されてたね)75歳。GONGはGONGであり続ける。74年も、2010年もGONGは何も変わっていないかのように存在した。恐らく2032年も。加えて私の感慨とは、時代や世界の変わりようの無さの方なのだ。GNOGはその変わらぬ世界の現実と共に、やはり、変わらず在り続けているのだ。

2010.3.4


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