満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

明日30日㈯はフランスから来日中のVincent Lajü (cello, objects,)を迎えてのライブがあります。

2019-03-29 | 新規投稿

明日30日㈯はフランスから来日中のVincent Lajü (cello, objects,)を迎えてのライブがあります。私は古川正平ことS-NOIとのユニット、Zero-prizmで出演。松下一夫氏(sax)がゲストで加わってくれます。松下氏は元O.A.Dのリーダーで、音響要素を積極的に取り入れたホーンプレイヤーとして私の中では先駆的な演奏者だと思っています。O.A.Dを知らない世代の人にもぜひ、聴いていただきたいセットです。

今回、多くの演奏者を招聘し、Vincent Lajü を中心としたセッションを組む予定です。
荻野やすよし氏(guitar)とは幾度も一緒に演奏してますが、私は彼の演奏範疇のほんの一部分の中の付き合いです。その演奏形態は多彩で様々なジャンルや演奏者と活動されており、そんな荻野氏は私から見れば‘The Guitarist’です。

その意味では仲曽根有里氏( voice,electronics)も同様で、シンガーでありながらボイスエフェクトを駆使した即興パフォーマンスも厭わない彼女のスタイルは‘美しい’と感じています。

エフェクトと言えばFlagio (contrabass)は特異な演奏者です。コントラバスに深いリバーブや時にはノイズを交差させる形態は珍しいですが、技術がしっかりしているので、安定感が際立ちます。今回、Vincent Lajüがチェリストという事もあり、特にその共演を楽しみにしています。

そしてドラマーの近藤久峰氏を呼びました。20年以上前から知ってますが、上手いし重いし凄いしという感じの人で私は秘かに近藤君最強説を唱えていたんです。見てのお楽しみにしてください。

ダンサー、パフォーマーのBridget Scott氏とは昨年、ギャラリーでのセッションで知り合いましたが、アート作品と彼女の見栄えというか、その立ち姿がぴったり重なっている事に驚きました。西洋人だからなのか。そんな単純な理由ではないと思いますが、アートの展示と人物が、あそこまで‘合ってる’と強く感じた事はなかったです。今回、zero-gaugeで初めてパフォーマンスをしますが、どんな内容になるのか本当に楽しみです。

最後に私がライブを企画する際、いつも映像を頼んでいるKenji Tsuda氏ですが、一時、アナログの映写を続けてましたが、その時はまるで映写機を機関銃のように構えて壁に映す、それはなかなか、格好良かったのですが、今回はデジタルでイメージ像を映し出していただく予定です。

長々と紹介文を書き連ねてしまいましたが、皆さんのご来場、お待ちしております。

3.30(sat)Vincent Lajü (cello) from FRANCE
◦Vincent Lajü (cello, objects,)
◦ Ogino Yasuyoshi荻野やすよし(guitar)
◦ Mastusita Kazuo松下一夫[ex. O.A.D.] (sax)
◦ Nakasone Yuri 仲曽根有里( voice,electronics)
◦Flagio (contrabass)
◦Kondou Hisamine近藤久峰(drums)
◦Bridget Scott(performance,dance)
◦Zero-Prizm (S-NOI / Miyamoto Takashi宮本隆)
◦Kenji Tsuda (visual)

@environment 0g [ zero-gauge ]
18:30 open 19:00 start
Charge2000 (excluding drink order)


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大阪市西区南堀江3-6-1 西大阪ビルB1F
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  ’アレアとシュルレアリスム’          <4.6(sat) live and talk program ‘満月に聴く音楽’ ‘surrealism’ シュルレアリスム>へ向けての投稿

2019-03-27 | 新規投稿


">《以下の文章は拙書、「満月に聴く音楽」(2006)に収録された「アレア 世界的大衆音楽、その可能性と中心」の中からシュルレアリスムに関して記述された箇所だけを抜粋し、編集したものである。書かれたのは<93年>と末尾にあり、読み返すと、若干、私自身の考えにに修正を加えるべき点も散見されるが、修正せず、そのまま掲載する。》



(中略)

アレアの特徴の第一がその演奏テクニックと自由さであるなら、第二の特徴はグループの政治性だろう。アレアは政治的なグループである。それは余りにも明確なグループのポリシーである。
我々は今までポピュラー音楽が政治的メッセージを持ち、社会問題を題材にする場面をしばしば見てきている。ジョンレノン、クラッシュ、クラス、チャーリーヘイデン、アートアンサンブルオブシカゴ、パブリックエナミー、ヘンリーカウ、リントンクエッシジョンソン、アーチーシェップ、マービンゲイ、ピーターガブリエル、ギルスコットヘロン、崔健、シンニードコーナー等々。他にもたくさんあるだろう。しかしそれらと比べ、アレアの政治性の徹底性は際立っていると言えよう。アレアはイタリアの様々な社会問題を取り上げ、その変革を主張するメッセンジャーであった。その政治性は希にみる徹底したものである。

(中略)

‘社会派の芸術家’であるアレアを読み解くにはシュルレアリスムを引き合いに出すべきだろう。実際、アレアはアルバム『1978』でアンドレ・ブルトンによる「シュルレアリスム宣言」(1924)を引用している点を見ても、何らかの影響下に創作行為があったとみて良い。
世紀の変わり目、現代の始まりと共にヨーロッパで発生したロシアアバンギャルド、ダダ、イタリア未来派、シュルレアリスム等は全て、社会と密接に関わりを持った芸術ムーブメントとして今、尚その有効性が着目されるものだ。

芸術が政治に対し告発し、和解し、擦り寄り、また攻撃する。そして政治は芸術に対し弾圧し、和解し、取り込もうとし、宣伝に利用し、また押さえ込む。そのような相互関係性に於いて、芸術は内的な深化も遂げていく。
特にシュルレアリスムは芸術至上主義というセーフゾーンを取り払い、社会性という現実的有効について最も深く探求し行動を伴ったムーブメントであった。

今、考えられるシュルレアリスムの成果とは芸術が社会、政治という現実へ付随する形(現実を批判したり肯定したり、反映するといったあらゆるケース)、それを仮にプロパガンダと呼ぶなら、そのプロパガンダを内含しつつ 現実から切り離される<固有の現実>を求める意志が芸術、表現の質的向上と現実的、政治的効果として希に両立した事であるだろう。このような成果が芸術を軸としたムーブメントによって成されたのは後にも先にもシュルレアリスムだけなのではないか。そして先に結論を言えば私はアレアが正にシュルレアリスムに匹敵する程の活動と表現の力を持ち得たと言いたいのである。
従ってその音楽は単なるプロパガンダではいけない。そのような‘解りきったもの’であってはならない。それは換言すればアートや音楽が政治、社会の下部構造に位置する状況だ。
即ち音楽は音楽自体の純度を追究し一見、芸術至上主義とも感じさせるほどの外的完成度を持ち、且つそれが現実世界に対し<反>(アンチ)の触覚によって、実際的行動や、思考を人々に喚起させるような力を音楽自体が持つ事。このような音楽こそがシュルレアリスム的高水準にあると言えよう。
アレアはこのようなレベルを備えたグループだったと言える。

(中略)

シュルレアリスムは1920年代、第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間にフランスで生まれた。アンドレ・ブルトンは1924年「シュルレアリスム宣言」を発表し、芸術(彼自身にとっては反芸術と同義)による社会変革と人間の内部変革の究極的合一、現実と夢という二律背反の超現実的合一を唱導している。それ以前、あるいは同時進行としてダダがあり、シュルレアリスムはそのダダ運動の中から誕生している。
ダダとはベルリン・ダダに象徴されるように政治色がかなり強く、ワイマール共和国からナチスへの移行期という時代背景もあり、表現の中に攻撃的要素が充満している。従って体制側からの激しい弾圧が加えられた。ダダの作品は概して諷刺やプロパガンダが一貫しており、芸術作品そのものの深化には及んでいない。と言うかそういった要素を意識的に排除しており、ヨーロッパ・アートの系譜そのものからの断絶を意図している。
そしてダダ作家は自らが戦闘的な活動家である場合が多く、作品の位置付けを社会行動の一媒体として考える。そこには直接性、明解性、現実性が要求され、非芸術的要素、非技巧的要素が強い。
アンドレ・ブルトンはダダの性格を受け持ちながら、尚かつそこへ夢や無意識の探求といったテーマを共存させようと試みた。それは社会革命という現実の変革と精神革命という人間の内的変革を同一に置く志向である。
その結果、シュルレアリスムの作品はハプニングや非確定性という反技巧的側面と構築的技巧美、精神的な内面追求度が共存する独特のスタイルとなる。
それはいわば夢的でもあり、リアルでもあるものだ。

しかしこの困難な活動コンセプトはブルトン自身の困難な道のりそのものとなる。
ブルトンらシュルレアリストはできて間もない共産党へ入党し、当時のフランスの右傾化及びファシズムという脅威へ対抗する現実的活動に参加する。しかしシュルレアリスムの芸術活動は言うに及ばず、夢や無意識、不条理の探求などという非現実的なものの現実的価値など認める筈がない共産党とは当初からしっくりいくはずがなく、間もなく離党(実際には除名)し、ノンセクトラディカルとしてのシュルレアリスムの立場を貫いていく。
やがて同じノンセクトラディカルでありライバルでもあるジョルジュ・バタイユと連合する活動を展開し、その政治性はナチスドイツの脅威という迫り来る現実と共に活発化してゆく。
しかしシュルレアリスムの独自性とはその表現が政治的プロパガンダに決して介入されないという一線があり、その根本的姿勢はブルトンの対ドイツレジスタンス(抵抗運動)への不参加とアメリカへの亡命という形へと帰結する。これに対する世間の目は<社会の変革>、<ファシズムへの対抗>を標榜するブルトンの裏切りというマイナスイメージだったようだ。そして実際、ブルトンら亡命グループはフランスに残って地下活動を続けた詩人、芸術家らレジスタンス派から相当の批判を受ける。
しかし結果的にブルトンは正しかった。
戦後、シュルレアリスム離脱派で共産党員であるルイ・アラゴン、ポール・エリュアール(ブルトンのかつての親友であり同志だった)がレジスタンス詩人、正義の詩人として英雄視される一方、表現のイデオロギーまでもがコミュニズムそのものとなり、正に芸術の政治的下僕としての位置に収ってしまうのである。その延長にアラゴン、エリュアールらの「スターリン賛歌」があり、彼等、現実派の盲目さを露呈してしまう結果となる。

ブルトンは見抜いていた。ヒトラー以上のファシスト、スターリンの本性。やがて明るみに出るその暴虐性。そしてそのスターリンの下部組織である各国共産党(コミンテルン)のスターリンへの偶像崇拝。その<宗教>に犯される芸術の堕落の行方。
戦後、フランスに戻ったブルトンは錬金術や秘教という‘超克手段’を芸術に融合させながら、尚も各種の現実的闘争を1966年に亡くなるまで続行した。時代はサルトルら実存主義派の時代ではあったが、後のパリ五月革命にもブルトンの影響は多大だったとされている。

ブルトンがピカソ像除幕式に抗議している写真がある。そこには既に年老いたブルトンが怒りの抗議をし、人々がそれを取り巻いている。
ここでブルトンは‘芸術(ピカソ)の体制側への回収’に対する異議申し立てを行っているのだ。ブルトンのスタンスがここに象徴される。ここでの‘体制側’とは現行政治体制だけを意味するのではない。反体制勢力をも含むあらゆる政治、社会イデオロギー、及びその団体を指しているのだ。つまりブルトンにとって芸術はあらゆる現実勢力の吸引力を排除し、それを超克しなければならない。同時に芸術至上主義に陥る事なく現実変革路線を実行する志向を保持しなければならない。

*******

私がここで少し長くシュルレアリスムの事を引き合いに出したのは、アレアの活動の歴史と音楽の完成度の高さ、外部への影響、パワーが正にシュルレアリスムを想起させるからである。
アレアは1973年のデビューアルバムで社会的メッセージ色を既に持ち、続く『caution radiation area(警告 放射能汚染地域)』(74)ではその立入禁止の看板がアルバムジャケットに描かれ、核問題を曲中で取り上げている。そしてサードアルバム『crac』(75)、フォース『are(a)zione』(75)までの間、アレアの活動は可能な限りの政治的アクションと共にあった。しかも音楽の外向的パワーを人々の間に浸透し続けた。

特に『caution radiation area』、『crac』の音楽的パワーは凄まじい。複雑な曲を難なくプレイしアンサンブルするそのテクニックにダイナミズム、初期衝動のエネルギーがストレートに加わり、原曲の複雑さ、コンセプトの難解さ、アバンギャルド要素が聴く者にそれを感じさせない。それはまるでシンプルなパンクやファンクを正面から聴かされているような精神的開放感につながってゆく。テクニカルな音楽、思想的な音楽がこのような爽快感を伴って聴く者を圧倒するのはとても珍しい事だ。そしてアレアの音楽にあるエネルギーの質とはその音が思想に負けない密度にある点で両者が希に見る両立を実現しているのだ。

アレアの音楽は技術、コンセプト、思想、メッセージ、そしてプレイする本人達の生活、社会意識、表現活動、アンガージュメントそれら全てに対し隙間なく探求的であろうとした。その結果、作品は進化を続け、自らも社会へのコミットを先鋭化する‘総合的な進歩’を実現してきた。アレアが持つこのような求道的精神こそが多くの人にエネルギーを伝播する要因になっているのだろう。

アレアは実際、かなり前衛的な事もやれば軽快なポップソングも演奏する。しかしそれらがまるで高圧電流のようなエネルギーの元、一貫した流れの中で私達へ向かってくる。<ジャズロック>という便利な言葉があるので便宜上、それによって語られる事の多いアレアだが、その音を聴けばこの呼称さえ、似つかわしくない事が解るだろう。丁度、70年代のマイルスデイビスの音楽を指して、そのジャンルが何をもってしても当てはまらないように、アレアもまた、アレアとしか呼びようのないスタイルを持っている。

そして<international POPular group!>と名乗る(POPのみ大文字である)通り、グループの大衆性への方向が閉塞的な地下アバンギャルドと対極に在るという事。それでいて第一級のアバンギャルドでもある自覚がアレアの音楽性に顕在するのだ。
前衛を観念的、高踏的に捉えず、人々の最前線、大地の最前衛に位置すべき実験場として捉えるアレアの発想は正しくシュルレアリスム的であると感じざるを得ない。

(中略)

アレアは具体的な政治活動から遠ざかりながらも一層、政治的になった。それは『melladiti』の音の感触が如実に物語る筈だ。アルバム全体の焦点の集中度、それを先ほど<厳格主義>と私は書いたが、アレアは正しく問題意識の深化によってそれを成し遂げている。これは聴く者に影響を与えざるを得ないだろう。アレアはイデオロギーの提示ではなく、感性のフロンティアとして、感覚(正しい、そして進むべき)を人々に伝播するグループへと変容したと言えよう。
これは先述したシュルレアリスム=アンドレ・ブルトンの辿った変化と方向性に同一の軌跡を感じる。


(中略)

『1978』は『melladiti』の硬質性とアレア本来のポップさをプラスした素晴らしいアルバムとなった。私が初めて聴いたアレアのアルバムである。甘ったるいものが多かったキングレコードの「ユーロロックコレクション」と題された当時の再発シリーズでその硬派が際立つ作品だった。演奏は『melladiti』よりカラフルになり、初期の地中海音楽のカラーも鮮明に打ち出し、開放的なトーンと明るさが基調になっている。しかしアルバムの内ジャケットを見て、アレアの全く変わらぬ過激性を確認するのである。そこには様々なテキスト、コラージュ、詩、解説、写真が盛り込まれ、音楽の明るいトーンとのバランスを提示するのである。全くアレアの批判精神は不滅だ。
アンドレ・ブルトンや、ジャック・ラカンが引用され、見事に音楽化してみせるこのグループはくどい位に社会性を見据えた表現活動をしている。ここへ来てアレアはいよいよ、明確な前衛グループのフロンティアとしてポピュラーシーンに斬り込んでいこうという勢いが感じられる。
このアルバムではギタリストのパオロトファーニが脱退しており、彼の絡みつくような粘着性ギターが聴けないのは残念だが、各曲が余りにもバラエティーに富んでおり、その穴を感じさせない作品となっている。

アルバム『1978』はアレアの音楽的ルーツ、南欧トラディッショナルの要素がそのメロディー、リズムにおいて顕れる。それはとても伸びやかで明るいものであり、一級のポップスだろう。

アレアは『1978』に於いてシュルレアリスムへの傾倒を深めている。それは具体的にはA面4曲目「homnage a violette noizieres」(精神攪乱)に於ける「シュルレアリスム革命」紙(1933)からの引用、B面2曲目「acrostico in memsria di l aio」に於けるアンドレ・ブルトンとルイ・アラゴンによる「ヒステリー50周年」の引用に見られる。これはいずれもブルトンによるフロイトの精神分析をベースにした精神の開放思想の一端であり、その意図するところは狂気や精神異常という社会的疎外物、抑圧の対象を人間性開放への契機として逆にその聖性を認識する事である。ブルトンは当時、あらゆる‘抑圧の機構、装置’を攻撃するマニフェスト、テキストを発表していた時期で、その中には刑務所や、精神病院の隔離、圧殺性を告発するものも含まれていた(後年、ミシェル・フーコーが行う仕事の先駆だろう)

アレアはその演奏においてしばしば理性を超えるトランスゾーンへ入っていく。特にディメトリオの人間離れしたパフォーマンスには‘万物の表現’或いは‘可視範囲を超える未知への接触’という性格が強い。彼は絶えず狂気や異常という暗黒面を視て、現実へと舞い戻っていただろうし、人間の内部の奥底への探求心は人一倍強かった筈だ。
アンドレ・ブルトンがヒステリーを社会に於ける聖性と見なす肯定的な再定義を行ったと同様、ディメトリオも人間のあらゆる感情や深層心理を広角に捉え、社会に於ける<異>への弾圧に対する<反>を打ち出している。
何れにしても<社会的異>への信仰が強いアンドレ・ブルトンの性格をディメトリオは70年代に受け継いでいるかのようだ。従って、ブルトンのテキストを引用しながら、音の世界においても濃厚にその影響を感じる事ができる。

『1978』でアレアは力強さと夢幻感覚が交差する正にシュルレアリスム的な作品を作り上げた。
ブルトンはシュルレアリスムに於いてあらゆる芸術ジャンルを巻き込んでグループの活動を世界中に波及させたわけだが、何故か音楽にあまり感心を示さなかった。はっきり言って軽視した。そしてこのムーブメントはヨーロッパの殆どの地域はおろか南米、日本にまで飛び火した広範囲なものだったのだが、イタリアではさほど拡がっていない。
アレアはシュルレアリスム未踏の地、イタリアで生まれ、しかも音楽という手段を選択した最後のシュルレアリストだったのかもしれない。

アレアのリーダー、ディメトリオ・ストラトスは1979年、6月18日に白血病で死亡している。恐らく生前に死期を告げられていたと思われるが、彼の活動は死を間近に捉えながら、凄まじく疾走するようなものであっただろう。それはジョン・コルトレーンに似て求道的ですらあった。

10万人を動員したというディメトリオの追悼コンサートではイタリア中から35のグループ、カンタウトゥーレ(イタリア語でシンガーソングライターの意味)が集まり、ボーカリスト不在のアレアも熱演を繰り広げたという。そしてやはり「インターナショナル」もプレイされた。後の東欧革命、天安門での民主化運動でも歌われたこの歌をアレアはディメトリオへの鎮魂として演奏した。それは恐らく最後の祝宴だったのだろう。

ディメトリオを失ったアレアは80年に『tic tac』という素晴らしい‘フュージョンアルバム’を作製するがディメトリオの不在は最早、アレアではなく、それは全く別のグループになっていた。<international popular group!>という冠がジャケットにも記されていない事がそれを象徴している。

「70年代に入って現れた多くのロックミュージシャンの中でこのアレアほど大きな社会的意義や変革的機能を音楽活動の中に持ち得たアーティストを恐らくアメリカやイギリスの音楽界から探し出す事は不可能であろう」
アルバム『1978』の解説はアレアの偉業を示すものだが、アレアは何よりもその音楽が楽しい。このような味わい深いエンタテーメント、驚きと思索にも満ちた音楽は他にはないだろう。

イタリアというポピュラーシーンの辺境から突然変異の如く現れたアレア。白血病という限られた人生の中で常人の何倍ものエネルギーを短時間に放出して見せたディメトリオ・ストラトスというカリスマ。そして70年代という政治の季節。恐らく色々な条件がアレアを成立させたのであろう。
アレアが追求したあらゆる開放の試みをその音楽性の最高級のエンタティメント精神から感じ取り、90年代の現在、何一つ解決されずある諸問題に目を開く契機とする事ができるかもしれない。

1993年4月





2019.4.6(sat) live and talk program ‘満月に聴く音楽’ ‘surrealism’ シュルレアリスム
Starlling
◦松本和史Mastumoto Kazuhito(Experimental movie)
◦Kazuto Yokokura(laptop)×長野雅貴Nagano Masataka(typewriter, other devices)
◦菊石 朋Kikuishi Tomo (poet reading)×宮本 隆(bass,sampler)
Talk about ‘surrealism’ 松本和史(詩人)聞き手:宮本 隆

@environment 0g [ zero-gauge ]
18:30 open 19:00 start
Charge2000 (excluding drink order)

evironment 0g [ zero-gauge ]
大阪市西区南堀江3-6-1 西大阪ビルB1F
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3/27 wed “DRONE” multiscale contemplative modeling

2019-03-25 | 新規投稿

このフライヤーを作ったのはシェシズche-shizuのアルバムジャケットの数々をデザインした京都在住のデザイナー重乃さんである。
私が感心したのは、頼まれもしないのに、 “DRONE” multiscale contemplative modeling
というイベントのタイトルまで創作していることだ。いつものように向井さんに丸投げされた文字情報だけを頼りに、John KRAUSBAUER 鈴木花織の音楽をyoutubeなどで
検索して音楽の傾向を掴み、このように仕上げている。こう言った事が過去にも幾度もあり、その都度、私は感心し、彼の人柄の良さまで称賛してしまう。、

3/27 wed “DRONE” multiscale contemplative modeling

> John KRAUSBAUER [electronics, strings, voice] from US
> 鈴木花織 SUZUKI Kaori [electronics, strings, voice] from US
> 秋山徹次 AKIYAMA Tetsuji [guitar] from tokyo
> 向井千惠 MUKAI Chie [二胡er-hu, voice, dance]
> 宮本 隆 MIYAMOTO Takashi [bass]

open 19:00/start 19:30
2500yen (inc 1drink)

@environment Og[zero-gauge]ゼロゲージ
大阪市西区南堀江3-6-1 西大阪ビルB1F
地下鉄「桜川」駅2番出口出て右に約1分
橋を渡ってすぐのビル
1 mimute from 2nd exit of the subway “sakuragawa” station

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4.6(sat) live and talk program ‘満月に聴く音楽’ ‘surrealism’ シュルレアリスム 2

2019-03-24 | 新規投稿
シュルレアリスムの名を冠したイベントにも関わらずメインが映像と音楽であるのも、いわば逆説的と言えるかもしれません。なぜならアンドレ・ブルトンは音楽に価値を認めなかった。それはブルトンの幾分、権威主義的な側面を物語る要素でもあったのではないかと感じます。シュルレアリスムに先行するパリ・ダダの時代、ブルトンは‘literature文学’という名の機関紙を創刊しますが、そこには‘反-文学’というアンチテーゼを含む意味があり、文学を含む言論が体制補完的な本質に陥っている事に対する反抗の意思に拠ったのですが、そのくせ、ブルトンは表現のヒエラルキーに対する保守的なこだわりも同時に持ち合わせていたのではないかと私は感じています。それは具体的に言うと西洋芸術一般に於ける‘詩’の優位性に対して疑念をはさむ余地がない事を一つの了解事項として、ブルトンは受け持っていた。詩から造形。このラインはブルトンの明確な趣向の特徴だったでしょう。音楽に対する無理解は恐らくはそこに多分なブルジョア臭も同時に嗅ぎ取っていた事は想像に難くないですが、若しくはその快楽的要素に対する嫌悪感もあったかもしれません。


シュルレアリスムに遡るダダは多分に音楽的な要素が充満しています。もっともそれはパリではなく、ベルリン、ハノーバー、ケルンというドイツの都市部で発生したダダ・ムーブメントに限定するかもしれませんが。クルト・シュビッターズの‘メルツバウ’、音声詩等は言うに及ばず、赤ちゃんのガラガラを鳴らしながら詩の朗読をしたトリスタン・ツアラや、その展示はイタリアの騒音主義noisizmや未来派に影響を受けたパフォーマンスで常に喧噪と一体化したものだった事が伝えられています。

シュルレアリスムで、かろうじて映像に関する表現をその歴史に留めているのも、スペインからパリにやってきた異邦人、ルイス・ブニュエルによるものだけではないでしょうか。しかもシュルレアリスム作品と言われる「アンダルシアの犬」、「黄金時代」はブニュエルの生涯から見たほんの一時期の作品であり、彼をシュルレアリスムの作家と位置付けるのは無理があると思います。同じく写真というジャンルのシュルレアリスムに於ける功労者でもあるマン・レイもアメリカからパリにやってきた異邦人で、たまたまシュルレアリスム・ムーブメントの渦中に偶然の出会いから仲間意識を持って迎えられてますが、盟友、マルセル・デュシャンとの友情や実験精神の発露としての写真表現に自ら積極的にシュルレアリスムを意識し、そのコンセプトに従うメンバーシップがあったとは思えません。勿論、レイヨグラフなどの手法そのもののシュルレアリスム的技術のグループへの影響力は大きかったですが。


今回のイベントで◦Kazuto Yokokura(laptop)×長野雅貴(typewriter, other devices)◦菊石 朋(poet reading)×宮本 隆(bass,sampler)の2組の音楽、朗読。
◦松本和史Mastumoto Kazuhito(Experimental movie)の映像という3組の出演を企画しました。長野氏のパフォーマンスは私にDADAを思い浮かべさせるに十分な要素を持ってますし、私に関してはおそらくドローンミニマルなものを封印し、カットアップ、コラージュ的要素を折り込み、シュルレアリスム的な場面転換を意識したいと思っています。さて。


4.6(sat) live and talk program ‘満月に聴く音楽’ ‘surrealism’ シュルレアリスム
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◦松本和史Mastumoto Kazuhito(Experimental movie)
◦Kazuto Yokokura(laptop)×長野雅貴Nagano Masataka(typewriter, other devices)
◦菊石 朋Kikuishi Tomo (poet reading)×宮本 隆(bass,sampler)
Talk about ‘surrealism’ 松本和史(詩人)聞き手:宮本 隆

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4.6(sat) live and talk program ‘満月に聴く音楽’ ‘surrealism’ シュルレアリスム

2019-03-17 | 新規投稿
ひょんな事からとは言え、シュルレアリスムの名を冠したイベントを企画してしまうとは我ながら随分、ハードルを上げてしまったとも感じます。私がシュルレアリスムに熱中したのは実に80年代から90年代の初めくらいの事で、それはシュルレアリスム関連の書籍が豊富に書店にもあり、新刊書も出版されていた時期と重なります。やがてそれらがポストモダン関連の書籍と入れ替わるようにフェイドアウトしていったのを私は横目で眺めながら、シュルレアリスムに対する熱中度が少しずつ下がっていくのを感じていました。とはいえ一旦、強烈な影響を受けた対象に関する関心が完全に途絶える事はありません。当時の私は書店に行けば必ず、シュルレアリスム関連の新刊がリリースされているか確認する事を習慣としており、新刊があれば無条件で即買いです。そうして購入したシュルレアリスム関連の本は優に100冊を超えていました。
そして97年にアンドレ・ブルトンの評伝が出版された時に抱いた「やっと出たか。もう遅いわい」という当時の実感などについての回想めいた文章を5年前に出版されたバンジャマン・ペレの本についての批評の中で述べた事もありました。
2000年代とは私にとってシュルレアリスムが自分の中で、もう完全に過去のものになった時代でもありましたが、フェイスブックの中で松本和史氏による「関西シュルレアリスム研究会」に関する投稿を見つけた時、忘れていたシュルレアリスムなるワードにある種の既視感を覚えました。そんな研究会があるのかという驚きでした。その松本氏とはこれまでも何回かライブでジョイントしてますが、コラージュ作品やオブジェを使用してそれをスライドに映し、リアルタイムに映像を作っていくアーティストと認識していました。今回、オリジナルの実験映画とその解説をしていただく事で興味は尽きません。そして氏は自らを‘詩人’と位置付けている言葉の人でもあり、シュルレアリスム的真髄を垣間見る機会になりそうです。



4.6(sat) live and talk program ‘満月に聴く音楽’ ‘surrealism’ シュルレアリスム

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◦松本和史Mastumoto Kazuhito(Experimental movie)
◦Kazuto Yokokura(laptop)×長野雅貴Nagano Masataka(typewriter, other devices)
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Talk about ‘surrealism’ 松本和史(詩人)聞き手:宮本 隆


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松本和史Mastumoto Kazuhito

1984年大阪府生まれ。IAMAS 情報科学芸術大学院大学 メディア表現研究科メディア表現専攻 修了。メディア芸術を考察しながらカセットテープレコーダーを用いて一人で輪唱ができる装置や、コンクリート・ポエトリーと呼ばれる図像的に文字を用いた詩表現などの作品発表を行なっている。音楽は Z-Z 言語「ウ」の Vo. を務めている。関西シュルレアリスム研究会の告知制作や会への参加も行っている。

/* Link on Dig. */ ≫ http://analicear.com

宮本 隆 MIYAMOTO Takashi

1985年より東京で様々なインディーズバンドで活動開始。95年、大阪でジャズロックグループ、時弦旅団(Time Strings Travellers)を結成。これまでに4枚のアルバムをリリース。2011年「defreezed songs」でゲスト参加した木村文彦の作品「キリーク」をプロデュースしたのがきっかけとなり、CD制作レーベル時弦プロダクションとして活動を活発化させ、「existense」(磯端伸一with大友良英)、「火の環」(シェシズ)を発表。リーダーグループとして、時弦旅団の他、3Mirrors(with 木村文彦、石上和也)があり、他に即興を主体とした様々なユニット、あるいはソロでの即興演奏活動も行い、2017年、ソロアルバム「poralization」(kyouレコード)http://www.jigen-p.net/miyamoto-takashi

長野雅貴 Nagano Masataka

1986年生。神戸在住。2004年頃、実験的ユニットN.O.Nを結成、ギターによる即興演奏を始める。メンバーのyuki nakagawaが企画するo/t/cへの定期的なsolo出演などを経て2011年から自主イベント「結節点!¡」を開催。セッションを中心に多くのアーティストと共演。2014年にShaktiMusicよりアルバム “、を打つ”をリリース 。演奏ではギターを中心に、タイプライターのような非楽器、エフェクターなどの機材/ 音源を組み合わせ扱う。ライブ活動や様々な交流を通じ新たな表現や響きを探求。現在はコンサートシリーズ”Momente”を月2回のペースで主催する。 http://bainm0.hatenablog.com

Kazuto yokokura:

大阪在住。感情表現というよりも、音による空間の構築に重きがあり、イメージ喚起・その他が可能な電子音楽~電子音響作品を志向している。

KAZUTOYOKOKURA× MASATAKANAGANO

アートスペースenvironment 0gの前身nuthingsで結成。即興演奏者NAGANO ×トラックメイカーYOKOKURAによるユニット。過去から現在、現在から過去への往還、尖端へと結ばれる試行。枠組みに囚われず可能性を模索し発信する場。参照にemptyset、joy divisonなど。 2017年より再始動。

菊石 朋Kikuishi Tomo

大阪市在住。9才のころから詩を書く。2017年1月に第一詩集『耳の生存』(七月堂)を上梓。2017年8月より 熊本地震と対峙し文学方面から復興を目指す 詩誌『みなみのかぜ』に二号より参加。
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